ゴールデンウィークを控えた某日、一人の動画配信者が炎上した。

 炎上、とは物理的な意味ではない。ウェブ上で過激な言動――非常識な悪罵や犯罪まがいの行為など――をして批判され、糾弾され、蛇蝎のごとく忌み嫌われる現象を比喩した表現である。

 余りに炎上が収まらない場合、新聞やニュース番組で報道されることも増えた。

 ただし――今回の炎上は、少し方向性が異なる。

「マジかよ、これ撮っちゃっていいのか? 生配信中なんだけどよ」

 配信者は、偶然それ(・・)を発見した(てい)だった。

 わざとではないのだ。スマホ片手に放送していたら、たまたま炎上しそうなシーンが映ってしまっただけ。

 配信者は『突撃クレーマー』というハンドルネームを名乗っていた。ファン登録者数は二〇万人ほどの、動画サイトとしては中堅クラスの人気者だ。

 日頃から気に食わない商品や店頭サービスにケチを付け、文字通りクレームを入れる一部始終を生配信するという、あまり素行の良い内容とは言いがたい輩である。

 時には理不尽なボッタクリ商売や迷惑行為に立ち向かうこともあったが、大半はただのクレーマーであり、それを面白がるファンも冷やかしが多い。クレーマーの言いがかりや、他人をこき下ろす攻撃的な罵詈雑言を野次馬根性で囃し立てるだけだ。

「やべぇな、これ……警察に通報するか?」

 では彼は一体、何を見たのか。

 何を配信してしまったのか――?



   *



 ターンタ・ターンタ・タタタタタン。

「隣ん()の音楽がうるせぇぞ!」

 動画が始まるなり、突撃クレーマーは自撮りしながら壁を殴った。

 ターンタ・ターンタ・タタタタタン。

「うるせぇっつってんだろ止めろよこの音楽! ったくよぉ。えー視聴者の皆さーん、ご覧の通り、隣の部屋から大音量でクラシックが響いてんだよ今! こんな夜遅くにさぁ! 迷惑だから、ちょっくら隣人に突撃かましまーす!」

 深夜、アパートの隣人が爆音を垂れ流したらしく、配信者は眠れない怒りをウェブ動画で発散しようと決意したらしい。

 アパートの隣室へ「静かにしろや!」と怒鳴り込む。

 夜中だというのに、視聴者はあっという間に一万人、二万人……と倍々で増加した。ウェブは不夜城だ。誰かしら起きているし、チャンネル登録していればスマホに通知が届くため、目を覚ましたファンも多いだろう。

『ほんとだ、クラシックが聞こえる』

『有名な曲だよ。♪ターンタ・ターンタ・タタタタタン♪』

『モーツァルトのセレナーデ第十三番じゃん』

 視聴者たちの感想コメントが随時、配信画面の脇に表示される。

 リアルタイムで寄せられる『生の声』だ。全てを目で追うのは不可能なほど多い。

「見てろよお前ら! 突撃クレーマー様じきじきに苦情を入れてやらぁ!」

『よっ待ってました』

『行け行け、正義の代行者w』

『正義とかww草生えるwwww』

 正義の代行者。

 突撃クレーマーの代名詞であり、彼を揶揄するあだ名でもあった。本人の建前は飽くまで、あこぎな商売や近所迷惑をたしなめるという名目だ。彼を祭り上げる支持者は『正義』をしばしば口にした。

