直射日光が顔に当たり目覚ましより先に起きた。時刻は6時半。相当疲れていたのか昨日はすぐに寝ることができた。目覚めはいい。母さんはまだ起きていないようなので今日は自分が朝食を作ろう。昨日の豚バラのせいろ蒸しが余っているので、豚汁でも作ろう。キッチンに向かい、手際よく朝食を作り上げた。

「うーん。いい匂いがする。」

母さんが起きてきたようだ。匂いに誘われて起きてきた。

「どうしたの?外に出て、心境の変化でもあったのかな?」

「うるさいわ。たまたま朝早く起きたから作ってみただけだよ。」

「そう?まあいいわ。そうだ。昨日メール届いてたよ。早めに確認しておいてね。多分仕事のことだろうから。」

「わかった。帰ってきてから確認するよ。まあ冷めないうちに早く食べよ。」

仕事といっても、花屋のことでは無い。自分には複数の仕事がある。それは父さんの手伝いのようなものだ。父さんの仕事はデザイナー。様々な企業から依頼が来る。自分のブランドも持っている。しかし、7年前、交通事故により視覚障害を持ってしまい、色が見えない。服のデザインまでは今まで通り作ることはできるのだが、色がつけられない。そこで父さんに代わり色付けを自分がすることになった。とはいっても、当時まだ学生だった自分にはあまり時間がなかった。しかも、お金も発生していたため、下手なことはできない。なおかつ父さんの作品を汚すようなこともできない、真剣に取り組んでいた。すると、自分が着色した服の評判がよく、売上が上がったらしい。そこから、父さんが自信を持った1着だけを自分が着色し、あとは他の人に依頼するという形をとっていた。今、父さんは海外に出張中のため、メールで依頼が来たらしい。多分期限までまだ時間あると思うから、ゆっくりやっていこう。父さんもそこまで鬼畜なことはしないだろう。

食事を終えると、片付けは母さんに頼んで仕事に行く準備をし始める。初出勤では無いので緊張はないが昨日、帰ったあとどうなったのかはわかっていないので少し怖い。メッセージは来たのだが挨拶みたいなもの。結衣さんがどういう心境なのかはわからない。お父さんには今日会わないとは思うが、毎日のように閉店間際に来店するのはやめてほしい。お父さんと話していると色々とボロが出そうになる。お父さんも忙しい人なので頻繁には来ないと思うのだが。そんなこんなで準備が終わり、出勤には早いが余裕を持って出ることにしよう。そうして家を出た。

まだ、4月の半ば、道には桜の花びらが散っている。まだ朝が早いのだが散歩をする人がいつもより多い。この季節はいいものだな。暑くもないし寒くもない。過ごしやすいことこの上ない。心地の良い風に包まれながら散歩するのも悪くはない。落ち着く朝だ。

店に到着し、自分より早く来ていた結さんに挨拶を済ませる。

「おはようございます。」

「うん。おはよう。」

意外とそっけない反応だ。昨日のことは根に持ってはいないようだ。

「そういえば昨日みたいなことはやめてよね。今度そんなことしたら、減給するから。」

「わかりました。調子に乗らないように気をつけます。」

「ならいいけど。でもたまにはお父さんの話し相手になってあげて。私こんなだから話し相手が佐藤さんくらいしかいないらしいから。」

「わかりました。」

「ただし、あまり私の話は極力しないこと。」

自分の話をされるのが嫌というわけではなさそうだが、ただ単に恥ずかしいのだろう。ちなみに自分はもう、結さんに対する苦手意識はない。もう何かといって1週間以上ほとんどの同じ時間を過ごしているわけだし、だんだんこの人が不器用なんだろうと思えてきたからである。単に自分に自信がないだけなのだろう。結さんも自分には少し心を開いてくれていると思う。初めて会った時より話しかけてきてくれる。何より少し笑顔を見せてくれるようになった。こんなことで関係性が壊れるのは忍びない。仕事に影響出るのも嫌だ。

