コンビニバイト店員ですが、実は特殊公安警察やってます(『僕らの目に見えている世界のこと』より改題)

「重人。何か届いたわよ」

朝日に照らされ、母の声に起こされる。

どうしてこうも親というものは、子供の話を聞かないものなんだろう。

まぶしさに目をこすった。

勝手に開けられた襖に苛立ちをおぼえつつも、パソコンに目をやる。

2台の画面は同じアニメが、全くの同タイムで流れていた。

「またテープのダビングしてんの? だったら母さんの録画してるドラマもコピーしてくれる?」

「荷物って、なに」

受け取ったのは、そこそこの大きさのある、長方形の箱だった。

送り主に記憶はないが、届け先は間違いなく俺になっている。

開けてみると、中にはゴシック調の大きな人形が入っていた。

黒いレースのワンピースに波打つ金の長い髪と大きな青い目が、独特の光を帯び、不思議な輝きを宿している。

「まぁ、なんかちょっと気味が悪いわね。あんた、こんなものにまで趣味を広げたの?」

「懸賞でたまたま当たっただけだよ」

母は両手を腰に当て、ため息をついた。

「ねぇ、ちょっといいかしら。あんたはもう少ししたら……」

「いいから、出てってよ」

そのまま腰を下ろそうとする、無粋な母を追い出しにかかる。

「ねぇ、ご飯だけはちゃんと食べるって約束でしょう? みんな下で待ってるわよ、あんたのために……」

「あぁもう、分かったよ、分かった」

そう言われれば、昨日の昼から何も口にしていない。

腹が減っているのは事実だった。

ギシギシときしむ狭い廊下を居間へと下りていく。
『みんなが待ってる』と言ったわりには、もう食べ終わった食器が並んでいるだけだった。

俺がそこに腰を下ろすと、父は遠慮がちに「おはよう」と声をかけてくる。

仕事に出かける姉の洗面所で使うドライヤーの音が、茶の間にまで聞こえてきた。

「全く、カネかけて大学院にまで行ったって、なんの意味もないじゃない、引きこもりなんかされちゃったらさぁ。どんな大企業に就職するのか、楽しみだったのにぃー。ね、母さん!」

