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「はぁ〜〜、ようやく今日の業務も終了だ……」


 その日は宿に泊まる客神たちの夕食が早めに終わり、仲居である花は一足先に仕事を終えた。

 客神たちは各々の部屋でこれから熱海の海上に咲く、美しい花火を楽しむ予定だ。

 人である花はここで一旦仕事を上がって、夜の仕事はぽん太と黒桜に任せ、明日のお見送りに備えることになっている。


「もうすぐ、花火大会も始まる時間かな……」


 静寂に包まれたつくもの廊下を、ひとり静かに歩いていた花は、ふとロビーに人影を見つけて足を止めた。


「あ……」


 八雲だ。

 ギシリ、と唸った床板の音を聞き、花の気配に気付いた八雲が振り返る。


「お、お疲れ様です」


 ふたりの視線が交差した。

 凪いだ海のように静かな空間では、ドキドキと高鳴る鼓動の音すら八雲に届いてしまいそうだ。


「花。これから少し、時間はあるか?」

「え……」

「話したいことがある。だから、ふたりで現世(そと)に出よう。そんなに時間は取らせない」


 凜とした声に、花の胸は不穏に震えた。

 少し前の花であれば、ふたりで出掛けられると思ったら、嬉しくてきっと浮かれていたことだろう。

(わざわざ、現世まで出てする話って……)

 けれど今は、八雲の誘いを手放しで喜ぶことはできなかった。

 夜にふたりきりで話したいことなんて、良い話だと思えないのだ。


「す、すみません、私はまだ仕事が……」


 花は咄嗟に八雲から目を逸らした。

 八雲とふたりきりで話すのが怖い。

 八雲に何を言われるのかと想像したら、不安でたまらない気持ちになるのだ。