「正月。実家に顔、出すんだろ?」
映画のあと、目的もなく街を歩く。
「洸太は出すんでしょ?」
「ああ」
私は「多分ね」と返し、なんとなく手近のカフェに足を向けた。
十二月の寒空にテラス席にしか空きがなく、洸太が他の店にするかと気遣ってくれたけれど、探すのが面倒で寒いのを我慢することにした。
席に用意されていたブランケットを膝の上にかけると、洸太は自分の分のブランケットも差し出すから遠慮なく受け取った。それをお腹周りに巻きつける。
「お腹、冷えたらやばいでしょ」
真面目に返したら笑い出すから、ひと睨みしてメニューに目をやる。
「ホットチョコレート」
「名前だけで甘そうだな」
少しだけ顔をしかめた洸太は、甘いものがあまり得意ではない。
年明けにやってくるバレンタインも、貰えるものは受け取っているけれど、食べるのはおじさんとおばさんと、それに私だ。最後のは、社内の女子には内緒だけれど。
「俺は、ブラックだな」
手を挙げて中にいる店員を呼び注文をしたあと、少し吹いた風に洸太が上着の襟を合わせた。
「寒いなら返すけど」
やせ我慢でもしているのか、私の言葉に襟元から手を離した。
「男は女のためになら、我慢できんだよ」
「幼馴染相手に、意地張らなくてもいいじゃん」
強情な洸太を笑っていたら、カップから湯気を上げたブラックが先に届いた。
「お先」
「どうぞ、どうぞ」
右手を出すと、熱々のコーヒーを口に含んでほっとしている。
やっぱり寒いんじゃん。
「返すよ」
お腹に巻いたブランケットを外そうとすると「いらねーって」となんだか少し怒ったような口調に、こっちも意地になってお腹に巻き直した。
「お腹壊したら、薬持ってってあげるよ」
「おう。すぐに持ってこいよな」
挑むように言って笑っている。
ホットチョコレートも届いて一口含み、甘さが体に浸透していく感覚を味わいながら息をつけば、白い靄がふわりと視界に現れた。
席から少し離れたところに小さな暖房器具が置かれているけれど、あまり役に立っていない。
カップを両手で包み冷えていく指を温めれば、代わりというようにホットチョコレートは冷めていく。熱を奪っていく手の冷たさは、私自身のような気がした。
「美味いか?」
「飲む?」
訊ねてくるから珍しくチャレンジするのかと洸太に向けてカップを掲げたら、ほんの僅かの逡巡だけで首を横に振った。
お酒が好きだと甘いものが苦手って聞くけど、洸太はその典型だ。私は、どちらも好き。これは女だからなのかな?
ああ、でも例外がいたな。奏太は、甘いものが得意だった。お酒もたくさん飲むけど、その合間に平気で生クリームたっぷりのケーキを口にしていた。
その姿を見た洸太は、よくげんなりとした顔をしていたっけ。
「奏太のこと、考えてんのか?」
口角でも上がっていただろうか。洸太が顔を覗きこむようにして訊いてきた。
「奏太は、甘いのが好きだったなぁって。お酒飲んでる時も、平気で甘いの食べてたよね」
懐かしむように話すと、洸太はあの頃奏太へ向けていたような渋い顔をする。
「あいつは、おかしいんだよ。なんでケーキ食いながら酒飲んでんだよ。絶対、味覚音痴だって」
腕を組んでわざと憤慨した態度をする洸太だけれど、奏太の話をするときには楽しそうにすることが多い。実際今も、表情は和らいでいる。
でも、時々。そう、……時々、悲しそうな顔をするから。そんな時は、すぐに話を変えるようにしていた。私までその悲しみに引きずられてしまったら、引き揚げてくれる人などいないから。
洸太は、弟の奏太をとても可愛がっていた。わざと突っ慳貪な態度をして見せるけれど、いつだって奏太の味方だったし、どんなことでもしっかり聞いて向き合っていた。口は悪いけれど、いつだって奏太のことを考えているいいお兄ちゃんだ。
「ねぇ。夜にやってる世界のなんとかって、短い番組があるでしょ」
不意に、昨夜観ていたテレビ番組を思いだした。
「ああ。汽車に乗ってる旅行者とか、現地の人たちにカメラを向けて、小さな町を巡る五分くらいの番組だろ」
「うん。あれを目にするとね、奏太はもしかしたら今画面に映っている場所にいるかも知れないとか。この場所を通ったかも知れないとか。そういうの、想像しちゃうんだよね……」
番組と番組の合間にやっていた世界の片隅には、知らない国の知らない人たちが笑顔でテレビカメラに向かって手を振っていた。その画面を食い入るように見つめ、もしかしたら奏太が映り込んだりしてはいないだろうかと、ほんの短い番組の間、終始視線を走らせていた。
