アルバはパーティに行くのが楽しみになった。あれ以来、姉と踊っていると歳の近い子が声をかけてくれるようになったのだ。
男の子も女の子も入り乱れて、手をつないでぐるぐる回る。それだけだが、かなり楽しい。もう大きい兄姉がいる子が、教えてもらったと言ってダンスの型を披露してくれる。それを見よう見まねで繰り返すのも面白い。
アルバが一人でいることがなくなったからだろう、あの三人組は遠くから見ているだけで、近づいてこなくなった。
ある日、友人達とぐるぐる踊っていたアルバは、二つに編まれた黒髪がぴょこんっと揺れるのを見た。あの時の少女だ。
今日は見知らぬ少年と踊っている。彼女は少年から数歩離れてぺこんとお辞儀をした。横から他の少年が手を差し出すが、ゆるりと首を横に振ってきびすを返した。
アルバは友人達に向き直る。
「ごめん、またね!」
つないでいた手を解いて彼女の背を追いかけた。
少女はガラス戸を抜けて庭に出る。灯りに照らされる花々に目も向けず、回廊をスタスタ進む。会場での人壁と、歩幅の差のせいで開いた距離をアルバは必死で駆ける。花壇に囲まれた広場に出ると、その真ん中に大きな噴水があった。
ドーム状に吹き上がった水が、辺りから届く光にきらりきらりと光っている。少女はその裏に回ってふちにすとんと腰を下ろした。
「おねえちゃん!」
駆けるスピードを上げて呼ぶと、少女がぱっと振り返った。水色の目がまあるくなっている。
「この前の……、」
「オレ、アルバ!」
「はい。こんばんは、アルバ君。」
にこりとほほ笑まれて、アルバは満足げに一度ふふんっと鼻を鳴らす。少女の隣に腰かけた。
「おねえちゃんは? おねえちゃんのなまえは?」
「クラウディアといいます。」
「クラウディア!」
教えられた名前を染み込ませるように、うんうんとうなずく。
「あのね、オレいま、めっちゃおどってるよ。すっげぇ、たのしいっ。まんてん?」
「ええ。花丸ですね。」
クラウディアがふふっと笑って指先で丸を描いた。アルバもほほを赤く染めてへへっと笑った。
ふと、ホールからわっと盛り上がる声が聞こえてアルバは振り返った。彼女がダンスを断っていたことを思い出す。
「もう、おどんなくていいの?」
「……ちょっと疲れちゃいまして。」
「だいじょうぶ?」
「少し休んだら元気になります。」
「ふーむ?」
そういえば、誘っていた少年の周りには他にも数人いた。あの人達みんなが彼女と踊りたいのなら確かに疲れてしまうだろう。なぜか大人は二人ずつで踊るのだ。
「おねえちゃん、にんきものだね。」
「私が人気者なわけじゃないですよ。」
クラウディアが口元に笑みを乗せる。笑っている、はずだ。なのに苦しそうに見える。伏せられた瞳から、その水色があふれそうに見える。
「……あのひとたち、いじわるするの?」
もしかして、お姉ちゃんの友達ではなくていじめっ子なのかも。
心配になってアルバは身を乗り出した。クラウディアはきょとんとしてから、慌てて首を横に振った。
「違います、違いますよ。」
「でも……っ。」
「大丈夫です。悪い人達じゃありません。みんな優しい人ですし。ただ……。」
クラウディアが言葉を切った。ためらって視線を横に流す。じぃっと見つめるアルバへ戻して眉を八の字にした。
「私のことが、好きなわけじゃありません。うちの……お店に興味があるんです。」
「おみせ?」
「ええ。うちのお店はそこそこ大きいんです。私と結婚したらお金が手に入るし、もしかしたらお店の主になれるかもしれません。」
「なれるの?」
「どうでしょう。私と弟、どちらが店を継ぐのか両親はまだ決めていません。でも、祖母、母と続けて女性が継いだので、多くの人が私が継ぐのだと勘違いしているみたいです。……二人が継いだのは、二人にやる気と才能があったからなのに。」