『この間の露天商へのクレームは笑ったな』

「おう! あれは再生数もまぁまぁだったな! クレームを入れたいリクエストがあればメッセージくれよな! 随時募集中だぜ!」

 めぼしいコメントには返事するのも忘れない。

 生配信だから、その場でコメントにリアクションを取れるのも特徴だ。

「……さぁて、玄関を出て隣室の前に着いたぞゴラァ!」

 突撃クレーマーはスマホの自撮りを前方へ構え直した。

 そこはアパートの廊下だ。隣室の白い玄関が煌々とスマホの電灯を照り返している。

 中からは相変わらずクラシック音楽がボリューム最大で漏れて聞こえる。

「おーいお隣さんよぉ! もっと静かに音楽聴けや!」

 クレーマーはドアを叩いた。

 音楽に負けじと声を張り、殴るようにノックする。

 ――いらえはない。

 無視されているのか、それとも音量が大き過ぎてノックに気付いてもらえないのか。

『隣人ってどんな奴なん?』

「冴えねぇババアだぜ。初老くれぇの、一人暮らしのババア」

 コメントには質問が次々と浮上する。

『いつもこんなに爆音が流れてんの?』

「いや、今日が初めてだぜ。ったくよぉ、何をトチ狂ったんだか……おいババア! 眠れねぇだろうが!」

 もう一度、突撃クレーマーは扉を殴った。

 ついにはドアノブを握ってこじ開けようとひねってみる。

 ――開いた。

「お? 鍵がかかってねぇぞ!」

 素手で堂々と開け放った室内は、薄暗い。

 何の装飾もない殺風景な土間が、突撃クレーマーを迎え入れる。音楽だけが耳をつんざく大音量で充満していた。

 ターンタ・ターンタ・タタタタタン。

「おいババア! 返事しろや!」

 突撃クレーマーは土足で押し入った。

 勝手に立ち入るのは住居侵入だが、生配信の勢いで踏み込んで行く。多少の荒事も過去に体験しているから、彼に自制心などない。

 ワンルームに毛が生えた程度のアパートである。入ってすぐ台所があり、右手にはバストイレ。突撃クレーマーは迷わず、台所の奥にある寝室の敷居をまたいだ。

 ガラスの引き戸を、スマホを持っていない方の手で無造作に開放する。

 そして――撮影してしまったのだ。

「げ! 何だこりゃ……」

 部屋の中は整然としていたが、一種異様でもあった。

 ――血なまぐさい。

 ベッドの上で、初老の女性がうずくまったきり動かない。

「これ、血の臭いか? おいババア、怪我してるのか? え? どういうことだ?」

 出血が点々と、ベッドから滴り落ちる。

 源泉を辿ってカメラが移動(パン)して行くと、うつ伏せに昏倒した女性の背中に、深々と刃物が突き立っていた。

 ――背後から、心臓部を一突き。

「おいおい、これって死体発見じゃね?」

 死体の右手には、音楽プレイヤーのリモコンが握られたままだった。

 クラシックばかり収納されたCDラック、その隣にある音楽プレイヤーからは、延々とモーツァルトのセレナーデ第十三番がリピート再生されていた。



   *



 警視庁捜査一課から出向した徳憲(とくのり)忠志(ただし)警部補は、そのまま捜査主任を担当した。

「また俺が主任か……これも合同捜査本部になるのか? 今月、この実ヶ丘(みのりがおか)市で同様の殺人(コロシ)が二件も発生しているんだよなぁ……手口が似ているから連続殺人の線もあるのか」

 徳憲は弱冠二九歳、今年で三十路(みそじ)の大台に乗る。

 この年齢で警部補に昇進できる者は少ない。現場の叩き上げ(ノンキャリア)でこつこつ積み重ねた実績と、足で稼ぐ粘り強さが評価された結果だった。巡査部長の頃には、市内の検挙件数で最多記録を樹立したこともある。

「実ヶ丘市は俺の古巣だしな……交番時代はよくパトロールしてたっけ」

 ゆえに土地鑑もある。それを見越しての抜擢だった。

 若造に指揮されるのが気に食わないベテラン刑事も居るには居たが、些細な軋轢だ。

 徳憲はクールビズのワイシャツ一丁だ。近年は春先でも暑い。薄着の方が捕り物も動きやすいという叩き上げらしい理由もある。

 捜査班を編成した徳憲は、実ヶ丘警察署の合同捜査本部から現場へ急行した。

 アパートは古く、部屋数も少ない。現場は三階にあるが、その階は部屋が二つだけだ。

 第一発見者である動画配信者は302号室、死体は301号室に住んでいた。同じ階では彼しか苦情を入れる者が存在しない案配だ。

 徳憲が臨場すると、すでに鑑識課が到着していた。他は現場保存していた警官が数名。

「状況は?」

「主任が来るまで、死体(ホトケ)はそのまま残しています。あとは周辺情報ですが、不審者の目撃証言は今の所ありません」

「そりゃ、みんな寝ていただろうしなぁ……」

 騒ぎを聞き付けた野次馬も散見されるが、近隣住民の大半は就寝中だ。

 徳憲は立入禁止の縄張りをくぐり、アパートの階段を登った。エレベーターがなくて面倒臭い。やっとの思いで三階に上がると、制服警官に見張られている動画配信者が、無愛想に突っ立っていた。