「わかりました。気をつけます。」

「わかったならよろしい。」

まあ、こう答えるのは、建前で結さんのお父さんも結さんの話は聞きたいだろう。ここは、両者といい関係性を築き上げたいので結さんのいないところでお父さんと話すのが得策だろう。元はと言えば結さんが自分のことを話さないのが悪い。太客の要望には答えておかないと。にしてもいつも以上に機嫌がいいな結さん。

「今日は通常業務でいいですか?」

「そうだねぇ。特別なことといえば大きな荷物が届くからそれを運ぶくらいかな。」

「そうですか。わかりました。」

今日はどうやら、結さんが注文していた土などが届くそうだ。

「あ、そうだ。寛くん料理できるよね?」

「はい。そこそこ自信はありますけど。」

「なら良かった。今日届くのは寛くんに任せるから。」

「えっ?どういうことですか?」

「まあ、届いてからのお楽しみってことで。」

この家族はいつも説明が足りない。心の準備ってもんもあるのに。性格は似ていないくせにこんなところだけ似やがって。

「わっかりました。」

ここは適当に返事しておくのが正解だろう。どう転んでも教えてはくれないだろうし。考えるだけ無駄。

「じゃあ、奥で着替えてきます。」

「いってらっしゃい。」

通常の業務が始まった。自分が接客、結さんが会計。このスタイルでしばらく行くのだろうか。相変わらずレジで本を読んでいる。花に対して詳しい人が接客をやるべきだとは思うが。客足は午前中ということもありまちまち。バラやガーベラはよく売れる。お見舞いのマナーで、白や青、紫などの色の花を持っていくのはタブーらしい。館内に置くのは問題ないようだ。個人的には、難しいことは考えず好きな色の花を持っていく方がいいとは思うのだが。いつの時代もマナーにうるさい人はいるもんだ。時代が進むにつれてマナーも変わってきて、マナーを注意すること自体がマナー違反になることもあるだろう。実際自分もマナーにうるさい人を鬱陶しいと思うことが多々ある。でもしきたりとか、伝統などは守っていかなきゃとも思う、、、、

「あのー?すいませーん。」

「ああ、はいはい。なんでしょうか?」

「もー何回も呼んでたのに。」

小学3年生頃の女の子だった。考え事して聞こえていなかった。これからは考え事するのは勤務中やめよう。

「ごめんね。でなにかお求めのものでも?」

「うん。千佳ちゃんひまわりが好きらしんだけど置いてないのー?」

「ごめんね。置いてないんだ。代わりのお花探してもらえるかな?」

「わかったよ。同じ場所にひまわり病院あるのにね。変なの。」

「そうかな?ほら他にもいっぱいいろんなお花あるから見てきて、お気に入りの花があったらあのお姉さんに渡してね。」

「わかったー。」

幸い結さんには聞こえていないようだ。この話はタブーなのだが、花屋をやる以上切ってもきれないことだろう。なるべく結さんの耳に入れたくないから良かった。にしてもこの子学校はどうしたのだろう。仲のいい友達が入院して寂しくなったのだろうか。

