魔王に案内されて、俺は魔界チェス大会の会場に来ていた。

「建物の中ではやらないんだな」
「今日は天気がいいので、空の下でということらしいですね。魔界の天気は変わりやすいので、一応建物もおさえてあるそうですが」
「そうか。せっかく晴れてるし、このままだといいな」
「ゆ……魔剣士さん。い私はちょっと用事がありますので少し外しますね。メイドちゃんの側にいれば大丈夫ですから」
「おう? あ、ああ、分かった」

 よく分からないが、魔王とは別行動になるらしい。
 多忙な身の上なのは分かりきっているので、俺は素直に頷いた。

「魔剣士様、出場登録はこちらです。書類は私が書いておきましたので、提出はご自分でお願いしますね」
「おう、わかった」

 言われたとおりに、もらった紙を受付の担当者に渡す。

「はい、確かに。魔剣士さん、ですね。がんばってください!」

 にこやかに受け取ってくれた相手は、もちろん魔族だ。
 羊のようにふわふわの毛と、立派なツノを持った魔族の女性が、ヒヅメのついた手を器用に動かして、俺が渡した書類をまとめた。
 
「……本当に、俺も魔族に見えてるんだな」
「全身鎧ですし、魔法による認識のズレもありますので。参加者も多いですからいろんな魔族がきていますし、堂々としていれば問題はありませんよ」
「なるほど……っと?」

 あらためて感心していると、周囲から歓声があがった。
 何事かと思って周りを見ると、住人の視線がある一点へと向いている。
 おそらくは表彰用だろう、目立つように建てられた木製の大台に、魔王が立っていた。

「あー、あー、拡声魔法の調整中……あ、皆さん聞こえてますね、大丈夫ですね。どうも、魔王でーす」

 気軽な調子でひらひらと周囲に手を振る、見慣れた顔。
 明らかにお忍び用の魔法を解除した魔王が、壇上に登っていた。

「……おい、アレいいのか?」
「魔王様の発案ですよ。ああして魔王様が出れば魔剣士様がより目立ちませんから。いざとなれば私も護衛しますので」
「なんか俺一人のために、悪い気がするな」
「ふふ。それだけ、あなたが気に入られているということです」
「……そう言われると照れるな」
「ええ、それはもうめちゃくちゃ気に入られているので魔剣士様が押せば簡単に堕ちると思いますよ、うちの主人。こう、ふたりっきりのときに、えいやっとベッドに押せば」
「……できるわけないだろ、そんなこと」
「うちの主人は恋愛クソ雑魚歴五千年なので、ちょっと甘い言葉いってやればすぐですよ、オススメです」
「お前、ほんとうにアイツに仕えてるんだよな……?」

 従者のくせにちょくちょく主人に対して辛辣なのはなんなのだろう。。
 これ以上この話題を続けるとまずいと思ったので視線を壇上に戻すと、魔王はにこやかに微笑みながら周りを見渡して、挨拶を続けている。

「お集まりの皆様、本日はちょっとしたサプライズと言うことで、私もお邪魔することにしました。実は私も、この魔界チェスが結構好きで……仕事終わりに従者と一局打つことも多いのです」
「……あいつ、人前だとあんな感じなんだな」
「民草の前では、魔王様は笑顔を絶やしませんよ。たまに無理して笑顔になっておられるので、心配になりますが」
「確かに、あれはちょっと頑張ってる感じだな……あんまり見たことないっていうか、表情がちょっと硬い感じがする」
「魔剣士様にも分かりますか。つまりあなたの前では、魔王様は自然体で笑っていると言うことです」
「…………」

 そういう情報を得ると、いちいち嬉しくなってしまうのが厄介だな。
 魔王は俺の前でするのとは違う、よそ行きの笑顔で周囲の歓声に応えている。
 大きな拍手と魔王コールが飛び交っているので、俺も一応拍手をしておく。
 隣のメイドはいつの間にか魔王の絵が描かれたデカいウチワを両手に持って振っていたが、見なかったことにした。

