俺はその日、朝から身支度を調え外に出た。
とりあえずの言い訳として、バイトの面接に行ってくると伝えると、遠足に出かける子供を送り出すかのように、母だけがはしゃいでいる。
社会復帰を喜ぶその姿に、複雑な感情を抱えてしまう。
「じゃあ……行ってきます」
「うん、気をつけてね!」
俺だって緊張しているんだ。
事前に地図で検索しても、その場所には何も記されていない。
見下ろした母と目が合う。
「行ってきます」
手足が同時に動いているのが分かる。
胸の動悸が収まらない。
一見市販の携帯端末のように見えるこの小型機器は、俺が部隊からの仕様を元に自作した特別仕様品だ。
そこに表示されたルートに従って歩く。
目的地は遠くない。
住宅街を抜け、通りに面した道に出る。
交通量はそれほど多くはない。
十字の交差点を渡ったその先に、部隊の秘密基地と思われる建物が見えた。
自動開閉式のガラス戸を抜けると、来客を知らせるチャイムが鳴り響く。
「いらっしゃいませ!」
その爽やかすぎるかけ声に、俺の体はビクリと震えた。
白地に空色のストライプが入ったお揃いのシャツ。
配送されたばかりのおにぎりが入ったトレイを抱えた若い女性は振り返る。
そう、ここはコンビニエンスストアだ。
「あ、バイトの面接かな? こちらへどうぞ」
レジ台の向こうから声をかけてきたのは、あの時のトレンチコートのおっさんだった。
ヨレヨレの薄汚いスーツから、爽やかな制服に変わったせいだけじゃない。
全くの別人のように感じる。
あの時の人物と、いま俺の目の前にいるこの人物とが、とても同じ人間だとは思えない。
だけどこれは、現実だ。
「こちらへどうぞ」
促されるままに、俺はコンビニのバックヤードへと侵入した。
白で統一された狭い通路に、本部との連絡をとるためのパソコンが置かれている。
画面では、商品の注文、発送状況などが写し出されていた。
「こっちだ」
壁に設置されたエアコンのコントロールボードを開く。
『冷房』『暖房』温度調節の『△』『▽』やらなにやらが並んだボタンを、彼は軽快に連打した。
目の前のただ白かっただけの壁が、すうっと音もなく床に吸い込まれる。
「ようこそ、サイバー攻撃特別捜査対応専門機動部隊、久谷支部へ。磯部重人くん、君は今日からナンバー08だ。我々の一番新しい仲間として認められた」
壁の向こうには、地下へと続く階段が収納されていた。
その細いらせん階段を下りると、上のコンビニとは桁違いの空間が広がっている。
壁一面に設置されたディスプレイには、街中の至る所に設置された久谷支部管轄の監視カメラ映像が流れている。
大通りはもちろんのこと、住宅街から公共施設、水道局や公園、学校にいたるまで、余すことなく全てを撮影していた。
「貴様か。俺のセキュリティ突破最短記録を脅かそうとしていたのは」
竹内秀樹、28歳、ナンバー05。
俺と年齢だけは同じらしい。
黒縁のめがねに長く伸びた前髪が目元まで覆い尽くそうとしている。
ほっそりとした体つきだが、太い骨格に無駄のない筋肉がしっかりと備え付けられていた。
きゃしゃなように見えて優れた体幹の持ち主だということは、見る人がみれば分かるだろう。
部屋には大きなテーブルがいくつか置かれていた。
その周囲には大学の研究室顔負けの実験設備や道具が、今にも崩れ落ちそうなほど積み上げられている。
「ここは開発研究も兼ねているからね。それぞれのテーマで実験もしているんだ」
「初めまして。私はナンバー19、大沼いづみ」
彼女はテーブルの引き出しの底に、なにやらスプレー塗装を施している最中だった。
差し出された細く白い手を握り返す。
彼女の側には、一羽のカラスがとまっていた。
「彼女は動植物を扱うエキスパートだ。彼女の研究分野にはまだ名前がなくてね、それ以上どう説明したらいいのかが分からないんだ」
「ヨロシクナ、重人! 俺モ仲間ダ!」
いづみの差し出した白い手に、カラスは頭をこすりつけた。
「この子はR38、ハシボソガラスよ」
背中に背負った発信器のようなものが、カラスの鳴き声を翻訳していた。
彼女は数種類の動物の声を翻訳する技術開発を手がけている。
さらに、あらゆる植物を録音機器として利用する方法を研究中らしい。
葉についた傷あとから、その時につけられた音を再生する機器の開発向上を目指しているそうだ。
地下基地でありながら観葉植物の鉢が多いのは、そういうわけだ。
ということは、ここの会話は全部録音されている?