「ねぇねぇ。それより学校どうしたの?」

「今日お休みなの。だから千佳ちゃんのお見舞いに来たの。」

「そうなんだぁー。大切な友達なんだね。」

「そうだよ。千佳ちゃんいないと学校つまんないの。」

「じゃあ、早くよくなってもらえるようにお花選ばなきゃね。」

「うん。」

そういって女の子は店内を周り始めた。この子が結果的に選んだのはマリーゴールドだった。

お昼時になると昨日同様、看護師の人たちが続々と来店してきた。今度はお医者さんも同行してきた。なにやら診察室に置く花が欲しいらしい。

「あのー、渡辺くん?」

「あ、中村先生。どういったご用件で?」

この人は中村先生。自分が一時期お世話になっていた精神外科の先生だ。

「今度さ診察室に花を飾りたいんだよね。なんかオススメのお花ないかな?」

「なら、結さんに花束作ってもらいましょうか?花粉とか生花だと問題ありそうなので造花の方がいいかと。」

「わかった。結ちゃんに頼んでみるよ。」

そういって中村先生は結さんの元に向かった。店内は看護師さん達でぎゅうぎゅうだった。この病院の看護師さんは11時と1時で昼休みが分かれている。12時台は患者さんの昼食があるので休めない。この病院は小児科がメインのため子供が多くいる。ここに勤めている人は、看護師の資格とともに保育士、もしくは保育士の資格を持っている人が多い。そういった人を積極的に採用しているらしい。さらに、看護師という仕事の都合上、朝早く出勤し、遅番まである。看護師さんも楽な仕事ではない。子供相手になるとなおさらである。奇想天外なことをたまに子供はする。ここに来ることは癒しになるのだという。花の香りにはリラックス効果もある。いい休憩所になっているのだろう。

「寛くん、レジ任せるね。」

「わかりました。」

どうやら、中村先生の花束を作るようだ。レジに向かうと中村先生が待っていた。

「渡辺くん、お疲れ様。」

「お疲れ様です。結さんの花束待ちですか?」

「そうだよ。笑顔で受け入れてもらえたよ。前まであまり喋ったことがなかったんだけどね。最近まで他の先生から気難しい性格だからと言われてたから、意外だったよ。」

「そうですか。今でも気難しい方だとは思いますけど。まあ初めてあった時よりは話してくれるようにはなったとは思います。」

「渡辺くん効果かな?前会った時よりはずいぶん明るくなってると思うよ。」

「そんな、そうだと少し嬉しいですけど。」

「渡辺くんも初めて会った時よりかなり変わったよね。」

「それはそうですよ。先生の診察のおかげです。かれこれ5年はお世話になりましたから。」

「こらこら、君も心理学を大学で学んできたんだよね?」

自分は大学はで教育学科だったのだが、時間に余裕があったため、教育学と並行して心理学も中心的に学んできた。大学では時間の許す限り、知識を貪った。それが楽しくて仕方なかった。知識が増えるだけでなく、教育学、心理学を併用することによって人間の深い部分まで見えている気がしていた。成績は決していいものではなかったのだが大学の教授の中ではかなり有名だったらしい。時々自分の話をしていると、ゼミの先生からは言われていた。教授から見ると自分は面白い生徒だったらしい。普通の人にはない着眼点があったのだとか。いわゆる変な子だ。

「そうでした。カウンセラーや精神科の人は感謝されてはいけないんでしたっけ?」

「そう。心の病は結局、自分で治すしかないから。僕らはその手助けをするだけ。自分で治したっていう自信が完治するためには必要なんだよ。感謝されてしまったら僕らにとっては失敗になるんだよ。」

「大学の先生も同じようなこと言ってましたけど、自分はやっぱり先生には感謝しかありませんよ。自分がこう今ここに立っていることができるのは先生のおかげです。感謝されるって大切なことですよ。感謝できるっていうのも治療の効果だと思いますけど。」

「そうかな。ならありがたくその言葉受け取っておくよ。結局渡辺くんは先生にはならなかったんだよね?」

「そうですね。先生になってたらここにはいませんし。教育実習で失敗してそれがトラウマになってまして。」

「いままで多くの時間を使ってきたものが失敗してしまうとそう言ったことになるよね。渡辺くんの性格上、考えすぎちゃうところがあるから。余計に落ち込んで頭から離れないんだろうね。実習の成績はどうだったの?」

「実習先の先生が優しかったのか、最高評価をしてくれたんですが、、、」

「そうだね。自分が失敗だって思っているのに、他の人からいい評価を受けてしまうと自己評価と他者評価の差で悩んでしまうからね。渡辺くん理想もプライドも高いからね。その割には自分に厳しすぎて自分傷つけて苦しんじゃうっていう困った性格持ってるからね。」

