コンビニバイト店員ですが、実は特殊公安警察やってます(『僕らの目に見えている世界のこと』より改題)

 竹内の後を、いづみが続ける。

「鉄道関係は楽勝だって言ったでしょ。そういうのまで次に回すなってことよ。路線図から列車の移動先は限られる。鉄道会社の管理システムに侵入すれば、監視カメラでホームの様子は簡単に確認できるわ」

「で、異常のある駅を見つけ出せる」

竹内の指がキーボードを叩く。

該当車両の進入予定駅と、そのホーム画面がマルチスクリーンに映し出された。

「うちの監視カメラは優秀だからな。そこで各駅舎に設置された装備でわんこチェック。基本のき!」

「で、異常ガスを事前に探知。現場に急行ってワケよ」

車で列車に追いついたのは、駅で停止した電車の、扉の開閉速度を調整したせい。

「あとは説明しなくても分かるわね」

いづみは一息ついた。

「バイオコントロールシステムが、あれほど進んでいるとはね」

「所詮時間の問題だったろ。技術は常に更新している。俺たちが持っているということは、相手も同等のレベルにあると思って間違いはない」

竹内はずっと構内を撮影していた。

その動画をディスプレイにあげる。

ドロリとした液体生物の姿が、大きく映し出された。

「どこかに、チップがあったのかもな」

「液体成分の回収は?」

「本部がやってるだろ」

飯塚さんは指を組む。

「強アルカリ性質だった。チップはどうせ失敗と同時に融解されているだろう」

生物兵器の話は、よく分からない。
「ここから先の捜査は、本部の管轄だ。結果なんて、俺たちには求められてもしなければ、そうすることも許されない」

竹内といづみは静かに聞いていた。

「俺たちに与えられた指示は、今回は『輸送物の回収』それだけだ。その結果がどうなったのか、なんの意味があるのか、分かることもあるがそのままのことも珍しくはない」

沈黙が流れる。

次に口を開いたのは俺だった。

「あの、思ったんですけど、だったら最初っから、毎日駅舎の空気環境チェックしたらいいんじゃないですか?」

「おい。いくら金がかかると思ってるんだ」

竹内の体が怒りに震えている。

「言っとくけどな、この支部の活動資金にだって、本部全体の活動資金だって限界はあるんだ。今回の作戦だけでいくら経費かかってると思うんだよ。それをいちいち後から申請して許可もらって、予算残高とにらめっこしてる俺の気持ちもちょっとは考えろ! 公務員ナメんなよ! 大体お前はもう少し新入隊員としての自覚と心構えをだな……」