「魔剣士様も使いますか、魔王様ファンクラブ限定ウチワ、私保存用と仕様用と貸し出し用を三つずつ持っていますので」

 見なかったことにしたのに、向こうから来た。
 
「ちなみにこの魔王様ウチワは人界の東部の納涼アイテムを参考に、私がつくりました。あとファンクラブも私が創設者です」
「公務の服装といい、だいたいお前が犯人じゃねえか……」

 なんで得意げなんだ、コイツ。
 魔王の挨拶が終わり、拍手が静まるころには対戦表が発表された。

「それでは魔剣士様、ご健闘を」
「お前も参加するのか?」
「ええ。私も趣味で魔界チェスをたしなんでいるので、この規模の大会に参加できる機会は逃せません」

 どうやらメイドも参加者で、ここからは俺ひとりになるらしい。
 どちらにせよ大会という都合上、付き人がいるのもおかしな話だ。ぼろを出さないようにだけ気をつけよう。
 メイドと別れ、受付を担当してくれたもふもふの羊魔族に案内されたテーブルには、知っている相手が居た。というか、別れたばかりの相手がいた。

「……一回戦でいきなりお前か、メイド」
「ふふ。思ったよりはやく、再戦となりましたね。……今度はズルはなしで正々堂々と、相対させていただきます」
「前のがズルだとは思ってないがな。……でも、再戦は嬉しいぜ、よろしくな」

 最初から大ボスが出てきたような気分だが、初戦が顔見知りというのは緊張がほどけていい。
 先手はメイドが取るになり、対局がはじまった。

「……お前、意外と積極的に打つんだな」
「ふふ、魔剣士様こそ、前よりも更に手強いですね。さて、どう崩しましょうか……」
「今度は、そう簡単にはいかねえよ」

 既に一度、負けている相手なのだ。
 今度は負けたくないという気持ちがあるからこそ、より思考を冷やして、最適解を見つけていく。

「っ……」

 出会ってからこれまで、一度も涼しい顔を崩さなかったメイドの表情が、僅かに歪んでいるのが分かる。
 お互いにぎりぎりの勝負。それがわかるからこそ、楽しい。

「……楽しいですね、魔剣士様」
「……ああ、そうだな。こんなに楽しい戦いなら、いつでも」

 そして、良い時間ほど、あっという間に終わるものだ。
 コマを動かす音すらも聞こえないくらいに集中した対局も、やがて最後の一手が見えてくる。

「……ここだな」

 こつん、と軽い音を響かせて、俺は駒を置く。
 メイドは少しだけ盤面を眺めると、目を閉じて深く吐息した。
 再び開かれた瞳は、すっきりとした微笑み。
 
「お見事です。参りました」
「よしっ……対戦ありがとな」

 再戦を勝利して、思わず拳を握ってしまった。
 子供っぽく喜んでしまったことに少し恥ずかしくなるが、メイドは特に気にした様子もなく微笑んで、

「こちらこそ、ありがとうございました。白熱した勝負でしたね。……ですが魔剣士様、まだ一回戦ですよ」
「ああ、そういえばそうだったな……集中しすぎてあんまり考えてなかったが」
「ちなみに私、過去に四回ほどこの大会で優勝している常連です。優勝候補を倒したのですから、自信をもってあたってくださいませ」
「……やっぱ最初から大ボスだったんじゃねえか」

 強いとは思っていたが、優勝常連レベルだった。
 とはいえ緊張はほぐれたし、なにより『楽しい』と思えた。

 ……殺し合いじゃないってだけで、気楽なもんだな。

 正体がバレたら大ごとにはなるだろう。
 しかし今、俺は『勇者』ではなく『魔剣士』だ。
 もしも、という懸念は消えない。けれど一局を終えて、メイドと魔王が整えてくれたこの機会を楽しもうと思える程度には、俺は開き直りはじめていた。

 会場の熱気は高く、趣味に熱中する魔族たちの姿は、俺の知っている人間たちが夢中になるのとなんら変わりは無い。
 良い空気を楽しむように、俺は二回戦、三回戦と勝ち抜いていき、時間を忘れているうちに決勝にまで進んでいた。