中村先生がいうならそうなんだろう。性格なんて自分ではわからない部分が多い。自分のことは自分が一番わかっているなんて迷信だ。人間は自分のことに対して盲目だ。多くの人は自分のいいところにばかり目がいって嫌な部分を見ていない。反対に自分のような自己肯定感の低い人間は自分のいい部分を見ることができていない。自分のいいところも悪いところも見れる人間がいたら自分は友達にはなれない。自分の悪いところもいいところだと言い張る人も苦手だ。こういった人は人間特有の弱さがない。人間皆どこか弱いからこそ個性が出るのだろう。弱さのない人間など人間などではない。弱さを隠して生きていくしかないんだ。

「そうなんですかね。自分だといまいちわからなくて。」

「まあ、それがわかったら僕みたいな職業は必要なくなるからね。精神科、カウンセラーなんて廃業だよ。」

「それもそうですね。」

長々と話していると花束を作り終えた結さんが戻ってきた。

「かなり話し込んでましたけど、知り合いかなんかですか?」

「ああ、前にお世話になっていた先生なんです。」

「5年は診察していたから、久々に会ってかなり話し込んじゃってね。できたのかい?」

「はい。お待たせしました。請求は父の方にしておきます。」

「いいよいいよ。これは自分の診察室に飾るものだから自分で払わなきゃ。」

「そうですか。寛くん、あっちの片付けしてきて。」

「わかりました。中村先生ではまた。」

「うん、また来るよ。」

そういって、店先の掃除を自分は始めた。

病院の昼休みが終わり、業務もひと段落。3時になり、宅配便が届いた。朝結さんが言っていたものが届いたらしい。土と他に大きなものがあった。そういえば自分に任せるとはどう言ったことだろう。運ばれてきたのは机が3つ、椅子が6つ、大きめの段ボールが一つ。机も椅子も店の雰囲気に合ったデザインのものだった。

「あっ、届いた届いた。寛くんそことそことそこに並べて。」

店内の指定された場所に机を運んでいく。結構重い。女性にはかなりきつい重さだろう。結さんも椅子を運んでくれていた。

「なかなか雰囲気に合うものがなくってね。結構探したんだよ。」

「そうなんですか。でこのダンボールはなんです?」

「まあ開けてみてよ。」

と言われるがままにダンボールを開ける。そこにはティーカップととポットが梱包されていた。10人分以上はある。

「これって、ティーカップですよね?」

「そうだよ。お父さんからここに開店するとき、患者さんが利用できること、もう一つに、病院で働く人たちが居心地の良い空間にすることを条件として出されたの。まず患者さんが利用できるってところは開店すれば問題ないでしょ。もう一つの条件をどう解決しようかって考えてたんだけど、ここをカフェっぽくしたらどうかなって。病院内に食堂はあるけどこう言った施設はないでしょ。ということでよろしく。」

「はい?自分が全部やるんですか?」

「当たり前でしょ。私料理どころかカップ麺すら作ったことないから。」

「マジですか。自分も紅茶なんて入れたことないですよ。」

「良いから良いから。なんも問題ないよ。いろんな紅茶取り寄せてあるからよろしくね。」

ダンボールの中を調べてみるといかにも高級そうな銘柄の紅茶が8種類ほど入っていた。

「いったいいくらで出すんですか?」

「タダだよ。花束を作ってる時の待ち時間にでも飲んでもらおうと思って。」

カフェっぽくとは言ってはいるが、別におしゃべりするような場所にはしないのかな。そうすると店が回らなくなるのも確かだ。しかし自分が入れることになるといよいよ人手が足りなくなる。

「わかりました。でしたら奥の空いてるスペース使わせてもらいます。」

「そのつもりで開けておいたから。」

店には一箇所不自然に空いてるスペースがあった。なるほど、このためのスペースだったのか。全てこの人の掌の上だったのか。コーヒーならよく好んで飲むのだが紅茶はどうも自分は苦手。歯がキシキシするのがちょっと。だから紅茶を淹れたことも飲んだこともない。