奇跡的な偶然など起こり得ないことは解っていても、あの番組を目にするたびに奏太の姿を探す自分がいた。
ふと洸太を見ると、複雑な表情を浮かべていた。この話題は禁句だっただろうか。言葉を探すように、洸太は視線をコーヒーの表面へ向けて口を閉ざしてしまった。
話題を変えたほうがいいかもしれない。
そう気持ちを切り替えた時、洸太が顔を上げた。
「俺もだ」
上着のポケットへ両手をしまい込んだ洸太が背もたれに寄りかかる。
「映ってるわけねーよなって思うくせに。あの五分間は、画面から目が離せなくなる。そのくせ、録画してまで観ようとは思わないから、俺は薄情なのかもな」
少しだけ自虐的に片方の頬を歪めている。それはなんだか、余計な感情を払いのけるようにさっぱりと話しているようでいて、何かを諦めたような悲しみも窺えた。
「私も一緒。録画はしない。どうしてだろうね……」
冷たい空気に体の芯まで冷えていく。
「行こっか」
すっかり冷めてしまったホットチョコレートが、カップの底で黒く固まったように残っていた。冷める前に飲みきれなかったのは、テラス席の寒さのせいだけじゃない。奏太のいない心の寒さが、私たちをいつまでも包んで放さないからだ。
この黒い奥底に、奏太への想いを閉じ込めて、いつか、きっと、必ず、と言い聞かせることしかできない小さな自分を閉じ込めた。
「買い物、つきあってくれるか?」
カフェを出てから街をぶらついていた。帰省を始めている人もいるせいなのか、街は心なしかいつもより人の数が少ない気がする。
「何買うの?」
ウインドウに飾られた、ダッフルコートを眺めながら訊ねた。
奏太に似合いそうな紺色のダッフルコートは、二十歳を過ぎても学生のようだった彼の笑顔を思い出させた。
彼が今いる場所は、どのくらい寒いのだろう。風邪などひいていなければいいけれど。
「ボーナス入ったしな」
「どんなすごいの買うのよ。あの狭い部屋にソファでも置くつもり?」
洸太の部屋は、単身者用のマンションだ。洸太くらい仕事ができて稼いでいるなら、もう少し広い部屋でもいいのに。「寝に帰るだけだから」と彼は小ぶりの部屋を選んだ。
洸太は多分、私のためにそうしたのだと思う。このタイプのマンションなら、私の住む場所のそばにはいくつも空きがあったからだ。
親心だろうか。兄貴のような気持ちなのだろうか。妹を思うように近くにいて、何かあればすぐにでも飛んで来られる距離に洸太は住んでいる。
兄弟で住んでいた部屋から奏太が置いて行った荷物を片付けている時、洸太は終始うつむいていて言葉もなかった。そんな洸太はらしくなさすぎて、ずっとどうでもいい事を話しかけ続けていたことを思い出した。
いつも元気づけようとしてくれるけれど、寂しいのは私よりも洸太なのかもしれない……。
引っ越しの荷物を片付けながら、「そのうち、ひょっこり帰ってくるって」とか。「奏太が置いていったパンツ、洸太が履けば?」とか。奏太は意外とゲーム好きだったから、置いていった大量のソフトを勝手に売って「二人で美味しい物でも食べちゃおうか」とか。なるべく、のんきに明るく振舞った。
ダンボールに詰め込んだ奏太の荷物は、午後には実家へと宅配されてしまって。その日から数日。今住むマンションへ引っ越すまでの間、洸太はたった一人であの広い部屋にいた。俯き無言で片付けをしていた洸太を思えば、泊り込んで一緒に居てあげてもよかったのだけれど。さすがにそれは「大丈夫だから」と、洸太からも二人の両親からも悲しげな瞳で「ありがとうね」と遠慮された。
「ソファか、それもいいな。買ったら寛ぎに来るか?」
洸太は冗談に乗っかって、本当にソファを買ってしまいそうな勢いだ。
「どんな女が座ったあとかもわからないソファで寛ぐ気は無いよ」
「なんだよ。そういうの気にすんのか?」
「冗談だよ。どんな女でも、洸太が気に入った人ならいいんじゃない?」
「女なんか、部屋に入れねーし」
「またまた、ご冗談を」
からかうように笑うと、洸太が女性もののショップへ足を向けた。
「なんだ。新しい子になんか買うの?」
ツカツカと店内に踏み込む洸太のあとを追い、ほんの少しだけソファじゃないんだと残念な気がした。座り心地のいいソファに埋もれるように座ってみたかったな、と寛ぐ自分を少しだけ想像してみたら案外悪くなかった。
質問には応えず、洸太が奥の棚に並んでいた温かそうな手編み風のマフラーを手にした。
「スミレ」
呼ばれて行くと、洸太がマフラーをふわりと私の首に巻いた。
「似合うな」
「私で試さないでよ」
「試してない。首元寒そうだから、買ってやる」
え?
