開店して3日。特に問題なく、順調に進んでいると思う。お客さんにも満足していただけていると思う。特にクレームなどはない。それもそのはず、患者さんの家族か病院関係者以外きてはいない。いわば、身内がきているだけのこと。ここで問題が起きているとこの先やってはいけない。
3日目の午後4時頃ある問題が起きた。ある女性がこの場に似合わない大きな声を上げている。俗に言うクレーマーのようなものだ。どうやら、結さんの対応について怒鳴り散らしている。結さんもかなり萎縮してしまっていて、言葉を出すことができないでいた。店内には他に6人ほどお客様がいる。他のお客様に迷惑がかからないようにしなければ。
「お客様どうかなさいましたか?」
結さんに向けて合図を送りここは自分に任せてもらうことにした。結さんにはこの場から離れてもらった。
「どうもこうもないわよ。こっちのイメージしたものと違うものを用意されたのよ。」
「そうでしたか。申し訳ございません。ちなみにどう言ったものでしたか?今後のためにご意見をいただきたいのですが、奥の部屋にお手数ですが一緒に来ていただけませんか?ここでは周りのお客様に迷惑がかかってしまいますので。」
女性は周りを見渡して、視線が自分に集まっていることにようやく気付いた。その視線はとても気持ちいいものではなく、とても不快に思われている蔑んだ目だった。対照的に自分は笑顔を突き通した。不自然なくらいに。
「もういいわよ。早く会計を済ませてちょうだい。」
「そうですか。わかりました。では、2500円になります。」
女性は財布からお金を出して、足早に店を出て行った。
「ありがとうございました。またのご来店お待ちしています」
店の中に戻り、お客様に向けて一礼した。顔を上げると自分の顔は笑顔だった。店内のお客様も同様に笑顔だった。
「ありがとう。私じゃどうしていいかわからなかった。本当に助かったよ。」
「この話は閉店準備の時にでもしましょう。今は営業時間です。まだお客様もいるので。」
「わかった。」
そう言って自分は元の業務に戻って行った。この光景を見ていたお客様からめちゃくちゃ声をかけられた。そのおかげで少しだけ売上が上がったらしい。
閉店の時間になり昨日手伝えなかった閉店準備をしている。お父さんからの連絡もないので問題はない。
「寛くん?今日のことでさ、クレームとかの対応を教えてくれないかなって思ったんだけど。今日のことが繰り返されるようなら寛くんばかりに負担かけちゃうしこう行ったことも今後必要になると思うんだよね。いいかな?」
「いいですけど、自分のはあまり参考にはならないと思いますよ。自分はこういうのが得意なんで特に自分にとって負担だなんて思ってませんよ。」
「いいから教えて欲しい。寛くんがいない時もこれからあるだろうし、こういうことも寛くんにおんぶに抱っこじゃいけないと思うんだ。一応ここの経営者だかからね。」
「そうですか。わかりました。あまりひかないでくださいね。」
「わかった。精進する。」
「クレーム対応で1番大事なことってなんだと思います?」
「お客様が何で怒っているのかとか?」
「そこですね。クレーム対応で間違ってしまうことは。」
「別に普通のことだと思うけど?」
「そこを変えないとクレームで悩みますよ。クレーム対応で1番大事なのは、相手がどう行った人か観察することですよ。性別、身だしなみ、喋り方などなど。1つ1つのクレームに真剣に向き合っていたら他のお客様に迷惑です。店として合理的に選択することも大事です。その1人のお客様のために他のお客様の迷惑になるのは店としてもマイナスです。簡単に言ってしまえばクレームなんて真剣に聞いて時間を取るよりも多くのお客様の相手をしたほうがいいってことです。その場を丸く迅速に収めることが1番です。クレームなんて聞いていても1人分の利益しか出ないですから。」
「なるほど。」
結さんは真剣に話を聞きながらメモを取っている。
「今日の場合は、女性、服装は高価そうなブランド品、左の薬指には服装に合わない少し安上がりな結婚指輪。このことから考えられることはなんだと思います?」
結さんに問いかけてみる。自分で考えられ、対応できるようにならなければ意味はない。
「既婚者でお金持ちとか?」
「そこまではおそらく誰でもわかるでしょう。この人の特徴は服装に合わない結婚指輪です。今日のお客様はどんな口調でしたか?」
「偉そうだった。早口で怒鳴り散らすような感じ。」
「その特徴と、服装に合わない結婚指輪から考えるに、結婚してお金持ちになったわけではなく、実家が裕福なことが考えられます。あくまで考察ですが、今日のお客様は長女だと思います。」
「なんで?」
「シンプルな統計でクレームする人は長子が多いんですよ。真面目で神経質、親から厳しく育てられて、完璧主義。溜め込んでしまって爆発することが多いんですよ。長子はストレスフルなんです。そしてよく他の人に当たってしまう。あの周りを見えていないほどの激昂っぷり。かなり溜め込んでいたんでしょう。」
結さんは頷きながら聞いていた。結さんにもお姉さんがいるので理解できるものがあるのだろう。あくまで統計だがかなり信憑性があるデータだと思う。長子の特徴と環境がよく反映されている。しかし、ここで大学時代に培った知識が使えるのは嬉しい。
「夫婦間の仲はあまり良くないと思います。女性の方の実家が裕福な場合、夫が萎縮してしまうことが多いですから。友達が同じような感じで結婚したんですがかなり肩身がせまいそうですよ。価値観も大きく違うと思います。あのブランドの服はかなり高価なものですが、指輪はほとんど装飾がなくシンプルなものでしたし、かなり格差のある婚約だったんだと思います。親の反対を押し切って結婚したということも考えられます。」
「女性としては、少し憧れるかも。少女漫画とかでよくある展開だよね。」