「結さんは紅茶とか飲まれるんですか?」

「飲むよ。毎日。」

ならあんたが入れろよと言いたくなったがカップ麺も作れない人に任せるのはお客様にも申し訳ない。もし怪我でもされたら困る。お父さんにも申し訳が立たない。現状自分が入れるのが最適だろう。

「結さん。提案なんですが、1人でも良いのでバイトでも雇いませんか?自分が思ったより仕事量が多いので2人では回らなくなると思います。」

「そう?まあ検討してみるよ。必要と思ったら紹介して。出来るだけ寛くんの知り合いでお願い。ただし、男の人はダメ。苦手だから。」

「わかりました。必要になったら言ってください。」

人手不足は早急に解決したほうがいいだろう。お父さんも何かお願いがあるらしいのであまり忙しすぎて首が回らなくなるのが一番失礼だ。

この日は正午以降あまりお客さんが来なかった。紅茶はまだ準備中ということにして自分が家で練習することに。まあ、喫茶店みたいに本格的なものは入れられないだろう。使っている茶葉が高級なものなのでソコソコの値段がする。ある程度上手に入れることができないと生産者にもお客さんにも失礼だ。唐突な以来だったが頑張るしかない。そしてこの日もあの人が来た。

「おーい。結、寛くん元気に営業してるかい?」

「もう閉店だからあまり邪魔しないで。」

「まあまあ、今日はどう言ったご用件ですか?」

「なんだろう、寛くんよそよそしくない?お父さん寂しい。」

「もう、邪魔。早く用件言って。」

わかりやすく結さんがイライラしている。昨日の今日だ。あのあと散々言われたと思うのだが、なんも変わってはいない。

「結さん後はやっておくのでお父さんと話してください。」

「ああ、話があるのは寛くんの方だから、結、片付けお願いね。」

「そう。わかった。早めに終わらせて。」

「すいません。よろしくお願いします。」

「気にしないで。でも出来るだけ早く帰ってきてね。」

「わかりました。」

「じゃあ結、寛くん借りるから。」

お父さんに連れられ病院内に入った。

「お父さん。話とはなんでしょう?」

「それは医院長室に入ってから。ところで、かなり結が懐いてたみたいだけど何かあった?」

「特にないですよ。自分といるときはあんな感じです。」

「そうか。よかった。君にあの子を任せて。さあついたついた。入ってくれ。」

医院長室に入ると、秘書の佐藤さんが待っていた。笑顔でお辞儀をしてコーヒーをお願いした。偉い人の部屋というのはどうも慣れない。いつきても緊張してしまう。部屋に入ってからお父さんの目つきが変わった。

「さあさあ、座って。」

「じゃあ早速話とは?」

「この話はもっと時間をおいてお願いする予定だったんだが、少し予定が変わってね。君のタイミングでいいからお願いを聞いてくれるかな?」

「内容によります。今の仕事の他にも父からの依頼もあるのでなんともいえませんが。花屋の人手不足も否めないですし。」

「わかった。でその内容なんだが。この病院子供が多いのは知っているよね?」

「はい。お父さんが小児科の有名な先生というのも知ってます。」

「知っててもらえてるのは嬉しいね。でね、その子供達のために授業をしてもらいたい。できれば週3、各学級ごとに合わせたものをして欲しくてね。大きい子で高校の子もいるから。内容は君に任せるし、何やってもいい。でもこの子たちのためになるような授業にしてほしい。学校の雰囲気でもいいから感じてほしんだ。長く入院していると世間から隔離されている感じがどうしてもついてしまう。同じ年代の子供が今どんな生活を送っているのかだけでも感じるだけでその子たちのためになるんだよ。君は社会科の免許しか取っていないから知識を教えることはしなくていい。道徳的な授業を頼みたい。給料もそこそこのものを出そう。どうかな?」