「美希、そんなこと言わないの!」

「聞こえるようにワザと言ってるに決まってるじゃない。ね、重人!」

ひょこっりと姉貴が顔をのぞかせる。

ここで文句を言うと話しが長くなるので、黙っておく。

慌ただしく仕事に出かけていく父と姉を見送る頃には、俺は用意されたみそ汁と白ご飯のほとんどを胃に流し込んでいた。

「ごちそうさま」

「今日もどこか出かけるの?」

「いや」

「そう。母さんはこれからパートに行くから」

「知ってるよ」

いつも何か言いたげな母と、遠慮がちな父と、一切の妥協なく自由奔放に生きている姉に、俺はいつも振り回されている。

「じゃ、出かけてくるわね。お留守番、よろしくね」

時折母の見せるその淋しそうな横顔だけが、唯一俺の決意を砕きにかかってくる。

「いってらっしゃい」

そんな母を玄関まで見送った。

「ニートか……」

しかしここで折れてしまえば、この数年の努力が無駄となり、姉の言葉は本当になってしまう。

警視庁公安部総務課から独立機関となったサイバー攻撃特別捜査隊。

そこに数年前から秘密裏に設置された極秘部隊、それが警視庁サイバー攻撃特別捜査対応専門機動部隊だ。

入隊希望者本人の身辺調査は厳密に行われ、家族にもその職務を知られてはならない。

だからこそニートとして社会的空白期間が必要なのであり、その間の言動も問われているのだ。

俺はニートだ。

だが、ただのニートではない。

これは世を忍ぶ仮の姿なのだ。

家族全員が出払ったのを見届けると、俺は自室に戻った。

届いたばかりのグロテスクな人形を手に取る。

その青い目をじっと見つめた。

この人形は、渡されたアニメに登場するキャラクターアイテムだ。

主人公を陰から支える案内役を務める。

アニメでは左目が赤のオッドアイだが、この人形の両眼は紺碧だ。

深紅であるはずの眼に指を押し当てる。

案の定、それはカチリと音を立てると、フッと浮き上がった。

引き抜かれた眼球の先には、USBが装着されている。

ウイルスチェック用に独立させてある検査用PCに接続する。

問題はない。

これはやはり、部隊から送られて来た何かのシステムなんだろうな。

だけど俺にはまだ、これが何の役割を果たすものなのかは分からなかった。

そのUSBを再び人形の眼に戻す。

改めて、2枚目のディスクから取り出したプログラムコードの設定に取りかかった。

脳が沸きだすほどの労力を費やしているうちに、ふいに画面上にマップが表示された。

これはプログラムが正常に作動し始めたという証だ。

「なんだ? ここに行けってことか」

写し出された画面に目をこらす。

家から歩いて数分の地点が、そこに示されていた。
俺はその日、朝から身支度を調え外に出た。

とりあえずの言い訳として、バイトの面接に行ってくると伝えると、遠足に出かける子供を送り出すかのように、母だけがはしゃいでいる。

社会復帰を喜ぶその姿に、複雑な感情を抱えてしまう。

「じゃあ……行ってきます」

「うん、気をつけてね!」

俺だって緊張しているんだ。

事前に地図で検索しても、その場所には何も記されていない。

見下ろした母と目が合う。

「行ってきます」

手足が同時に動いているのが分かる。

胸の動悸が収まらない。

一見市販の携帯端末のように見えるこの小型機器は、俺が部隊からの仕様を元に自作した特別仕様品だ。

そこに表示されたルートに従って歩く。

目的地は遠くない。

住宅街を抜け、通りに面した道に出る。

交通量はそれほど多くはない。

十字の交差点を渡ったその先に、部隊の秘密基地と思われる建物が見えた。

自動開閉式のガラス戸を抜けると、来客を知らせるチャイムが鳴り響く。

「いらっしゃいませ!」

その爽やかすぎるかけ声に、俺の体はビクリと震えた。

白地に空色のストライプが入ったお揃いのシャツ。

配送されたばかりのおにぎりが入ったトレイを抱えた若い女性は振り返る。

そう、ここはコンビニエンスストアだ。
「あ、バイトの面接かな? こちらへどうぞ」

レジ台の向こうから声をかけてきたのは、あの時のトレンチコートのおっさんだった。

ヨレヨレの薄汚いスーツから、爽やかな制服に変わったせいだけじゃない。

全くの別人のように感じる。

あの時の人物と、いま俺の目の前にいるこの人物とが、とても同じ人間だとは思えない。

だけどこれは、現実だ。

「こちらへどうぞ」

促されるままに、俺はコンビニのバックヤードへと侵入した。

白で統一された狭い通路に、本部との連絡をとるためのパソコンが置かれている。

画面では、商品の注文、発送状況などが写し出されていた。

「こっちだ」

壁に設置されたエアコンのコントロールボードを開く。

『冷房』『暖房』温度調節の『△』『▽』やらなにやらが並んだボタンを、彼は軽快に連打した。

目の前のただ白かっただけの壁が、すうっと音もなく床に吸い込まれる。

「ようこそ、サイバー攻撃特別捜査対応専門機動部隊、久谷支部へ。磯部重人くん、君は今日からナンバー08だ。我々の一番新しい仲間として認められた」

壁の向こうには、地下へと続く階段が収納されていた。

その細いらせん階段を下りると、上のコンビニとは桁違いの空間が広がっている。

壁一面に設置されたディスプレイには、街中の至る所に設置された久谷支部管轄の監視カメラ映像が流れている。