竹内の愚痴が始まると、とても長いんだということは、ここへ来て一番に知った。

竹内はこの支部の事務も担当している。

「まぁまぁ、もういいだろ。彼はよくやってるよ」

飯塚さんはにっこりと微笑んだ。

「それと、任務の時には自分の乗車IDを消しておくことも忘れずに」

全自動のサポートロボが、デザートとお茶を運んでくる。

表がコンビニな分、そういうところは優遇されていた。

伸縮する棚のような形状のロボット本体の扉が開くと、それぞれのカップにあらかじめセットされた飲み物がトレイに乗って差し出される。

それを受け取る俺の隣で、竹内は食べ終わった弁当のカラを付属したゴミ箱に放り込んだ。

台拭きが出てきて、そこを拭く。

「今日はもうこれでおしまいにしよう。明日はみんな、遅めの出勤でいいよ。飲み終わったら解散だ」

温かな湯気が、地下室に立ちこめる。

俺はミルク入りのホットコーヒーに息を吹きかけた。

竹内はため息をついて立ち上がる。

彼はここのコンビニ支部店舗の二階に、一人で住んでいた。

そこに引っ込んでしまったのだろう。

「私も先に帰るわね」

いづみも出て行く。

飯塚さんは自分のテーブルに移った。

「帰らないんですか?」

「まだ少し、やることが残っているんだ」

その画面には、複雑な何かの設計図が表示されていた。

俺は熱いコーヒーを一気に流し込む。

それを食洗機に放り込むと、帰宅の途についた。
玄関の門をくぐった時には、22時を過ぎていた。

真っ暗に静まりかえった階段を、そっと足を忍ばせて登る。

俺以外の3人は1階で寝ている。

2階の小さな3部屋は、俺がほぼ一人で独占していた。

築60年以上を超える木造住宅2階4畳半の一室、寝転がって見上げた天井にはシミが浮き出ている。

積み上げられた機器の間で、俺の居場所は51×55cmのこの座布団の上だけだ。

強度だけを求めて買ったスチールラックに、黒いレースを着た人形が置かれている。

その碧い目が、ギロリと動いた。

慌ててそれをつかみ取る。

1/3サイズドールMSD(女)という型だというところまでは調べていた。

40㎝前後の、比較的大きな人形だ。

小さな口がパクパクと動いている。

明らかにこれは何かの合図だ。

どうしていいか分からずに、俺はその頬をぎゅっとつまんでみる。

片方の目はキョロキョロと動いているが、もう一つの目は動かない。

それがUSBだったことを思い出した。

それをPCに差し込むと、あっという間に立ち上がる。

人形はしゃべり始めた。

「ようやく起動してくれたんだな」

「飯塚さん!」

正直、全く自分の好みでもなければ、ちょっと気味が悪いとすら思っている人形だ。

「これ、飯塚さんが送ってきたんですか?」

「うん、そう」

どこで会話しているんだろう。

部隊の端末を使って検索してみたけれども、どこにもヒットしなかった。
「もしかして、本当に僕本人からかって、疑ってる?」

「いえ、そんなことはないです」

「これは独立した通信手段でね、部隊のシステムからも、どこからも侵入できない。どこにも繋がっていないからね。その分、使い勝手が悪いのは許してくれ」

そう言って、真っ黒な人形は笑った。

「こうでもしないと、なかなか新人くんの話を聞く機会もないしね。部隊隊員の本音を直接聞きたいと思うと、こんなことぐらいしか思いつかないんだ。驚かせて悪かったね」

俺は人形を膝に抱いて向かい合い、首を横に振った。

薄気味悪い人形が、急に大切なもののように思えてくる。

「いえ、大丈夫です。うれしいです」

飯塚さんは、もう一度今日の反省すべきところを復唱し、竹内やいづみの態度について詫びた。

部隊のシステムを早く使いこなせるように、そうすれば仕事は楽になるというアドバイスもくれた。

「時間の許す限り僕も教えるから、何でも分からないことがあったら聞いてほしい。遠慮することはないんだよ。困ったことがあれば、すぐに相談してくれ」

感動で泣きそうだ。

「今日は、午前中はどこへ行かれてたんですか?」

「本部のね、極秘任務でそっちに行ってたんだ」

「極秘任務?」

「まぁ、公然の秘密ってやつだ。僕の口から直接は言えないけど、そのうち分かるよ。いづみや竹内くんも知ってる。言わないだけだ」

ゴスロリ人形は、ため息をついた。

「さぁ、すっかり遅くなってしまった。竹内くんはめちゃくちゃ気合いが入っていたよ。明日から君のための特別メニューを考えてくれているっぽい」

「え、何ですかそれ……」

飯塚さんは、楽しげに笑った。

「あ、あの、最後に一つ聞いてもいいですか?」

「なに?」

「……。なんで、こんなでっかい人形にしたんですか? もっと小型で携帯しやすい機器でもよかったんじゃないかなって……」

「あぁ、それはいづみの趣味だ。これでも頑張って反対したんだよ。じゃなかったら、もっと酷いことになってた」

「分かりました。ありがとうございました」

お休みを言って、通信を切った。

久しぶりに隣の部屋へ移動する。

そこは天井までびっしりと積み上げられた本の隙間に、小さなベッドが置かれている。

もっと小型で持ち運びしやすいものだったら、いつでも連絡とれるのにな。

布団の上の本や電子機器部品を下ろして、その中で横になった。

目を閉じて、ゆっくり眠った。
出動の翌日でゆっくりでいいと言われても、そういうわけには行かない。

やる気を見せるとか建前とかじゃなくて、本当に自分が早く行って早く仕事を覚えたいと思うのだから仕方がない。

朝食もそこそこに家を飛び出す俺を、母の心配と姉の嫌味が送り出す。

「ちゃんとご飯はみんなで食べるって約束だったでしょー!」

「理系大学院卒のコンビニ店員が覚えなきゃいけない仕事って大変なんだねー!」

店に駆け込む。

竹内は2階に住んでいるから、一番乗りというわけにはいかない。

地下基地に潜ったら、さらにその下にある訓練施設に連れられた。

「船舶と小型飛行機の操縦は出来るんだろ?」

「まぁ……いちおう……。理屈だけは紙面で覚えました。免許は取ってませんけど……」

それもニート期間中の課題対象だった。

それはそうなんだけど、目の前にある訓練用デモ機の様子は明らかにおかしい。

「免許証取得の有無は問題ない。うちの隊員ならいくらでも発行してもらえるからな」

体一つ潜り込ますことにも苦労するようなコックピットだ。

乗り込むところから神経を使う。

「普通にセスナが乗れるなら、基本的な操作は……まぁ、似たようなもんだ」

「で、これは?」

俺は怪しげな操縦席を見下ろしながら指をさす。

「F-22Aの操縦席だ。F-35とかF-15、16C/Dでもよかったんだけど、まぁこんなもんでしょ。それともF-106Aデルタダートとか、U-2か何かの方がよかったか?」