「やっぱりこういったことは憧れるもんですかね?男にとってはかなりリスキーなもんで、かなり勇気がいるものですよ。」
「だからこそ憧れがあるんじゃないかな?それだけ自分のこと思ってくれているって感じでさ。」
「そう言うものなんですかね。でも、少女漫画ではそのあとのことはあまり書かれていませんよね?」
「そうね。あまり語られることは多くはないと思う。ハッピーエンドで終わったほうが幸せだもの。」
「そうですよね。バットエンドを読みたい人の方が圧倒的に少ないでしょう。こういったカップルは反対を押しいった時がピークなんですよ。後になって、相手の嫌な部分とか、周囲の目とかが気になってしまって、ストレスを溜めてしまうことも多いんです。2人とも自分たちのことしか見えなくなって、自分達に酔ってる場合がほとんどです。恋をすると人は盲目になるとはよくいったものです。」
「リアルね。夢がない。」
「現実主義といってください。その時だけの感情に流されて多くの時間を無駄にするのはおろかですから。結婚という大きな選択をするときは余計に慎重に熱くならないようにしなければいけませんから。」
「寛くんはどこか人間味がないよね。感情はあるんだろうけど、どこか心ここに在らずみたいな感じ。たまにだけど、何考えてるかわからなかったり、威圧感が出てる時もあるよ。接客中は気をつけるように。」
「わかりました。てか、自分の説教タイムになってません?クレーム対応ですよクレーム対応。」
「そうだったね、まあこの話はまた今度ってことで。今はご教授お願いします。」
「わかりました。どこまで教えましたっけ?」
「その人の見た目から判断するっていうところかな。格差がある婚約かもしれないってところだよ。」
「そうでしたね。ここからはいたって簡単です。そのお客様のことを考えるのではなく周りのお客様を大切にしなければならないので、早くそのお客様にはお帰り願いたいところ。ならどうするか。こういったときは周りのお客様に目を向けさせる事が1番でしょう。周りのお客様もクレームを怒鳴り散らしているのを見るのは不快でしょうし、何よりこういったタイプの女性は悪目立ちすることを嫌っている事が多いので効果的です。」
「難しくない?」
「簡単にできますよ。目線を他のお客様に向けさせればいいんです。今回みたいにお客様と反対の方向から急に声をかけたり、1人の場合は向こうの席に移動してもらうとか、他の人が目線に入るように誘導します。人間案外視野が広いものですから必然的に視界に入ってくると思います。そこで必要なのが違和感です。」
「違和感?」
「違和感です。周りの人との対比から生まれる不快感のことですよ。そうですね、例をあげたほうが簡単ですね。今回の場合自分はあのお客様に対して終始笑顔でした。それに対して他のお客様の顔は、自分からは見えていませんでしたがきっと不快な顔をしていたと思います。ここでまず私に対して、違和感を覚えます。周りとは明らかに違う顔をしている私に対して不快感とともに恐怖感も感じていたと思います。さらに自分の行動に対する予想外の表情に困惑するでしょう。こうなったらこっちのものです。一刻も早く帰りたいと思うはずです。別室に移動してもらいたいと説明して自分と2人になる状況を作ります。嫌がるのが目に見えているのでここでクレームを取り下げて帰ってくれるはずです。1人の場合は待ってもらうのがいいでしょう。本当にこの店のことを思ってくれている人はここまでしても待ってくれていたり、話してくれるはずです。こういった人の話は真面目に聞いたほうがいいです。他の人はただ単に憂さ晴らしな事が多いので無駄です。いかに他のお客様に迷惑をかけないようにするかと自分たちの利益にならないお客様かどうか判断する事が重要です。」
結さんは真面目にメモを取っていて、しっかり話を聞いていたようだった。メモを書き終えると最後に、
「なるほどね。確かにあまり参考にならないかもね。」
「ですよね。前にも同じような事があったんですけど、参考にならないと言われた事があったんで。」
「複雑だよね。そこまで瞬時に人のこと見れないし、その人の特徴を抑えてその人にあった対応を瞬時にできなきゃいけないからかなり難易度は高いかもね。シンプルに寛くん以外できないよね。」
「そういうものなんですかね。別に自分には難しいことだとは思ってはいないんですけどね。」
「自分ができるからって誰でもできると思わないでとかよく言われてそう。」
「全く同じことよく言われます。」
ふと時計を見ると時刻は8時をまわっていた。いつもなら家に帰り、料理を済ましているところ。話に夢中になりすぎて時間を忘れていた。母は怒っているだろう。ピザでも頼んでいてくれるとこれから帰ってから料理しなくて済むから助かるのだが。
「すいませーん。寛いますか?」
聞き慣れた声が店内に響いた。なるほど、これは予想外の行動だ。前々から店に行きたいとはいっていたがまさか本当に来るとは思いもしなかった。一番反応に困るパターンのやつだ。学生の頃体験した授業参観の気分だ。生徒側から見ると親が来るのはとても嫌な気分になる子供も少なくないだろう。学生のころ、真面目な方ではなかったので親がいても授業中寝るくらいの度胸はあったのだが、真面目に働いているところを見られるのはなぜか恥ずかしい。
「母さんなんできたのさ。ピザでも頼んでくれればよかったのにさ。てか、ご飯もう食べたの?」
「あっ、寛。遅い。お腹すいた。早く帰ってきて、料理して。今日は和食の気分。トンカツ食べたいトンカツ。」
よりによって時間のかかる和食。しかも、トンカツだと。今から帰って作ったとしても、9時半になってしまう。無理だ。食べたいものを言ってくれるのはメニューを悩まなくていいのだが時と場合を考えてほしい。作る方にも配慮してほしいものだ。
