にこにことした笑みを絶やさず、まるでおだやかさが制服を着て歩いているようなその人は、柳川警部という。この新宿分駐所で一番偉い人だった。ちなみにさっき慌てて出て行ったイケメンスーツは北条巡査部長。彼もここに勤務する警察官の一人で、亜栖紗よりも五年先輩なのだそうだ。
亜栖紗はいま、分駐所の奥にある会議テーブルの前でパイプ椅子にかしこまって座っている。向かいには柳川警部が座り、朗らかな笑みを交えつつこの分駐所の管轄や業務内容などをかいつまんで教えてくれていた。
「あとは現場で覚えればいいからね。わからないことがあれば何でも聞いて。それにしても、悪いねぇ。せっかくだからみんなに君を紹介したかったんだけど、ちょうどいまみんな出払っちゃってんだよ。いくらか戻ってきたらちゃんと辞令渡すから」
「は、はい……」
たしかに今この分駐所の中には、亜栖紗と柳川警部以外の人の気配がない。
「ちょうど通勤ラッシュの時間だからね。各々、電車や構内の警らにでかけているんだ」
警らとはパトロールのことをいう。
新宿駅だけでも目が回りそうなほどのたくさんの人が行きかっているが、ここ新宿分駐所の管轄はこの駅にとどまらない。鉄道警察は都内数か所の大規模駅に置かれており、複数の駅や路線を担当している。この新宿分駐所も多くの駅と路線を管轄していた。
「今日から早速現場に行ってもらおうと思っているんだけど、大丈夫かな?」
「はいっ。頑張りますっ!」
椅子に座ったままピンと背筋を伸ばして言う亜栖紗の様子に、柳川警部はハハハと小気味よく笑う。
「そんなにかしこまらなくてもいいよ。もっと楽にしてないと疲れちゃうだろ? おっと、そんなことを言っていたら一人帰ってきたみたいだね」
柳川警部の声に、入り口のドアが開く音が重なる。振り向いてみると、先ほど亜栖紗とぶつかりそうになったあの北条巡査部長が戻ってきたところだった。
「北条くん、どうだった?」
柳川警部の言葉に、北条の端正な顔がわずかにゆがむ。
「……すみません。現場に行った時にはもう、ホシはいなくなっていました」
「そっか。……また、機会はあるよ。アレは何度でもここに戻ってくる。ここほど人が多い駅はないからね」
二人は何かの犯罪の容疑者の話をしているようだ。さっそくの事件の匂いに、亜栖紗は口を挟むことはしないまでも、耳をダンボにして二人の話を聞いていた。
すると、北条から現場の報告を受けていた柳川警部が、突然亜栖紗の方へ視線を向ける。
「そうだ。次の警らには、彼女を連れて行くといいよ。彼女は今日から特務係に配属になった反町亜栖紗くんだ」
急に話を降られた亜栖紗は、あわあわしながら立ち上がってペコリとおじぎをした。
「よ、よろしくお願いしますっ」
北条は「わかりました」と眉一つ動かさず言うと、メガネの奥から冷めた目
でジッと亜栖紗を見てくる。まるで犯罪者を追い詰めるようなその鋭利な目つきに、わ、私はホシじゃないですよ!? と内心言いそうになるが亜栖紗はぐっとこらえた。
そんな二人の間の微妙な空気を知ってか知らずか、柳川警部はにこにこと笑顔で二人の背中を軽く叩く。
「頼んだよ。二人とも」
しかし柳川警部の顔からはすぐに笑みが消える。彼はぐっと二人の肩を強くつかんで、低い声で力強く励ました。
「一日でも早く捕まえなきゃな。もうこれ以上被害者が出ないうちになんとしても」
「な、なにを捕まえるんですか?」
さっき言っていた『ホシ』のことだろうか。ホシが容疑者を指すということくらいは亜栖紗も知っているけれど。
亜栖紗の疑問に答えたのは、北条だった。
「この新宿駅にはよく出るんだよ」
「え?」