この上なく嬉しい依頼だ。もともと教師を目指していたので、諦めてたものが間接的にかなうわけだ。各学級に合わせたというのがかなり難しいができることなら挑戦してみたい。大学時代、どうしても納得できなかった学習指導要領もここにはない。自由に必要だと思う教育ができる。しかし、現状ではとても受けられない依頼だ。

「正直嬉しい依頼です。自分は教師を志して挫折した身ですし、自分もできるだけ教育に関われるような仕事をしたいと思っていたのも確かです。しかし、今の現状ではこの依頼を受けることはできません。開店にてまだ2日目ですが人手不足になるのは目に見えています。結さんと自分の負担が増えてしまうので今は受けることは考えられませんね。もう少し仕事に慣れてきて、どのくらいの集客があるのかがわかってくるまで返事は待ってもらえますか?」

「それは仕方ないよ。本業は結の方なんだから。今君に抜けられるのは結に嫌がられると思うから。娘に嫌われるのは父親的に辛いからね。昨日の今日だし。もうあんな思いはこりごりよ、、、」

「昨日一体何言われたんですか?」

途中からいつも通り明るいお父さんに戻っていて口調が戻っている。真剣な話の時は威圧感が出ているような気がする。自然にこっちも畏まった口調になってしまう。正直畏まったのは苦手だ。できるならいつも通りの口調で話して欲しい。でも、こう言った話の時にはこう言った話し方が必要になってくるのだろう。普通に求められる社会人としてのスキルの一つなんだろう。自分は周りの人が優しいからあまり必要なスキルではない。逆に畏まった話し方になってしまうと周りが気を使ってしまうだろう。とにかく良かった。お父さんがいつもの話し方になって。

「もう来ないでとか。私の前で話さないでとか。5時間は怒られてたよ。」

おそらく5時間は嘘だろうが相当長い時間怒られていたことはわかる。

「それは災難でしたね。」

「笑い事じゃないよ。おかげで今日は寝不足で、患者さんに逆に心配されちゃったよ。今日は君に話があったから行ったけど今度からはそうはいかないね。」

「大丈夫ですよ。父親が娘を心配するのは当たり前のことですし。週1くらいなら結衣さんも怒らないんじゃないですか?」

そう言っていると結衣さんからメッセージが届いた。

『早く帰ってきて。

もう閉めるから。』

『わかりました。』



「結からだね。もう帰ってこいって連絡だったんだろ。」

「そうですね。もう閉めるらしいので自分も帰る準備しないと。」

「わかった。今日の話、ちゃんと考えてくれないか?できるだけ前向きに。」

「わかりました。考えておきます。」

「そうだ。ついでなんだが、君の連絡先をくれないか。近況報告でもなんでもいいから。多分ほとんどこっちからの連絡だと思うから。聞いていて損はないかなと。」

「そうですね。知っておくと結さんの近況も聞きやすいでしょうし、これなら結さんにもバレませんからね。いいですよ。」

すぐにお父さんに連絡先を教えた。

「では結さんが待っているので今日はこれで失礼します。」

「お疲れ様。まだ開店してすぐだからバタバタしているけどよろしく頼むよ。」

「了解です。何かあれば遠慮なく連絡ください。」

そう言って医院長室から出た。医院長室前には秘書の佐藤さんが待ち構えていた。なぜかニヤニヤしている。少々不気味だ。

「断られたのですね。少し意外でした。」

「断ってはいませんよ。少し考える時間をもらっただけです。」

「せっかく私が進言してあげたのに。」

「佐藤さんだったんですか。でも、知らないですよね。自分が教師を目指していたこと。」

「まあ、色々と手はあるから。」

「怖いですよ。佐藤さん目が笑ってませんもん。」

「まあ、医院長先生の前に急に現れた人間だからね。少しだけ調べさせてもらっただけだよ。別に調べればわかることで、隠してるわけではないでしょ。」

「随分とお父さんに尽くすんですね。」

「医院長先生には感謝しても仕切れないからね。」

「まあ詳しいことは聞きませんけど、今度どこまで自分のこと調べたのか教えてください。話していいこととそうでないことしっかり教えなきゃいけないんで。この調子だと他にも色々と知ってそうですから。」