思う間も無く巻いていたマフラーを再び手にして、洸太はレジへ向かってしまった。
「自分のを買ったほうがいいんじゃ無いの?」
どちらかと言えば、洸太の襟元の方が開いていて寒そうだ。ボタンを外したステンカラーコートの襟もとを立てた奥には、丸襟のニットが見えるけれど、首元はスースーとしていて見ているこっちが寒くなる。
おしゃれは、我慢か。
そういう私は、ビンテージ風のラフなデニムコートだ。確かに襟元は寒いけれど、裏地はもこもことしているからそれなりに温かい。
「いつも世話になってるからな」
「なんかお世話したっけ?」
「してないな。俺が世話してんのか」
洸太は珍しく声を上げて笑い、直ぐに使うからと店員に言ってタグを外してもらっている。レジから戻ってくると、再び私の首へとマフラーを巻いた。
「ありがと」
ニカッと笑みを作ると、洸太は上着に両手を入れてさっさと店を出て行く。そのあとを追う私へ店員が「ありがとうございました」と頭を下げた。
映画のあと、目的もなく街を歩く。
「洸太は出すんでしょ?」
「ああ」
私は「多分ね」と返し、なんとなく手近のカフェに足を向けた。
十二月の寒空にテラス席にしか空きがなく、洸太が他の店にするかと気遣ってくれたけれど、探すのが面倒で寒いのを我慢することにした。
席に用意されていたブランケットを膝の上にかけると、洸太は自分の分のブランケットも差し出すから遠慮なく受け取った。それをお腹周りに巻きつける。
「お腹、冷えたらやばいでしょ」
真面目に返したら笑い出すから、ひと睨みしてメニューに目をやる。
「ホットチョコレート」
「名前だけで甘そうだな」
少しだけ顔をしかめた洸太は、甘いものがあまり得意ではない。
年明けにやってくるバレンタインも、貰えるものは受け取っているけれど、食べるのはおじさんとおばさんと、それに私だ。最後のは、社内の女子には内緒だけれど。
「俺は、ブラックだな」
手を挙げて中にいる店員を呼び注文をしたあと、少し吹いた風に洸太が上着の襟を合わせた。
「寒いなら返すけど」
やせ我慢でもしているのか、私の言葉に襟元から手を離した。
「男は女のためになら、我慢できんだよ」
「幼馴染相手に、意地張らなくてもいいじゃん」
強情な洸太を笑っていたら、カップから湯気を上げたブラックが先に届いた。
「お先」
「どうぞ、どうぞ」
右手を出すと、熱々のコーヒーを口に含んでほっとしている。
やっぱり寒いんじゃん。
「返すよ」
お腹に巻いたブランケットを外そうとすると「いらねーって」となんだか少し怒ったような口調に、こっちも意地になってお腹に巻き直した。
「お腹壊したら、薬持ってってあげるよ」
「おう。すぐに持ってこいよな」
挑むように言って笑っている。
ホットチョコレートも届いて一口含み、甘さが体に浸透していく感覚を味わいながら息をつけば、白い靄がふわりと視界に現れた。
席から少し離れたところに小さな暖房器具が置かれているけれど、あまり役に立っていない。
カップを両手で包み冷えていく指を温めれば、代わりというようにホットチョコレートは冷めていく。熱を奪っていく手の冷たさは、私自身のような気がした。
「美味いか?」
「飲む?」
訊ねてくるから珍しくチャレンジするのかと洸太に向けてカップを掲げたら、ほんの僅かの逡巡だけで首を横に振った。
お酒が好きだと甘いものが苦手って聞くけど、洸太はその典型だ。私は、どちらも好き。これは女だからなのかな?
