差し出がましい真似をしてしまっただろうか、と反省する。マスターやアサくんの待つカウンターに戻ろうか迷っていると、「店員さんも、どうぞここにいてください」と信田が声をかけてきた。
「俺、口下手なので……上手く説明できてない箇所があったら、フォローしてもらいたいんです」
「そうですか? なら、お言葉に甘えて」
戸惑いつつも、未桜は信田の依頼に応え、その場に残ることにした。
生前の恋人──長篠梨沙へと視線を移した彼が、深呼吸をする。長い息を吐き終えたとき、信田の顔には覚悟の色がにじんでいた。
「梨沙。ごめん。俺……サプライズを、しようと思ってたんだ」
「……サプライズ?」
「そう。俺らが付き合い初めて丸三年が経つ記念日に。とっておきのプレゼントを用意して、梨沙を喜ばせようと思ってた」
「な、何なの、プレゼントって」
「土地と、建物だよ」
──やっぱり。
未桜は唇を結び、梨沙を見やった。彼女は目を大きく見開き、ぽかんと口を開けている。
「それって──」
「もちろん、一軒家レストランを開くための、ね。梨沙にはせっせと貯金をしてもらっている負い目があったから、せめて物件探しや手続きは自分が積極的にやろうと、前から心に決めてたんだ。梨沙はきっと、そういう細々したことは嫌いだろうと思って」
「確かに……嫌い、だけど……」
「その件について、相談したんだ。二年くらい前からたまに飲みに誘われるようになった、小学校の頃の同級生に」
信田は目をつむり、早口で言った。さっさとこの話を終わらせてしまいたい、という願望の表れのようだった。
「そのうちの一人が、不動産関係の仕事をしてて……梨沙との夢のことを話したら、お金が貯まった頃に相談に乗るよって、再会した頃からずっと言ってくれてて……だから、満を持してお願いしたんだ。そしたら、同じ業界の仲間を総動員して、すぐに好条件の物件を見つけてきてくれてさ。今のオーナーが近く閉店予定のカフェを営業中だからまだ見学はできないけど、立地と広さを考えるとすぐに購入希望者が殺到するだろうから、とりあえず写真だけ見て、よければ申し込みをしてしまおう、って」
「それで……申し込んだ、の?」
「バカだったんだ。俺は本当にバカだった!」
信田が突然頭を抱え、悲痛な叫び声を上げた。
「三年記念日に合わせて梨沙にサプライズをしたい一心で、すぐに契約して、初期費用を支払ったんだ。しかも、『内装工事の業者も、安く紹介するから』なんて唆されて、その工事費も一緒に。写真を見る限りは、梨沙が『こういうお店がいいな』って前に画像を見せてくれたような、ログハウス風の、ものすごく素敵な建物だった。田舎の落ち着いた場所なんだけど、一応千葉県内で、駅からのアクセスは悪くなくて、高速道路のインターも近くて、観光客も見込めて……これなら絶対に喜んでもらえるって、契約が完了したときは舞い上がってて……」
──気が弱くて、よくいじめられてたし。いろんなことを自分で決められなくて、周りの意見に流されてばかりだったし。
──同級生にいじめられてたのは昔の話でしょ? そいつらとは二年くらい前にばったり再会して、飲みに誘われる仲になったって言ってたじゃん。
先ほどの二人の会話が、耳に蘇る。
同時に、もう一つの不穏な音声が、頭の中で流れていた。
ラジオの雑音。淡々と原稿を読み上げるアナウンサーの声。長篠梨沙が来店する直前、未桜はそのニュースを聞き流しながら、マスターの作った春キャベツとベーコンのレモンクリームパスタに舌鼓を打っていた。
『──千葉県内で犯行を繰り返していた詐欺グループが摘発されました。架空の土地や建物を個人に売り、多額の金銭を得ていたとして――』
「そんな土地や建物は、なかったんだ」
信田が鼻を啜りながら言った。「……なかった?」と梨沙がオウム返しに尋ねる。