「そんなベラベラ喋らないよ。信用してない?」

「そういうわけではないんですが、まあ色々と知られたくないものも多いので。」

「そうみたいね。」

「本当に色々と調べたんですね。」

話していると、結さんから連絡がきた。

『遅いよ。早くしてほしいな。』



『すいません今すぐ行きます。』



「お嬢さんからね。これだけは言っておくけどお嬢さん傷つけないようにしてね。そんなことしたら許さないから。」

「そのことも知ってるんですね。それには気をつけているつもりではあるんですが人の気持ちなんてわかりませんからね。」

「そう。なら用心してね。ほらお嬢さんをこれ以上待たせないであげて。」

「そうですね失礼します。」

そう言って自分はこの場を急いで後にする。

「お嬢さんは寛くんのことかなり気になってはいるとは思うんだけど。知らない方が幸せなことも多いから言わない方がいいのかもね。」

「そうだよ。」

「医院長、独り言の盗み聞きなんて趣味が悪いですよ。」

「悪かったね。でも彼をあまり困らせないでくれよ。彼も彼でかなり重い過去を背負っているんだから。今でも彼は世間からは到底受け入れてもらえないような関係を持っているからね。」

「こんなところで話していいんですか?」

「どうせ君のことだ。調べはついているんだろ。彼はこれから難しい選択に迫られるから、今は彼の思う通りに行動させてあげたいんだよ。」

「それが自分の娘が傷つくことだとしても?」

「まだ結がどう言った答えを出すかはわからない。どう思っているのかもわからない。なら任せるのさ。それが選択するってことだろ。」

「冷たいですね。」

「親になればわかるよ。どこまでいっても自分の子供は可愛い。でも、そこに親の意思はあまり入ってはいけないんだよ。結局はその子の人生なんだから。生きてれば傷つくことも絶望することもある。親ができることはいつでもそこに待っていて帰ってこられる場所を作ってあげ続けていることだけだよ。」

「そういうものなんですかね?自分にはあまりわからないです。真由さんにもそう思っているんですか?」

「そうだよ。でもあの子は帰ってくるところだとは思ってないだろうね。真由は僕に対する憎しみが強いからね。初めての子供だったからどうしていいかわからなかったんだ。言い訳になってしまうけど。」

「難しいですね。」

「人間も人生も病気も思う通りにいかないからね。ましてや可愛い娘だといろんな感情が入っちゃって余計に思う通りにはいかない。子育てって良かれと思ってやったことが裏目にでることがほとんどなんだよ。本当に難しくてね。親はレールを敷いてあげればこの子は幸せになるって信じて色々と口を出してしまう。それは子供にとっては自分を縛るものでしかない。レールの通りに進んで幸せになるかどうかなんてその子の考え方次第。真由は僕の敷いたレールの通りに進んでしまった。もっと彼女には色々な道があったのかもしれない。僕も気がつくのが遅すぎたよ。子供の可能性をもっとも狭めてしまっているのは親なのかもね。」

「でも、その道を選んだのは真由さんです。結局は医師の道を選んだ責任は真由さん自身にあるのではないんですか?」

「そう割り切れればよかったんだろうけどね。そうは考えられないのも親なんだよ。だからこそ結には自分で選んだ道を選んでほしい。結が医学部をやめて専門学校に行きたいって言った時に初めて気づいたよ。ああ、自分は間違っていたんだなって。」

