コンビニバイト店員ですが、実は特殊公安警察やってます(『僕らの目に見えている世界のこと』より改題)

「なんだよコレ」

隊長がつけたナイロンのような輪は、目くらましだったのか。

あちこちにマーキングされた点が表示されている。

「これじゃ、どれが本物か分からないじゃないか」

竹内は叫んだ。

「違う。上を見ろ。自分の目で見たものだけを信じるんだ」

背中の竹内は、空を見上げた。

「なるほど了解!」

ペダルに体重をかける。

電動自転車特有の加速で走り出した。

後ろの竹内は時折鳴いて、R38と何かを話していた。

彼は俺たちを近くの自然公園に誘導すると、その上空で旋回を始めた。

ここで飯塚さんを待っているのか? 

背中の竹内はまたR38に声をかける。

俺たちは公園の敷地に入り込んだ。

「おい重人、ちょっと待て!」

後ろでブレーキをかけられ、俺は上空を見上げた。

R38に向かって何者かが急降下している。

黒い羽根が飛び散った。

逃げようと身を翻すも間に合わない。

二度、三度と激しい攻撃を受け、カラスは為す術もなく失速する。

「急げ」

墜落するR38の影を追う。

墜ちていくそれを捉えた影は、自らの意志で急降下を始めた。

キリリとつり上がった眼。

それを縁取る黄金が光る。

緑の芝生の上で、ブルーグレイの強く美しい翼を誇らしげに畳んだ。

「お前、どこから……」

ハヤブサだ。

近寄ろうとした瞬間、耳元の空気が切り裂かれた。
「触るな」

カラスを組み敷いたハヤブサの胸に、血しぶきが舞った。

飯塚さんは手のひらに隠れるほどのエアガンを、俺たちに見せる。

その銃口を向けたまま、ゆっくりとハヤブサに近づいた。

動かなくなったR38を拾い上げる。

「こいつは大事な仲間なんだ。お前たちに渡すわけにはいかない」

「今すぐ投降してください。俺たちは全力で、あなたを支援します」

「はは。お前はいつまでそんな寝言を言っている」

飯塚さんは傷ついたカラスを腕に、俺たちを見下ろした。

「相変わらず甘いね。俺ならここで、俺を捕まえようとしないお前らを処分する」

この人の持つ銃口の先が、ハヤブサに向けられていることに気づいた。

「悪いが長居は出来なくてね、また会おう」

鍛えあげられた肉体が、清掃作業員の制服の下からでも分かる。

俺と竹内でつかみかかっても、勝てないと分かっている相手だ。

ちらりと竹内に目をやる。

飯塚さんからの距離は、俺よりも遠い。

背中にも目がついているような人だ。

動けば何が起こるか分からない。

飯塚さんはカラスを上着の中にしまい込んだ。

片手を振り上げた瞬間、一迅の風がエアカッターとなって駆け抜ける。

走り出したその人を追いかける複数の足音だけが、微かに耳に聞こえる。

「かわいそうに」

一切の気配を消し去った隊長が、そこに立っていた。

息も絶え絶えなハヤブサをそっと抱き上げる。

小さく甘えたような声を上げたその頭を、ゴツゴツとした太い指がそっと撫でた。

何も言わず、そのまま背を向け歩き始めた隊長に、何かを訴えようとしても言葉が出てこない。
「次の指示をください」

ようやく口をついたセリフに、ほっと胸をなで下ろす。

俺にだって、部隊の役に立てることはあるはずだ。

「具体的な指示をくだされば、ちゃんとやれます」

隊長は腕の中に、大切にハヤブサを抱いていた。

R38を記憶したハヤブサだ、普通の鳥じゃない。

ハヤブサは腕の中で隊長を見上げ、もう一度小さく鳴いた。

そのハヤブサのしぐさに、隊長は見たこともない優しい笑みをもらす。

ゆっくりと歩き出したその人は、俺たちに一瞥もくれることなく行ってしまった。

きっと、そういうことなのだろう。

「重人。飯塚さんを追いかけよう」

「……隊長直属の精鋭部隊が、チームで追いかけてるんだぞ」

「隊長の指示がない以上、仕方ないだろ」

「隊長からの指示って?」

「……。飯塚さんの確保」

「そんなの、もう俺たちだけじゃ無理だって、十分分かっただろ」

竹内の声が、大きくなった。

「お前の目的はなんだ!」

その言葉に耳を疑う。

竹内を見上げた。

なんでそんな当たり前のことを聞くんだ。

「飯塚さんを救うに決まってるだろ」

竹内はポケットから俺の端末だったものを取り出すと、それを地面に叩きつける。

「おいっ!」

「もういい。チームは解消だ。俺は都庁へ行く」

細く背の高い、見慣れた背中まで遠のいていく。

「なんだよ! お前は違ったって言うのか?」

隊長に嫌われていることは、最初から知っている。

同い年だけど遙かに部隊所属歴の長い竹内とは、応対が全く違う。

そんなことに負い目や劣等感を感じなかったのは、全部飯塚さんがいてくれたからだ。
