ネットに書き込まれた単なる冗談が、現実になることなんてことがあり得るだろうか。
古今東西、都市の主要建造物がロボ化するという話は、そこかしこに見受けられる。
火のないところに煙は立たぬとは、まさにこのことだ。
ここだけの話、都庁だけではない。
国会議事堂もサンシャイン60も東京タワーもスカイツリーも、横浜ランドマークタワーだってロボ化する。
それを全てくだらない冗談とねじ伏せてきたのが我々の部隊だ。
富士山の河口は秘密基地への入り口だし、裾野に広がる広大な樹海の下には、第二の政府が存在する。
当たり前のような冗談を、誰が真に受ける?
緊急事態宣言が発動された。
部隊の活動は非常事態として、全ての指揮は隊長に委ねられる。
これがいつものように、外部のテロリストのようなものであったのなら、何を恐れることがあっただろう。
これまでも、神をも恐れぬその行為に、抹殺されてきた輩は数しれない。
それほど強固だったこの砦が、今まさに危機に瀕している。
隊長がどのような手段を考えているのかは分からない。
もし都庁ロボが動き出したら、その暴走を食い止めるために、国会議事堂ロボを発動させるのか。
国立競技場の整備はやっと終わったばかりだ。
スカイツリーの完成から始まった巨大な国家ロボ整備改修計画の一環、個別に運用されていた各種ロボット部隊の連携がようやく実現するところだ。
都庁ロボメンテナンス責任者だった飯塚さんが、それを邪魔しようとしている。
飯塚さんを指名した任命責任を、隊長は免れないだろう。
以前から問題視されていたロボット部隊の一元管理の危険性が再び叫ばれている。
飯塚さんの真の目的が隊長の失脚と交代だなんて、考えたくない。
現在、隊長を含む特別編成チームが都庁警備にあたっている。
清掃作業員に扮した肉弾戦のエキスパートたちが内部をくまなく巡回警備し、IT精鋭部隊は飯塚さんの仕込んだ操縦プログラムの解析と、配線確認作業に躍起だ。
「都庁ロボは、こっちの管理下にはないのか」
竹内は首を横に振る。
「事前に提出、承認されていた改修内容と、全く違うらしい。なぜそれに誰も気がつかなかったのか、不思議なくらいだ」
飯塚さんはこの仕事にかかりきりだった。
隊長は何度も視察に訪れ、設計の確認も大勢の作業員を引き連れての工区日程管理も完璧だった。
「さぁ行こう。本部はいまパンク寸前だ。俺たちが踏ん張るか、あの人の暴走を許すかの瀬戸際だ」
竹内は立ち上がると、かつて俺の端末だったものを差し出した。
「アップデート済みだ。ちゃんと持っておけ。俺たちには、俺たちに任された任務がある」
「いらない」
なんて平和な奴だ。
この端末を持っていると、俺まで隊長と部隊に操られている気分になる。
「自分の気持ちまでは、支配されない」
竹内は笑った。
背中で何やらごちゃごちゃ言っている。
そんなことは俺だって、十分分かってるさ。
だけど世界と現実の乖離を、俺はまだ埋められない。
飯塚さんは相変わらず行方不明のままだ。
都庁変身の日時を予告したことに、どんな意味が隠されているのだろう。
混乱が混乱を呼んでいる。
「やっぱり、R38を追った方がいいと思う」
「根拠は?」
竹内がそんなふうに即答で突っかかってくる時は、怒っている証拠だ。
「ない」
盛大にため息を吐かれる。
俺はただ、納得と理解が追いつかないだけなんだ。
「飯塚さんはなぜ日時を予告した? 自分はこの日この時間に都庁へ行きますよって、捕まえてくださいって、自分から言っているようなもんだ。飯塚さんの狙い通り、今や隊長を含む部隊の大半が、それを阻止すべく都庁にかき集められている。俺が飯塚さんなら外が歩きやすくなったって、行動しやすくなったって、笑ってるね」
「俺たちの隊長から与えられた任務は、飯塚さんの確保だ。そして俺たちはパートナーだ。作戦は?」
俺は胸ポケットから、R38の黒い羽根を取り出した。
「これでカラスを呼び寄せる。話はそれからだ」
AIさえ予測不可能なノープラン作戦。
竹内は何も言わなかった。
真昼の公園、そのど真ん中に立つ。
日曜昼間の公園というのは、家族連れの平和な団らんの場でもある。
仁王立ちで並んだ俺たちは、走り回る子供たちの中で覚悟を決めた。
「本気でやるのか?」
「当たり前だ」
天命のシステムを使って、公園を立ち入り禁止にすることも可能だったが、そうでなくても今は不安定なシステムに、余計な負担はかけたくはない。
民間ネットワークシステムを利用するということは、飯塚さんの監視の目に触れる危険もある。
あえて何もせずこうして立つことが、目くらましとして有効なのだ。
俺はR38の羽根を空高く掲げた。
