コンビニバイト店員ですが、実は特殊公安警察やってます(『僕らの目に見えている世界のこと』より改題)

散々話合いをするも結局結論はでず、明け方を十分に過ぎてからようやく帰宅した。

とっくに俺への関心を失った父は仕事に出かけ、都庁勤めのよく出来た姉は、ピシッと決めたスーツに身を包んでいる。

「重人はまた昼夜逆転生活してんの? コンビニのバイトはいつまで続ける気なのよ」

ヘアスプレーの匂いがプンプンする。

ガーガーうるさいドライヤー越しに文句を言われても、無視してていいのは助かる。

「朝ご飯、食べる?」

遠慮がちな母の声に、俺はなんとなくちゃぶ台の前に座った。

「ふん。お金かけて大学院まで行っても、ニートしてりゃあ意味ないわよね!」

行ってきますという捨て台詞を残して、姉は出て行った。

成績優秀でスポーツ万能、姉と同様に自慢の息子だったはずの俺は、この家ではもはや腫れ物でしかない。

「午後からちょっとお客さんが来るから、あんたは二階にいなさいね」

そう言って母も座った。

朝のワイドショーは、平和な世界の象徴のようで、都庁改修工事にまつわる裏金と献金問題について語っている。

「母さんはこれからパートに行くから、食べ終わったら食洗機に入れておいてね」

姉の初任給で買った食洗機のスタートボタンを押すこと。

それだけがこの家で俺に与えられた、唯一の仕事だった。

家族みんなで食事をというのは、俺を二階から下ろすための母の言い訳でしかない。

いつも皆が食べ終わった後に飯を食い、その後始末をしている。

本当の職業は、家族にすら秘密にされていた。

仕方無いとは思うけど、さみしくはないかと聞かれれば、少しさみしい。

卵焼きにわかめと豆腐の味噌汁という、我が家の朝の定番を流し込んだ。
飯塚さんの潜伏先を想定しようにも、何も思いつかなかった。

過去の行動記録から予測するなんてことは、とっくに本部のAIがやっているだろう。

それでも見つけられないとなると、もう手の打ちようがない。

いそいそと出かける母も見送って、ようやく家の中は静かになった。

食洗機のスタートボタンを押して二階に上がると、パソコン前で寝転がる。

昨夜、夜通し竹内と話し合い、出てきた答えはなにもない。

確かに人間の声であるのに、無機質に読み上げられた声明文がまだ耳に残る。

どうしてこんな反乱を起こそうとしたのか。

あの人の孤独と悲しみは、どこにあったのだろう。

4畳半PCルームのかび臭さまで、そのまま俺に染みこんでくるようだ。

いつの間にかうとうととして、ふと階下から聞こえる声に目を覚ました。

母の声と共に、聞き慣れない男女の声が聞こえる。

気がつけば時計は15時を回っていた。

来客があると言っていたのは、このことか。

上半身を起こして、凝り固まった体をほぐす。

ふいに窓の外に、黒い影が横切った。

その影はひさしの上にぴょんととまって、跳びはねる。

「……R38?」

俺は慎重にガラス窓を開けた。

背中に小さなボックスを背負った、一羽のカラスがとまっている。

俺に個体の区別はつかない。

もしこれが本当にR38なら……。

「おいで」

そう言いながらも、慎重にマウスを操作した。

R38はいづみに訓練された特別なカラスだ。

人語を解し、翻訳機を通して意志疎通出来る。

その研究を行っていたいづみは、飯塚さんと姿を消した。

間違いなく行動を共にしている。

R38への行動指示は、いづみだけの特権事項ではない。

俺にだってやろうと思えば、黒い羽根はなくてもあのボックスを介して出来る仕組みだ。
カチッというマウスの立てた音に、R38は首を傾ける。

まさかパソコン画面に映るコードまで理解出来るとは思えないが、背中のボックスにはカメラが搭載されていた。

もしそれでいづみか飯塚さんがこちらを見ているとしたら……。

俺は操作していた画面を閉じる。

「いい子だね、おいで」

そっと手を伸ばす。

カラスはひさしから、ぴょんと窓際の3Dプリンターに跳び移った。

「なぁ、お前に聞きたいことがあるんだ。俺のことは分かるよな。……ね、どっから来た? 今は、どこにいるの?」