地面に転がった端末を拾い上げた。

何一つ傷ついていないパネル強化技術の高さに、俺が傷つく。

竹内だけは俺を、それなりに認めてくれているのだと思っていた。

機能不全に陥ってはいけない使命を受けているのは、自分だけじゃない。

何も傷ついていないように見えるこの端末の動作プログラムは、本当は再起不能のレベルで侵食されているんだ。

天命の完全復旧は難しいと聞いた。

二人乗りの自転車を一人で押すには重すぎる。

「ただいま」

午前のパートから帰ってきていた母は、居間に掃除機をかけていた。

二階に上がる。

拾った端末を放り投げると、床に寝転がった。

城壁のように積み上げられた機器の数々が、俺を取り囲んでいる。

パソコンを立ち上げてみても、しばらく放置されていたそれは、そのままでは動かない。

壊れているわけじゃない。

それでも動かせないものは動かない。

それでは俺も動けない。

時間だけが過ぎていく。

結局隊長からも飯塚さんからも、竹内からもさえ、なんの連絡もないまま数日が過ぎた。

世界は相変わらず平和で、俺がいなくてもやっぱりこの世は回っている。

何をそんなにムキになっていたんだろう。

俺にだって、本当はもっと違う世界があったのかもしれない。

そんなことを考えながら、ぼんやりとただゲームと動画を見て日々を過ごす。

眠たくなったら寝て、腹が減ったら勝手に何かを口に入れ、目が覚めた時に起きた。

何もする気が起きなかった。

本当はしなければならないことが、やりたくてたまらないことが、自分を殺しにくるくらいあるのに、それに押しつぶされて動けずにいる。

銀色の小さな端末が目に入った。

久しぶりに触れたその形を、手は覚えていた。

しっとりとした冷たさが妙に心地いい。

ふいに、パッと画面が明るくなった。

新たな連絡が届いた合図だ。

未読の通知が鬼のように溜まっている。

どうせ俺には、もう何も関係ない。

部隊を無断で離脱したような奴だ。

もう除隊処分になっていたって、おかしくはない。

「はは。俺はやっぱり、ニートだったんだな」

そっか。

今日は飯塚さんの予告した、決戦の日か。

そう言われればそうだったな。

実感がなさ過ぎて、忘れていた。

再びメールが送られてくる。

それが届いたことを知らせる通知画面だけが、また明るく光る。

だけどそれだけでは、メールの中身まで確認できないんだな。

見たくないのなら、見なくてもいいように出来ている。

俺はそれを開く。
隊長だ。

当たり障りのない平均化された言葉で、隊員を鼓舞している。

きっとそんな部隊の体質が、俺には合わなかったのだろう。

続けて送られて来たメールは、別フォルダーに送られた。

久谷支部の部隊に出された指示だ。

つまり、俺と竹内。

そこにいま届いたばかりの通知がため込まれていく。

最初のは既読がついている。

俺も読んだ。

「No.03を確保しろ 手段は任せる」

それ以降の日付データは何もない。

そこからたったいま送られてきたばかりの、新着20件を超えるメッセージ。

その一つを開いた。

送られていたのは何かのURLで、開く気なんかなかったのに、うっかり指は触れてダウンロードが始まる。

一つをクリックすることで、全てが連動して展開されていく。

おかげで端末の更新が始まってしまった。

これでまた俺は、しばらく動けない。

「……竹内にまで、キレられるとは思わなかったな……」

入隊した時からの仲だ。

口は悪いし無愛想だけど、何度も二人で危機を乗り越えた。

一心同体とまでは言わなくても、欲しいところでちゃんとパスがくる。

そんな関係だと思っていた。

だけどそう思っていたのは、俺だけだったんだな。

ダウンロード完了の合図。

だけど今さら、どうにもならない。

再起動の指示があり、それにだけは従った。

新しくなった画面には、見知らぬアプリが組み込まれている。

『天命・改』
俺がそのままこの端末を持って飯塚さんのところへ行ってしまう可能性とか、どこかに逃げてしまうかもとか、そういったことをあの人は考えなかったんだろうか。

もちろんこのプログラムにも、当たり前のように位置情報はついているだろう。

だから問題はないと判断したのかもしれない。

隊長のことだ。

失敗や間違いなんて、ない。

震える手で口元を覆う。

だけど、どんな複雑なプログラムであっても、それを解除する技術を俺が持っていないと、本気であの人が思っているとも思えない。

天命のバージョンアップ。

話に聞いたことはあった。

だけどそれは、単なる噂に過ぎないはずだった。

隊長はこの機会に、一気に新しいシステムを作らせたのか?
 