戦闘機の操縦訓練。

「これに慣れれば、世の中の大概の飛行機は操縦できるようになる」

「だろうな!」

竹内は操縦席の隣に座った。

「これはあくまでデモ機だからね。隊長に頼んで、そのうち一回くらいは実際に乗せてもらえるようにしておく」

「本気で言ってんの?」

「当たり前だ」

彼は深いため息をついた。

「なんだかよく分からないけど、隊長はお前に興味関心があるみたいだな。まぁ少々成績がよかったみたいだから、単にはしゃいでるだけなのかもしれないけど。あの人のことだし」

隊長の記憶といえば、カーブミラーに映った上半身しか記憶にない。

俺をかわいがってる? とてもそんな風にはみえなかった。
「で、これが終わったら潜水艦と戦車の操縦だ。安心しろ。難しい順に並べてあるから、ここさえクリアできれば他はすぐに何とかなる」

彼は賞味期限切れのフルーツ・オレを、ストローからチュっと吸った。

「さっさと始めるぞ。出動命令は待ってはくれない」

午前中はみっちり戦闘機の操縦訓練を受け、昼休みをはさんでからは部隊のシステムについてのレクチャーがあった。

「愛称は『天命』。誰が名付けたか知らんが、すんげー名前だろ?」

竹内はそう言った。

「だけどまぁ、そう名付けたくなった気持ちも分からなくはないんだ」

今日も飯塚さんはいない。

午前中にちょっとだけ俺の訓練の様子をのぞいてから、すぐに出て行ってしまった。

いづみは一人で黙々と何かを板金溶接している。

この「天命」とは、部隊が使用しているネットワークシステムのことだ。

日本国内のあらゆる情報網に侵入し、干渉することができる。

この天命の運用にあたっては、本部のなかでもさらに優秀な人材を集めた特任チームが、専門的に管理運営していた。

「ここの専門チームは異常だ。はっきり言って頭がおかしい連中しか集まっていない」

竹内は言う。

「俺も隊員の端くれだからな、普通に使ってるしハッキングもするよね。だけど、乗っ取りは出来ないんだよ。どうしてるんだ? 常にデータの一部を書き換えて更新中みたいな状態で、一定していないんだ」

