佳亮は自宅のキッチンで弁当箱を片付けていた。生ごみ箱に残ったおかずを捨てる。…薫子はあまり食べてくれなかった。理由はあのカップルの言葉だろう。思い返して自分が情けなくなる思いだった。

薫子は明らかに気分を害していた。それなのに自分はそれを止めるような真似をして。でも体格から見ても男は佳亮が敵う相手じゃなかったから、もし薫子に危害が及ぶようなことがあったら、佳亮は男を止められないし、薫子に怪我をさせるのも嫌だった。

中学も高校も大学も、朝と夜は弟妹の食事の世話があったから部活に入らなかった所為で筋肉は付かなかったし、仕事をしている今も勿論ジムになんて通ってないから力はない。

ちょっとは鍛えておけば良かったかなあ…。

そうため息をついても薫子を傷付けた事実は変えられない。どうやって謝ったら良いんだろう。考えた末に、佳亮はスマホを手に取った。



実家の自分の部屋でベッドに横になる。ふかふかのベッドは、しかし薫子の心を慰めてはくれなかった。

(私の所為で、佳亮くんを傷付けた…)

変えられない事実を他所に謝っても、佳亮の傷は消えないだろう。これから付き合っていく中で、同じ思いを何度もさせるかと思うと、自分が佳亮に相応しいとはとても思えなかった。

(…お別れした方が良いのかな……)

嫌な思いを重ねるより、今別れた方がまだ良さそうな気もする。どうしよう…とスマホを見つめていたら、不意にラインの着信音が鳴った。どきりとする。

(…佳亮くんかしら……)

震える指で画面を開くと、そこには織畑からのメッセージが届いていた。

―――『こんばんは。今日は紅葉狩りでしたね。どうでしたか?』

そうだ、織畑には今日の洋服について相談していたのだった。樹に買ってもらった洋服を試着して写真に収めて画像を送り、どの服が良いかとアドバイスをもらっていた。デートに行くうえでの女性としてのたしなみも聞いていた。気にしていてくれたのだ。

どうしよう…。

少し迷って、薫子はメッセージをしたためた。薫子の知り合いで、薫子たちのことを知っている人が居ない。織畑に頼るしかなかった。

―――「実は、通りすがりの人に嫌なことを言われて、佳亮くんを傷付けてしまったんです。どうしたら佳亮くんに謝れるでしょうか?」

薫子は、あのカップルに言われたことを細かく伝えた。直ぐに返事が来る。

―――『通りすがりの人の言うことなんて、気にすることないですよ。杉山くんも、きっと気にしてないと思うな。むしろ杉山くんは、大瀧さんのことを気にしてると思います』

薫子のことを…? どういうことだろう…。

―――『大瀧さんが自分の誇りと、杉山くんの名誉の為に立ち上がったのに、杉山くんは止めたんでしょう? 大瀧さんのプライドを傷付けたと思ってるんじゃないかな』

薫子の…、プライド? あの時、そんなものがあっただろうか?

―――「私は佳亮くんに似合わないんじゃないかと思うんです。背も高いし、女らしくないし、喧嘩っ早いし」

薫子の、一番の悩みも聞いてもらう。織畑は、そんなことないよ、と返してきた。

―――『そういう基準で杉山くんは見てないんじゃないかな。大瀧さんが女らしくないって気にするってことは、杉山くんが料理が得意なのを男らしくないって思うことと同じよ。カッコいい大瀧さんとかわいい杉山くん、私たちが見ても素敵なカップルだったわ。お互いに出来ない所を補い合える、理想の二人よ』

そう…、なのかな。…だと良いけど……。

―――『あとは杉山くんとちゃんと話せると良いですね。一人でしこりを抱えたままだと、杉山くんも辛いと思うわ』

佐倉と二人で歩んできた織畑が言うのなら、そうなのだろう。薫子は織畑に礼を言うと、樹の部屋の扉をノックした。

「兄さん」

「どうした、薫子」

深夜なのに、樹は起きていた。薫子は少し笑みを見せて、樹に抱き付く。

「私、明日の朝、部屋に帰るわ」

樹は薫子の頬を両手で包んで薫子の表情を見た。先刻のような寂しさを感じさせない。

「もう良いのか?」

「うん。佳亮くんと話してみる」

しっかりとした光が瞳に宿っている。可愛い妹は、何時の間にか、自分で羽ばたくことを覚えていた。

「薫子が良いと思う方法なら、俺は全力で応援する。でも、辛くなったら帰ってこい。俺は何時でも此処に居る」

樹の言葉に薫子が微笑む。

「ありがとう、兄さん」

額にキスをする。ふふ、と腕の中で薫子が微笑った。



「薫子さん、明日会ってくれるそうなので、謝ってきます」

佳亮は電話をしていた。相手は織畑だ。

『大瀧さんも杉山くんのこと気にしてたから、直ぐ解決するわよ。心配しなさんな』

全く、今回のことで織畑にはますます頭が上がらなくなってしまった。薫子の様子を聞いてくれたのは織畑なのだ。佳亮が傷付けた薫子にどうやって謝ったら許してもらえるか尋ねていた。貴方たちは似た者同士ね、と笑われた。

『お互いに「相手が、相手が」ってそればっかり。噛み合ってるうちは良いけど、すれ違ったら大変よ。気を付けなさい』

先輩のアドバイスを肝に銘じる。深夜にすみませんでしたと謝って、もう一度礼を言うと佳亮は通話を切った。