コンビニバイト店員ですが、実は特殊公安警察やってます(『僕らの目に見えている世界のこと』より改題)

「ん? どうした、何が起こった?」

そのキーボードが、突然無効化された。

入力したはずの文字が画面に反映されない。

「どういうこと? CPU? 濡れた基板?」

俺と竹内は、パッと手をそこから離す。

「基板は全て取り替えた。問題はない」

竹内がそう言い終わるか終わらないうちに、メインサーバーは動き出した。

どろりと鈍くなった動き方で、画面が切り替わる。

「ちょ、どういうこと?」

突然巨大ディスプレイに、防犯カメラからの地下基地内部が映し出された。

俺たちは画面の中の自分と遭遇する。

その様子は全世界にネット配信されていた。

俺は電源ボタンに手を伸ばす。

だけどそれは俺の触れるよりも早く、プツンと途切れた。

竹内の端末は瞬時に鳴り響く。

「今のでお前たちの姿もその支部も、全て知れ渡ったと思え。もはや安全は保証できない」

隊長の声が、脳に直接響く。

「警視庁サイバー攻撃特別捜査対応専門機動部隊久谷支部は、ただいまをもって無期限停止処分とする。以上」

支部のメインコンピュータは、静かにその機能を停止した。

コントロールを失った壁面走行ロボットは、ゴトリと床に転げ落ちた。
いつの間にか世界は、夕方と呼ばれる時間帯になっていた。

暮れかけた太陽に、朱くそまった空を見上げる。

帰る道すがら全ての赤信号に引っかかったことが、余計に俺をイライラさせていた。

「あら重人、今日はもう帰ってきたの? 早かったわねー」

「もしかしてバイト首になったぁ~?」

帰宅した俺にちょっかいを出してくる母と姉の言葉を全て無視して、二階に上がる。

スペックは段違いに劣るが、支部を閉鎖されてもなお個人アカウントとして天命にアクセスできる家のパソコンは、もはや唯一の武器だ。

飯塚さんがこのシステムのどこかに侵入し、利用していることは間違いない。

あの人を探すなら、やはり本部もとっているこの方法しかありえない。

そう思って起ち上げたのに、数日ぶりに起動したそれは、更新画面に移りぐるぐると渦をまいている。

俺はあきらめてその場に寝転がった。

スチールラックの上に、黒い人形は姿勢良く正しく座っている。

その青い目を見上げた。

この人形は、飯塚さんとの通信機器だった。

コンビニの地下基地を水没させてから、すでに14日が経過している。

隊長の手によりフェイク動画として片付けられた事件を、語る人間はもう世界にはいない。

俺はゴクリと唾を飲み込んだ。

こんな本当のような嘘の情報で、簡単に飯塚さんの存在は消されてしまうのか? 

隊長の執拗な追撃から逃れるため、飯塚さんは完全に姿を消した。

街にあふれる監視カメラ、軍事衛星、あらゆる支払いにおける電子決済の記録、AIによる自動監視システムに加え、優秀な頭脳と経験を持つ本部所属の隊員たちが総力をあげて探そうとしても、その痕跡すら見つけられない。
IF03。