「それぞれのテーブルが個人の作業台でね。君のも用意しておいた。すぐにテーマは見つからないかもしれないけど、おいおい始めるといい」
楕円形の何も置かれていない真新しいテーブルに、その人は手を滑らせた。
「僕は飯塚史彰、ナンバー03。ここのコンビニ店長をしている」
その言葉に、俺は思わずプッと吹き出した。
他の二人も、クスクスと笑っている。
「冗談ではないよ」
「そんなの、分かってますよ」
竹内がそう言ったとたん、警報器が鳴り響く。
『緊急事態発生、北緯○度40分57秒 東経△度45分10秒、異常電圧を検知』
地下にある一番大きなディスプレイに、それは映し出された。
自動販売機から伸びた線が電線に絡みつき、ガタガタと震えている。
「あぁ、ここか」
「前から少しずつ移動してましたからね、やっぱりなって感じですよ」
竹内の言葉に、飯塚さんはうなずく。
山と田んぼに囲まれたのどかな田舎町だ。
そのバス停の隣に、古ぼけて機能しているのかも怪しげな汚れた自動販売機が置かれている。
売られている商品が透けて見えるはずのプラスチック板は、泥と傷で何の商品が入っているのかもよく分からない。
移動していたというのは、どういうことなんだろう。竹内は画面を指さした。
「これは一見自販機のように見えるが、ただの自販機じゃない。もちろん多くの自販機はただの自販機だが、全ての自販機がただの自販機ではないんだ」
「ただの自販機とは?」
「なるほど。それはまた別の話だったな」
竹内はニヤリと笑った。
人をバカにしたようなその態度に少々ムッとする。
飯塚さんが口を開いた。
「常識を疑え。あらゆる可能性を想定しろ。世界は想像を以上に不思議なことであふれている」
「どういう意味ですか?」
「自分の目で見たものだけを信じるんだ」
「自力で動く自販機を信じろと?」
自動販売機は自動で商品を販売するから自販機と言うのかもしれないが、自力で移動可能とは聞いてない。
というか、そんな常識ありえない。
「これは我が隊に伝わる、新人に送られる伝統の言葉だ。君の見るこれからの世界が、幸福であることを祈る」
そう言うと、何かを取り出した。
「これが正式な隊員章だ。いつも必ず、どこかに身につけているように」
飯塚さんの手が、俺の襟の裏にバッジをつけた。
「さぁ、行こう」
新たな警報が鳴り響く。
『この圏内で、電圧が異常に高まっています』
「うん? これはただ事ではすまなさそうだな。広域防衛態勢を整えろ」
飯塚さんの一言で、地下に緊張が走った。
「人手不足なんだ。さっそく実戦ってことでよろしく」
竹内の隣に座らされた俺は、見慣れた日本語106キーボードを見下ろす。
この106のキーで、この世界の全てをコントロールするんだ。
「基地局のハックは?」
「OKです」
竹内は電力会社の制御システムに、いつの間にか侵入していた。
「停電しそうだ」
送電線の一部が、オーバーロード寸前に追い込まれている。
「目的は何かしら」
いづみの言葉に、俺は首をかしげた。
「目的? こんな田舎を停電させる目的ですか?」
彼女は俺を見上げ、クスリと微笑んだ。
「遮断システムは?」
「問題なし」
「重人、送電システムの抵抗を最大限にまで引き上げろ」
はい、と返事はしたものの、初めて見る画面に初めての操作で、どこをどう触っていいのかも分からない。
「来るぞ!」
竹内の声が響く。
「ちょ、待ってくださ……」
何の説明もされていないうちから操作を任されたって、分かるワケないだろ!
