「行っちゃった……」

「ほんとに嵐のようでしたねぇ」


 溜め息とともにつぶやいた黒桜は、雲ひとつない空を静かに見上げる。


「でも、最初はどうなることかと思ったけど、政宗が来てくれたおかげで縁日もできたし! お客様にも大好評で、また来年もやってほしいってみんな言ってたよ!」


 声を弾ませたちょう助を見て、花は「そうだね」と嬉しそうに頷く。

 政宗がつくもに来たときには、とんでもないことになったと思った。

 けれど過ぎてしまえば、別れの寂しさが胸を被っていた。


「……では、見送りも終わったことだし仕事に戻るぞ」


 と、政宗が消えた空を花が見上げていれば、八雲のぶっきらぼうな声が耳に届いた。


「あ……そうですね、早く仕事に戻らないと──」


 けれど花が振り返ったときには、八雲は着物の裾を揺らして花に背を向けていた。

 そしてそのまま、宿の中へと消えてしまう。

 花はそんな八雲を引き止めることもできずに、ただ眺めていることしかできなかった。


「よし、それじゃあ俺も、仕事に戻ろうかな」

「今日は熱海海上花火大会がある日ですし、宿も相変わらずの満室で忙しくなりますね」

「政宗とニャン吉という戦力を失った以上、これからまたわしらだけで、踏んばっていかねばならんのぅ〜」


 賑やかな三人とは裏腹に、花の心はざわざわと風に吹かれた向日葵のように揺れていた。

 ──自分は、八雲をどう思っているのか。

 花はこの先、どうしたいのか。

 それらは政宗がつくもに来てからずっと、花の心の中で渦巻き続けている悩みの種だ。

 そしてこの数ヶ月で、目を逸らせぬほど大きな根に成長していた。


「花、どうしたの? ボーッとして……」

「あ……う、ううん! なんでもない!」


 ちょう助に声をかけられた花は慌てて我に返ると、曖昧な笑みを浮かべて前を向く。

(考えても仕方がないこと……。仕方がないこと、だけど……)

 花は八雲が消えていった方を見つめたまま、胸の前で強く拳を握り締めた。

 政宗がもたらした嵐は、まだまだ花と八雲の心の中に、季節外れの木枯らしを吹かせたままだった。