「通常勤務ってなんだよ。システムダウンさせられて、一体何が出来るって言うんだ」
コンビニの片付けは済んでいる。
すでに営業は再開された。
「ここのリーダーは今はお前なんだ。俺はお前の指示に従う。どうすればいい?」
腕を組み口元に拳を当てたまま、竹内は動かない。
「どうしようもないじゃないか。どうするって? どうすんだ?」
俺たちの顔も居場所も、もしかしたら身分さえも、もはやインターネットの世界では筒抜けだ。
彼の声はわずかに震えている。
「……。仕方ない。隊長の言うとおり、ここは大人しくコンビニ店員をやるしか……」
「違うよ竹内。飯塚さんを追いかけろってことだよ」
「どうやって!」
そうだ。
これはチャンスだ。
天命の機能が停止しているということは、飯塚さんだってそれを使えないということだ。
条件はそろった。
「大丈夫だよ。少なくとも俺は、ここにいる」
竹内の黒い目はじっと俺をのぞき込む。
「飯塚さんのあの言葉な、もう一度よく考えてみたんだ。天の命ずるを性と謂いってやつ。あれは、原文ではこう書くんだ」
『天命之謂性、率性之謂道、修道之謂教』
俺は端末にメモっていたその画面を見せた。
「飯塚さんの本当の狙いは、天命のダウンだったんだよ」
竹内はゆっくりと俺を見返す。
重い口を開いた。
「……。そんくらい、普通に考えたって誰でも狙いはそこにあるって分かるだろ。この声明がなくたって……」
「そ、そうかもしれないけど、改めてやっぱりそうなんだなって!」
怒りに満ちたため息を吐かれる。
「だからさ、天命の機能停止なんて、大体普通に誰でも狙ってくんだ。だから専門の防衛部隊があるんだよ。今だってやられてる真っ最中だろ! 今回はいつもの相手と違うから本部は手こずってんだ。これは時間との闘いなんだよ。天命が落ちるのが早いか、あの人を捕まえるのが早いか!」
「だったら迷ってる暇はないだろ! さっさと迎えに行くぞ!!」
「本人に戻る気があったら、とっくに戻ってきてるだろ! そもそもこんなこと、最初っからするか!」
「お前、なに言ってんだよ!」
まただ。
竹内と話し合うと、いつも話合いにならない。
ずっと同じことを繰り返す。
きっと俺たちは永遠に、こうやって言い争いをしながらここで朽ち果てるんだ。
「もういいよ! 俺は……」
上階でガタンという大きな音がした。
目を合わせる。
慌てて地上に駆け上がると、アンドロイド店員全員が床に横転し、パンを運ぶ大型トレイやペットボトルを抱えたまま、不器用に足をばたつかせていた。
「誤作動だ」
見た目には本物の人間と全く変わらない。
いつも機械的に作業をしているようでも、彼らは『ヒト』だった。
なのに今、本来のロボットとしての姿をあらわにされている。
竹内は彼らを強制終了させた。
本体についている停止ボタンを押すと、そのまま動きを止めてしまう。
体は凍り付いたように動かない。
頭ではちゃんと違うと分かっていても、気分はよくない。
「飯塚さんは何がしたいんだ」
「そんなこと、追求したって無駄だって言ったのは、お前だろ」
動けなくなったロボットたちは、まるで死んでしまった人たちのようだ。
「そうだよな……」
竹内は床に転がされたアンドロイドたちを見下ろした。
それを一体ずつ丁寧に、二人で地下へ運ぶ。
「俺はもう許さないよ」
彼がこんなにも腹を立てているのを、俺は初めて見たような気がする。
ずっとこいつらのメンテナンスを手がけてきたのは、竹内といづみだった。
「こうなりゃ肉弾戦でもなんでもやってやるよ!」
「……R38がうちに来たんだ」
「隊長への報告は?」
「それが本当にR38だったのかという確証はない」
竹内は腕を組み、くせである親指を噛んだ。
「飯塚さんがいなくなった瞬間から、R38のデータは消されている。天命が復活して位置情報を追えたとしても、それがダミー、別の個体ではないという確実な証明は出来ない」