「お母さん、初めまして。日向結と言います。」
「あっ、結ちゃんじゃない。実は初めましてじゃないのよ。覚えてないのも無理もないけれどね。まだ結ちゃんが2歳だったから。けどお父さんとは頻繁にあっているのよ。」
「はい。父から聞いています。」
「ところでどう?うちの息子。そこそこ使える人材だとは思うんだけど。」
「はい。とても助かっています。」
「そうでしょう。優秀なのよこの子。まあ器用貧乏なのが玉に瑕ではあるんだけどね。」
正直やめてほしい。自分の目の前で親が自分のことを褒めるのは。恥ずかしいことこの上ない。親バカ丸出しではないか。
「やめてよ、母さん。恥ずかしい。」
「あら、恥ずかしがらなくてもいいのに。事実だし。褒めてあげているんだから素直に喜びなさい。難しいことではないわよ。ニコッてするだけなんだから。ほら笑って笑って。」
「お母さん、まあそのくらいにしてあげてください。寛くん顔真っ赤にしてますから。」
「あら本当に真っ赤。笑える。普段感情を表に出さないからこういう時に恥ずかしくなるのよ。」
「これでも昔よりはいいだろ。そんなに無表情でもないし、思ってることも口に出すようになってきてるだろ。」
「何言ってるの。まだまだよ、母さんと比べるとそんなの無表情と変わらないわ。思ってることもあんた闇が深くて何考えてるかわからないから口に出してないようなもんでしょ。」
笑顔でなかなか心をえぐってくるではないか。でもあまり嫌な思いをしないのは母さんのマジックだろう。母さんの笑顔には癒しの効果でもあるのかと思ってしまうほどに場が和む。結さんも最初は母さんに対して緊張していたようだが、約1ヶ月の間で見たことのない笑顔をしている。母さんは自分が1ヶ月かかって作った関係を簡単に越えていった。母さんとは喧嘩をしたことはない。母さんを傷つけると父さんがかなり怖いからという理由もあるが、母さんと話していると喧嘩することがバカらしくなってくる。感情を素直に前に出す母さんは、表情に変な含みがない。自分は表情の中に色々な考えを含めてしまう。こういう表情をした方がいいとか考えてしまう。クレーム対応なんかがいい例だろう。自分でも思う。自分の笑顔には裏がある。自分は単純に母さんに弱い。母さんのその表情に憧れと、苦手意識があるから。
「ほら見てみてよ。この結ちゃんの笑顔。あんたの数倍は可愛いわよ。」
不意をつかれたのか、結さんの顔に一瞬緊張が走る。しかし、言われたことの意味を理解したのか顔が赤くなっていく。
「ほら母さんいいから。お腹空いてたんじゃないの?」
「そうだった。ごはんごはん。早くしろ。」
「今から作ってもかなり遅くの時間にしかできないから今日は食べに行こう。」
「うん?仕事放棄かな?これはパパに連絡かな。」
「いいじゃない。たまには外で食べようよ。」
仕方ないなと言わんばかりの顔をし、何かを思い出したかのように、
「仕方ない。いいよ。ただし今度、結ちゃんと結ちゃんのお父さんをうちに招くからもてなすように。」
結さんも聞いていなかったようで少し驚いていた。今思いついたばかりの案なのだろう。母さんは得意げな顔をしているのが腹たつ。
「わかったけどいつにするの?結さんと結さんのお父さんの予定もあるでしょ。結さんのお父さんは特に忙しい方なんだから無理は言えないよ?」
「そこは心配ない。もともと、日向先生だけは呼ぶ予定だったからスケジュールは確保済み。結ちゃんが1人増えても問題ないでしょ。あっ、あと中村先生も読んじゃおうかしら。久々に会いたいわ。」
「それも初めて聞いたんだけど。中村先生も予定あるかもしれないじゃん。」
母は一瞬考えるようなそぶりはあったが、こっちを見て
「まあそこらへんはあんたに任せるわ。どうせ職場は同じ敷地内なんだから。」
やっぱりというか、予想通りというか。今回は自分に頼んだ方がいい理由があるから仕方ないが、自分の思いつきでは始まるのだから面倒なことも自分で責任持ってやってほしいものだ。
「わかったけど、いつにするの?できるだけ早く予定抑えないといけないけど?」
「いつって、今週の土曜日だけど。もともとその日に日向先生来る予定だったから。」
まじか。母さんのお願いなら自分が断れないことを知っている中村先生なら無理にでも予定を空けてくれるだろう。年頃の独身男性、もし彼女がいてデートの予定でもあったら大変申し訳ない。
「急すぎるよ。一応聞いてみるけどさ。」
「ありがとね。無理はしないでって言っておいてね。結ちゃんはどうかしら?予定とかある?」
結さんは戸惑って入る様子だったが、母さんの笑顔を見ると、
「大丈夫です。本当にお邪魔しても大丈夫でしょうか?」
「大丈夫大丈夫。何にも問題ないわよ。寛の負担が増えるだけだから。何にも考えないで楽しみにしておいて。」
結さんは、自分の顔を見て「どうしよう」と困ったような顔だった。別に自分的には1人増えようが2人増えようが関係ない。笑顔で「大丈夫ですよ」と返すと少し悩んだ末に、
「ではお願いします。父が迷惑をかけないように監視しないと。」
「そんなのいいのいいの。楽しんでもらえた方が寛も嬉しいから。」
「では、土曜日に待ってますね。母さんそろそろ帰ろう。もうそろそろ、お店も閉まっちゃうから。母さんも話に夢中で忘れてるかもしれないけどお腹空いてるでしょ。」
「そうだった。話に夢中で忘れてた。早くご飯。」
話に夢中になりすぎて気づけば9時を回っていた。流石に自分もお腹がすいてきた。この時間で空いている店になると、ファミレスくらいだろう。ファミレスであれば母さんの要望であるトンカツもあるだろう。しかも、揚げ物の後の嫌な片付けもない。
「では、また明日ということで。メニューのことで色々聞くので何か食べたいもの考えておいてくださいね。母さん、すぐに着替えてくるから待ってて。」