「契約した翌日に、金を預けたその同級生が連絡してきたんだ。『オーナーの気が変わったらしく、やっぱり売らないと言い出した。すでに金は払い込んでしまったから、予定どおり店舗を売るか、金を返すかどっちかにしろと急かしている。最悪の場合、裁判になるかもしれない』って。先方との交渉は全部俺がやるから、って彼は言っていたけど、さすがに心配になってさ。何とかオーナーを説得できないかと、現地に足を運んだんだ」
「道彦が? 一人で?」
「うん。購入希望者本人が出ていくのはまずいかもしれないとは思ったけど、どうしても記念日までに間に合わせたかったから……仲介してくれた同級生には秘密でね。聞いていた住所付近を探し回って、ようやく分かったよ。住所はでたらめ。物件の写真はCGで合成した捏造(ねつぞう)。ログハウス調の一軒家で経営している、近く閉店予定のカフェなんて、どこにも存在しない」
予想はついていた。
けれど、いざ本人の口から聞くと、胸が刺すように痛む。
「慌てて調べたら、土地や物件だけでなく、同級生が紹介してくれた内装工事業者も架空だった。頭が真っ白になったよ。何度も飲みに誘ってくれるようになったのは、友好の印じゃなかったんだ。大人になっても、俺は相変わらずいじめられっ子だった。格好(かっこう)の餌食(えじき)だった。すぐに騙(だま)されて、あいつらの都合のいい行動をする、カモにすぎなかった。俺はバカだ。バカだ、バカだ。梨沙が一生懸命貯めた金を、あんな奴らにみすみす渡して!」
「道彦……」
「あんまり悔しくて、さっそくその日の深夜に呼び出したんだ。住宅街の片隅にある公園に、不動産業者を装っていた同級生をね。そいつだけが来ると思ったら、いつも飲んでいたメンツがずらり」
全員グルだったんだよ──と、信田は拳をぶるぶる震わせながら吐き捨てた。
「あいつらは、笑ったんだ。まんまと騙された俺を見て、ゲラゲラとね。糸がぷつんと切れて、俺は殴りかかった。今思えば、それもあいつらの作戦のうちだったのかもしれないな。多勢(たぜい)に無勢(ぶぜい)で、すぐさま叩きのめされた。俺の悲鳴を聞いて、公園の向かいにある家から、おじいさんらしき人影が飛び出してきたのがちらっと見えたよ。でも、なぜだか、駆けつけてはこなかった」
はっと息を呑み、後ろを振り返る。
カウンターから顔を出していたアサくんも、目を丸くしていた。お、ば、や、し、さ、ま──と、声を出さずに、赤くてぷるんとした唇を懸命に動かしている。
今日の午後にここを訪れた緒林老人は、深夜に若者の喧嘩を聞きつけて家を飛び出したところ、無灯自転車と衝突して脚を複雑骨折した、と言っていた。
世界は狭い。
狭くて、繋がっている。
日本の中でも同じ地域の人たちが集まってくる傾向が強い、この来世喫茶店ではなおのこと。
「……気がついたら、死んでた」
「……え?」
信田がぽつりと言い、梨沙がマスカラの塗られた睫毛を上げる。
「み、道彦は……殺されたの? そいつらに?」
「分からない。殴ったら、たまたま当たりどころが悪かっただけかもしれないし……もしくは最初から、奴らの秘密を知った俺を生かして帰すつもりはなかったのかもしれない」
「どっちにしたって、殺人事件じゃん! どうしてニュースにならなかったの? テレビや新聞が報道してくれれば、あたしの耳にも入ったはずなのに! お葬式にも行けたし、お金を持っていかれたことも許せたのに! ねえ、どうして?」
梨沙の叫びを聞いて、信田が悲しそうな顔をする。
口下手だからフォローしてもらいたい、という彼の頼みをふと思い出し、未桜は恐る恐る口を開いた。
「信田さんが亡くなったことを──誰も、知らないんじゃないですか?」
「……誰も?」
「信田さんのご家族も、恋人だった長篠さまも、友人も。もちろん、警察も。事件は今も明るみに出ていない、ってことだと思います」