「あれはR38だったと思う」
「カラスが自分の自由意志でお前のところに来たとでも思ってんのか?」
「俺は、いづみが送ったんだと思っている」
その言葉に、竹内は黒縁の眼鏡を持ち上げた。
「証拠は」
「ない」
ふいに、コンビニへの来客を知らせる音楽がなった。
反射的に駆け上がる。
「お待たせしましたぁ!」
竹内がいつも制服を着ていて助かった。
悪態をつく客を相手にレジを打つ。
その間に俺は素早く制服に着替えた。
二人で店に立つ。
天命がハックされ、商品の配送も止まっていた。
竹内に配送システム不具合の張り紙を出し、店の混乱を軽減させるかと提案したら、同じ看板を掲げる同系列他店舗では影響がないはずだから、うちだけ停止しているのはおかしいと言われた。
俺たちの秘密基地は、他系列店舗という扱いになっている。
その数は圧倒的に少なく、出店地も普通ではありえない僻地に建てられていた。
客足を増やさないためだ。
だが店舗として店を構え営業している以上、客を装った隊員だけではなく、本物の客もやってくる。
バックヤードのオートメーションオペレーターは、数時間後にはなんとか復旧し動き出したものの、実働店員2人だけで店を回すには無理があった。
「俺はコンビニ業務が忙しくなったことに対して、怒ってるんじゃないんだ!」
レジ打ちと商品配列に忙殺されながら、竹内は叫んだ。
「分かってるよ!」
とはいうものの、こんな精神的にも肉体的にも過酷な労働を、2人だけでは乗り切れない。
しかもここは基地という特性上、24時間営業なのだ。
「コンビニの管理プログラムまで破壊したのは、部隊の人員を割かせ疲弊させる目的もあったのかもな」
店長も兼務していた飯塚さんだ。
その作戦の徹底ぷりはハンパない。
「……もしそうなら、ぜってーぶっ殺す!」
竹内の叫びむなしく、俺たちはほぼ無休状態でコンビニ営業を続けざるを得なかった。
本部からの専用回線は途絶えても、定時で配送トラックは来てくれる。
それがどれだけ心強く励みになるのかを思い知った。
配達員を装った隊員からの指示を受けとる。
天命は乗っ取られ、全てが混乱していた。
安全が確認されているトラックの荷台で交わす会話のみが、確かな方法だった。
俺たちはその日一日、コンビニ業務に追われた。
疲れた体を引きずって、ようやく家に戻った。
明け方4時過ぎ、家族の顔も見ていない。
寝静まった玄関にそっと足音を忍ばせ階段を上ると、見慣れた自室にほっとため息をついた。
自分一人がようやく寝転がれるだけのスペースに入り込み、体を休める。
目を閉じる気にはなれなかった。
何も考えられない、何も思いつかない。
体の疲れが全ての思考能力を奪っていったかのようだ。
ただ無心に時を過ごす。
朝日が登るとともに、室温も上がり始める。
遠くで鳥たちのさえずりが聞こえる。
ふと視界に入ったルーターが、駆動していないことに気づいた。
そうだ。
母さんに電源を落とされてから、結局ムカついたまま何にも触っていなかった。
このまま放置していても、どうしようもない。
とりあえず立ち上げないと。
いつかはどうせ、やらなくてはいけないことだ。
電源を入れようとして、ふとその手を止める。
あれ?
天命のシステムがダウンしたんだったら、俺のパソコンはどうなった?
スタートボタンを押す。
冷たく冷えていた基板に、電気の血が流れる。
息を吹き返したそれは、正常に作動し始めた。
すぐに携帯端末を初期化し、俺のパソコンに残されたデータから天命を再ダウンロードする。
本部のウイルス駆除はもう始まっている。
動く。
天命がちゃんと動いている。
感染を免れたのは、俺だけじゃないはずだ。
飯塚さんは? ダウンと再起動を見越して、潜伏ウイルスを仕込んでいることだってありえる。
だとしたらこれは、一時的な回復でしかないのか?