そういって自分はその場を後にした。
「さて、邪魔者がいなくなったところで結ちゃん。あの子本当に接客業できてる?」
「えっ?はい問題ないですよ。逆に自分の方が問題があるくらいで。本当に助かってます。色々と教わることも多いですし。」
「そう。本当に良かった。あの子、極度の人間不信だから、接客業なんて向いてないと思ってたわ。まあ強制的に行かせたのは私なんだけど。」
「そうなんですか。」
「まあ詳しいことはうちに来てからね。あのこのこともっと知ってほしいし、知っておいたほうがあの子も下手なこと言わないだろうしね。お父さんは色々知っているけど聞いちゃダメよ。私の口から説明させてね。これだけはお願い。」
「わかりました。」
「準備終わったよ。母さん帰ろっか。」
「おっそい。餓死したらどうするつもりよ。」
「まだ1、2分しか経ってないだろ。」
「あら、ここまで待たせたのは誰かしら?口答えするきなの?」
「ごめんて。では、結さん先に失礼します。」
「・・・あっ、お疲れ様。」
不自然な間があった。何か思い詰めているような。またなんか母さんが言ったのだろう。母さんの性格上あまり人を困らせることは自分以外には言いそうもないが。母さんの方を少し睨んだが、自分のことなんて見てもいない。ご飯、ご飯言いながらその場でスキップしている。
「あの母さんが何か言いました?」
「あっ、大丈夫大丈夫。気にしないで。」
これは確実に何か言ったな。これ以上問い詰めても何も出てこなさそうなので今は諦めるが、母さんには問い詰めてみよう。
「ほら早く。ご飯、ご飯。」
遊園地に行く前の小学3年生が親を急かせているようなリアクションで自分で乗ってきた車に向かっていった。「はぁ」とため息をつきながら母さんの方に向かっていった。
「楽しいお母さんだね。」
「結構毎日になると大変なんですよ。」
結さんに笑顔を向けてその場を去った。車に着くとすでにエンジンをかけて母さんは待っていた。
「早く乗って。ご飯いこ。」
「わかったわかった。もうあんまり急がないでよ。」
そういって、近くのファミレスへ向かった。車内で母さんに、
「俺のいない間に結さんになんかいったでしょ?」
「いったけど言わない。」
「何言うのもいいけどさ、困らせることはしないでね。」
「うーん、まあ頑張ってみる。迷惑はかけないかな。」
「それならいいけど。」
「あら、案外聞き分けがいいのね。」
「母さんが俺以外の人を困らせるのは俺のこと思ってのことだって知ってるからさ。昔よくこう言うことあったから。」
こう言う時の話をする時、母さんは威圧感のある顔をする時がある。纏う空気が変わると言うか、どこか全くの別人になってしまったのかと思ってしまうことがあるらしい。それに結さんはびっくりしてしまったのだろう。
「わかってるんならいいじゃない。あんたはいつも考えすぎなのよ。ほらもうすぐ着くから。」
そういってファミレスにつき、母さんは美味しそうにとんかつ定食の大盛りをペロリと完食した。相当お腹がすいていたのだろう。デザートにチョコレートパフェも1人で完食した。
母さんがビールを飲んでしまったので、自分が運転する羽目になった。運転苦手なのに。家族に自分の運転は不評だ。よく実技受かったねと言われてしまう始末。ブレーキの踏み方が下手すぎて酔ってしまうらしい。案の定自分の運転に関して母さんが、
「ほんと下手くそだよね運転。スポーツはできるし、運動神経は抜群なのになんで運転できないかね。」
「昔から言ってるじゃん。俺は力加減ができないの。体育の野球で女の子相手に力込めて投げちゃって、泣かれたこともあるんだから。ブレーキも優しく踏むための力加減がわからないの。」
「あー、覚えてる覚えてる。学校に呼ばれた時は笑っちゃったよ。甲子園出場投手が野球未経験の女の子に本気で投げたって聞いてさ。」
そう。自分は春の甲子園に出ていた。3年生の時の1回だけ。21世紀枠での出場だったが3回戦まで進むことができた。夏は県予選の決勝で敗れてしまい甲子園には行けなかった。
「学校来た時母さん大爆笑してたから、親子揃って先生に怒られたしね。」
「寛関係でよく学校に呼ばれてたから心配になったのよ。問題行動はなかったけど大きな怪我とかよくしてたから。安心して理由聞いたらおかしくなっちゃったんだもん。仕方ないでしょ。」
「今となっては笑い話だけどね。」
そうこう話しているうちに家に着いた。
「じゃあ先に風呂入っちゃって。俺まだやることあるから。」
「パパにメールでも送るの?」
「そうだよ。どんな感じにしたいとか色々聞かなきゃいけないし。」
「そう。なら後で私も送ろうかな。」
「メールより電話の方が喜ぶでしょ。」
「面倒じゃない?お金もかかるし。」
「それ聞いたら父さん悲しむよ。1ヶ月も会えてないんだから声くらい聞かせてあげればいいじゃん。」
「まあ後少しで帰ってくるからいいっか。」
「めんどくさくなったんだろ。」
「久々にあったほうが感動が大きいでしょ。あんたも父さん以外に連絡しちゃいけない約束なんだから、寂しくてたまらないんじゃないの?」
「まあ。そうかな。」
「おっ、デレたデレた。めずらし。流石に1ヶ月も離れ離れは辛いもんなのね。まだ可愛いとこあるじゃない。」
「俺は常に可愛いでしょ。」
「うわ、、、」
「冗談冗談。真に受けないでよ。」
「その顔外でできるようにならなきゃね。」
「そうだね。まあみんな揃えば少しは笑顔が増えるんじゃないかな。というより早く風呂入ってきてよ。俺明日も仕事なんだから。」
「はいはい。上がったら呼ぶからね。」
そうして自分の部屋に戻った。父さんへのメールを打ち終わり、中村先生に「明日花屋に来てください」とメッセージを打ち、母さんの「上がったよ」の声が聞こえたのでお風呂に入った。風呂から上がり、メッセージを確認すると「了解」と一言中村先生から返信が来ていた。父さんからの返信はおそらく明日以降になるだろうからこの日は寝た。