「重人、ここだ」
飯塚さんの手が、俺の背後から伸びた。
タッチパネルのレバー表示に指を押し当て、それを引き上げる。
その指の動きが止まった瞬間、大型ディスプレイに複雑なプログラムの実行状態が映し出された。
それは一瞬の出来事だった。
自販機のエリアで、電力の供給がストップする。
その0.0018秒後には、都内への電力供給システムが遮断された。
そのわずかな瞬間の隙をついた高圧電流は、一気に120kmを駆け抜ける。
駆け抜けた電流の痕跡を示すように、停電地域を示すラインが黒く帯状に伸びていた。
「復旧補助システム作動」
飯塚さんの指示に、竹内の指はキーボードの上を芸術的なまでに細かく飛び跳ねる。
焼け焦げた電線の一本を残して、瞬く間に電力が復旧していく。
華麗なる高速ステップに合わせ停電発生から5秒が経過した時には、電力供給は山奥の発生エリアを除き、全てが日常に戻っていた。
「R38を飛ばせ」
「了解」
カラスは素直に、ぴょんといづみの肩から飛び降りた。
排気ダクトのようなところから外へ飛び出す。
部隊占有の偵察衛星を操作して、件の自販機が映し出された。
「回収に行きますか?」
竹内の言葉に飯塚さんはうなずく。
「そうだな、俺が行こう。君は重人と一緒に、システムチェックと復旧の確認を頼む」
「了解」
俺が振り返った時には、飯塚さんは電力会社のロゴマークが入った作業着姿に変わっていた。
「行ってくる」
メインディスプレイに、翻訳機を背負ったR38の姿が映し出された。
自販機から伸びた電線をついばんでほどいている。
その傷跡が、まさに鳥害の痕跡となった。
焼けた電線の交換を別の部署に依頼し終えた竹内は、俺を振り返る。
「さて、今回動かしたシステムの説明から始めようか」
発生現場からまっすぐに伸びる焼けた電線は、とある場所へと一直線に向かっていた。
「ここに何があるんですかね?」
こんな事件をわざわざ起こす、犯人の目的が分からない。
「この先のエリアに、何があるのかって?」
竹内はフンと鼻で笑った。
「そんなことも気づかないのか。東証のメインサーバーだよ。そこに停電を起こして、システムダウンを狙ったんだろ。よくあることだ。じゃ、まずは各公共施設へのアクセス方法を説明するぞ。真相は自販機を回収して、中の動作解析が終わってからだ」
「そんなことが出来るんですか?」
流す電流に、指向性を持たせることが可能なのか?
焼け焦げた自販機から、まともにデータを得られるとは思えない。
「出来ないじゃなくて、やるんだよ」
竹内はにやりと笑う。
「俺たちにとって、これが日常だ」
ナンバー08磯部重人、つまり俺の新人教育が始まった。
コンビニ店員として、名目上フルタイムのアルバイト採用が決まってから、数日が経過していた。
「電柱の地中化の話は聞いているか?」
「えぇ、日本じゃなかなか進んでいないって」
「まぁな。日本の防衛システムの一環を担っていたんだ。仕方のない部分もある」
日本の電柱は、ミサイルとしての発射機能を備えている。
この地下支部にあるスイッチを押せば管轄内の電柱型ミサイルは全て、3秒以内に設定された目標に向かって発射することが可能だ。
「それを解除して回らないといけないんだ。そりゃ簡単に進むワケねぇよな」
竹内は笑う。
飯塚さんは続けた。
「今日はその作業に行こう。担当エリアの電柱解除が、まだ少し残っているんだ。もう廃止されるシステムだから知る必要はないかもしれないが、今後の地下活用計画の布石ともなる現場を見ておくことも悪くないだろう」
「地中化工事がですか?」
それ以上のことは詳しく話せないとでもいうように、飯塚さんは微笑んだ。
「しっかし、こんな地味な部署によく配属されたよな」
竹内は大きく息を吐き出す。
月の裏側にある宇宙基地やステルス軍事衛星の開発、波動を使った広域防衛システムなど、今では航空宇宙自衛隊が一番の花形だ。
「まずは自分たちの足下からだって、いつも隊長に言われているだろ。そもそも俺たちは警察官だ。自衛隊の奴らとは違う」
表のコンビニ業務は、バックヤードの業務支援型AIによりオートメーション化されていた。
トラックで運び込まれた資材はいったん倉庫に運び込まれ、そこで表のコンビニのものと裏の部隊用のものに仕分けされる。
地下に運ばれる資材はそれぞれ個別に保管されていたが、表のコンビニ業務に関しては商品の発注から陳列作業まで、全自動化されている。
少なくなったおにぎりの棚は客のいないタイミングを見計らって、それを設定通り満載した棚とガチャリと入れ替わった。