ああ、でも例外がいたな。奏太は、甘いものが得意だった。お酒もたくさん飲むけど、その合間に平気で生クリームたっぷりのケーキを口にしていた。
その姿を見た洸太は、よくげんなりとした顔をしていたっけ。
「奏太のこと、考えてんのか?」
口角でも上がっていただろうか。洸太が顔を覗きこむようにして訊いてきた。
「奏太は、甘いのが好きだったなぁって。お酒飲んでる時も、平気で甘いの食べてたよね」
懐かしむように話すと、洸太はあの頃奏太へ向けていたような渋い顔をする。
「あいつは、おかしいんだよ。なんでケーキ食いながら酒飲んでんだよ。絶対、味覚音痴だって」
腕を組んでわざと憤慨した態度をする洸太だけれど、奏太の話をするときには楽しそうにすることが多い。実際今も、表情は和らいでいる。
でも、時々。そう、……時々、悲しそうな顔をするから。そんな時は、すぐに話を変えるようにしていた。私までその悲しみに引きずられてしまったら、引き揚げてくれる人などいないから。
洸太は、弟の奏太をとても可愛がっていた。わざと突っ慳貪な態度をして見せるけれど、いつだって奏太の味方だったし、どんなことでもしっかり聞いて向き合っていた。口は悪いけれど、いつだって奏太のことを考えているいいお兄ちゃんだ。
「ねぇ。夜にやってる世界のなんとかって、短い番組があるでしょ」
不意に、昨夜観ていたテレビ番組を思いだした。
「ああ。汽車に乗ってる旅行者とか、現地の人たちにカメラを向けて、小さな町を巡る五分くらいの番組だろ」
「うん。あれを目にするとね、奏太はもしかしたら今画面に映っている場所にいるかも知れないとか。この場所を通ったかも知れないとか。そういうの、想像しちゃうんだよね……」
番組と番組の合間にやっていた世界の片隅には、知らない国の知らない人たちが笑顔でテレビカメラに向かって手を振っていた。その画面を食い入るように見つめ、もしかしたら奏太が映り込んだりしてはいないだろうかと、ほんの短い番組の間、終始視線を走らせていた。
奇跡的な偶然など起こり得ないことは解っていても、あの番組を目にするたびに奏太の姿を探す自分がいた。
ふと洸太を見ると、複雑な表情を浮かべていた。この話題は禁句だっただろうか。言葉を探すように、洸太は視線をコーヒーの表面へ向けて口を閉ざしてしまった。
話題を変えたほうがいいかもしれない。
そう気持ちを切り替えた時、洸太が顔を上げた。
「俺もだ」
上着のポケットへ両手をしまい込んだ洸太が背もたれに寄りかかる。
「映ってるわけねーよなって思うくせに。あの五分間は、画面から目が離せなくなる。そのくせ、録画してまで観ようとは思わないから、俺は薄情なのかもな」
少しだけ自虐的に片方の頬を歪めている。それはなんだか、余計な感情を払いのけるようにさっぱりと話しているようでいて、何かを諦めたような悲しみも窺えた。
「私も一緒。録画はしない。どうしてだろうね……」
冷たい空気に体の芯まで冷えていく。
「行こっか」
すっかり冷めてしまったホットチョコレートが、カップの底で黒く固まったように残っていた。冷める前に飲みきれなかったのは、テラス席の寒さのせいだけじゃない。奏太のいない心の寒さが、私たちをいつまでも包んで放さないからだ。
この黒い奥底に、奏太への想いを閉じ込めて、いつか、きっと、必ず、と言い聞かせることしかできない小さな自分を閉じ込めた。
「買い物、つきあってくれるか?」
カフェを出てから街をぶらついていた。帰省を始めている人もいるせいなのか、街は心なしかいつもより人の数が少ない気がする。
「何買うの?」
ウインドウに飾られた、ダッフルコートを眺めながら訊ねた。
奏太に似合いそうな紺色のダッフルコートは、二十歳を過ぎても学生のようだった彼の笑顔を思い出させた。