3日目の午後4時頃ある問題が起きた。ある女性がこの場に似合わない大きな声を上げている。俗に言うクレーマーのようなものだ。どうやら、結さんの対応について怒鳴り散らしている。結さんもかなり萎縮してしまっていて、言葉を出すことができないでいた。店内には他に6人ほどお客様がいる。他のお客様に迷惑がかからないようにしなければ。
「お客様どうかなさいましたか?」
結さんに向けて合図を送りここは自分に任せてもらうことにした。結さんにはこの場から離れてもらった。
「どうもこうもないわよ。こっちのイメージしたものと違うものを用意されたのよ。」
「そうでしたか。申し訳ございません。ちなみにどう言ったものでしたか?今後のためにご意見をいただきたいのですが、奥の部屋にお手数ですが一緒に来ていただけませんか?ここでは周りのお客様に迷惑がかかってしまいますので。」
女性は周りを見渡して、視線が自分に集まっていることにようやく気付いた。その視線はとても気持ちいいものではなく、とても不快に思われている蔑んだ目だった。対照的に自分は笑顔を突き通した。不自然なくらいに。
「もういいわよ。早く会計を済ませてちょうだい。」
「そうですか。わかりました。では、2500円になります。」
女性は財布からお金を出して、足早に店を出て行った。
「ありがとうございました。またのご来店お待ちしています」
店の中に戻り、お客様に向けて一礼した。顔を上げると自分の顔は笑顔だった。店内のお客様も同様に笑顔だった。
「ありがとう。私じゃどうしていいかわからなかった。本当に助かったよ。」
「この話は閉店準備の時にでもしましょう。今は営業時間です。まだお客様もいるので。」
「わかった。」
そう言って自分は元の業務に戻って行った。この光景を見ていたお客様からめちゃくちゃ声をかけられた。そのおかげで少しだけ売上が上がったらしい。
閉店の時間になり昨日手伝えなかった閉店準備をしている。お父さんからの連絡もないので問題はない。
「寛くん?今日のことでさ、クレームとかの対応を教えてくれないかなって思ったんだけど。今日のことが繰り返されるようなら寛くんばかりに負担かけちゃうしこう行ったことも今後必要になると思うんだよね。いいかな?」
「いいですけど、自分のはあまり参考にはならないと思いますよ。自分はこういうのが得意なんで特に自分にとって負担だなんて思ってませんよ。」
「いいから教えて欲しい。寛くんがいない時もこれからあるだろうし、こういうことも寛くんにおんぶに抱っこじゃいけないと思うんだ。一応ここの経営者だかからね。」
「そうですか。わかりました。あまりひかないでくださいね。」
「わかった。精進する。」
「クレーム対応で1番大事なことってなんだと思います?」
「お客様が何で怒っているのかとか?」
「そこですね。クレーム対応で間違ってしまうことは。」
「別に普通のことだと思うけど?」
「そこを変えないとクレームで悩みますよ。クレーム対応で1番大事なのは、相手がどう行った人か観察することですよ。性別、身だしなみ、喋り方などなど。1つ1つのクレームに真剣に向き合っていたら他のお客様に迷惑です。店として合理的に選択することも大事です。その1人のお客様のために他のお客様の迷惑になるのは店としてもマイナスです。簡単に言ってしまえばクレームなんて真剣に聞いて時間を取るよりも多くのお客様の相手をしたほうがいいってことです。その場を丸く迅速に収めることが1番です。クレームなんて聞いていても1人分の利益しか出ないですから。」
「なるほど。」
結さんは真剣に話を聞きながらメモを取っている。
「今日の場合は、女性、服装は高価そうなブランド品、左の薬指には服装に合わない少し安上がりな結婚指輪。このことから考えられることはなんだと思います?」
結さんに問いかけてみる。自分で考えられ、対応できるようにならなければ意味はない。
「既婚者でお金持ちとか?」
「そこまではおそらく誰でもわかるでしょう。この人の特徴は服装に合わない結婚指輪です。今日のお客様はどんな口調でしたか?」
「偉そうだった。早口で怒鳴り散らすような感じ。」
「その特徴と、服装に合わない結婚指輪から考えるに、結婚してお金持ちになったわけではなく、実家が裕福なことが考えられます。あくまで考察ですが、今日のお客様は長女だと思います。」
「なんで?」
「シンプルな統計でクレームする人は長子が多いんですよ。真面目で神経質、親から厳しく育てられて、完璧主義。溜め込んでしまって爆発することが多いんですよ。長子はストレスフルなんです。そしてよく他の人に当たってしまう。あの周りを見えていないほどの激昂っぷり。かなり溜め込んでいたんでしょう。」
結さんは頷きながら聞いていた。結さんにもお姉さんがいるので理解できるものがあるのだろう。あくまで統計だがかなり信憑性があるデータだと思う。長子の特徴と環境がよく反映されている。しかし、ここで大学時代に培った知識が使えるのは嬉しい。
「夫婦間の仲はあまり良くないと思います。女性の方の実家が裕福な場合、夫が萎縮してしまうことが多いですから。友達が同じような感じで結婚したんですがかなり肩身がせまいそうですよ。価値観も大きく違うと思います。あのブランドの服はかなり高価なものですが、指輪はほとんど装飾がなくシンプルなものでしたし、かなり格差のある婚約だったんだと思います。親の反対を押し切って結婚したということも考えられます。」
「女性としては、少し憧れるかも。少女漫画とかでよくある展開だよね。」
「やっぱりこういったことは憧れるもんですかね?男にとってはかなりリスキーなもんで、かなり勇気がいるものですよ。」