大通りはもちろんのこと、住宅街から公共施設、水道局や公園、学校にいたるまで、余すことなく全てを撮影していた。

「貴様か。俺のセキュリティ突破最短記録を脅かそうとしていたのは」

竹内秀樹、28歳、ナンバー05。

俺と年齢だけは同じらしい。

黒縁のめがねに長く伸びた前髪が目元まで覆い尽くそうとしている。

ほっそりとした体つきだが、太い骨格に無駄のない筋肉がしっかりと備え付けられていた。

きゃしゃなように見えて優れた体幹の持ち主だということは、見る人がみれば分かるだろう。
部屋には大きなテーブルがいくつか置かれていた。

その周囲には大学の研究室顔負けの実験設備や道具が、今にも崩れ落ちそうなほど積み上げられている。

「ここは開発研究も兼ねているからね。それぞれのテーマで実験もしているんだ」

「初めまして。私はナンバー19、大沼いづみ」

彼女はテーブルの引き出しの底に、なにやらスプレー塗装を施している最中だった。

差し出された細く白い手を握り返す。

彼女の側には、一羽のカラスがとまっていた。

「彼女は動植物を扱うエキスパートだ。彼女の研究分野にはまだ名前がなくてね、それ以上どう説明したらいいのかが分からないんだ」

「ヨロシクナ、重人! 俺モ仲間ダ!」

いづみの差し出した白い手に、カラスは頭をこすりつけた。

「この子はR38、ハシボソガラスよ」

背中に背負った発信器のようなものが、カラスの鳴き声を翻訳していた。

彼女は数種類の動物の声を翻訳する技術開発を手がけている。

さらに、あらゆる植物を録音機器として利用する方法を研究中らしい。

葉についた傷あとから、その時につけられた音を再生する機器の開発向上を目指しているそうだ。

地下基地でありながら観葉植物の鉢が多いのは、そういうわけだ。

ということは、ここの会話は全部録音されている?

「それぞれのテーブルが個人の作業台でね。君のも用意しておいた。すぐにテーマは見つからないかもしれないけど、おいおい始めるといい」

楕円形の何も置かれていない真新しいテーブルに、その人は手を滑らせた。

「僕は飯塚史彰、ナンバー03。ここのコンビニ店長をしている」

その言葉に、俺は思わずプッと吹き出した。

他の二人も、クスクスと笑っている。

「冗談ではないよ」

「そんなの、分かってますよ」

竹内がそう言ったとたん、警報器が鳴り響く。

『緊急事態発生、北緯○度40分57秒 東経△度45分10秒、異常電圧を検知』

地下にある一番大きなディスプレイに、それは映し出された。

自動販売機から伸びた線が電線に絡みつき、ガタガタと震えている。
「あぁ、ここか」

「前から少しずつ移動してましたからね、やっぱりなって感じですよ」

竹内の言葉に、飯塚さんはうなずく。

山と田んぼに囲まれたのどかな田舎町だ。

そのバス停の隣に、古ぼけて機能しているのかも怪しげな汚れた自動販売機が置かれている。

売られている商品が透けて見えるはずのプラスチック板は、泥と傷で何の商品が入っているのかもよく分からない。

移動していたというのは、どういうことなんだろう。竹内は画面を指さした。

「これは一見自販機のように見えるが、ただの自販機じゃない。もちろん多くの自販機はただの自販機だが、全ての自販機がただの自販機ではないんだ」

「ただの自販機とは?」

「なるほど。それはまた別の話だったな」

竹内はニヤリと笑った。

人をバカにしたようなその態度に少々ムッとする。

飯塚さんが口を開いた。

「常識を疑え。あらゆる可能性を想定しろ。世界は想像を以上に不思議なことであふれている」

「どういう意味ですか?」

「自分の目で見たものだけを信じるんだ」

「自力で動く自販機を信じろと?」

自動販売機は自動で商品を販売するから自販機と言うのかもしれないが、自力で移動可能とは聞いてない。

というか、そんな常識ありえない。

「これは我が隊に伝わる、新人に送られる伝統の言葉だ。君の見るこれからの世界が、幸福であることを祈る」

そう言うと、何かを取り出した。

「これが正式な隊員章だ。いつも必ず、どこかに身につけているように」

飯塚さんの手が、俺の襟の裏にバッジをつけた。

「さぁ、行こう」

新たな警報が鳴り響く。

『この圏内で、電圧が異常に高まっています』
「うん? これはただ事ではすまなさそうだな。広域防衛態勢を整えろ」

飯塚さんの一言で、地下に緊張が走った。

「人手不足なんだ。さっそく実戦ってことでよろしく」

竹内の隣に座らされた俺は、見慣れた日本語106キーボードを見下ろす。

この106のキーで、この世界の全てをコントロールするんだ。

「基地局のハックは?」

「OKです」

竹内は電力会社の制御システムに、いつの間にか侵入していた。

「停電しそうだ」

送電線の一部が、オーバーロード寸前に追い込まれている。

「目的は何かしら」

いづみの言葉に、俺は首をかしげた。

「目的? こんな田舎を停電させる目的ですか?」

彼女は俺を見上げ、クスリと微笑んだ。

「遮断システムは?」

「問題なし」

「重人、送電システムの抵抗を最大限にまで引き上げろ」

はい、と返事はしたものの、初めて見る画面に初めての操作で、どこをどう触っていいのかも分からない。

「来るぞ!」

竹内の声が響く。

「ちょ、待ってくださ……」

何の説明もされていないうちから操作を任されたって、分かるワケないだろ!