梨沙はしばらく絶句した。「そいつらが、隠したの? 道彦の遺体を?」と呟き、椅子に崩れ落ちる。
たぶん、そうだ。ラジオのニュースでは、詐欺グループが殺人の容疑で逮捕されたとは言っていなかった。だから梨沙は、信田がもうこの世にいないことを、最後まで知ることができなかった。
「そんなのってないよ……そんなのって。道彦は今も、どこか暗いところで……お葬式もなしに、誰にも見つけてもらえずに……」
「ありがとう、梨沙。そうやって泣いてもらえるだけで、俺は幸せだよ。もう十分だよ」
信田がテーブルを回り込み、梨沙の背後に回った。指の長い手が、梨沙の華奢(きゃしゃ)な肩に置かれる。とめどなくこぼれ落ちる涙を拭っている彼女に向かって、信田は「ごめん」と頭を下げた。
「死にざまも、そこに至った経緯も、詐欺や殺人の罪を犯すような奴らを信用していたことも、あまりにもカッコ悪すぎて……大好きな梨沙にこんなことを話すのがつらくて、なかなか言い出せなかったんだ。どうせもう取り返しがつかないほど恨まれてるんだろうから、わざわざ恥ずかしい話を蒸し返してまで弁解しなくてもいいんじゃないかって、ずっと迷ってて……今さら見栄を張っても仕方ないのにね」
「恨んでなんかないよ!」
突然、梨沙が毅然(きぜん)とした口調で言い放った。信田がきょとんとした顔で、後ろを振り向いた彼女を見下ろす。
「……って言うと嘘になるか。多少は恨んでたかもしれないけど、もう忘れたよ。今の話を聞いて吹っ飛んだよ!」
「……梨沙!」
「それに、全然、カッコ悪くない。むしろ道彦らしいよ。ドがつくほど誠実で、真面目で、純粋で、不器用で。あたしを喜ばせようと、記念日だって誕生日だって、いつも一生懸命頑張ってくれてさ。やっぱり道彦は、結婚詐欺師なんかじゃなかったんだ。こんなあたしのことを、ちゃんと、大切に思ってくれてたんだね」
椅子の背に手をかけていた梨沙が、「よかった」と微笑んだ。
あのぞっとするような黒いオーラは、もう影も形もない。その表情は、少女のようにあどけなかった。
「俺、口下手なので……上手く説明できてない箇所があったら、フォローしてもらいたいんです」
「そうですか? なら、お言葉に甘えて」
戸惑いつつも、未桜は信田の依頼に応え、その場に残ることにした。
生前の恋人──長篠梨沙へと視線を移した彼が、深呼吸をする。長い息を吐き終えたとき、信田の顔には覚悟の色がにじんでいた。
「梨沙。ごめん。俺……サプライズを、しようと思ってたんだ」
「……サプライズ?」
「そう。俺らが付き合い初めて丸三年が経つ記念日に。とっておきのプレゼントを用意して、梨沙を喜ばせようと思ってた」
「な、何なの、プレゼントって」
「土地と、建物だよ」
──やっぱり。
未桜は唇を結び、梨沙を見やった。彼女は目を大きく見開き、ぽかんと口を開けている。
「それって──」
「もちろん、一軒家レストランを開くための、ね。梨沙にはせっせと貯金をしてもらっている負い目があったから、せめて物件探しや手続きは自分が積極的にやろうと、前から心に決めてたんだ。梨沙はきっと、そういう細々したことは嫌いだろうと思って」
「確かに……嫌い、だけど……」
「その件について、相談したんだ。二年くらい前からたまに飲みに誘われるようになった、小学校の頃の同級生に」
信田は目をつむり、早口で言った。さっさとこの話を終わらせてしまいたい、という願望の表れのようだった。
「そのうちの一人が、不動産関係の仕事をしてて……梨沙との夢のことを話したら、お金が貯まった頃に相談に乗るよって、再会した頃からずっと言ってくれてて……だから、満を持してお願いしたんだ。そしたら、同じ業界の仲間を総動員して、すぐに好条件の物件を見つけてきてくれてさ。今のオーナーが近く閉店予定のカフェを営業中だからまだ見学はできないけど、立地と広さを考えるとすぐに購入希望者が殺到するだろうから、とりあえず写真だけ見て、よければ申し込みをしてしまおう、って」