「だからこそ憧れがあるんじゃないかな?それだけ自分のこと思ってくれているって感じでさ。」
「そう言うものなんですかね。でも、少女漫画ではそのあとのことはあまり書かれていませんよね?」
「そうね。あまり語られることは多くはないと思う。ハッピーエンドで終わったほうが幸せだもの。」
「そうですよね。バットエンドを読みたい人の方が圧倒的に少ないでしょう。こういったカップルは反対を押しいった時がピークなんですよ。後になって、相手の嫌な部分とか、周囲の目とかが気になってしまって、ストレスを溜めてしまうことも多いんです。2人とも自分たちのことしか見えなくなって、自分達に酔ってる場合がほとんどです。恋をすると人は盲目になるとはよくいったものです。」
「リアルね。夢がない。」
「現実主義といってください。その時だけの感情に流されて多くの時間を無駄にするのはおろかですから。結婚という大きな選択をするときは余計に慎重に熱くならないようにしなければいけませんから。」
「寛くんはどこか人間味がないよね。感情はあるんだろうけど、どこか心ここに在らずみたいな感じ。たまにだけど、何考えてるかわからなかったり、威圧感が出てる時もあるよ。接客中は気をつけるように。」
「わかりました。てか、自分の説教タイムになってません?クレーム対応ですよクレーム対応。」
「そうだったね、まあこの話はまた今度ってことで。今はご教授お願いします。」
「わかりました。どこまで教えましたっけ?」
「その人の見た目から判断するっていうところかな。格差がある婚約かもしれないってところだよ。」
「そうでしたね。ここからはいたって簡単です。そのお客様のことを考えるのではなく周りのお客様を大切にしなければならないので、早くそのお客様にはお帰り願いたいところ。ならどうするか。こういったときは周りのお客様に目を向けさせる事が1番でしょう。周りのお客様もクレームを怒鳴り散らしているのを見るのは不快でしょうし、何よりこういったタイプの女性は悪目立ちすることを嫌っている事が多いので効果的です。」
「難しくない?」
「簡単にできますよ。目線を他のお客様に向けさせればいいんです。今回みたいにお客様と反対の方向から急に声をかけたり、1人の場合は向こうの席に移動してもらうとか、他の人が目線に入るように誘導します。人間案外視野が広いものですから必然的に視界に入ってくると思います。そこで必要なのが違和感です。」
「違和感?」
「違和感です。周りの人との対比から生まれる不快感のことですよ。そうですね、例をあげたほうが簡単ですね。今回の場合自分はあのお客様に対して終始笑顔でした。それに対して他のお客様の顔は、自分からは見えていませんでしたがきっと不快な顔をしていたと思います。ここでまず私に対して、違和感を覚えます。周りとは明らかに違う顔をしている私に対して不快感とともに恐怖感も感じていたと思います。さらに自分の行動に対する予想外の表情に困惑するでしょう。こうなったらこっちのものです。一刻も早く帰りたいと思うはずです。別室に移動してもらいたいと説明して自分と2人になる状況を作ります。嫌がるのが目に見えているのでここでクレームを取り下げて帰ってくれるはずです。1人の場合は待ってもらうのがいいでしょう。本当にこの店のことを思ってくれている人はここまでしても待ってくれていたり、話してくれるはずです。こういった人の話は真面目に聞いたほうがいいです。他の人はただ単に憂さ晴らしな事が多いので無駄です。いかに他のお客様に迷惑をかけないようにするかと自分たちの利益にならないお客様かどうか判断する事が重要です。」
結さんは真面目にメモを取っていて、しっかり話を聞いていたようだった。メモを書き終えると最後に、
「なるほどね。確かにあまり参考にならないかもね。」
「ですよね。前にも同じような事があったんですけど、参考にならないと言われた事があったんで。」
「複雑だよね。そこまで瞬時に人のこと見れないし、その人の特徴を抑えてその人にあった対応を瞬時にできなきゃいけないからかなり難易度は高いかもね。シンプルに寛くん以外できないよね。」
「そういうものなんですかね。別に自分には難しいことだとは思ってはいないんですけどね。」
「自分ができるからって誰でもできると思わないでとかよく言われてそう。」
「全く同じことよく言われます。」
ふと時計を見ると時刻は8時をまわっていた。いつもなら家に帰り、料理を済ましているところ。話に夢中になりすぎて時間を忘れていた。母は怒っているだろう。ピザでも頼んでいてくれるとこれから帰ってから料理しなくて済むから助かるのだが。
「すいませーん。寛いますか?」
聞き慣れた声が店内に響いた。なるほど、これは予想外の行動だ。前々から店に行きたいとはいっていたがまさか本当に来るとは思いもしなかった。一番反応に困るパターンのやつだ。学生の頃体験した授業参観の気分だ。生徒側から見ると親が来るのはとても嫌な気分になる子供も少なくないだろう。学生のころ、真面目な方ではなかったので親がいても授業中寝るくらいの度胸はあったのだが、真面目に働いているところを見られるのはなぜか恥ずかしい。
「母さんなんできたのさ。ピザでも頼んでくれればよかったのにさ。てか、ご飯もう食べたの?」
「あっ、寛。遅い。お腹すいた。早く帰ってきて、料理して。今日は和食の気分。トンカツ食べたいトンカツ。」
よりによって時間のかかる和食。しかも、トンカツだと。今から帰って作ったとしても、9時半になってしまう。無理だ。食べたいものを言ってくれるのはメニューを悩まなくていいのだが時と場合を考えてほしい。作る方にも配慮してほしいものだ。
「お母さん、初めまして。日向結と言います。」