R38と思われるカラスは、もう一度首を傾けた。

手を伸ばしそっと近づける。

このまま捕まえられるとは思はないが、どうしたらその背に負ったボックスをこちらに渡してもらえるだろうか。

そこには行動記録や録音録画データ、発信器等々、貴重な情報が詰まっている。

彼は近づいてくる俺の手に警戒している。

それをゆっくりと引っ込めると、黒い眼は今度はそれを追いかけた。

「怖くないよ。大丈夫だから、こっちへおいで」

かぎ爪はプラスチックの機器に当たって、カチカチと音を立てる。

R38と目が合う。

「いい子だ……」

カラスの首が傾いた。

バチン! 

その瞬間、部屋の電源は落ちる。

「うわぁっ!」

真っ黒になった画面に飛びついた。

カラスは驚き逃げ去る。

だが今はそれどころじゃない。

慌てて窓から周囲を確認してみても、変わった様子は見られない。

俺は配電盤まで駆け下りた。
玄関には、孫の手を持った母が立っていた。

50代と思われる女性がその母に寄り添い、そのすぐ側にいる30代な感じの男とも目が合う。

「電源をわざと落としたのか!」

「私の指示で、お母さまがあなたのお部屋のブレーカーを落としました」

「はぁ? ふざけんなよ!」

女に代わって男がにじり寄る。

「あなたのお母さまが、本当にこんなことをやりたくて、やっていると思いますか?」

間髪入れず、母はしくしくと泣き出した。

「ご、ごめんね重人。すぐに元に戻すからね」

母から孫の手を受け取った女は、ブレーカーを元に戻した。

得意げかつ毅然とした態度で俺を振り返る。

「余計なことするなって! 俺の心配は無用だ!」

「確かに。あまりいい手段だと私も思ってはいませんが、お母さまと相談した上で決めました」

その身勝手な軽率さに、俺は盛大なため息をつく。

このパソコンが今の俺にとって、唯一の武器であり手段なのに!

「だって、重人はずっと家に引きこもってパソコンばかり……」

「仕事だって言ってるだろ!」

「なんの仕事よ!」

「……自宅、警備……」

「あなたに守ってもらわなくても、ちゃんとお巡りさんがいます!」

俺もその警視庁の一員なんですけど! とは、口が裂けても言えない。

俺は今、こんなところで足を引っ張られている場合じゃないのに!

「重人くん、君には価値がある。人生の物差しは一つではないのよ」

男の手が肩にのり、女はさらにたたみかける。

「家に引きこもってばかりいないで、生きる本当の意味を見つけて。ね?」

この二人は、精神保健福祉センターから派遣された家庭問題専門のカウンセラーらしい。
「君にはまだまだ、沢山の夢や希望、可能性があふれているんだ」

「何でもいいのよ、出来る事からの一歩を、まずは始めましょ」

「重人、お願い!」

がっくりと力が抜ける。

物語の覆面工作員はみんなヒーローだなんて、絶対にウソだ。

戦意を完全に失った俺は、結局そのまま説教なのか説得なのかよく分からない話を延々と聞かされる。

じっと正座して話を聞くことに慣れていないので、足が痛い。

2、3時間はしゃべり続けて、母はようやく満足したらしい。

我が家に侵入することを許してしまった恐るべきエージェントたちは、きっちりと仕事をこなし、それを見届けてから姿を消した。

仕方なく母に付き合って家事を手伝い、よく分からない連続ドラマの続きを一緒に見る。

姉と母がごちゃごちゃ言っているのを、後ろで黙って父とみていた。

グラスに入ったビールが差し出される。

そう言えば酒を飲むのも、久しぶりのような気がするな。

父自身は、缶から直接飲んでるくせに。

片付けと風呂まで済ませ、ようやく二階に戻れた時には、22時を回っていた。

開け放したままの窓から侵入した夜の空気は、すっかり部屋を侵食している。

パソコンを強制終了から立ち上げるには時間がかかる。

泣きたくなるような気分を押し殺し、電源を入れようとして、やめた。

「やってられるかよ、今からトラブルシューティングなんて……」

これで俺のPCと端末はしばらく使えない。

こんなところに伏兵がいただなんて、だれが想像する? 