竹内と二人、一心不乱にカラスの鳴き真似を始める。
『すぐに集まれ』という呼び声に、周辺の空気はざわつき始めた。
樹上の鳥たちは不穏な動きを始め、地上の人間は俺たちから距離を取る。
青く突き抜けた空に、黒い翼が見えた。
「カァ! クワァ、 カー!」
「グウェ、アァ、クワー!」
R38に向かって必死に話しかける。
彼は部隊で代々血統管理され、かつ特別に訓練されたエリート中のエリートカラスだ。
この声を聞き分け、意味を取ることが、必ず出来る。
現れた影は上空で弧を描いた。
あの空を舞うカラスが、本物のR38だとしたら……。
「カー!」
空からの返事だ。
「やった!」
今度は失敗しない。
竹内が端末で上空のカラスを追い、俺は前を向いてペダルをこぐ。
ドローンだなんて、電波を発する機器は使えない。
我が家のママチャリなんかじゃない、本部から借りた自動水平装置搭載、電動二人乗り自転車にまたがった。
ハンドルに備え付けられた画面にマップが映し出される。
「なんだよコレ」
隊長がつけたナイロンのような輪は、目くらましだったのか。
あちこちにマーキングされた点が表示されている。
「これじゃ、どれが本物か分からないじゃないか」
竹内は叫んだ。
「違う。上を見ろ。自分の目で見たものだけを信じるんだ」
背中の竹内は、空を見上げた。
「なるほど了解!」
ペダルに体重をかける。
電動自転車特有の加速で走り出した。
後ろの竹内は時折鳴いて、R38と何かを話していた。
彼は俺たちを近くの自然公園に誘導すると、その上空で旋回を始めた。
ここで飯塚さんを待っているのか?
背中の竹内はまたR38に声をかける。
俺たちは公園の敷地に入り込んだ。
「おい重人、ちょっと待て!」
後ろでブレーキをかけられ、俺は上空を見上げた。
R38に向かって何者かが急降下している。
黒い羽根が飛び散った。
逃げようと身を翻すも間に合わない。
二度、三度と激しい攻撃を受け、カラスは為す術もなく失速する。
「急げ」
墜落するR38の影を追う。
墜ちていくそれを捉えた影は、自らの意志で急降下を始めた。
キリリとつり上がった眼。
それを縁取る黄金が光る。
緑の芝生の上で、ブルーグレイの強く美しい翼を誇らしげに畳んだ。
「お前、どこから……」
ハヤブサだ。
近寄ろうとした瞬間、耳元の空気が切り裂かれた。
「触るな」
カラスを組み敷いたハヤブサの胸に、血しぶきが舞った。
飯塚さんは手のひらに隠れるほどのエアガンを、俺たちに見せる。
その銃口を向けたまま、ゆっくりとハヤブサに近づいた。
動かなくなったR38を拾い上げる。
「こいつは大事な仲間なんだ。お前たちに渡すわけにはいかない」
「今すぐ投降してください。俺たちは全力で、あなたを支援します」
「はは。お前はいつまでそんな寝言を言っている」
飯塚さんは傷ついたカラスを腕に、俺たちを見下ろした。
「相変わらず甘いね。俺ならここで、俺を捕まえようとしないお前らを処分する」
この人の持つ銃口の先が、ハヤブサに向けられていることに気づいた。
「悪いが長居は出来なくてね、また会おう」
鍛えあげられた肉体が、清掃作業員の制服の下からでも分かる。
俺と竹内でつかみかかっても、勝てないと分かっている相手だ。
ちらりと竹内に目をやる。
飯塚さんからの距離は、俺よりも遠い。
背中にも目がついているような人だ。
動けば何が起こるか分からない。
飯塚さんはカラスを上着の中にしまい込んだ。
片手を振り上げた瞬間、一迅の風がエアカッターとなって駆け抜ける。
走り出したその人を追いかける複数の足音だけが、微かに耳に聞こえる。
「かわいそうに」
一切の気配を消し去った隊長が、そこに立っていた。
息も絶え絶えなハヤブサをそっと抱き上げる。
小さく甘えたような声を上げたその頭を、ゴツゴツとした太い指がそっと撫でた。
何も言わず、そのまま背を向け歩き始めた隊長に、何かを訴えようとしても言葉が出てこない。
「次の指示をください」
ようやく口をついたセリフに、ほっと胸をなで下ろす。
俺にだって、部隊の役に立てることはあるはずだ。
「具体的な指示をくだされば、ちゃんとやれます」
隊長は腕の中に、大切にハヤブサを抱いていた。
R38を記憶したハヤブサだ、普通の鳥じゃない。
ハヤブサは腕の中で隊長を見上げ、もう一度小さく鳴いた。
そのハヤブサのしぐさに、隊長は見たこともない優しい笑みをもらす。
ゆっくりと歩き出したその人は、俺たちに一瞥もくれることなく行ってしまった。
きっと、そういうことなのだろう。
「重人。飯塚さんを追いかけよう」
「……隊長直属の精鋭部隊が、チームで追いかけてるんだぞ」
「隊長の指示がない以上、仕方ないだろ」
