「八雲……テメェ……っ」  

「政宗……お前はまた、怒りに我を忘れているのか。いい加減、大人になったらどうだ」


 政宗を鋭く睨みつけた八雲は、低く地を這うような声で政宗を牽制した。

 しかし当の政宗は、そんな八雲を鼻で嘲笑って一蹴すると、小さく唸った。


「グルルッ。八雲……テメェは結局、俺の親父と同じ、仕来りに縛られた側の人間だ。だから俺は、お前に何を言われたところで、何ひとつ響かねぇよ」

「なんだと……?」

「そうだろう? 何故なら、そこの女を嫁に娶る気なんだからなぁ。ハッ! 所詮、親父もテメェも臆病者だ。常世の神の言いなりになり、大切なものは何ひとつだって守れねぇ」


 次の瞬間、政宗の血が燃えたような赤い瞳が、呆然としていた花の目を鋭く射抜いた。

 花はまた金縛りにあったかのように動けず、政宗から目を逸らすことができなくなった。


「ブス。テメェも、不幸な女だ。こんな奴に目をつけられたばかりに、この先、地獄を見ることになるんだからなぁ」


 ドクン!と、花の胸の鼓動が不穏に跳ねた。

 地獄を見ることになる──。

 花は死んだあとの地獄行きを避けるために、つくもで八雲の嫁候補兼仲居として働くことになった身だ。

 それなのにまさかまた、ここで"地獄"という言葉を耳にするとは思わなかった。


「だが……八雲や他の奴らはともかく、テメェは本当はこんなところで働くなんてごめんだと思ってるんじゃないのか。なぁ、黒桜?」


 誰もが言葉を発せずにいる中で、政宗は再び静かに黒桜を見やって嘲った。


「なぜなら、テメェがここで働いてるのは、贖罪(しょくざい)みたいなもんだもんなぁ。だからお前は、この俺の怒りがよくわかるだろう? なぁ、黒桜?」


 吐き出された言葉に、花はまた心臓が不穏な音を立てるのを聞いた。

 黒桜がつくもで働いているのは、"贖罪"。

 贖罪とは、自分が犯した罪を償うために善行を積んだりする行動のことだ。

 信じられない気持ちで花が黒桜へと目をやれば、黒桜は眉根を寄せて下唇を噛み締め、俯いていた。


「何が神のための宿だ、もてなしだ。人も、ものも、神さえも、都合のいいときだけいいように使われて、役に立たなくなったら捨てられる。黒桜。テメェはそれを、誰より一番良くわかってるはずじゃないのか! なぁ⁉」


 また玄関ホールの空気が、ビリビリと痺れるように震えた。


「ぐっ……ぐぅ……ハッ、グルルルルルル……ッ」


 そうして政宗は苦しげに呻いたあと、みるみるうちに身体を赤い龍に変化させ、あちこちに尻尾をぶつけながらつくもを飛び出していった。


「ま、政宗しゃま! お待ちください!」


 灰色の空の彼方へ消えゆく政宗を、ニャン吉が悲痛な声を上げて追いかける。

 ふたりがいなくなり、静寂に包まれた空気とは裏腹に荒れ果てた玄関ホールを見た花は、ようやく息を大きく吸い込んだあと、狼狽した。