彼が今いる場所は、どのくらい寒いのだろう。風邪などひいていなければいいけれど。
「ボーナス入ったしな」
「どんなすごいの買うのよ。あの狭い部屋にソファでも置くつもり?」
洸太の部屋は、単身者用のマンションだ。洸太くらい仕事ができて稼いでいるなら、もう少し広い部屋でもいいのに。「寝に帰るだけだから」と彼は小ぶりの部屋を選んだ。
洸太は多分、私のためにそうしたのだと思う。このタイプのマンションなら、私の住む場所のそばにはいくつも空きがあったからだ。
親心だろうか。兄貴のような気持ちなのだろうか。妹を思うように近くにいて、何かあればすぐにでも飛んで来られる距離に洸太は住んでいる。
兄弟で住んでいた部屋から奏太が置いて行った荷物を片付けている時、洸太は終始うつむいていて言葉もなかった。そんな洸太はらしくなさすぎて、ずっとどうでもいい事を話しかけ続けていたことを思い出した。
いつも元気づけようとしてくれるけれど、寂しいのは私よりも洸太なのかもしれない……。
引っ越しの荷物を片付けながら、「そのうち、ひょっこり帰ってくるって」とか。「奏太が置いていったパンツ、洸太が履けば?」とか。奏太は意外とゲーム好きだったから、置いていった大量のソフトを勝手に売って「二人で美味しい物でも食べちゃおうか」とか。なるべく、のんきに明るく振舞った。
ダンボールに詰め込んだ奏太の荷物は、午後には実家へと宅配されてしまって。その日から数日。今住むマンションへ引っ越すまでの間、洸太はたった一人であの広い部屋にいた。俯き無言で片付けをしていた洸太を思えば、泊り込んで一緒に居てあげてもよかったのだけれど。さすがにそれは「大丈夫だから」と、洸太からも二人の両親からも悲しげな瞳で「ありがとうね」と遠慮された。
「ソファか、それもいいな。買ったら寛ぎに来るか?」
洸太は冗談に乗っかって、本当にソファを買ってしまいそうな勢いだ。
「どんな女が座ったあとかもわからないソファで寛ぐ気は無いよ」
「なんだよ。そういうの気にすんのか?」
「冗談だよ。どんな女でも、洸太が気に入った人ならいいんじゃない?」
「女なんか、部屋に入れねーし」
「またまた、ご冗談を」
からかうように笑うと、洸太が女性もののショップへ足を向けた。
「なんだ。新しい子になんか買うの?」
ツカツカと店内に踏み込む洸太のあとを追い、ほんの少しだけソファじゃないんだと残念な気がした。座り心地のいいソファに埋もれるように座ってみたかったな、と寛ぐ自分を少しだけ想像してみたら案外悪くなかった。
質問には応えず、洸太が奥の棚に並んでいた温かそうな手編み風のマフラーを手にした。
「スミレ」
呼ばれて行くと、洸太がマフラーをふわりと私の首に巻いた。
「似合うな」
「私で試さないでよ」
「試してない。首元寒そうだから、買ってやる」
え?
思う間も無く巻いていたマフラーを再び手にして、洸太はレジへ向かってしまった。
「自分のを買ったほうがいいんじゃ無いの?」
どちらかと言えば、洸太の襟元の方が開いていて寒そうだ。ボタンを外したステンカラーコートの襟もとを立てた奥には、丸襟のニットが見えるけれど、首元はスースーとしていて見ているこっちが寒くなる。
おしゃれは、我慢か。
そういう私は、ビンテージ風のラフなデニムコートだ。確かに襟元は寒いけれど、裏地はもこもことしているからそれなりに温かい。
「いつも世話になってるからな」
「なんかお世話したっけ?」
「してないな。俺が世話してんのか」
洸太は珍しく声を上げて笑い、直ぐに使うからと店員に言ってタグを外してもらっている。レジから戻ってくると、再び私の首へとマフラーを巻いた。
「ありがと」
ニカッと笑みを作ると、洸太は上着に両手を入れてさっさと店を出て行く。そのあとを追う私へ店員が「ありがとうございました」と頭を下げた。