 あれが『突撃クレーマー』か。

 三〇代後半の中肉中背、いやどちらかと言えば小太りか。坊主頭の丸顔で、冴えない風貌だった。ジャージ姿にサンダル履き、妙に怒り肩で威勢だけは良さそうだ。

「初めまして、警視庁捜査一課の徳憲と申します」

「どもッス」

 突撃クレーマーはぞんざいに会釈した。

 すでに深夜三時を回っている。だるくて仕方がないのだろう。深夜配信のテンションはどこへやら、まさかの第一発見者になってしまい、興を削がれた雰囲気だ。

 徳憲はいったん突撃クレーマーをその場に待たせ、301号室内を見て回った。

 部下たちを解き放ち、鑑識課の写真撮影、運び出す押収物を把握する。SSBCにも連絡を取り、近隣に犯人の足跡(アトアシ)がないか探させた。

 一通り確認してから、改めて突撃クレーマーに相対する。

「発見したときの状況を教えていただけますか? えーと……」

鴨志田(かもしだ)恒太(こうた)ッス。ウェブじゃ『突撃クレーマー』って名前ッスけど」

 鴨志田はぶっきらぼうに自己紹介した。

 事件の捜査協力よりも、先ほどの生配信がどんな反響を呼んでいるのか、再生数が気になるらしい。徳憲と話す間もちらちらとスマートホンを一瞥しており、捜査中は使用を控えるよう注意しなければならなかった。

「鴨志田さんのご職業は?」

「見ての通り、ユーチューバーッスよ」

「ゆーちゅーば? ……ああ」

 徳憲は脳味噌をフル回転させて、その職名を頭に浮かべた。

 ウェブ上で趣味の動画を放送し、閲覧者数・再生数に応じて広告収入が振り込まれる新手のビジネスである。

 著名な配信者なら年収一億円を優に超える。プロの芸人やミュージシャンも動画配信を始めるなど、着実にウェブが情報の主流になりつつある。

「鴨志田さん、死体を映すのは駄目ですよ。いつもそんな炎上狙いなんですか?」

「おいおい刑事さん、人聞きが悪いッスね。俺は動画に関しちゃ、誠心誠意こめてやってんスから! 俺はセンセーショナルな話題を提供しただけッス!」

 ジャージの裾をまくって、鴨志田は白々しいまでの真剣な形相をかたどった。

 徳憲からしてみれば、あぶく銭を巻き上げる賤業にしか見えない。彼自身が地道にこつこつ足で稼ぐタイプだから、なおさら動画配信がヤクザな商売に映ってしまう。

 徳憲はまだ()()()前なのに、隔世の感が激しかった。

「鴨志田さんは第一発見者です。状況を詳しく聞かせていただきたいんですが」

「詳しくって言われてもなぁ……ふわぁ」わざとらしく欠伸する鴨志田。「深夜の一時か二時だったかな? 動画の生配信を開始した時刻がそのくらいッス。ウェブに上がってるから、それを見りゃ一発ッスね」

「なるほど。あとで確認してみます」

「ははっ、刑事さんが俺の動画見るのかよ、草生える」

「え? 草?」

「ウケるって意味ッスよ」

「なぜ草が……」

「ウェブじゃ笑ったときに(笑)(warai)の頭文字を連打して『wwww』ってコメントする人が多いんスけど、これがギザギザの雑草が生えたように見えるっしょ? だから草生える」