「それで……申し込んだ、の?」
「バカだったんだ。俺は本当にバカだった!」
信田が突然頭を抱え、悲痛な叫び声を上げた。
「三年記念日に合わせて梨沙にサプライズをしたい一心で、すぐに契約して、初期費用を支払ったんだ。しかも、『内装工事の業者も、安く紹介するから』なんて唆されて、その工事費も一緒に。写真を見る限りは、梨沙が『こういうお店がいいな』って前に画像を見せてくれたような、ログハウス風の、ものすごく素敵な建物だった。田舎の落ち着いた場所なんだけど、一応千葉県内で、駅からのアクセスは悪くなくて、高速道路のインターも近くて、観光客も見込めて……これなら絶対に喜んでもらえるって、契約が完了したときは舞い上がってて……」
──気が弱くて、よくいじめられてたし。いろんなことを自分で決められなくて、周りの意見に流されてばかりだったし。
──同級生にいじめられてたのは昔の話でしょ? そいつらとは二年くらい前にばったり再会して、飲みに誘われる仲になったって言ってたじゃん。
先ほどの二人の会話が、耳に蘇る。
同時に、もう一つの不穏な音声が、頭の中で流れていた。
ラジオの雑音。淡々と原稿を読み上げるアナウンサーの声。長篠梨沙が来店する直前、未桜はそのニュースを聞き流しながら、マスターの作った春キャベツとベーコンのレモンクリームパスタに舌鼓を打っていた。
『──千葉県内で犯行を繰り返していた詐欺グループが摘発されました。架空の土地や建物を個人に売り、多額の金銭を得ていたとして――』
「そんな土地や建物は、なかったんだ」
信田が鼻を啜りながら言った。「……なかった?」と梨沙がオウム返しに尋ねる。
「契約した翌日に、金を預けたその同級生が連絡してきたんだ。『オーナーの気が変わったらしく、やっぱり売らないと言い出した。すでに金は払い込んでしまったから、予定どおり店舗を売るか、金を返すかどっちかにしろと急かしている。最悪の場合、裁判になるかもしれない』って。先方との交渉は全部俺がやるから、って彼は言っていたけど、さすがに心配になってさ。何とかオーナーを説得できないかと、現地に足を運んだんだ」
「道彦が? 一人で?」
「うん。購入希望者本人が出ていくのはまずいかもしれないとは思ったけど、どうしても記念日までに間に合わせたかったから……仲介してくれた同級生には秘密でね。聞いていた住所付近を探し回って、ようやく分かったよ。住所はでたらめ。物件の写真はCGで合成した捏造(ねつぞう)。ログハウス調の一軒家で経営している、近く閉店予定のカフェなんて、どこにも存在しない」
予想はついていた。
けれど、いざ本人の口から聞くと、胸が刺すように痛む。
「慌てて調べたら、土地や物件だけでなく、同級生が紹介してくれた内装工事業者も架空だった。頭が真っ白になったよ。何度も飲みに誘ってくれるようになったのは、友好の印じゃなかったんだ。大人になっても、俺は相変わらずいじめられっ子だった。格好(かっこう)の餌食(えじき)だった。すぐに騙(だま)されて、あいつらの都合のいい行動をする、カモにすぎなかった。俺はバカだ。バカだ、バカだ。梨沙が一生懸命貯めた金を、あんな奴らにみすみす渡して!」
「道彦……」
「あんまり悔しくて、さっそくその日の深夜に呼び出したんだ。住宅街の片隅にある公園に、不動産業者を装っていた同級生をね。そいつだけが来ると思ったら、いつも飲んでいたメンツがずらり」
全員グルだったんだよ──と、信田は拳をぶるぶる震わせながら吐き捨てた。
「あいつらは、笑ったんだ。まんまと騙された俺を見て、ゲラゲラとね。糸がぷつんと切れて、俺は殴りかかった。今思えば、それもあいつらの作戦のうちだったのかもしれないな。多勢(たぜい)に無勢(ぶぜい)で、すぐさま叩きのめされた。俺の悲鳴を聞いて、公園の向かいにある家から、おじいさんらしき人影が飛び出してきたのがちらっと見えたよ。でも、なぜだか、駆けつけてはこなかった」