それでも俺や他の隊員がお菓子や雑誌を並べているのは、単なる息抜きのための作業にすぎない。
「重人、そろそろ着替えろ」
現れた飯塚さんは、どこをどう見ても完璧な電気工事工だった。
「第三種電気主任技術者の資格はとってあるよな」
「はい」
ただのニートをしていたんじゃない。
引きこもりの2年間は、入隊条件を満たす資格を得るための勉強に、とにかく忙しかった。
「行くぞ」
コンビニ裏に用意された、電力会社のダミー車両に乗り込む。
運転席には飯塚さんが座った。
完全に市中に溶け込んでいるそれは、ゆっくりと走り出す。
初めてオフィス街の公園で接触した時には、本当にくたびれたつまらないおっさんだというイメージしかなかった。
こうして作業着に着替えた飯塚さんは、精悍な顔つきにがっちりとした肉体が、頼れるベテラン作業員の風格を漂わせている。
一体どれが、本当の飯塚さんなんだろうかと思う。
新入隊員の俺に対して、とても丁寧かつ親切に接してくれるこの上司は、俺にとってすぐに理想と憧れになった。
あるときは新聞配達員、あるときは成り上がりデイトレーダー、ヨガ講師、コンビニ店長……。
肩書きが変わっても、飯塚さん自身は何も変わらない。
「家の方は大丈夫なのか」
のんびりとした住宅街を走りながら、憧れの上司はそう言った。
「えぇまぁ……、なんとか」
とは答えたものの、現実はそう甘くはない。
初めのうちは機嫌良く見送っていた母も、最近ではコンビニのパート勤務という状況に、不満を漏らすようになった。
「飯塚さんは? ご家族は?」
「俺は独身だから」
自分も独身ですと、言おうとしてやめた。
人には人の日常があって、それを外側の世界から推測することなんて、誰にも出来ないのだ。
平日日中の住宅街はとても静かで、人の気配もまばらだった。
俺は停まった車両の周囲に、『立ち入り禁止』の看板を立てる。
「君は下で、通行人の安全確保を頼む」
警棒を振って立つ俺の頭上で、飯塚さんの作業は続いている。
時折通りかかるものといえば、お年寄りと車と猫ぐらいしかいない。
「しっかりとした目的を持って、常にそれを意識するんだ。そうすれば周囲のことなど気にはならない。何事も結局は、自分との戦いにすぎないんだ」
運転席の飯塚さんは、そう言っていた。
「だからお前は、腐らず自らの道を進めばいい」
「俺がここへ来るその日のために、どれだけ努力してきたと思ってるんですか」
「はは。あぁ、そうだったな。悪かったよ」
そう言ってうれしそうに笑った横顔に、少しほっとする。
この部隊に入隊できて、本当によかった。
晩春とはいえ、今日は日差しがきつい。
照りつける太陽で、気温は25度を超えている。
俺は作業着の下でじっとりと汗をかいていた。
目の前の白い歩行者自転車用柵が、ぐにゃりとゆがんで見える。
あ、ヤバい。熱中症かな? 水分摂らないと。
車両の上に置かれた水に手を伸ばそうと、歪んだ柵に背を向ける。
太陽光に照らされた透明なボトルは、不自然にキラリと反射した。
なんだ? この光。
振り返ると、溶けた金属の柵がアスファルトに金属だまりを作っている。
一つにまとまっていくその銀の塊は、今ここで生まれて初めての自我を覚醒させたらしい。
ヒュと短い触手をアメーバのように伸ばすと、それは電柱を伝い、上り始めた。
「うわっ、なんだコレ!」
「重人、スタンガンを使え」
スタンガン?
俺はそれを探して、混乱した頭で全身をまさぐる。
頭と手が明らかに接続障害を起こしていた。
その間にも液体化した金属は、意思を持って電柱を登る。
「飯塚さん!」
液体金属は全身を伸ばし、そこへ飛びかかった。
飯塚さんは電柱に設置されていたボックスを投げ落とす。
それに引きつけられるかのように、白銀のアメーバは空中で弧を描き、その体を伸ばす方向をぬるっと変えた。
受け取った俺をめがけて、アメーバも落下する。
飯塚さんの手が自分のポケットにあったスタンガンをつかむと、電柱の先からひらりと飛び降りた。
俺をめがけて飛びかかった、その尻尾の先に押し当てる。
バチンという放電音を発し、液体は意思を失った。
少しねっとりとした銀色の滴は、それをかぶった俺のヘルメットの縁から垂れ落ちる。
「動くな」
背後からの声に、思わず振り返った。
見上げたカーブミラーの鏡面に、特別機動隊本部と思われる映像が映っている。
「『動くな』と言ったのに、なぜ振り返った。単純な危機対応も出来ず、上官の指示にも従えないような新人を連れているとは、君らしくもない」
その声はとても低く、声色はあくまで穏やかだった。