「そういうもんですか。親の心子知らずですね。」

「子の心親知らずとも言えるよ。」

「それもそうですね。わかったら苦労しませんもん。」

「難しいよね。まあこの話はここまでにして今日はもう上がりだよ。もう遅いしね。」

「はぁーい。お疲れ様でした。」



病院を出てすぐに結さんのもとに向かった。時間的にはそんなに経ってはいないが、閉店時間は過ぎている。閉店準備もおそらくだが結さんが1人でやってくれただろう。店に着くと案の定閉店準備は終わっていた。

「本当に申し訳ないです。閉店準備結さん1人でさせてしまって。」

「いいよいいよ。こうなることは予想できてたから。今度からは事前に連絡してもらうことにするから。重要なことは時間をかけてお互いに話したいだろうし。」

「ありがとうございます。今日お父さんの連絡先をいただいたので今度からは自分に直接連絡がくると思います。」

「そう。でも念押しで私からも言っておくから。私がいると話しづらいこともあるでしょ。ところで何の話だったの?」

言っていいことなのかはわからなかったがどうせお父さんからは話は行くだろうと思い、隠し事なく話すことにした。

「病院内の子供に向けて週3回授業してくれないかと頼まれました。今の状態では受けられないと一応保留という返事をしました。」

「そうだね。今の状態じゃ受けることは難しいね。正直受けたかったでしょ?その仕事?」

「そうですね。受けたいのは山々ですが、今はこっちが優先です。まだ自分が慣れてないのもありますし、何より結さんに迷惑かけてしまいますから。中途半端なことはできません。」

「私の心配はいいよ。それよりもし受けることになったら、アルバイトの件真剣に考えていかないとね。1週間様子見てから考えてみようか。ある程度候補はあげておいて。」

「そうですね。こっちも真剣に考えておきます。こっちの都合で店には迷惑かけないようにします。」

「まあ、今帰りたいんだけどお父さんとながーく話して閉店準備手伝ってくれなかったのは迷惑じゃないのかな?」

「すいません精進します、、、」

最後に毒を吐かれたが結さんの顔は笑顔だった。

「すいません遅れました。」

「じゃあお疲れ様。ちゃんと休んでね。」

「お疲れ様でした。」

そうして今日の営業は終わった。すでに周りは暗くなっていた。これから夕飯を作らなくてはいけないのは少し憂鬱だ。こう言ったときは鍋に限る。材料も家にはあるし、何より切って煮えるの待つだけ。主婦の味方だ。母さんも鍋が好きなので文句はないだろう。

「ただいま。」

「おかえり。遅かったじゃない。お腹すいた。早くご飯。」

お疲れ様の言葉もなしに、すぐにご飯と言ってしまう。なんとも母さんらしい。少し子供っぽいからこそ、いい絵が描けるのだろう。母さんは無邪気という言葉がよく似合う人だ。

夕飯を食べ終わり、後片付けは母に任せ、朝言われていた父からのメールを確認しに言った。メールでは

『お疲れ。日向さんの所で働いているらしいじゃないか。ママから聞いたよ。くれぐれも迷惑をかけないように精進してな。ゴールデンウィークには帰れるから。それまでにこれ仕上げてくれ。よろしく頼む。寛の料理を2人とも楽しみにしているよ。PS.おみあげはそれぞれ買ってくるからどれが良かったかコンテストでもしよう。』

メールには添付されたファイルがあった。そこには白黒で書かれた服のデザインがあった。ゴールデンウィークまでというとあと3週間ほどある。まあ問題はないだろう。集中して週末にでもやろう。疲れているし、久々にお酒でも飲んで寝よう。そうして、キッチンにあるウィスキーを炭酸水で割った、少し度数の高いハイボールをコップ一杯分飲んだ。自分はあまりお酒に強くない。少しの量でほろ酔い気分になる。実に気持ちがいい。フワフワするというのが正しい表現だろう。ほどよく酔えるからこそお酒の美味しさに気づくってもんだ。強すぎると酔わない。弱すぎると飲めない。程よいっていうのが大切だ。気持ちがいいのでそろそろ寝よう。