薫子はその日実家に呼び出されていた。応接間に入ると、其処には望月が居た。

「なんの御用でしょうか?」

薫子は普段飾らない耳をタンザナイトのイヤリングで飾っていた。望月が立ち上がって礼儀正しくこうべを垂れる。

「まず、お詫びをさせてもらいたい。先日はすまなかった。少し取り乱した。貴女が本当にあの場所に居るとは思わなかったんだ」

「私も大人げなかったです。あんなところで、すみませんでした」

強引にされたとはいえ、振りほどくだけで良かったのに技を掛けてしまったのはやりすぎだったと、薫子も反省していた。

「まあ、立ち話もなんだろう。座ってくれないか」

望月が再び腰掛けたので、薫子も諦めてソファに腰掛けた。

「改めて、誤解を解いておきたい。僕は君のことが好きだ。僕の心が届いていないのなら、努力をする。何が僕に足りないのか、教えて欲しい」

望月とは婚約の話が決まる前の子供の頃から、親しくしていた。年も近かったし、男女の隔てなくしていた武道の話も共通の話題で楽しかった。あの時薫子が技を掛けた時に咄嗟に受け身がきちんと取れたのは、今も彼が稽古している証拠だろう。

「望月さんが足りないということではないんです」

むしろ、薫子の周りにいる人間の中では好いていた部類に入る。それでも、薫子の背負う看板と、望月の背負う看板が、大きく伸し掛かって感じられた。

「望月のことを言っているのなら、僕は家を出ても良い。弟に任せれば望月は動くし、弟も優秀だ。僕は個人として貴女と結婚したいと思っている」

「どうして最初にそう言ってくださらなかったんですか」

好いていたからこそ、婚約が決まった時に失望した。彼も薫子の背負う看板が欲しかったのだと、そう理解した。だから頑として今の会社から離れずに頑張ったのに。

もう遅い。何もかもが、遅いのだ。

「お帰りください。もうお話することはありません」

薫子がソファから立ち上がると、望月は素早く立ち上がって薫子を抱き締めた。懐かしい、爽やかなシトラスの香り。佑と過ごした日々が脳裏に蘇って、その時の感情まで連れてくる。ああ、好きだった。確かにこの人を好きだった。幼馴染に思うような、そう言う思慕を確かに抱いていた。

薫子はふるりとかぶりを振ると、佑から離れようとした。しかし佑の腕の力が強い。

「佑さん……っ、放してくださいっ」

「嫌だ。君に逃げられるのは嫌だ」

この前はあんな場所で技を掛けてくるとは思わなかったから不意打ちを食らったけど、基本的に女性である薫子より鍛えた佑の方が力は勿論強い。

「お願いです……。これ以上、嫌いにさせないで……っ」

薫子の思い出の中の佑を大事にしたい。これ以上自身でその思い出に泥を塗って欲しくなかった。

「そんなにあの男が良いですか……?」

「初めて『私』を好きだと言ってくれた人です……。佑さんは遅かった……」

最後を力なく言うと、望月の腕の力が緩んだ。ほっとして佑から離れる。

「もう、考えを変えることはありませんか……? 本当に……?」

確認のように問う佑に、薫子は俯くことしか出来なかった。

今でも佑のことは大事だ。しかし薫子に寄り添ってくれる佳亮の方がもっと大切だ。
返事のない薫子に望月は、それでも諦めることなく薫子の名を呼んだ。

「薫子さん。それでも僕は貴女を諦めないし、貴女は大瀧の看板を背負うことになると思いますよ」

認めたくなくても、と低く呟く声が聞こえた。

何かを、知っている声だった――――。