「やはり花は、今すぐにでも現世に帰りたいと思っているか?」
「す、すみません。今のはそういう意味じゃなくて……っ」
「……花は、今回のことで、つくもにいることが怖くなったんじゃないか?」
「え……」
「政宗の母の話を聞いて、狭間で暮らすことにきっと不安を抱いただろう」
僅かな明かりしかない夜の闇の中。
八雲の、耳に心地の良い声に尋ねられた花は、反射的に首を横に振って俯いた。
「い、いえ! つくもや狭間にいることが怖くなったなんて、絶対にありません! ただ……」
「ただ?」
「不安なのは、もっと別のことです。今までの私はただ、死後の地獄行きを回避するために、八雲さんの偽物の花嫁候補になってつくもで働いていたけど……。でも、このままでいいのかなって。私はこのまま、八雲さんのそばにいていいのか不安になってるだけなんです」
語尾をすぼめた花は、そのままそっと目を閉じた。
どうして自分がこんなふうに不安を抱くようになったのか、花にはその理由もわかっている。
(私は、八雲さんのことが好きだから……)
偽物の花嫁候補としてそばにいることが、どうしようもなく不安になったのだ。
同時に、何も持たない自分が八雲に釣り合うはずがないという思いが胸の中に渦巻いている。
今の状況はまるで、頼りない吊橋の上に立たされているみたいな、とても不安定で曖昧なものだ。
更に優しい八雲は政宗の母の話を聞いて、花が望むのならば花を現世に帰そうとするのではないかと、ここ最近の花はずっと不安だった。
「わ、私……。今は現世に帰りたいとかも、本当に思ってないんです」
初めは嫌々、そうすることしかできないから仕方なく、つくもで八雲の嫁候補兼仲居として働き始めた。
だから八雲も、花は未だにそういう気持ちでいるのだと思っているだろう。
「そ、そうは言っても、あと半年後には借金も返済し終わるだろうし、絶対現世に帰らなきゃいけないんだろうけど……。でも、そのときまではせめて、八雲さんのそばに──」
『八雲さんのそばにいたいです』
花が勇気を振り絞って口にしかけた言葉は、ドーン!という空気が震えるような厚みのある音にかき消されてしまった。