このアカウントが飯塚さんであると、隊長は絶対に気づいている。

俺と竹内はもう何度もこのアカウントに接触を試みては、失敗していた。

どうすればあの人を救えるのだろう。

「もしさん……か」

黒いレースの人形の目が、ぐるりと動いたような気がした。

入隊試験のパスワードを解いた瞬間、部隊から直接送られて来たものだ。

この人形は、いつも飯塚さん側から発信した電波をキャッチしていて、俺からかけてみたことはない。

もちろんそのやり方は知っているけれども……。

再起動したばかりのパソコンを操作する。

回線は、ふいにつながった。

「飯塚さん!」

「やぁ重人、元気にしてたか?」

何度も何度も打診しては切られていたアクセスが、ようやくつながった。

飯塚さんの生の声が、久しぶりに鼓膜をくすぐる。

俺は人形に向かって話しかけた。

「なにやってるんですか、帰ってきてくださいよ!」

「はは、俺に直接連絡しようなんて、相変わらずお前らしいな」

その声は、何一つ変わっていないのに……。

「みんな待っています。心配しています。飯塚さんのいない久谷支部だなんて、コンビニとしても役に立ちません」

「そうやって言ってくれるのは、重人、お前くらいだよ」

音声が乱れる。

通信は傍受されている。

そんな危険は、お互いに百も承知だ。

「待ってください!」

このままでは通話は途切れてしまう。

言いたいことも聞きたいことも、山ほどあった。

「飯塚さん。さっき支部PCの……」

「常識を疑え。あらゆる可能性を想定しろ。世界は想像を以上に不思議なことであふれている」

息が詰まる。

今はそんな話で、貴重な時間を無駄にしたくはない。
「自分の目で見たものだけを信じるんだ」

「飯塚さんは、そこに幸福な世界は見えていますか?」

「……その質問には、答えようがないな」

通信は途切れた。

部隊に伝わる、新人に送る伝統の言葉だ。

『君の見るこれからの世界が、幸福であることを祈る』と続く。

タブレット端末の呼び出しが鳴った。

隊長だ。

「なぜ切れた」

「俺じゃありません。飯塚さんの方から……」

「ログを追う。お前は手を出すな」

自分の声が湿っている。

そのことに自分では気づいても、あの隊長にはバレなかっただろうか。

滲みだした鼻水をティッシュでかんだ。

隊長の指示が出た瞬間、再起動して生まれ変わったばかりのパソコンは、機械らしく機械的に役割を変えた。

自分で組み立てたはずの機器なのに、この子はもう俺のものではない。

部隊によって遠隔操作されているのは百も承知だが、あっさりと裏切るようなその行為を、簡単に飲み込むことは出来ない。

カタカタと元気よく動き始めたその姿は、全く違う別の生き物のようだ。

その逆心的な行為に耐えられず、俺はふらりと外へ抜け出した。

ひんやりと肌寒い夜の中を歩く。

夜が優しいと感じるのは、嫌なものを少しだけ見えにくくしてくれているせいだ。

ポケットの端末は、コンビニ支部の紐付けから個人PCに切り替えた。

処理速度と能力は落ちても、まだ俺のためだけに動こうとしてくれている。

交通規制課のシステムに侵入し、再設定したアプリに自分の位置情報を入れれば、もう信号機に引っかかることもない。

目の前の信号はタイミングよく青に変わった。

そんなやり方を教えてくれたのも、飯塚さんだった。

俺はそれ以来一度も、歩行中の赤信号にひっかかったことはない。

電子の魔術師と呼ばれた最高の上官だ。

計算しやすい歩く速度も教えてくれた。

体に染みこんだその歩幅で、コンビニ通りへ出る。

その一定の速度を保ったまま、四辻の交差点を渡った。
「いらっしゃいませ」

俺の知らない誰かの顔を模したアンドロイドが働いている。

いづみの置き土産のそれは、無人の店内でもプログラムされた作業を淡々とこなしていた。

コンビニ業務用の補助システムは残してくれてあるということか。

レジ裏のバックヤードから地下の基地へ下りる。

竹内は背を向けたまま、じっとキーボードに指を踊らせていた。

「無防備に入ってくんなよ」

「コンビニとその周辺に客がいないことは、監視カメラで把握している」