出るって……幽霊か何かのことだろうか? そんな予想を北条の次の言葉があっさり打ち消した。
「通称、ぶつかりおじさん。通行人へ意図的に強くぶつかることを繰り返す粗暴犯だ」
亜栖紗はいま、分駐所の奥にある会議テーブルの前でパイプ椅子にかしこまって座っている。向かいには柳川警部が座り、朗らかな笑みを交えつつこの分駐所の管轄や業務内容などをかいつまんで教えてくれていた。
「あとは現場で覚えればいいからね。わからないことがあれば何でも聞いて。それにしても、悪いねぇ。せっかくだからみんなに君を紹介したかったんだけど、ちょうどいまみんな出払っちゃってんだよ。いくらか戻ってきたらちゃんと辞令渡すから」
「は、はい……」
たしかに今この分駐所の中には、亜栖紗と柳川警部以外の人の気配がない。
「ちょうど通勤ラッシュの時間だからね。各々、電車や構内の警らにでかけているんだ」
警らとはパトロールのことをいう。
新宿駅だけでも目が回りそうなほどのたくさんの人が行きかっているが、ここ新宿分駐所の管轄はこの駅にとどまらない。鉄道警察は都内数か所の大規模駅に置かれており、複数の駅や路線を担当している。この新宿分駐所も多くの駅と路線を管轄していた。
「今日から早速現場に行ってもらおうと思っているんだけど、大丈夫かな?」
「はいっ。頑張りますっ!」
椅子に座ったままピンと背筋を伸ばして言う亜栖紗の様子に、柳川警部はハハハと小気味よく笑う。
「そんなにかしこまらなくてもいいよ。もっと楽にしてないと疲れちゃうだろ? おっと、そんなことを言っていたら一人帰ってきたみたいだね」
柳川警部の声に、入り口のドアが開く音が重なる。振り向いてみると、先ほど亜栖紗とぶつかりそうになったあの北条巡査部長が戻ってきたところだった。
「北条くん、どうだった?」
柳川警部の言葉に、北条の端正な顔がわずかにゆがむ。
「……すみません。現場に行った時にはもう、ホシはいなくなっていました」
「そっか。……また、機会はあるよ。アレは何度でもここに戻ってくる。ここほど人が多い駅はないからね」
二人は何かの犯罪の容疑者の話をしているようだ。さっそくの事件の匂いに、亜栖紗は口を挟むことはしないまでも、耳をダンボにして二人の話を聞いていた。
すると、北条から現場の報告を受けていた柳川警部が、突然亜栖紗の方へ視線を向ける。
「そうだ。次の警らには、彼女を連れて行くといいよ。彼女は今日から特務係に配属になった反町亜栖紗くんだ」
急に話を降られた亜栖紗は、あわあわしながら立ち上がってペコリとおじぎをした。
「よ、よろしくお願いしますっ」
北条は「わかりました」と眉一つ動かさず言うと、メガネの奥から冷めた目
でジッと亜栖紗を見てくる。まるで犯罪者を追い詰めるようなその鋭利な目つきに、わ、私はホシじゃないですよ!? と内心言いそうになるが亜栖紗はぐっとこらえた。
そんな二人の間の微妙な空気を知ってか知らずか、柳川警部はにこにこと笑顔で二人の背中を軽く叩く。
「頼んだよ。二人とも」
しかし柳川警部の顔からはすぐに笑みが消える。彼はぐっと二人の肩を強くつかんで、低い声で力強く励ました。
「一日でも早く捕まえなきゃな。もうこれ以上被害者が出ないうちになんとしても」
「な、なにを捕まえるんですか?」
さっき言っていた『ホシ』のことだろうか。ホシが容疑者を指すということくらいは亜栖紗も知っているけれど。
亜栖紗の疑問に答えたのは、北条だった。
「この新宿駅にはよく出るんだよ」
「え?」
出るって……幽霊か何かのことだろうか? そんな予想を北条の次の言葉があっさり打ち消した。
「通称、ぶつかりおじさん。通行人へ意図的に強くぶつかることを繰り返す粗暴犯だ」