これから先、こういった停止と復旧を繰り返し、徐々に全体を破壊していくつもりなのだろうか……。
俺はふと思い返し、R38の情報を探した。
しかしそれは、飯塚さんの放ったウイルスによって消されたのか、やはり極秘事項として本部の検索項目から外されたのか、確認はできなかった。
わらにもすがる思いで、いづみへのアクセスを試みる。
当たり前のようにつながらないことに、俺は指をキーボードから下ろした。
やっぱり無理か。
ほんの短い期間を共に過ごしただけの俺でも、置いて行かれた疎外感を感じている。
ずっと一緒にいた竹内の気持ちを、俺はようやく理解できたような気がした。
どうしようもない無力感に襲われる。
窓の外を影が横切った。
「R38」
一羽のカラスがまたそこにとまっていた。
慎重に窓を開ける。
今度は背に何も背負っていない。
そっと呼びかけると、彼はきゅっと首をかしげた。
どうやって引き留めよう。
カラスの気を引くコミュニケーション術なんて、今までやったこともなければ、気にとめたこともない。
コンビニ地下室での、楽しかった日々を思い出す。
R38はいつもいづみに甘え、俺をからかって頭の上に乗り、竹内の肩にとまって、飯塚さんに撫でてもらうのが好きだった。
もうそんな日々は戻ってこないのか……。
「そうだ、なんか食べる?」
彼の好物はササミだ。
しかも国産鶏じゃないと受け付けないというグルメでもある。
頭の中でざっと我が家の冷蔵庫の中身を思い出そうとしても、ササミの存在など普段の俺の意識の範疇にはない。
なんてことだ。
立ち上がって、驚かせはしないだろうか。
冷蔵庫を探っている間に、飛び去ってはしまわないだろうか。
じっと目を合わせたまま動けない俺を見て、カラスはぴょんとプリンターに飛び乗った。
R38の眼だけが周囲をうかがっている。
俺はゆっくりと引き出しにあったストラップを取り出すと、キーボードの横に置いた。
彼はじっとそれを見つめる。
カチカチと爪音を鳴らして、テーブルに移った。
頭をカクカクと左右にかしげながらも、それを用心深く観察している。
ここで何か話しかけた方がいいのか、やめた方がいいのか……、もっとカラスの気持ちを考えろ、俺!
と、R38は動いた。
ストラップをくわえると、パッと窓から外へ飛びあがる。
俺は階段を駆け下りると、門の横にいつも放置されている自転車にまたがった。
「竹内起きろ! 飯塚さんを追いかけるぞ!」
「どういうこと? まさか見つけたのか?」
「違う。いいから来い!」
「なら嫌だ。俺はいま非常に忙しい」
片手で端末を操作しながら、空を見上げカラスを追う。
よそ見運転はすぐにコンクリート壁に激突した。
「くそっ」
地図アプリを立ち上げる。
カラスのくわえたストラップの位置が、マップ上に示された。
俺はペダルにぐっと体重をかける。
カラスの移動速度は56.8km/h。
自転車で追いかけるには無理がある。
しかも相手は地上の障害物を全て無視して移動していた。
「危ねーぞ、気をつけろ!」
歩行者とぶつかりそうになって、怒鳴られる。
どこ見て走ってんだとか言われても、アプリを見ながらとしか答えようがない。
交差点で車にひかれそうになって、俺はようやく諦めた。
アプリの鳥はどこまでも自由に飛んでいく。
竹内からの応答もない。
くそっ、次は空飛ぶ自転車の開発予算でも申請するか?
いや、幹部専用のロケットスーツがあったな。
早めに使用許可を取っておくべきか?