静まりかえった機器たちを残し、俺は久しぶりに隣の部屋のベッドに入って、ぐっすりと眠った。
ふてくされた気分のままふらふらとコンビニに入り、竹内と二人だけになってしまった地下の基地に潜る。

店の営業はフルオートメーション化されているし、コンビニ業務用アンドロイドも稼働しているので問題ない。

現在動いているのは、全て本部から支給され、竹内がコードを書き換えた機体だけだ。

いづみの作成したアンドロイドは、全て回収されてしまった。

なにが仕込まれているのか分からない。

情報漏洩を避けるためには必要な措置だった。

「全く、たまんねーよ」

俺は悪態をついたまま、唯一の生体となった竹内の隣に座る。

「あぁそうだな。電源を落とすなんて最低だ」

彼は険しい顔つきのまま、パソコン操作を続けている。

竹内はなんだかんだで、まだ過去ログから飯塚さんを追っていた。

同時に隊長の動きもマークしているんだから、そのスペックの高さには感心する。

天命の中もすでに自由自在だ。

「無期限停止」とは、本当に無期限な時間のことだったらしい。

「このニートとかフリーターって身分、なんとかならねーのかな」

「仕方ないだろ。俺らはいわゆる、公儀隠密なんだから」

竹内は一人でこの基地の二階に住み、サーバーも共有しているんだ。

そもそもの技術的基礎能力値が、俺のとは全く違う。

だから当たり前なのか。

コイツだけ許されているのも。

うちみたいな、あんなバカな邪魔もはいらないだろうし……。

「この仕事に就けば、誰もが通る道だ」

竹内はキーボードの隅を骨張った指でコツコツと叩く。

パソコンを前にすれば、この指先だけは別の生き物のようにいつも跳ね回っているのに、今はそれが華麗に踊らない。

様子がおかしい。
「どうかしたのか?」

「いや、……何でもない。多分気のせいだ」

再びキーボードに指がのった。

動き出そうとした瞬間、彼はガタリと立ち上がる。

「マズい! フリーズする!」

メインディスプレイは暴走を始める。

やがてそれは、静かにシャットダウンしていく。

竹内は両拳をドンと叩きつけた。

「くそっ、システムダウンだ!」

真っ青になった竹内の額から、ねっとりとした汗が流れ落ちた。

「天命のセキュリティが破られるなんてことは、絶対にあり得ないんだよ! トラブル? ハッキング? あの気の狂った精鋭部隊がか!」

「はは、お前のアカウントが停止させられただけじゃないのか? 絶対不可侵、唯我独尊、超ドSなオレ様仕様だから『天命』って名前なんじゃないの?」

「その天命が緊急強制終了したんだ! 機能停止だ!」

竹内は親指をぐっとかみしめる。

その指はイライラとドズ黒く変色してゆく。

「やっぱり気のせいなんてありえなかった。そんなものはこの世に存在しないんだ。あの違和感を見過ごしてはダメなんだ」

ブツブツと続ける竹内の端末が鳴った。

民間システムを経由しての隊長からの連絡に、俺たちの心臓は止まる。

それがどれだけの非常事態だということを示しているか。

どこで傍受されているか分からないそれに、竹内は細心の注意を払う。

「エリアマネージャー」

俺たちはコンビニ店員だ。

「調子はどうだ」

「発注システムがダウンしたんですか?」

「メンテナンスは入った。すぐに復旧する」

それは『復旧する』という事実ではなく、『させる』という隊長の意地だ。

「お前らは通常勤務を続けろ」

 通信は切れた。

竹内は今までにないほど動揺している。
「通常勤務ってなんだよ。システムダウンさせられて、一体何が出来るって言うんだ」

コンビニの片付けは済んでいる。

すでに営業は再開された。

「ここのリーダーは今はお前なんだ。俺はお前の指示に従う。どうすればいい?」

腕を組み口元に拳を当てたまま、竹内は動かない。

