家に帰った佳亮は、窓から薫子の部屋の明かりを眺めて考えた。これは、本格的に薫子との関係を清算したほうが良いかもしれない。佳亮にとって薫子は恩人だったが、薫子にとっての恩人は、今はシェフの平田だし、佳亮が薫子に依存しすぎるのは良くない。何より、薫子の自由を、佳亮の『恩人』という独りよがりによって奪ってはならない。

そのことを、何時言い出そうかと考えていたある日に佳亮が見たのは、薫子のマンションに横付けされた、白のランボルギーニから降りてくる薫子だった。何時もの薫子のフェラーリじゃない。そして薫子は助手席から降りてきていた。車から降りた薫子は運転席に回って、ドライバーと親しげに話していた。そして、ドライバーから頬にキスを受けると…、薫子もキスを返していた、そして薫子はマンションに入り、車はマンションを去っていった。

それを部屋の窓から見ていた佳亮は、思わぬ動悸に後ろ手でカーテンを勢いよく閉めた。

「………っ!」

どくんどくんと鼓膜の奥で心臓がうるさい。心なしか、頭に血が上ってない気がする。目の前が暗くなり、佳亮はその場にへたり込んだ。胃の中がぐるぐると気持ち悪い。

(……恋人が、居ったんや……)

今見た光景が脳裏を何度も横切る。あんなに一緒に居たけど、薫子は佳亮に恋人の存在をほのめかしたりしなかった。何故言ってくれなかったのだろう。言ってくれれば、誤解を招くような、二人っきりで食卓を囲むようなことは止めていたのに。

(止めれた、やろか。…ホンマに…?)

ふと自問自答すると、答えはNOと直ぐに出てくる。薫子が恋人のことを(おそらく)大事に思うように、佳亮も薫子と囲む食事の時間が大事だった。今までの恋人たちに否定され否定され続けた佳亮の料理を美味しいと言って食べてくれる薫子の存在が、なくてはならないものになっていた。

(大事やねん……。薫子さんも、ご飯の時間も……)

でも、今、それだけじゃない気持ちが胸の中に渦巻いている。

佳亮が知らない、薫子のプライベートの時間に会っているあの男の人に昏い感情を持った。そして、薫子が料理の奮闘話をした時に感じていたもやもやは、薫子をプライベートまで独り占めしたいという気持ちの表れだったのだと、はっきりわかったのだ。

一体何時から? 自分の存在を救ってくれた『恩人』に対して、なんていうことだろう。佳亮は自分の感情を恥じた。

幸か不幸か、明日は出張料理の日だった。薫子に会ったら、謝罪して、これきり会わないと約束しよう。薫子の幸せな恋路を邪魔するつもりはないし、自分の気持ちがみじめに散るのを薫子に見せるわけにはいかない。それが、『恩人』に対して、最低限の礼儀のような気がした。