「あっ、結ちゃんじゃない。実は初めましてじゃないのよ。覚えてないのも無理もないけれどね。まだ結ちゃんが2歳だったから。けどお父さんとは頻繁にあっているのよ。」
「はい。父から聞いています。」
「ところでどう?うちの息子。そこそこ使える人材だとは思うんだけど。」
「はい。とても助かっています。」
「そうでしょう。優秀なのよこの子。まあ器用貧乏なのが玉に瑕ではあるんだけどね。」
正直やめてほしい。自分の目の前で親が自分のことを褒めるのは。恥ずかしいことこの上ない。親バカ丸出しではないか。
「やめてよ、母さん。恥ずかしい。」
「あら、恥ずかしがらなくてもいいのに。事実だし。褒めてあげているんだから素直に喜びなさい。難しいことではないわよ。ニコッてするだけなんだから。ほら笑って笑って。」
「お母さん、まあそのくらいにしてあげてください。寛くん顔真っ赤にしてますから。」
「あら本当に真っ赤。笑える。普段感情を表に出さないからこういう時に恥ずかしくなるのよ。」
「これでも昔よりはいいだろ。そんなに無表情でもないし、思ってることも口に出すようになってきてるだろ。」
「何言ってるの。まだまだよ、母さんと比べるとそんなの無表情と変わらないわ。思ってることもあんた闇が深くて何考えてるかわからないから口に出してないようなもんでしょ。」
笑顔でなかなか心をえぐってくるではないか。でもあまり嫌な思いをしないのは母さんのマジックだろう。母さんの笑顔には癒しの効果でもあるのかと思ってしまうほどに場が和む。結さんも最初は母さんに対して緊張していたようだが、約1ヶ月の間で見たことのない笑顔をしている。母さんは自分が1ヶ月かかって作った関係を簡単に越えていった。母さんとは喧嘩をしたことはない。母さんを傷つけると父さんがかなり怖いからという理由もあるが、母さんと話していると喧嘩することがバカらしくなってくる。感情を素直に前に出す母さんは、表情に変な含みがない。自分は表情の中に色々な考えを含めてしまう。こういう表情をした方がいいとか考えてしまう。クレーム対応なんかがいい例だろう。自分でも思う。自分の笑顔には裏がある。自分は単純に母さんに弱い。母さんのその表情に憧れと、苦手意識があるから。
「ほら見てみてよ。この結ちゃんの笑顔。あんたの数倍は可愛いわよ。」
不意をつかれたのか、結さんの顔に一瞬緊張が走る。しかし、言われたことの意味を理解したのか顔が赤くなっていく。
「ほら母さんいいから。お腹空いてたんじゃないの?」
「そうだった。ごはんごはん。早くしろ。」
「今から作ってもかなり遅くの時間にしかできないから今日は食べに行こう。」
「うん?仕事放棄かな?これはパパに連絡かな。」
「いいじゃない。たまには外で食べようよ。」
仕方ないなと言わんばかりの顔をし、何かを思い出したかのように、
「仕方ない。いいよ。ただし今度、結ちゃんと結ちゃんのお父さんをうちに招くからもてなすように。」
結さんも聞いていなかったようで少し驚いていた。今思いついたばかりの案なのだろう。母さんは得意げな顔をしているのが腹たつ。
「わかったけどいつにするの?結さんと結さんのお父さんの予定もあるでしょ。結さんのお父さんは特に忙しい方なんだから無理は言えないよ?」
「そこは心配ない。もともと、日向先生だけは呼ぶ予定だったからスケジュールは確保済み。結ちゃんが1人増えても問題ないでしょ。あっ、あと中村先生も読んじゃおうかしら。久々に会いたいわ。」
「それも初めて聞いたんだけど。中村先生も予定あるかもしれないじゃん。」
母は一瞬考えるようなそぶりはあったが、こっちを見て
「まあそこらへんはあんたに任せるわ。どうせ職場は同じ敷地内なんだから。」
やっぱりというか、予想通りというか。今回は自分に頼んだ方がいい理由があるから仕方ないが、自分の思いつきでは始まるのだから面倒なことも自分で責任持ってやってほしいものだ。
「わかったけど、いつにするの?できるだけ早く予定抑えないといけないけど?」
「いつって、今週の土曜日だけど。もともとその日に日向先生来る予定だったから。」
まじか。母さんのお願いなら自分が断れないことを知っている中村先生なら無理にでも予定を空けてくれるだろう。年頃の独身男性、もし彼女がいてデートの予定でもあったら大変申し訳ない。
「急すぎるよ。一応聞いてみるけどさ。」
「ありがとね。無理はしないでって言っておいてね。結ちゃんはどうかしら?予定とかある?」
結さんは戸惑って入る様子だったが、母さんの笑顔を見ると、
「大丈夫です。本当にお邪魔しても大丈夫でしょうか?」
「大丈夫大丈夫。何にも問題ないわよ。寛の負担が増えるだけだから。何にも考えないで楽しみにしておいて。」
結さんは、自分の顔を見て「どうしよう」と困ったような顔だった。別に自分的には1人増えようが2人増えようが関係ない。笑顔で「大丈夫ですよ」と返すと少し悩んだ末に、
「ではお願いします。父が迷惑をかけないように監視しないと。」
「そんなのいいのいいの。楽しんでもらえた方が寛も嬉しいから。」
「では、土曜日に待ってますね。母さんそろそろ帰ろう。もうそろそろ、お店も閉まっちゃうから。母さんも話に夢中で忘れてるかもしれないけどお腹空いてるでしょ。」
「そうだった。話に夢中で忘れてた。早くご飯。」
話に夢中になりすぎて気づけば9時を回っていた。流石に自分もお腹がすいてきた。この時間で空いている店になると、ファミレスくらいだろう。ファミレスであれば母さんの要望であるトンカツもあるだろう。しかも、揚げ物の後の嫌な片付けもない。
「では、また明日ということで。メニューのことで色々聞くので何か食べたいもの考えておいてくださいね。母さん、すぐに着替えてくるから待ってて。」
そういって自分はその場を後にした。
「さて、邪魔者がいなくなったところで結ちゃん。あの子本当に接客業できてる?」