「隊長からの指示って?」
「……。飯塚さんの確保」
「そんなの、もう俺たちだけじゃ無理だって、十分分かっただろ」
竹内の声が、大きくなった。
「お前の目的はなんだ!」
その言葉に耳を疑う。
竹内を見上げた。
なんでそんな当たり前のことを聞くんだ。
「飯塚さんを救うに決まってるだろ」
竹内はポケットから俺の端末だったものを取り出すと、それを地面に叩きつける。
「おいっ!」
「もういい。チームは解消だ。俺は都庁へ行く」
細く背の高い、見慣れた背中まで遠のいていく。
「なんだよ! お前は違ったって言うのか?」
隊長に嫌われていることは、最初から知っている。
同い年だけど遙かに部隊所属歴の長い竹内とは、応対が全く違う。
そんなことに負い目や劣等感を感じなかったのは、全部飯塚さんがいてくれたからだ。
地面に転がった端末を拾い上げた。
何一つ傷ついていないパネル強化技術の高さに、俺が傷つく。
竹内だけは俺を、それなりに認めてくれているのだと思っていた。
機能不全に陥ってはいけない使命を受けているのは、自分だけじゃない。
何も傷ついていないように見えるこの端末の動作プログラムは、本当は再起不能のレベルで侵食されているんだ。
天命の完全復旧は難しいと聞いた。
二人乗りの自転車を一人で押すには重すぎる。
「ただいま」
午前のパートから帰ってきていた母は、居間に掃除機をかけていた。
二階に上がる。
拾った端末を放り投げると、床に寝転がった。
城壁のように積み上げられた機器の数々が、俺を取り囲んでいる。
パソコンを立ち上げてみても、しばらく放置されていたそれは、そのままでは動かない。
壊れているわけじゃない。
それでも動かせないものは動かない。
それでは俺も動けない。
時間だけが過ぎていく。
結局隊長からも飯塚さんからも、竹内からもさえ、なんの連絡もないまま数日が過ぎた。
世界は相変わらず平和で、俺がいなくてもやっぱりこの世は回っている。
何をそんなにムキになっていたんだろう。
俺にだって、本当はもっと違う世界があったのかもしれない。
そんなことを考えながら、ぼんやりとただゲームと動画を見て日々を過ごす。
眠たくなったら寝て、腹が減ったら勝手に何かを口に入れ、目が覚めた時に起きた。
何もする気が起きなかった。
本当はしなければならないことが、やりたくてたまらないことが、自分を殺しにくるくらいあるのに、それに押しつぶされて動けずにいる。
銀色の小さな端末が目に入った。
久しぶりに触れたその形を、手は覚えていた。
しっとりとした冷たさが妙に心地いい。
ふいに、パッと画面が明るくなった。
新たな連絡が届いた合図だ。
未読の通知が鬼のように溜まっている。
どうせ俺には、もう何も関係ない。
部隊を無断で離脱したような奴だ。
もう除隊処分になっていたって、おかしくはない。
「はは。俺はやっぱり、ニートだったんだな」
そっか。
今日は飯塚さんの予告した、決戦の日か。
そう言われればそうだったな。
実感がなさ過ぎて、忘れていた。
再びメールが送られてくる。
それが届いたことを知らせる通知画面だけが、また明るく光る。
だけどそれだけでは、メールの中身まで確認できないんだな。
見たくないのなら、見なくてもいいように出来ている。
俺はそれを開く。
隊長だ。
当たり障りのない平均化された言葉で、隊員を鼓舞している。
きっとそんな部隊の体質が、俺には合わなかったのだろう。
続けて送られて来たメールは、別フォルダーに送られた。
久谷支部の部隊に出された指示だ。
つまり、俺と竹内。
そこにいま届いたばかりの通知がため込まれていく。
最初のは既読がついている。
俺も読んだ。
「No.03を確保しろ 手段は任せる」
それ以降の日付データは何もない。
そこからたったいま送られてきたばかりの、新着20件を超えるメッセージ。
その一つを開いた。
送られていたのは何かのURLで、開く気なんかなかったのに、うっかり指は触れてダウンロードが始まる。
一つをクリックすることで、全てが連動して展開されていく。
おかげで端末の更新が始まってしまった。
これでまた俺は、しばらく動けない。
「……竹内にまで、キレられるとは思わなかったな……」
入隊した時からの仲だ。
口は悪いし無愛想だけど、何度も二人で危機を乗り越えた。
一心同体とまでは言わなくても、欲しいところでちゃんとパスがくる。
そんな関係だと思っていた。
だけどそう思っていたのは、俺だけだったんだな。
ダウンロード完了の合図。
だけど今さら、どうにもならない。
再起動の指示があり、それにだけは従った。
新しくなった画面には、見知らぬアプリが組み込まれている。
『天命・改』