 そんな言い方が流行っているのか。徳憲はますます隔世の感を強めた。

「で、その時間に隣の部屋から大音量でクラシック音楽が流れたんスよ! だから俺、飛び起きちまってさぁ。あとは怒りに任せて突撃したんスよ」

「そうですか……」

 徳憲は手帳にメモを取りつつ、周囲を行き来する部下へ顎をしゃくった。

 動画を保存しておけ、と暗にことづける。

被害者(ガイシャ)とは親しかったんですか?」

「まっさかぁ! あんなババア、たまにすれ違う程度で、挨拶すらしねぇッスよ」

 大袈裟に肩をそびやかす鴨志田が滑稽だ。

 根掘り葉掘り質問されるのが煩わしいのか、あえて斜に構えているようにも見えた。

「ババアじゃなく、若い女なら大歓迎なんスけどね!」

「好色な発言ですね」

「そりゃそうっしょ。人気が出たユーチューバーなら、ファンの女もよりどりみどりで食える(・・・)んスよ?」

 話がきな臭くなった。徳憲は本筋の脱線を恐れて、軌道修正に頭を巡らせる。

「それよりもお隣さんの件ですが……」

「そういや、あのババアにも娘が居たな……一緒にゃ住んでねぇみてぇッスけど、たまに訪ねて来るンスよ。あれもイイ女でさぁ!」

「娘さん?」

 徳憲は気になって、別の部下を手招きする。

 徳憲より年輩の私服捜査官は、淡々と質問に答えてくれた。

「今、その娘さんを呼んでいます。二三歳のOLで、父方の家で暮らしているそうです」

「父方?」

「離婚しているんです」声を潜める年輩。「被害者(ガイシャ)は他に身よりがなく、娘さんだけがときどき様子を見に来る程度。夫婦仲が悪くとも、母子の交流はあったんでしょう」

 被害者はバツイチか。現代社会は複雑な家庭事情が絡む。なんてことを考えていると、階段の下から誰かが新たに登って来る靴音が響いた。噂をすれば影、まさにそのうら若き娘が、着の身着のままで駆け付けたのだった。

 美人だ。寝巻きにカーディガンを羽織っている。清楚な黒髪は肩にかかるくらいで、小顔の割に目がつぶらで大きい。やせ型の華奢な体格は不安になりそうなほど儚げだった。色白で覇気がなさそうなのも、清廉な淑女に見える。

「ヒュー! パジャマ姿とかセクシーじゃん」

 鴨志田が女性を冷やかす。

 じろじろと視姦された女性は、氷のごとき眼差しで鴨志田を睨み返した。

 鴨志田は「おー怖い怖い」と軽口を叩き、身を引いた。徳憲が両者の間にただならぬ空気を察して、鴨志田の肩を叩く。

「鴨志田さんは署へ行って話しませんか? 調書も作成しなければいけませんし」

「ケッ。そう来たか。まぁいいッスよ。俺が事件に関わるほど、動画も拡散されるしな」

 鴨志田を部下に任せ、徳憲は女性を迎え入れた。死体と顔立ちが似ている。やはり実の娘だ。

「301号室の被害者(ガイシャ)……悟中(さとなか)愛子(あいこ)さんのお嬢さん、ですか?」

「はい。惜田(おしだ)小夜(さよ)と申します」

「オシダ? ……ああ、父方の姓ですね」

 親が離婚すれば当然、苗字も異なる。

「こんな夜更けに呼んでしまって、申し訳ないです」

「いえ、当然です。母の身内は私しか居ませんし……私はパパっ子だったので父方に付いて行きましたけど、母と疎遠なわけではないです」

 わざわざ言いにくいことも明瞭に語る。

 見た目に反して、凛然とした女性像だった。さすが鴨志田を眼光で退かせた女傑だ。

「すぐ駆け付けたということは、近隣にお住まいなんですか?」

「はい。私は生まれも育ちも実ヶ丘市で――……あら?」

「ん?」

 不意に。

 小夜は徳憲の顔を、まじまじと上目遣いで覗き込んだ。

 やにわ異性に見つめられて、徳憲は柄にもなく鼓動を早める。彼はあいにく女性経験が乏しい。ずっと仕事一筋で、プライベートを犠牲にして来た。

「えっと、俺の顔に何か?」

「あっ、いえ、そうではなくて……」なぜかはにかむ小夜。「刑事さんって、もしかして――……徳憲さんですよね?」

「は?」

 名を当てられ、徳憲は目を白黒させた。

 はて、この子にはまだ名乗った覚えはないのだが――。

「やっぱり徳憲さんだ! 覚えていませんか? 三年ほど前、パトロール中だった徳憲さんが、私を暴漢から助けて下さったこと!」

 まくし立てられたが、即座には思い出せなかった。

 前述したが、徳憲は検挙件数の最多記録を持つ。泥棒や痴漢、酔っ払いの暴力沙汰などをいなした経験は数えきれない。いちいち個人を覚えていない。

「徳憲さんは当時、まだ巡査部長でしたよね? 今は出世なされたんですね! 凄い!」

 一方的に懐かれてしまった。

 どうにも苦手な展開だ。馴染みのないウェブ発の事件。過去に助けた女性との邂逅。合同捜査本部では二件の殺人事件も抱えている――順風満帆だった徳憲に(かげ)りが見えた。



   *