はっと息を呑み、後ろを振り返る。
カウンターから顔を出していたアサくんも、目を丸くしていた。お、ば、や、し、さ、ま──と、声を出さずに、赤くてぷるんとした唇を懸命に動かしている。
今日の午後にここを訪れた緒林老人は、深夜に若者の喧嘩を聞きつけて家を飛び出したところ、無灯自転車と衝突して脚を複雑骨折した、と言っていた。
世界は狭い。
狭くて、繋がっている。
日本の中でも同じ地域の人たちが集まってくる傾向が強い、この来世喫茶店ではなおのこと。
「……気がついたら、死んでた」
「……え?」
信田がぽつりと言い、梨沙がマスカラの塗られた睫毛を上げる。
「み、道彦は……殺されたの? そいつらに?」
「分からない。殴ったら、たまたま当たりどころが悪かっただけかもしれないし……もしくは最初から、奴らの秘密を知った俺を生かして帰すつもりはなかったのかもしれない」
「どっちにしたって、殺人事件じゃん! どうしてニュースにならなかったの? テレビや新聞が報道してくれれば、あたしの耳にも入ったはずなのに! お葬式にも行けたし、お金を持っていかれたことも許せたのに! ねえ、どうして?」
梨沙の叫びを聞いて、信田が悲しそうな顔をする。
口下手だからフォローしてもらいたい、という彼の頼みをふと思い出し、未桜は恐る恐る口を開いた。
「信田さんが亡くなったことを──誰も、知らないんじゃないですか?」
「……誰も?」
「信田さんのご家族も、恋人だった長篠さまも、友人も。もちろん、警察も。事件は今も明るみに出ていない、ってことだと思います」
梨沙はしばらく絶句した。「そいつらが、隠したの? 道彦の遺体を?」と呟き、椅子に崩れ落ちる。
たぶん、そうだ。ラジオのニュースでは、詐欺グループが殺人の容疑で逮捕されたとは言っていなかった。だから梨沙は、信田がもうこの世にいないことを、最後まで知ることができなかった。
「そんなのってないよ……そんなのって。道彦は今も、どこか暗いところで……お葬式もなしに、誰にも見つけてもらえずに……」
「ありがとう、梨沙。そうやって泣いてもらえるだけで、俺は幸せだよ。もう十分だよ」
信田がテーブルを回り込み、梨沙の背後に回った。指の長い手が、梨沙の華奢(きゃしゃ)な肩に置かれる。とめどなくこぼれ落ちる涙を拭っている彼女に向かって、信田は「ごめん」と頭を下げた。
「死にざまも、そこに至った経緯も、詐欺や殺人の罪を犯すような奴らを信用していたことも、あまりにもカッコ悪すぎて……大好きな梨沙にこんなことを話すのがつらくて、なかなか言い出せなかったんだ。どうせもう取り返しがつかないほど恨まれてるんだろうから、わざわざ恥ずかしい話を蒸し返してまで弁解しなくてもいいんじゃないかって、ずっと迷ってて……今さら見栄を張っても仕方ないのにね」
「恨んでなんかないよ!」
突然、梨沙が毅然(きぜん)とした口調で言い放った。信田がきょとんとした顔で、後ろを振り向いた彼女を見下ろす。
「……って言うと嘘になるか。多少は恨んでたかもしれないけど、もう忘れたよ。今の話を聞いて吹っ飛んだよ!」
「……梨沙!」
「それに、全然、カッコ悪くない。むしろ道彦らしいよ。ドがつくほど誠実で、真面目で、純粋で、不器用で。あたしを喜ばせようと、記念日だって誕生日だって、いつも一生懸命頑張ってくれてさ。やっぱり道彦は、結婚詐欺師なんかじゃなかったんだ。こんなあたしのことを、ちゃんと、大切に思ってくれてたんだね」
椅子の背に手をかけていた梨沙が、「よかった」と微笑んだ。
あのぞっとするような黒いオーラは、もう影も形もない。その表情は、少女のようにあどけなかった。