何をどう考えても、全てが無謀にしか思えない。

こんな急ごしらえの巨大システムが、まともに動くはずはない。

完成前の特大極秘システムを、隊長はいつから俺たちに任せようとしていたのか。

「あら、出かけるの?」

「うん、ちょっとね」

震える足で、よろよろと自転車にまたがる。

行き先に、もう迷いはなかった。
都庁前広場についた頃には、11時を過ぎていた。

まぶしいほど輝くこの白い巨体は、数時間後に秘密裏に内蔵する巨大ロボを出現させようとしている。

「あれ、重人? こんなところで何してんの?」

「姉ちゃん!」

「珍しいわね、何の用よ」

「な……、えっと、ハローワークに……」

「都庁にハロワなんてないわよ。何しに来たの」

「と、都民の声総合窓口!」

「いいからちょっとこっち来なさい」

強引に袖を引かれ、連れて行かれる。

姉貴になんか、かまってる場合じゃないのに!

「ちょ、ゴメンだけど俺さ……」

本庁舎に向けて、カメラを構える男性二人組がいた。

「都庁で何か、撮影でもしてんの?」

「あぁ。なんかね、ネットで今日の2時に都庁がロボ化するって噂が流れてるみたいなのよ。漫画やアニメじゃしょっちゅう爆破されたり占拠されたりしてるけど、さすがにロボ化ってのはね」

呆れたように笑う姉の横顔に、焦りがつのる。

これも飯塚さんの「見えない仲間」の力か。

「俺、もう行かないと」

「どこに」

返事の出来ない俺に、姉はため息をついた。

「分かったわよ。ランチちょっといいとこおごってあげるから、久しぶりに話そ。あんたと喧嘩ばっかりしたいワケじゃないんだからさ、私だって」

「喧嘩って、なに?」

「……。ニートだって、いつも怒ってること」

「違う!」

くそっ。

こういうとき、いつもどうやって切り抜けてきたっけ。
「何が違うのよ。私の昼休みだって、そんなに長くないんだからね」

「もう飯は食ったから……」

「じゃあちょっとそこのコーヒーショップでいいから、付き合いなさい」

「美希ちゃん!」

俺のその声に、姉は振り返った。

「美希ちゃん。悪いんだけど、行かなくちゃいけないんだ」

姉貴のことを名前で呼ぶなんて、いつぐらいぶりだろう。

「行くって、どこ」

「都庁」

自分とそっくりな顔が、俺を見上げている。

世話好きで気の強い姉ちゃんの後ろをついて歩いていれば、子供の頃は何の不安もなかった。

「だから、都庁のどこよ」

俺は安心しきってその後ろを歩いていた。

だけど、今は違う。

「それは言えない。もしこの先に何かが起こったとしても、俺のことは大丈夫だから、安心して。父さんと母さんにも心配するなって、ちゃんと伝えて」

「……は?」

「じゃ!」

もし都庁ロボが動き出し、俺たちの部隊が表沙汰になったら、どんな騒ぎが待っているだろう。

自分たちの信じていた世界が変わる。

日常が、常識が変わる。

世界が今までと全く違って見えるようになる。

もしかしたらそれを、人は『革命』と呼ぶのかもしれない。

「ちょ、待ちなさい重人!」

走り出したすねに強い衝撃が加わる。

俺はその場に盛大に転んだ。

つまずいたのは、隊長の足だった。

「どこでチンタラしてるかと思ったら、ナンパしてんのか。遅刻だぞ」

「ち、違いますよ。ねーちゃんです!」

「あぁ、そうか」

警備員の制服を着た隊長は、表情を何一つ変えることなく帽子を取り、丁寧に頭を下げた。

「初めまして」

浅黒く精悍な顔は、姉の顔をのぞき込んだ。
「バイトの面接に応募していただきましてね。お姉さんが都庁にお勤めなのは、うかがっておりました」

「あ、いえ。すみません。私の方こそ、お邪魔してしまって……」

隊長の視線は、今度はじっと俺を見下ろした。

「臨時採用ですので、まぁお試し期間といったところですが、お世話になります。それでは仕事がありますので。失礼」

「し、重人を、よろしくお願いします」

姉はペコリと頭を下げた。

背中を押され、その場を後にする。

あの負けん気が強く全く物怖じしない姉を、一撃で黙らせた隊長の威力。

助かったといえば、助けられた。

「顔、見せてよかったんですか? うちのねーちゃん、あぁ見えてけっこう記憶力いいっすよ」

「お前の家族だろ」

その一言が、どうしてか俺の胸に響く。

庁舎裏の関係者専用通路から、建物の中に入った。

俺が今まで隊を抜けていたことに、隊長は何も言わないのが、よけいに苦しい。

大きな背中を見つめた。

ロボット出現の仕組みは公にはできないが、都庁の外法と内法には差異がある。

要するに、内部に秘密があるのだ。

いくつもの部屋を通り過ぎ、隠された通路と秘密部屋を無数に超えたその先に、対策本部が設置されていた。

5人の隊長直属精鋭メンバーが、常にキーボードを叩いている。

この人たちが飯塚さんを追いかけ、支部のサポートもしているのか。

ちょっと見ただけで分かる。

完璧なまでに無駄なく機能している現場に、俺は急に恥ずかしくなった。