「なんでハッキングすんの?」

「使用許可は隊員ごとに与えられ、履歴も残る。許可さえ下りれば自由にあらゆるシステムに侵入して、操作することを許してる」

竹内は悔しそうに唇を噛んだ。

「だけど、コントロールはできない」

「だからさ、なんでわざわざハッキングする必要が?」

「不安定なのに安定した運用、まさに『天命』という名にふさわしい」

なんかもう、どうでもよくなってきた。
「で、どうやってその『天命』を使いこなすんだ?」

「『天命』を使いこなす? そんなこと出来る奴なんていねーよ」

にやりと笑った竹内は、今度は売れ残り過ぎて陳列棚から引き上げることになった、黒酢の紙パックを飲み干した。

「ただ許可された指示に従って大人しく使われるか、操る方法を模索していくしかないね」

「と、いうことは?」

「習うより慣れろ」

彼は飲み終わった紙パックを、ゴミ箱に放り込む。

俺はため息をついて自分のPCに視線を落とす。

竹内の指導の仕方は、ほとんど全てがこんな感じだ。

乱暴なのか丁寧なのかが分からない。

「つーか、網羅してる範囲が広すぎて説明のしようもないんだよ。使い方が分からなくて困ったら、本部に問い合わせればいい。秒で返事が返ってくる」

「そうなの?」

「頭おかしいんだ」

「あっそ」

「よく使うやつの基本的な操作方法だけ、簡単に説明しとく」

各鉄道会社と通信会社。電力会社に各種公官庁などなど……。

「警察関係はうちの本部、つまり天命の中の人たちも管理している。ま、俺らも警視庁の公安から独立した部署だから、基本使いたい放題だ」

地上階の扉が開く。

飯塚さんが本部から戻ってきたようだ。

「おや、なかなか進んでいるようだね。竹内くん自らが教えようだなんて、珍しくない?」

「なんか、隊長から直々に頼まれちゃって」

「はは、そうなんだ。あの人か」

そう言って、司令台のキーボードを操作する。
「天命の使い方か。こればっかりは少しずつ慣れていくより、仕方がないね」

飯塚さんは静かに微笑んだ。

「いいことを教えてあげよう」

ディスプレイに、先日の行動記録が表示される。

「地下鉄の駅前から、ここまでの帰還競争をしただろう。どうして他のみんなの方が早かったのか、その謎は解いてみたかい?」

俺の行動履歴は、電車の路線をたどっている。

竹内のは普通に一般道を走っていた。

いづみと飯塚さんのは……。

「僕といづみのに関しては、後回しにしよう。まずは竹内くんのからだね」

その日の竹内の行動記録がクローズアップされる。

画面には移動速度まで記録されていた。

最初は徒歩。

その後は車に乗り換えているけど、それにしても速い。

「この移動速度の速さは、どうしてだと思う?」

夜8時の時間帯だ。

都内の幹線道路はどこも混んでいるはずなのに、スピードが全く落ちていない。

「普通なら、車で行くより電車で移動した方が速い。そう思うのはどうして?」

「渋滞があるから」

「そう。だけど、竹内くんのはそうはなっていない」

飯塚さんの指先は、軽やかにステップする。

「交通局のシステムを操作しているからだよ。信号機の点灯時間を調整し、渋滞を解消させ自分の進路を全て青に変化させる」

平均移動速度56.7km/hというのは、一般道ではあり得ない。

「幹線道路こそ使いやすい技だ。そしてこういった大きな道を使う方が、便利で速い」

交通量の変化を時系列で見ると、確かに側道は竹内のために渋滞させられていた。

飯塚さんはふっと微笑む。

「IT技術全般に関しては、竹内は部隊でもトップクラスだよ。プログラミングの早さとコードの正確さは、隊長のお墨付きだ」

その言葉に、彼は頬を赤らめる。

そんな姿を、俺は初めて目にした。

「まずはここからだね。車で移動することは多いから、この簡易設定を自分で組むといい。プログラムを作るのは、得意だろ?」

「はい!」

飯塚さんは、そうでなくても穏やかな顔に、さらに柔らかすぎる表情を浮かべて微笑む。

「飯塚さんの二つ名はな、『電子の魔術師』だ。ある意味この天命を使いこなしているのは、この世界で隊長と飯塚さんだけかもしれないな」

竹内も両腕を組み、うんうんと何度もうなずいている。

本日の講義はこれでおしまい。

飯塚さんが電子の魔術師なら、俺はその魔術師の弟子ということだ。

竹内が一番弟子なのかもしれないけど、負けるわけにはいかない。

自作の端末と天命とはすでにリンクさせてある。

俺だってポケットサイズの端末で、この天命を使いこなしてみせる。
「あ、そうだ!」

ふいに飯塚さんは、ポンと手を叩いた。

「重人は、線路脇のフェンスを跳び越えられなかったんだって? ダメだよそんなんじゃ!」

飯塚さんは、にっこりと笑みを浮かべた。

「最近サボってたし、走り込みと筋トレを再開しよう。頭ばかり使っているのも、心身によろしくない」

その言葉に、竹内といづみは物陰に隠れようとしたが、肩をつかまれる方が早かった。

「よーし。そうと決まったら、早速ランニングだ!」

なぜかコンビニロゴの入った陸上部ジャージに着替えさせられる。

俺たちは夕日の映える河川敷に放り出された。

200m7本と100m3本。40秒間走3回。

背の低いフレキハードルを使って足の回転矯正までやるって、本気でどこの陸上部だ。

槍投げしたり、でっかいボール抱えて走ったり、そんなの聞いてない。

「こんなこと、いつもやってたんですか?」

にこにこと笑顔でハードメニューをこなす飯塚さんは、まさに鬼監督そのものだった。

「昔はね、ほぼ毎日」

平然とそう言った飯塚さんの横顔を見上げる。

いづみの顔はいつも以上に怒っていて、竹内もバテ気味だ。

俺はもうとっくにリタイアしている。

元気なのは飯塚さんだけだった。

体力にも頭の回転速度にもそれなりに自信はあったけど、ここではそんな俺の自尊心は簡単に吹き飛ぶ。

今までの俺の知っていた世界は、何だったんだろうかと思える。

「信じられない」

「ジムもあるだろ。今は忙しくて、なかなか僕は出来ないけど」

そう言った飯塚さんの隣で、俺は夕日に照らされる川面を見つめた。

鉄橋を渡る列車の走行音が響く。