「ホットプレート、傷んじゃったかしら」

薫子は家に帰ると持って帰って来た箱を開けてそう言った。佳亮が中身を確認したが、外箱にへこみがあるだけで、ホットプレート自体は無事だった。

「みっともないところを見せちゃったわね」

薫子が元気なく言う。

「そんなことないですよ。それより薫子さんに怪我がなくて良かった。……柔道、されてはったんですか?」

「護身用にね」

そう言って笑う薫子は何時もの薫子ではない。少し皮肉気に口許を歪める。薫子がこんな風に弱気になるところを、佳亮は見たことがなかった。佳亮はどう言おうか迷い、口を開いた。

「……僕たち、そういえばお互いの家族の事、話したことなかったですね」

佳亮が言うと、やはり薫子は力なく、そうね、と呟いた。



「先刻の人は望月佑(もちづきたすく)さんと言って、家が決めていた婚約者よ」

……婚約者……。

重たい響きに佳亮もさすがに押し黙る。

「私が今の会社で働き始めた頃に決められたの。ほら、今の会社で働き始めたのが、花嫁修業が嫌だったからだから、祖父や父は何としてでも結婚の話を纏めたかったみたい。でも私はその時、婚約の話もあまり真面目に聞いてなくて。そのうちにその話は家族の中では出なくなったから、てっきり流れたお話だと思っていたの」

でも相手はそう思っていなかったってことか。先程の男性の憤怒の顔を思い出す。

「おうちのお仕事に絡むお話なんですか……?」

佳亮の問いに、薫子が黙る。YESということだ。

「……薫子さんのおうちのお仕事って……」

「大瀧建設というの」

…大瀧建設。佳亮のような異業種でも知っているほどの、大手ゼネコンの一角を占めるグループ企業だ。その家のお嬢さまが、家の利害関係なしに恋愛したり結婚したりというのは考えにくい。

「ほな、望月さんはその大瀧建設の関連会社の方ですか?」

「……そうね」

成程。そしてその立場は馬鹿に出来ないだろう。小さな会社の平社員である佳亮には、とても太刀打ちできない。

「佳亮くん……」

呼ばれて薫子を見ると、薫子はとても不安そうだった。

「……佳亮くんも、私を看板で見る……?」

頭を、殴られた気分だった。





薫子は自分のことを『看板』だと言った。それは常に『大瀧』の名前を背負わされてきた薫子の悔しさを現したものだった。

最初に名前で呼んで欲しいと言われた意味が分かった。薫子は一個人として佳亮と接したかったのだ。この結果は予想できていなかったと思うが、あんな大きなお屋敷を出て、あんな1Kの部屋に住んで、あてがわれた会社で社員と一緒になって仕事を完遂している。どれも薫子が家の呪縛から逃れようと必死になった結果だった。

薫子は佳亮に自信をくれた。だったら佳亮も、薫子に自信を与えてやらなくてはならないのではないだろうか? 

(……俺が薫子さんにしてあげられることって、なんやろう……)

何もかもを持っていて、何も求めていない薫子に自信を与えてやる方法を見つけるのは、なかなか難しい。佳亮は寝ずに考えた。