「えっ?はい問題ないですよ。逆に自分の方が問題があるくらいで。本当に助かってます。色々と教わることも多いですし。」
「そう。本当に良かった。あの子、極度の人間不信だから、接客業なんて向いてないと思ってたわ。まあ強制的に行かせたのは私なんだけど。」
「そうなんですか。」
「まあ詳しいことはうちに来てからね。あのこのこともっと知ってほしいし、知っておいたほうがあの子も下手なこと言わないだろうしね。お父さんは色々知っているけど聞いちゃダメよ。私の口から説明させてね。これだけはお願い。」
「わかりました。」
「準備終わったよ。母さん帰ろっか。」
「おっそい。餓死したらどうするつもりよ。」
「まだ1、2分しか経ってないだろ。」
「あら、ここまで待たせたのは誰かしら?口答えするきなの?」
「ごめんて。では、結さん先に失礼します。」
「・・・あっ、お疲れ様。」
不自然な間があった。何か思い詰めているような。またなんか母さんが言ったのだろう。母さんの性格上あまり人を困らせることは自分以外には言いそうもないが。母さんの方を少し睨んだが、自分のことなんて見てもいない。ご飯、ご飯言いながらその場でスキップしている。
「あの母さんが何か言いました?」
「あっ、大丈夫大丈夫。気にしないで。」
これは確実に何か言ったな。これ以上問い詰めても何も出てこなさそうなので今は諦めるが、母さんには問い詰めてみよう。
「ほら早く。ご飯、ご飯。」
遊園地に行く前の小学3年生が親を急かせているようなリアクションで自分で乗ってきた車に向かっていった。「はぁ」とため息をつきながら母さんの方に向かっていった。
「楽しいお母さんだね。」
「結構毎日になると大変なんですよ。」
結さんに笑顔を向けてその場を去った。車に着くとすでにエンジンをかけて母さんは待っていた。
「早く乗って。ご飯いこ。」
「わかったわかった。もうあんまり急がないでよ。」
そういって、近くのファミレスへ向かった。車内で母さんに、
「俺のいない間に結さんになんかいったでしょ?」
「いったけど言わない。」
「何言うのもいいけどさ、困らせることはしないでね。」
「うーん、まあ頑張ってみる。迷惑はかけないかな。」
「それならいいけど。」
「あら、案外聞き分けがいいのね。」
「母さんが俺以外の人を困らせるのは俺のこと思ってのことだって知ってるからさ。昔よくこう言うことあったから。」
こう言う時の話をする時、母さんは威圧感のある顔をする時がある。纏う空気が変わると言うか、どこか全くの別人になってしまったのかと思ってしまうことがあるらしい。それに結さんはびっくりしてしまったのだろう。
「わかってるんならいいじゃない。あんたはいつも考えすぎなのよ。ほらもうすぐ着くから。」
そういってファミレスにつき、母さんは美味しそうにとんかつ定食の大盛りをペロリと完食した。相当お腹がすいていたのだろう。デザートにチョコレートパフェも1人で完食した。
母さんがビールを飲んでしまったので、自分が運転する羽目になった。運転苦手なのに。家族に自分の運転は不評だ。よく実技受かったねと言われてしまう始末。ブレーキの踏み方が下手すぎて酔ってしまうらしい。案の定自分の運転に関して母さんが、
「ほんと下手くそだよね運転。スポーツはできるし、運動神経は抜群なのになんで運転できないかね。」
「昔から言ってるじゃん。俺は力加減ができないの。体育の野球で女の子相手に力込めて投げちゃって、泣かれたこともあるんだから。ブレーキも優しく踏むための力加減がわからないの。」
「あー、覚えてる覚えてる。学校に呼ばれた時は笑っちゃったよ。甲子園出場投手が野球未経験の女の子に本気で投げたって聞いてさ。」
そう。自分は春の甲子園に出ていた。3年生の時の1回だけ。21世紀枠での出場だったが3回戦まで進むことができた。夏は県予選の決勝で敗れてしまい甲子園には行けなかった。
「学校来た時母さん大爆笑してたから、親子揃って先生に怒られたしね。」
「寛関係でよく学校に呼ばれてたから心配になったのよ。問題行動はなかったけど大きな怪我とかよくしてたから。安心して理由聞いたらおかしくなっちゃったんだもん。仕方ないでしょ。」
「今となっては笑い話だけどね。」
そうこう話しているうちに家に着いた。
「じゃあ先に風呂入っちゃって。俺まだやることあるから。」
「パパにメールでも送るの?」
「そうだよ。どんな感じにしたいとか色々聞かなきゃいけないし。」
「そう。なら後で私も送ろうかな。」
「メールより電話の方が喜ぶでしょ。」
「面倒じゃない?お金もかかるし。」
「それ聞いたら父さん悲しむよ。1ヶ月も会えてないんだから声くらい聞かせてあげればいいじゃん。」
「まあ後少しで帰ってくるからいいっか。」
「めんどくさくなったんだろ。」
「久々にあったほうが感動が大きいでしょ。あんたも父さん以外に連絡しちゃいけない約束なんだから、寂しくてたまらないんじゃないの?」
「まあ。そうかな。」
「おっ、デレたデレた。めずらし。流石に1ヶ月も離れ離れは辛いもんなのね。まだ可愛いとこあるじゃない。」
「俺は常に可愛いでしょ。」
「うわ、、、」
「冗談冗談。真に受けないでよ。」
「その顔外でできるようにならなきゃね。」
「そうだね。まあみんな揃えば少しは笑顔が増えるんじゃないかな。というより早く風呂入ってきてよ。俺明日も仕事なんだから。」
「はいはい。上がったら呼ぶからね。」
そうして自分の部屋に戻った。父さんへのメールを打ち終わり、中村先生に「明日花屋に来てください」とメッセージを打ち、母さんの「上がったよ」の声が聞こえたのでお風呂に入った。風呂から上がり、メッセージを確認すると「了解」と一言中村先生から返信が来ていた。父さんからの返信はおそらく明日以降になるだろうからこの日は寝た。