そんなことを考えながらも、渋々コンビニへ向かう。
竹内は再起動された天命のセットアップに夢中だった。
「なるほどお前のパソコンが感染を免れた理由はそれか。他にもいくつかそんな端末が報告されているみたいだぞ。お前のも報告しておくか?」
そう聞かれて、首を横に振った。
竹内は自分のPCがダウンしたのに、俺のが生き延びていたことにムカついている。
技術オタクの竹内と上手く付き合う唯一のポイントは、彼の能力を上回らないこと。
「ま、そんなことだろうと思ったよ。単なるラッキーだったんだよな」
ただし今回のは、不可抗力だったので仕方がない。
竹内の私情はともかく、俺の端末を使って支部のシステムを更新する。
本部のメインサーバーはまだ復旧していないので、一部機能に制限はあるものの、何もないよりはましだ。
俺はマップの記録を竹内に見せた。
R38に渡したストラップには追跡機能がついている。
それを咥えて移動した経路と、現在の居場所が判明した。
「繁華街のど真ん中じゃねぇか」
「潜伏先としては最適だ」
「行くのか?」
「どうせ天命はろくに使えない。それは飯塚さんも同じだ。行くなら今しかない」
不機嫌な竹内もついにコンビニを閉める決意をし、俺たちはR38のマークした場所へと向かった。
天命が不安定な運営を続けている以上、アンドロイドの影武者を使うことは危険すぎた。
防犯カメラへの侵入も、カード決済の記録を照合することも、民間のネットワークを利用して出来ないわけではないが、天命経由と違って足のつく可能性もある。
俺たちは話し合った結果、一旦ゲームセンターの中に潜り込んだ。
竹内がかつて、侵入したことのある建物だ。
端末に残されていた記録を頼りに進む。
「あったぞ」
竹内は鍵穴に細長い金属の棒を差し込んだ。
ハンガーやヘアピンだなんて、古典的で個人のテクニックを要するようなものではない。
親指の指紋認証で使用許可を与え、鍵穴の形状を認識して解錠する形状変異合金だ。
「こういうのも、システムが本当にぶっ壊れてしまったら、使えなくなるんだよな」
使用した場所や回数は記録されるし、許可を取り消すことも簡単だ。
天命が混乱し不安定ないま、俺たちには何がどうなっているのか、それすらも分からない。
自分たちの出来ることと出来ないこと、許されることと許されないこと。
何がよくて何がダメなのか、「天命に許されている」という倫理基準が揺らいでいる。
手探りの進行は続く。
扉が開いた。
ゲーセンのバックヤードに潜り込む。建物の構造は、以前に消防局からダウンロードしていたデータから確認済みだった。
迷うこともない。
「あった、あったぞ!」
「あるのは分かってるんだ。さっさとしろ」
あらかじめUSBに仕込んであった内容を、竹内は侵入と同時にクリック一つで書き換えた。
これで勤務時間の操作も完璧だ。
俺たちは実働部隊としていくつかの任務をペアでこなしてきた。
息はぴたりとあっている。
今はそこに、いるべき人たちがいないだけ。
「行くぞ」
店内の監視カメラは停止させておいた。
俺たちはぎこちない動きのまま外に出る。
薄汚れたリスは振り返った。
「体力が落ちてるな」
「最近走り込まされてないから」
用意しておいたビラを握りしめる。
ピンクの毛むくじゃらの手の中で、それはぐしゃりと音を立てた。
夜の繁華街は人であふれていた。
東京の街は着ぐるみ人形の徘徊を許している。
監視カメラの目も、着ぐるみの中の人物までは特定出来ない。
俺たちが選んだゲーセンは、R38の立ち寄った漫画喫茶の目の前だった。
ここでビラ配りのフリをしながら、一つしかない正面出入り口を見張る。
交代しながら数時間を費やしたが、なんの収穫も得られなかった。
俺たちは着ぐるみのまま路上に座り込む。
「夜でもあっちーな、やっぱ」
「竹内、脱ぐなよ」
「分かってるよ」
俺はピンクウサギの毛むくじゃらの足で、路上に捨てられたたばこの吸い殻を踏みつけた。
「あーぁ。どうせならもっと楽な仕事がよかったよなぁ~」
竹内がつぶやく。
「楽とは?」
「外に出なくてもいい内容」
「それ、いっつも言ってるよな」
汚いリスのくせに、俺を見て笑う。
なんとなくつられて、俺も笑った。
そういう俺も、薄汚いピンクのウサギだ。
飯塚さんは出てこない。
本当にここにいるのかどうかも分からない。
俺たちはかわいらしいウサギとリスで、誰にも見向きもされていない。
夜なのに明るい街で、忙しく座っている。
「ここで何をしている」
そんな永遠にも思えた時間は、一瞬にして過ぎ去った。
現れた隊長は人気有名ゲームキャラに扮している。
怒りに満ちあふれていた。