「どうしようもないじゃないか。どうするって? どうすんだ?」

俺たちの顔も居場所も、もしかしたら身分さえも、もはやインターネットの世界では筒抜けだ。

彼の声はわずかに震えている。

「……。仕方ない。隊長の言うとおり、ここは大人しくコンビニ店員をやるしか……」

「違うよ竹内。飯塚さんを追いかけろってことだよ」

「どうやって!」

そうだ。

これはチャンスだ。

天命の機能が停止しているということは、飯塚さんだってそれを使えないということだ。

条件はそろった。

「大丈夫だよ。少なくとも俺は、ここにいる」

竹内の黒い目はじっと俺をのぞき込む。

「飯塚さんのあの言葉な、もう一度よく考えてみたんだ。天の命ずるを性と謂いってやつ。あれは、原文ではこう書くんだ」

『天命之謂性、率性之謂道、修道之謂教』

俺は端末にメモっていたその画面を見せた。

「飯塚さんの本当の狙いは、天命のダウンだったんだよ」

竹内はゆっくりと俺を見返す。

重い口を開いた。

「……。そんくらい、普通に考えたって誰でも狙いはそこにあるって分かるだろ。この声明がなくたって……」

「そ、そうかもしれないけど、改めてやっぱりそうなんだなって!」

怒りに満ちたため息を吐かれる。

「だからさ、天命の機能停止なんて、大体普通に誰でも狙ってくんだ。だから専門の防衛部隊があるんだよ。今だってやられてる真っ最中だろ! 今回はいつもの相手と違うから本部は手こずってんだ。これは時間との闘いなんだよ。天命が落ちるのが早いか、あの人を捕まえるのが早いか!」

「だったら迷ってる暇はないだろ! さっさと迎えに行くぞ!!」

「本人に戻る気があったら、とっくに戻ってきてるだろ! そもそもこんなこと、最初っからするか!」

「お前、なに言ってんだよ!」

まただ。

竹内と話し合うと、いつも話合いにならない。

ずっと同じことを繰り返す。

きっと俺たちは永遠に、こうやって言い争いをしながらここで朽ち果てるんだ。

「もういいよ! 俺は……」
上階でガタンという大きな音がした。

目を合わせる。

慌てて地上に駆け上がると、アンドロイド店員全員が床に横転し、パンを運ぶ大型トレイやペットボトルを抱えたまま、不器用に足をばたつかせていた。

「誤作動だ」

見た目には本物の人間と全く変わらない。

いつも機械的に作業をしているようでも、彼らは『ヒト』だった。

なのに今、本来のロボットとしての姿をあらわにされている。

竹内は彼らを強制終了させた。

本体についている停止ボタンを押すと、そのまま動きを止めてしまう。

体は凍り付いたように動かない。

頭ではちゃんと違うと分かっていても、気分はよくない。

「飯塚さんは何がしたいんだ」

「そんなこと、追求したって無駄だって言ったのは、お前だろ」

動けなくなったロボットたちは、まるで死んでしまった人たちのようだ。

「そうだよな……」

竹内は床に転がされたアンドロイドたちを見下ろした。

それを一体ずつ丁寧に、二人で地下へ運ぶ。

「俺はもう許さないよ」

彼がこんなにも腹を立てているのを、俺は初めて見たような気がする。

ずっとこいつらのメンテナンスを手がけてきたのは、竹内といづみだった。

「こうなりゃ肉弾戦でもなんでもやってやるよ!」

「……R38がうちに来たんだ」

「隊長への報告は?」

「それが本当にR38だったのかという確証はない」

竹内は腕を組み、くせである親指を噛んだ。

「飯塚さんがいなくなった瞬間から、R38のデータは消されている。天命が復活して位置情報を追えたとしても、それがダミー、別の個体ではないという確実な証明は出来ない」

「あれはR38だったと思う」

「カラスが自分の自由意志でお前のところに来たとでも思ってんのか?」

「俺は、いづみが送ったんだと思っている」

その言葉に、竹内は黒縁の眼鏡を持ち上げた。