「重人、ここだ」

飯塚さんの手が、俺の背後から伸びた。

タッチパネルのレバー表示に指を押し当て、それを引き上げる。

その指の動きが止まった瞬間、大型ディスプレイに複雑なプログラムの実行状態が映し出された。

それは一瞬の出来事だった。

自販機のエリアで、電力の供給がストップする。

その0.0018秒後には、都内への電力供給システムが遮断された。

そのわずかな瞬間の隙をついた高圧電流は、一気に120kmを駆け抜ける。

駆け抜けた電流の痕跡を示すように、停電地域を示すラインが黒く帯状に伸びていた。

「復旧補助システム作動」

飯塚さんの指示に、竹内の指はキーボードの上を芸術的なまでに細かく飛び跳ねる。

焼け焦げた電線の一本を残して、瞬く間に電力が復旧していく。

華麗なる高速ステップに合わせ停電発生から5秒が経過した時には、電力供給は山奥の発生エリアを除き、全てが日常に戻っていた。

「R38を飛ばせ」

「了解」

カラスは素直に、ぴょんといづみの肩から飛び降りた。

排気ダクトのようなところから外へ飛び出す。

部隊占有の偵察衛星を操作して、件の自販機が映し出された。

「回収に行きますか?」

竹内の言葉に飯塚さんはうなずく。

「そうだな、俺が行こう。君は重人と一緒に、システムチェックと復旧の確認を頼む」

「了解」

俺が振り返った時には、飯塚さんは電力会社のロゴマークが入った作業着姿に変わっていた。

「行ってくる」

メインディスプレイに、翻訳機を背負ったR38の姿が映し出された。

自販機から伸びた電線をついばんでほどいている。

その傷跡が、まさに鳥害の痕跡となった。

焼けた電線の交換を別の部署に依頼し終えた竹内は、俺を振り返る。

「さて、今回動かしたシステムの説明から始めようか」

発生現場からまっすぐに伸びる焼けた電線は、とある場所へと一直線に向かっていた。

「ここに何があるんですかね?」

こんな事件をわざわざ起こす、犯人の目的が分からない。

「この先のエリアに、何があるのかって?」

竹内はフンと鼻で笑った。

「そんなことも気づかないのか。東証のメインサーバーだよ。そこに停電を起こして、システムダウンを狙ったんだろ。よくあることだ。じゃ、まずは各公共施設へのアクセス方法を説明するぞ。真相は自販機を回収して、中の動作解析が終わってからだ」

「そんなことが出来るんですか?」

流す電流に、指向性を持たせることが可能なのか? 

焼け焦げた自販機から、まともにデータを得られるとは思えない。

「出来ないじゃなくて、やるんだよ」

竹内はにやりと笑う。

「俺たちにとって、これが日常だ」

ナンバー08磯部重人、つまり俺の新人教育が始まった。
コンビニ店員として、名目上フルタイムのアルバイト採用が決まってから、数日が経過していた。

「電柱の地中化の話は聞いているか?」

「えぇ、日本じゃなかなか進んでいないって」

「まぁな。日本の防衛システムの一環を担っていたんだ。仕方のない部分もある」

日本の電柱は、ミサイルとしての発射機能を備えている。

この地下支部にあるスイッチを押せば管轄内の電柱型ミサイルは全て、3秒以内に設定された目標に向かって発射することが可能だ。

「それを解除して回らないといけないんだ。そりゃ簡単に進むワケねぇよな」

竹内は笑う。

飯塚さんは続けた。

「今日はその作業に行こう。担当エリアの電柱解除が、まだ少し残っているんだ。もう廃止されるシステムだから知る必要はないかもしれないが、今後の地下活用計画の布石ともなる現場を見ておくことも悪くないだろう」