ミラーに向かって、飯塚さんはうつむく。
「すみません、隊長。自分の指導不足です」
モニターには口元から腰辺りまでの上半身しか映し出されていない。
ここからでは、どうやってもその顔は見えない。
「お前の部隊はここ最近ヘマばかりだ。どうした」
「すみません。鋭意、努力いたします」
「何度目かな、その台詞を聞くのは」
ミラーからため息が漏れる。
同時に映像は途切れ、交通を安全かつ円滑に行うために設置されているはずの鏡は、本来の役割に戻った。
「なんですか、あれは!」
飯塚さんはかぶっていたヘルメットを脱ぐと、頭をかきむしる。
「動くな。隊長が君に動くなと言ったのは、君が浴びたその金属が有毒だからだ」
それは時折現れる液体金属型の装置で、組成成分としてガリウム、インジウム、スズ合金など、人体に影響を及ぼす物質が使われていることが多いらしい。
あらかじめ設定してある条件を満たした場合に、作動する地雷のようなものだと教えられた。
そうでなくても敵対する何者かが我々にたいして、妨害行為からこんなことをしているのだ。
触れた液体に骨まで溶かされた隊員もいるらしい。
「この作業着は、化学的にも物理的にも、薬品や熱、衝撃に強い素材で出来ている。肌に直接触れていないのなら、まず大丈夫だ」
「誰がそんなことを?」
「電柱の武装解除に反対する連中だよ」
日本に存在する電柱は、有事に地対空ミサイルとして発射されるステルス防衛の重要な一翼を担っていた。
「それ自体を面白くないと思う奴らは、設置当初からこの発射機能を備えた電柱を破壊して回っていた。その整備点検を務めるのも、俺たちの仕事だったんだ」
電柱に取り付けられている謎のボックスは、その機能を制御する本部からの受信機器だ。
時折起こる小規模な停電は、その8割をこの破壊工作を原因とするらしい。
「だけど全ての電柱が、そうだというわけではない」
飯塚さんはミサイルとしての役割を、たったいま終えたばかりの電柱に、そっと手を添えた。
「これで本来の役割に、戻してあげられた」
そう言って静かに微笑むこの人に、かける言葉が見つからない。
ここでは『普通の常識』は、通用しないのだ。
帰りの車内はとても静かな時間が流れていた。
戻ったコンビニで、出動時に装備する武器の基本的な装着位置と操作方法を教えてもらう。
左の襟元には本部連絡用のマイクが縫い込まれ、そのマイクを通して操作できるカーブミラーや信号機、消火栓の暗号を頭にたたき込む。
隊員にはそのマイクを通して、ある程度の操作を個人で自由に行うことが許可されていた。
「うまく使えよ。この機能を使いこなせるようになるとな、飯塚さんみたいに歩く魔術師になれる」
「何だよそれ」
「今に分かる」
竹内はニッと笑った。
22時のコンビニ。
彼は自分の持つありとあらゆる知識を俺に披露してから、自分の住所として登録されている店舗二階の居住区へと移っていった。
コンビニの朝は忙しい。
目覚ましと共に飛び起きると、俺は着替えもそこそこに家を飛び出す。
「ねぇ、ご飯はいらないの?」
「コンビニで食う」
ほんの半年前まで、家を出ることさえ希だった俺が、今は家族の中で誰よりも一番に出て行く。
「コンビニ店員がそんなに楽しいのぉ?」
起きてきたばかりの姉の嫌味を、珍しく父は牽制した。
「重人の性にあった仕事なら、なんだっていいんだよ」
「おうちでみんなでご飯食べるって約束だったじゃない!」
「今日の夜には帰れると思うから」
母の叫びを振り切った。
俺以外の3人には、自分そっくりに作られたアバターアンドロイドがいる。
他にも、首だけをすげ替えればいいように作られた、アルバイトロボも使われていた。
完璧にマニュアル化されたその行動様式が、そういったオモテの営業を可能にしている。
今朝はいづみだけが「本当に」働いていた。
「あ、おはようございます」
「おはよう」
「飯塚さんは?」
彼女の肌は真っ白なくせにつややかな光沢を帯びていて、人工樹脂の皮膚とも区別がつきにくい。
いづみは床にしゃがみ込んで、パンをきっちりと等間隔かつ寸分違わぬ同角度に並べていた。
画像をコピペで連続貼りしても、こんなにはきれいに並ばないだろう。
「今日は別のところへ行っているから。夕方には戻ってくると思うわ。あなたも早く着替えてらっしゃい」
立ち上がろうとした俺を押しのけるようにして、客の男が割り込んできた。
足は膝から下をピタリといづみの体に貼り付ける。
「おい、じゃまだ」
ぐいぐいと押しつけるその膝は、明らかに彼女の胸元を狙っていた。