玄関を入ると玄関ホールはライブが出来るのではないかと思うほど大きく吹き抜けになっている。そしてその中央から曲線を描いて上へあがる階段が伸びている。階段は途中で左右に分かれてやはり曲線を描いて二階へと続いている。玄関ホールも階段も抑えた赤色の絨毯がひかれていて、白樺の革靴の足音はしなかった。
階段の手すりは太くて大きくてあめ色でつやつや光っている。埃の存在なんて微塵も感じさせない。うっかり手垢を付けそうなので手すりには掴まらず階段を上がる。二階に上がると広い廊下を案内され、一番奥の大きな扉の前に立たされた。佐々木が重厚な扉をノックする。
「社長。佐々木です」
こんな分厚そうな扉の前で喋っただけで部屋の中に届くのだろうか。そう思ったけど、部屋の中から、なに? と返事が返った。
佐々木が、入ります、と言って扉を開ける。白樺は扉の前で直立して動かない。その目の前を佐々木と一緒に横切り、扉を潜った。
扉を潜って目に入ったのは、浮き出しでアラベスクの模様の入った白い壁紙に囲まれた大きな部屋の真ん中にポツンと置かれた、白のレースの天蓋付きのベッドだった。部屋の大きさからベッドは小さく見えるが、その中に埋もれている人を見れば、ベッドの大きさが分かるというものだ。枕は大きめのものが三つ。その枕に頭を埋めていた薫子が、此方を見て驚いた顔をした。
「よ、佳亮くん……」
薫子は白いネグリジェを着てシーツを口許まで引き上げると、顔を隠そうとした。ベッドで寝ているのなら、病気だったんだろう。辛いところへお邪魔してしまって悪かったなと思った。
「薫子さん、病気やったんですね…。僕、暫くマンションの明かりが灯らへんかったから、またお仕事忙しくて帰れへんのかと勝手に思うてお弁当差し入れに行ってしもたんですけど、余計なお世話でしたね。ゆっくり休んで、早く良ぉなってください」
ぺこりと会釈をして部屋を出ようとする。それを薫子が止めた。
「まって! 待って、佳亮くん。…その、手に持ってるの、お弁当?」
「あ、はい……」
お弁当がどうしたんだろう。薫子は具合が悪いのに…。
「た、食べる……。佳亮くんのお弁当、食べたい……」
部屋の扉とベッドの間には距離があって細かい表情は分からないが、薫子は口をへの字にして手で目を拭った。
「大丈夫ですか? 気を遣こてもろてんのやったら、良いですよ? 薫子さん、病気なんやから、おかゆさんでも食べたほうが…」
持ってきたことで気を遣わせてしまったかと思ったら、違う、と薫子が言った。
「病気じゃないの…。だから、お弁当食べたい……」
そこまで言われて渡さないわけにはいかない。保冷ボックスを薫子のところへ持っていくと、薫子は嬉しそうな顔をした。
「肉じゃが、ほうれんそうのお浸し、鰆の魚の味噌焼き、卵焼き、ブロッコリーのチーズ焼き、ケチャップスパゲティ…。すごいね、何時もながら」
頬を緩めて薫子が言う。そんなに手を掛けてものではないので、これで感動されるとどうしたらいいか分からない。
薫子は割り箸を割って、いただきますと言うと、弁当を食べ始めた。佳亮はその様子を見守ってしまう。
「美味しい…。美味しいよ、佳亮くん……」
何故か鼻声で美味しい美味しいと繰り返す。薫子が目じりを拭った時にはびっくりした。…泣いている?
「どうしたんですか、薫子さん。こんなの、何時も食べてるやないですか」
「うん…、でも、何時も美味しいなあって思って。…嬉しくなっちゃった…」
泣いてまで嬉しがることだろうか? 佳亮は訳が分からなくて困ってしまった。
「病気が治ったら、また料理作りますよ。だから早く良ぉなってください」
弁当を美味しい美味しいと言って食べてくれる薫子に言えるのはこのくらいだ。佳亮が言うと、薫子は涙ながらに、うんうん、と繰り返した。
やがてすっかり弁当を食べ終えた薫子は、御馳走さまと言って佳亮を見上げた。いつもは薫子のほうが背が高いから見下ろされているけど、今は薫子がベッドに居るのでその脇で立ってる佳亮が薫子を見下ろしている。
先刻泣いていたからだろうか、瞳が濡れてキラキラしている。佳亮は、早く良くなってくださいね、と伝えて、薫子の部屋を後にした。