志穂さんは迷うように唇をぎゅっとかんでから、
「あの、ね」
 と口を開いた。

「高校に入学してすぐのころ、帰るのが遅くなった日があったの。この桜が満開の花を咲かせていてね、うれしくなってここに来たんだ」

 なつかしそうに目を細める志穂さんの横顔は美しかった。

「そしたら急にすごい雨が降りだした。もう嵐みたいなひどい雨でね、雨粒と一緒に桜の花が一気に地面にたたきつけられたの」
「そんなにすごい雨だったんですか?」
「ただでさえ桜が散るのって悲しいでしょう? なのに強制的に散らされているみたいで、悲しくて泣いていたの」
「志穂さんて、生きているころから泣き虫だったんですか?」

 思わず尋ねると、志穂さんはぷうと頬を(ふく)らませた。

「泣き虫じゃないよ。ただ、人より少し涙腺(るいせん)が弱いっていうだけなの」

 私は泣けない。
 どんなにうれしくても悲しくても、泣くことができない。まるで、志穂さんと真逆だ。

「そのときに、彼と出会ったの」
「彼って? 男子?」
「名前は、斉藤(さいとう)奏太(そうた)さん」

 口にしたとたん、志穂さんは顔を赤らめた。

「傘がなくて泣いていると思われたみたいで、自分の黒い傘を貸してくれたの。無言で傘を差し出すと、雨のなか駆けていったの」
「へえ、まるでドラマみたい」

 ふふ、と笑うと志穂さんもうれしそうにはにかんでから、横に置いてある傘を見た。斎藤さんが貸してくれたという傘なのかな……。

「そんないいものじゃないよ。だって、私はなんにもしゃべれなかったんだから。あとで聞いたら、他校の生徒だったの。泣いている私を心配して、わざわざ声をかけてくれたんだって」
「奏太さん、よくここに志穂さんが立っているって気づきましたね。ここから校門の外は見えないのに」

 高い塀に(おお)われているこの場所は、校門のなかに入らないと見えない。

「それがね」と遠い目をした志穂さんがほほ笑む。

「彼は雨が好きなんですって。雨の日にはこの町のいろんな景色を見て歩いているとうれしそうに話してくれたの。雨のなかで満開の桜が見たくてこっそり入ったら、私が泣いていたから驚いたみたい」

 そうしてから志穂さんははにかんだ。

「翌日も雨降りでね……だから、彼にまた会えたんだ」

 目じりを下げて口にする志穂さんはとてもきれいで、地縛霊は人に(わざわ)いをもたらすって聞いていたけれど、例外もある気がした。

「それからね、私は雨が降る日はここに立っていた。雨の日の夕方は、必ず彼が会いに来てくれたから。名前を知ったのはずいぶんあとだった。奏太さんは駅裏にある畳屋さんの息子さんなんだって。結局、勇気がなくて行けなかったけれど」