「対戦よろしく」
「おう、こちらこそよろしくな、鎧の兄ちゃん」

 相手に挨拶をすると、気軽な返答があった。
 見たところ、決勝の相手は角の生えた大柄な魔族。人界では『鬼』と呼ばれる頑強な種族だった。
 対戦相手の鬼は、気軽な様子で腰掛けており、場数を踏んでいる雰囲気があった。決勝まで進んでくるのだから、当然か。

「あんた、この大会に出るのははじめてだよな? 王都で開催されて猛者の集まるこの大会で、初参加で決勝まで上がるなんて、なかなか無いぜ」
「あー……田舎出身なもんで、なかなか都会まで来ることがなくてな」

 実際、俺の出身は人界ではかなり田舎なので、半分くらいは本当だった。

「なるほど、遠征ってわけか、そいつは貴重な機会だな。だが俺も連覇がかかってるし、なにより家族が見に来てる。故郷に持ってく土産話が悔しいものになるが、勘弁してくれよ」
「こんな大舞台で手加減されるほうが困る。俺も全力で、そっちも全力で、恨みっこなし……それでいいだろ?」
「違いない。んじゃあ、さっさとやろうぜ、鎧の兄ちゃん!」
「ああ、対戦よろしく」

 鎧の翻訳魔法はちゃんと機能しているようで、会話にまったく不備はない。
 ここまでの対戦相手もいろんな魔族がいて、正体を隠しているという罪悪感はありつつも会話は楽しかった。
 そして、大勢の魔族が見守る中で、決勝がはじまった。

「……あんた、本当に強いな」
「そっちもな」

 相手のスタイルは、鬼という見た目どおりの攻撃重視。
 ガンガンと駒を進めてきて、お互いに駒の削りあいになるような打ち筋だ。

 こういう戦い方は、一見頭が悪い戦法に見えて、実はかなりの取捨選択を要求される。
 なにを残して、なにを犠牲にするかという、損得の判断が必要な戦い方だからだ。
 そしてこの相手は前回覇者というだけあって、その判断がかなり上手い。
 お互いの手駒ががりがりと削れていく勝負は見応えがあるのか、周囲からの歓声も大きい。

「ははっ……」

 じりじりとお互いに追い詰められていく感覚を、やはり楽しいと思う。
 次の手を考える頭は痛いほど回っているのに、終わって欲しくないとも感じている。
 これは殺し合いではなく、ただの競い合いだからこそ、噛みしめられる楽しさだ。

「……これで、チェックメイトだ」

 最後の一手をおいて、宣言する。
 お互いにほぼなにもなくなった盤面をながめると、対戦相手はしばらく唸って、

「……ああ、確かに俺の負けだな」
「ふう……」

 緊張の糸が切れて、思いっきり息を吐く。
 ほんの一手間違えるだけで、俺の負けだっただろう。
 勝てたのはただ、『噛み合った』と言うだけの話だ。

「やっぱ連覇は難しいか……できてれば、史上初の快挙だったんだがな」
「……すまん」
「謝るなよ。強いやつと打てて、楽しかったぜ。またいつかやろうな、鎧の兄ちゃん」
「ああ、機会があれば、ぜひ」

 気軽な様子で、相手の手が差し出されてくる。
 人間とは違う、ごつごつとした大きな手を取ることを、俺は一瞬だけためらった。

「…………」

 後ろめたさがありつつも、俺はゆっくりと相手と握手をかわす。
 相手の気持ちを無下にしたくはないし、俺だって楽しいと思ったのだ。
 たとえ俺が人間で、相手が魔族で、大きな溝があったとしても。
 今このときの、お互いの気持ちは本物だと思いたかった。

「また来年、ここで会おうぜ」
「あー……約束はできないけど、そうできるなら俺も嬉しいよ。うちはだいぶ、田舎だからな」
「そうか? じゃあ再来年でも、その次でも! こないと俺が優勝しちまぜ、鎧の兄ちゃん」
「はは……」

 人間も魔族も、同じように心があることを、俺は既に知っていた。
 だけど俺はこのとき、すっかり忘れていた。

「兄様が負けるはず無い!!」
「は……?」

 魔族に人間と同じように心があるということは、優しさや良心だけではなく無念や悪心もあるということを。