「飯塚さんのことはどうすんだよ」

俺は竹内の横に腰を下ろした。

「どうせ何をしたって本部には筒抜けなんだ。問題ない」

舌打ちが聞こえる。

このタイミングで淹れたてのコーヒーが自走式台車ロボで運ばれてくるってことは、お前だって俺が来ることを知っていたくせに。

「天命のシステムは?」

「堂々とは使えねーよ」

「じゃあどうやって」

「支部は閉鎖されても、隊員資格が停止されているわけじゃない。お前と同じやり方だよ」

熱すぎるコーヒーに、舌はやけどしそうだ。

「隊長の様子はどうだ」

「お前ホント、そんな態度だといつか殺されるぞ」

隊長は飯塚さんを追っている。

どれだけ俺たちがあがいたところで、隊長にはかなわない。

「なぁ、飯塚さんを直接追うより、飯塚さんを追いかけている隊長を追う方が、確実なんじゃないのか」

振り返った竹内の眉根は、思いっきり寄っている。

「そうすれば、ほぼ同じタイミングであの人を見つけられるし……、逆手にとられて、失敗することもない」

さっきの飯塚さんの接触には、きっと何かの仕掛けがあるんだ。

そんなことにぼんやりと俺は、ようやく気づいた気がする。

バカなことをした。

竹内は俺から視線を戻すと、コーヒーをすすった。

「あの通信な、つながった瞬間、隊長ブチ切れてたぞ。お前から行っただろ」

隊長の位置情報は、隊長自身がそのアクセスを拒否しない限りいつでも確認できた。

街の大通りを北西の方角に向かっている。

移動速度42.8km/h。車かバイクか。
「山? 山の方だな」

俺が初めての任務に関わった場所に近い。

移動する自販機が電線に絡みつき、辺り一帯を停電させた。

あの時はすぐこの後ろに、あの人がいたのに……。

竹内は首をかしげる。

「電波の届かないところ? だけど、今時そんなところなんて……」

「妨害電波を出しても、人がいなければ周囲に気づかれることもない。人気のないところを選んでいる可能性はある」

突然、隊長の位置を示す表示がマップから消えた。

「ん? これは自分で消した? それとも消された?」

竹内はシステム上での捜索を始めようとしている。

本部では特に騒いでいる様子もない。

隊長自身の特殊任務を考えると、こんな端くれの一般隊員から情報を秘匿することなんて、別に珍しいことでもなんでもないのだろう。

「待って。これは緊急事態だよ、使えるじゃないか」

突然そう言い放った俺を、竹内は不思議そうに見上げる。

「隊長が行方不明となった。我々は至急、救出作戦を実行する」

俺たちは飯塚さんを追うんじゃない、隊長を救出しに行くんだ。

それならば隊員行動規範にだって違反しない。

竹内は呆れたように頭を横に振った。

「そんないいわけ、通用するとは思えないけどな」

「どうせ俺たちは不出来なバカなんだから、バカでいいんだよ」

竹内はため息をついた。

ガタガタと立ち上がり、骨張った細い体で眼鏡ごしににらみつける。

「で、どうするつもりだ」

「……どうしよう」

竹内は空になったカップを洗い始めた。

その隣にカップを置くと、黙って一緒に洗ってくれる。

「お前お得意のノープラン作戦?」

「……ダメ、かな?」

「無理だろ。やめだ、やめ。もう少しちゃんと考えてから動こう。また失敗を繰り返したくはないだろ」

洗い終わったカップを水切り棚に並べる。

俺たちは同時にため息をついた。
散々話合いをするも結局結論はでず、明け方を十分に過ぎてからようやく帰宅した。

とっくに俺への関心を失った父は仕事に出かけ、都庁勤めのよく出来た姉は、ピシッと決めたスーツに身を包んでいる。

「重人はまた昼夜逆転生活してんの? コンビニのバイトはいつまで続ける気なのよ」

ヘアスプレーの匂いがプンプンする。

ガーガーうるさいドライヤー越しに文句を言われても、無視してていいのは助かる。

「朝ご飯、食べる?」

遠慮がちな母の声に、俺はなんとなくちゃぶ台の前に座った。

「ふん。お金かけて大学院まで行っても、ニートしてりゃあ意味ないわよね!」

行ってきますという捨て台詞を残して、姉は出て行った。

成績優秀でスポーツ万能、姉と同様に自慢の息子だったはずの俺は、この家ではもはや腫れ物でしかない。