「地中化工事がですか?」

それ以上のことは詳しく話せないとでもいうように、飯塚さんは微笑んだ。

「しっかし、こんな地味な部署によく配属されたよな」

竹内は大きく息を吐き出す。

月の裏側にある宇宙基地やステルス軍事衛星の開発、波動を使った広域防衛システムなど、今では航空宇宙自衛隊が一番の花形だ。

「まずは自分たちの足下からだって、いつも隊長に言われているだろ。そもそも俺たちは警察官だ。自衛隊の奴らとは違う」

表のコンビニ業務は、バックヤードの業務支援型AIによりオートメーション化されていた。

トラックで運び込まれた資材はいったん倉庫に運び込まれ、そこで表のコンビニのものと裏の部隊用のものに仕分けされる。

地下に運ばれる資材はそれぞれ個別に保管されていたが、表のコンビニ業務に関しては商品の発注から陳列作業まで、全自動化されている。

少なくなったおにぎりの棚は客のいないタイミングを見計らって、それを設定通り満載した棚とガチャリと入れ替わった。

それでも俺や他の隊員がお菓子や雑誌を並べているのは、単なる息抜きのための作業にすぎない。

「重人、そろそろ着替えろ」

現れた飯塚さんは、どこをどう見ても完璧な電気工事工だった。

「第三種電気主任技術者の資格はとってあるよな」

「はい」

ただのニートをしていたんじゃない。

引きこもりの2年間は、入隊条件を満たす資格を得るための勉強に、とにかく忙しかった。

「行くぞ」

コンビニ裏に用意された、電力会社のダミー車両に乗り込む。

運転席には飯塚さんが座った。

完全に市中に溶け込んでいるそれは、ゆっくりと走り出す。
初めてオフィス街の公園で接触した時には、本当にくたびれたつまらないおっさんだというイメージしかなかった。

こうして作業着に着替えた飯塚さんは、精悍な顔つきにがっちりとした肉体が、頼れるベテラン作業員の風格を漂わせている。

一体どれが、本当の飯塚さんなんだろうかと思う。

新入隊員の俺に対して、とても丁寧かつ親切に接してくれるこの上司は、俺にとってすぐに理想と憧れになった。

あるときは新聞配達員、あるときは成り上がりデイトレーダー、ヨガ講師、コンビニ店長……。

肩書きが変わっても、飯塚さん自身は何も変わらない。

「家の方は大丈夫なのか」

のんびりとした住宅街を走りながら、憧れの上司はそう言った。

「えぇまぁ……、なんとか」

とは答えたものの、現実はそう甘くはない。

初めのうちは機嫌良く見送っていた母も、最近ではコンビニのパート勤務という状況に、不満を漏らすようになった。

「飯塚さんは? ご家族は?」

「俺は独身だから」

自分も独身ですと、言おうとしてやめた。

人には人の日常があって、それを外側の世界から推測することなんて、誰にも出来ないのだ。

平日日中の住宅街はとても静かで、人の気配もまばらだった。

俺は停まった車両の周囲に、『立ち入り禁止』の看板を立てる。

「君は下で、通行人の安全確保を頼む」

警棒を振って立つ俺の頭上で、飯塚さんの作業は続いている。

時折通りかかるものといえば、お年寄りと車と猫ぐらいしかいない。

「しっかりとした目的を持って、常にそれを意識するんだ。そうすれば周囲のことなど気にはならない。何事も結局は、自分との戦いにすぎないんだ」

運転席の飯塚さんは、そう言っていた。

「だからお前は、腐らず自らの道を進めばいい」

「俺がここへ来るその日のために、どれだけ努力してきたと思ってるんですか」

「はは。あぁ、そうだったな。悪かったよ」

そう言ってうれしそうに笑った横顔に、少しほっとする。

この部隊に入隊できて、本当によかった。

晩春とはいえ、今日は日差しがきつい。

照りつける太陽で、気温は25度を超えている。

俺は作業着の下でじっとりと汗をかいていた。

目の前の白い歩行者自転車用柵が、ぐにゃりとゆがんで見える。

あ、ヤバい。熱中症かな? 水分摂らないと。

車両の上に置かれた水に手を伸ばそうと、歪んだ柵に背を向ける。

太陽光に照らされた透明なボトルは、不自然にキラリと反射した。

なんだ? この光。

振り返ると、溶けた金属の柵がアスファルトに金属だまりを作っている。

一つにまとまっていくその銀の塊は、今ここで生まれて初めての自我を覚醒させたらしい。

ヒュと短い触手をアメーバのように伸ばすと、それは電柱を伝い、上り始めた。

「うわっ、なんだコレ!」

「重人、スタンガンを使え」