遡って、薫子の家でオムライス修行の日々。実家の家族は薫子がこれまでより頻繁に帰ってくることを歓迎していた。ただ、やっていることは受け入れられないが。

「薫子、何度言ったら分かるんだ。私は嫁入り修行をしろとは言ったが、それはそんなことでではない。大体、大瀧の娘が料理なんかする必要はない」

苦々しく言うのは父だ。薫子に茶道や華道を勧めていた父は、使用人がやるようなことをしている薫子を受け入れられないでいる。

「本当にそうよ、薫子。お父様の言う通り。手に怪我が絶えないじゃない。もっと自分の身体を大事にして」

そう言うのは母だ。母も、生まれ落ちた時から学校や友人、結婚相手まで何もかも用意された道を歩んできた人だ。薫子のやることが理解できないらしい。

そんな両親に囲まれた薫子だったが、唯一、兄の樹だけは薫子の味方だった。困惑を隠せない両親と薫子の間に立ってくれる。

「まあまあ、父さん母さん。薫子は昔から好奇心旺盛だったし、やってみたいと思ったことを曲げるような子じゃなかっただろう? 今は怪我が絶えないけど、そのうち上手になるよ。薫子は努力家だからね」

「樹は何時も薫子の肩ばかり持つのね」

困ってため息をつく母に兄は妹が可愛いからね、と言った。

「それにしても、最近の薫子はおかしいわ。寝込んだと思ったら、今度は料理だなんて。薫子、貴女何か悪い夢でも見たの?」

母の言うことに父が全くだ、と同調する。

「兎に角。庶民の真似ごとはほどほどにしておきなさい。お前の為でもあるんだぞ、薫子」

父は最後にそう言って母とキッチンを出て行った。あとに残ったのは樹と薫子だった。

「兄さん、ごめんなさい。兄さんには何時も迷惑かけちゃうわね」

「何を言うんだ、薫子。愛しい妹が挑戦しようとしていることを、俺が応援しないわけがないだろう?」

心配ないよ、と言うように、樹は薫子を抱きしめた。樹は薫子よりも背が高く、身体もがっしりしているので、背の高い薫子も腕の中にすっぽり収まってしまう。

「それに、父さんも母さんも薫子が心配なだけで、本気で反対しているわけじゃないよ。もし本気だったら、お前の一人暮らしだって認めないだろう?」

樹に言われて、そうかもしれないと思った。父が本気で反対したら、あの部屋から強制的に追い出されそうだ。

「そうね…。そうかもしれないわね」

少し安堵した薫子に、でも、と樹は付け加えた。

「母さんの心配は、俺は少しわかる。きれいな手が傷だらけじゃないか。もっと身体を大事にしてくれよ」

まるで佳亮と同じことを言う。佳亮が兄と同じくらいの愛情をもって薫子と接してくれたらどんなに良いだろう。でも、佳亮には恋人が居るからそれは望めない。せめて、食事を作ってもらえる間は、それに甘えていたかった。