「午後からちょっとお客さんが来るから、あんたは二階にいなさいね」

そう言って母も座った。

朝のワイドショーは、平和な世界の象徴のようで、都庁改修工事にまつわる裏金と献金問題について語っている。

「母さんはこれからパートに行くから、食べ終わったら食洗機に入れておいてね」

姉の初任給で買った食洗機のスタートボタンを押すこと。

それだけがこの家で俺に与えられた、唯一の仕事だった。

家族みんなで食事をというのは、俺を二階から下ろすための母の言い訳でしかない。

いつも皆が食べ終わった後に飯を食い、その後始末をしている。

本当の職業は、家族にすら秘密にされていた。

仕方無いとは思うけど、さみしくはないかと聞かれれば、少しさみしい。

卵焼きにわかめと豆腐の味噌汁という、我が家の朝の定番を流し込んだ。
飯塚さんの潜伏先を想定しようにも、何も思いつかなかった。

過去の行動記録から予測するなんてことは、とっくに本部のAIがやっているだろう。

それでも見つけられないとなると、もう手の打ちようがない。

いそいそと出かける母も見送って、ようやく家の中は静かになった。

食洗機のスタートボタンを押して二階に上がると、パソコン前で寝転がる。

昨夜、夜通し竹内と話し合い、出てきた答えはなにもない。

確かに人間の声であるのに、無機質に読み上げられた声明文がまだ耳に残る。

どうしてこんな反乱を起こそうとしたのか。

あの人の孤独と悲しみは、どこにあったのだろう。

4畳半PCルームのかび臭さまで、そのまま俺に染みこんでくるようだ。

いつの間にかうとうととして、ふと階下から聞こえる声に目を覚ました。

母の声と共に、聞き慣れない男女の声が聞こえる。

気がつけば時計は15時を回っていた。

来客があると言っていたのは、このことか。

上半身を起こして、凝り固まった体をほぐす。

ふいに窓の外に、黒い影が横切った。

その影はひさしの上にぴょんととまって、跳びはねる。

「……R38?」

俺は慎重にガラス窓を開けた。

背中に小さなボックスを背負った、一羽のカラスがとまっている。

俺に個体の区別はつかない。

もしこれが本当にR38なら……。

「おいで」

そう言いながらも、慎重にマウスを操作した。

R38はいづみに訓練された特別なカラスだ。

人語を解し、翻訳機を通して意志疎通出来る。

その研究を行っていたいづみは、飯塚さんと姿を消した。

間違いなく行動を共にしている。

R38への行動指示は、いづみだけの特権事項ではない。

俺にだってやろうと思えば、黒い羽根はなくてもあのボックスを介して出来る仕組みだ。
カチッというマウスの立てた音に、R38は首を傾ける。

まさかパソコン画面に映るコードまで理解出来るとは思えないが、背中のボックスにはカメラが搭載されていた。

もしそれでいづみか飯塚さんがこちらを見ているとしたら……。

俺は操作していた画面を閉じる。

「いい子だね、おいで」

そっと手を伸ばす。

カラスはひさしから、ぴょんと窓際の3Dプリンターに跳び移った。

「なぁ、お前に聞きたいことがあるんだ。俺のことは分かるよな。……ね、どっから来た? 今は、どこにいるの?」

R38と思われるカラスは、もう一度首を傾けた。

手を伸ばしそっと近づける。

このまま捕まえられるとは思はないが、どうしたらその背に負ったボックスをこちらに渡してもらえるだろうか。

そこには行動記録や録音録画データ、発信器等々、貴重な情報が詰まっている。

彼は近づいてくる俺の手に警戒している。

それをゆっくりと引っ込めると、黒い眼は今度はそれを追いかけた。

「怖くないよ。大丈夫だから、こっちへおいで」

かぎ爪はプラスチックの機器に当たって、カチカチと音を立てる。

R38と目が合う。

「いい子だ……」

カラスの首が傾いた。

バチン! 

その瞬間、部屋の電源は落ちる。

「うわぁっ!」

真っ黒になった画面に飛びついた。

カラスは驚き逃げ去る。

だが今はそれどころじゃない。

慌てて窓から周囲を確認してみても、変わった様子は見られない。

俺は配電盤まで駆け下りた。