心理学の若きホープによって連続殺人は落着した。
惜田小夜は全てを吐露し、あっという間に逮捕・起訴された。
合同捜査本部は解散し、徳憲も警視庁捜査一課へ凱旋を果たす。
――ちっとも心は晴れなかったが。
徳憲は報告書を作成中、何度も物思いにふける。小夜との思い出。自分を好いてくれた女性が犯人だったという最悪の結末。何もかも上の空で手に付かない。
気力が湧かないまま、一向に埋まらない報告欄と格闘している。
「やっほー忠志くん、様子見に来たよー。ご機嫌いかが?」
そこに顔を出したのが忠岡である。
警視庁本部庁舎と警察総合庁舎は隣接しているから、科捜研と捜査一課を往復するのはたやすい。だが、まさか彼女の方から顔を出すとは思わなかった。どういう風の吹き回しか。忠岡は相変わらず冴えないボロ着のまま、瓶底眼鏡の奥で双眸を輝かせた。
徳憲の醜態を笑いにでも来たのか?
徳憲は目すら合わせず頭だけ下げた。顔はパソコンの文書作成を向いたままだ。
「ぶー、つれない態度ねー。同じ『忠』の字を持つ仲なのにー」
「字は関係ないでしょ……」反論すら面倒臭い徳憲。「俺は忠岡さんのこと、本気で恨みますからね」
「え? なんでー?」
「当たり前でしょう! こんなこと言いたくありませんけど、鴨志田が犯人なら丸く収まったんです! なのに、小夜さんの闇を暴くなんて……たとえそれが真実でも、俺は一生あなたを許しません。俺にも『青春』という名の春が訪れたかも知れないのに!」
仕事の鬼である堅物が、色恋に期待したのが運の尽きだった。
「なーにが青春よ。まだあの女に騙されてるのー? 単に担がれてただけのくせにさー」
忠岡が腰に手を当て、鼻で笑った。対する徳憲は鼻につく。
「騙されるって何ですか」
「小夜さんは自分が逮捕されないよーに、忠志くんを『色仕掛け』で篭絡しよーとしてただけよ。忠志くん女性経験なさそーだからチョロかっただろーし」
「な……っ」
「捜査中に急接近する異性って、知らず知らず贔屓《ひいき》目で見るよーになって、犯人候補から外しやすくなるってゆー心理に陥りやすいのよー。これは推理小説《ミステリ》でもお約束よねー」
言われてみれば、サスペンスの中盤でラブロマンスが発生すると、大抵はその女性が容疑者だったり重大な秘密を隠していたりするパターンが多い。
何もかも、主役をかどわかして真相から目をそむけさせるための罠なのだ。
「謀られたのか、俺は……」机上に突っ伏す徳憲。「それもそうか……俺みたいな仕事一筋の朴念仁が、異性に好かれるわけない……」
「なーにひねくれてるのよっ」
しょげ返る朴念仁に、忠岡の顔面が近付いた。
彼の鼻っ柱めがけて、猫パンチのようなか弱い喝を叩き込まれる。非力な女性の一撃はちっとも痛くなかったが、徳憲はぱちくりと目をしばたたかせた。
「あのさー忠志くん。異性ならあたしが居るでしょー? あたしは君を気に入ってるよ」
「やめて下さい……俺はあなたが苦手なんです」
「ひどーい! あたしは忠志くんを小夜さんから取り戻すために、徹夜して小夜犯人説をプロファイリングででっち上げたのにー」
「………え? でっち上げた?」
「わー、口が滑った」
今、さらりととんでもないことを呟かれた気がする。
徳憲は起き上がる気力すらなかったが、かろうじて上半身だけ忠岡に向き直った。
「もしかして忠岡さんが真実を暴いた動機って、それですか?」
「……そーしたら本当に小夜さんが犯人だったから、結果オーライよ。テヘペロ」
「何がテヘペロですか! 思いっきり私情じゃないですか! 結果的に小夜さんが真犯人だったから良かったものの、一つ間違えば冤罪ですよ!」
「あたしの忠志くんに手ぇー出す女が悪いのよー。ざまぁーみろ!」
「ざ、ざまぁー……って、あなたって人は……腹黒すぎる!」
「あっ、今の忠志くんのえも言われぬ表情、面白ーい。動画撮っちゃお」
「カメラを向けないで下さい! やっぱり俺は、あなたが苦手だ……」
今の時代、誰でも映像を記録し、情報を発信できるようになった。
好き勝手に撮影し、むやみに垂れ流すことへのリテラシーやモラルが低下し、無断アップロードや肖像権を巡る騒動も増えている。
死体や暴動を何の抵抗もなく配信してしまう『炎上動画』は、その最たるものだ。
それは決して他人事ではない。自衛の精神を強く持って、付き合うしかないのである。
――了