アルバには彼女の話が半分くらいしか分からない。首をかしげた。
「おねえちゃんは、おみせしたくないの?」
「そうですね、弟に任せたいと思っています。あの子さえ良ければ、ですが。」
クラウディアはため息をついた。
「父様は、継ぐ継がないは別として、卒業までには相手を見つけろって言うんです。私と財産を守ってくれる人をって。……でも、どういう人が守ってくれる人なんでしょうか。」
後ろへ回した両手を支えにクラウディアはぐっと胸を反らした。その水色の目できらきらと金銀が散る濃紺を見上げる。
「財産に興味がある人なら、たくさんいますけど。……母様と父様が一所懸命守ってきたものだもの、取られちゃうくらいなら、全部レイニーに任せたいです。私が暮らしていく分は自分で稼げば良いです。どうしても結婚しなくちゃいけないなら、一緒に支えていける人が良いです。……お金も家柄も要らない、お互いがいればそれで良いって、そう言ってくれる人が。」
噴水の水粒がきらきら光っている。彼女の瞳も透き通ってきらめいていた。寂しそうなその水色は、夜空よりもっと遠くを見つめている。あの金銀の向こうに行ってしまいそうだ。
アルバは苦しくなってくしゃりと顔をゆがめた。その視線に気がついてクラウディアがはっと我に返る。こちらを振り返って心配そうに顔をのぞき込んできた。
「すみません。変な話を……、」
「オレがケッコンしてやろうか。」
つるりと言葉が出た。言ってしまってから素晴らしい考えだと思った。水色の目がまあるくなってぱちぱちと瞬いている。
「そんなに あいつらイヤなら、オレとケッコンしよう! オレんち、けっこうおおきいから、ひとりくらい ふえたってへいきだし。おかねは あったほうがうれしーけど、でも、へいきっ。こないだ、じーちゃんが おこづかいくれたから、オレいま ふごうだもん!」
アルバがぐっと拳を握りしめると、クラウディアがぶふっと吹き出した。くすくす笑う。
「それは、頼もしいですね?」
「だろ? オレとケッコンしよう! オレがまもってあげる!」
彼女がほほ笑む。白いほほをぽろりと涙が伝った。アルバはぎょっと目を丸くした。
「ど、どうしたのっ?」
慌てるアルバをなだめるように、白い手がアルバの手に触れる。黒い髪がゆったりと左右に振られた。
「すみません。うれしくて。……ありがとうございます。」
まだ雫がぽろぽろとこぼれている。それでもにこりと笑みを向けられて、アルバはほっと息をついた。同時にぽぽっと胸が暖かくなってくすぐったくなった。クラウディアの手を握る。
「じゃあ、やくそくな。コンヤクだ!」
「はい。」
高ぶる気持ちのままつないだ手をぶんぶんと上下に振っていると、遠くから少年の声がした。何回か目で「姉さん」という言葉が聞き取れた。クラウディアが振り返る。
「弟が探しているみたいです。失礼しますね、アルバ君。」
「うんっ。またね、ディーア!」
立ち上がった彼女へそう呼びかけると、クラウディアはぱちりと目を瞬かせた後ほほ笑んだ。アルバへ手を振ってきびすを返す。
入れ違いに14歳ほどの少年が近づいてきた。アルバと同じ赤みがかった茶髪にハネグセがある。
「アルバー、お前こんなとこいたのか。心配しただろ。」
少年はアルバの前に立つとむにむぎと丸いほほを引っ張った。それを放ったままアルバは少年を見上げた。
「にいちゃん、オレ、コンヤクした!」
「はあ?」
むにむぎが止まる。
「オレ、いまのおねえちゃんとケッコンするんだ!」
「今のって、今の? スワロウ工房のお嬢さんと? ……ウソだろ。」
兄は振り返って一瞬動揺を見せたが、直ぐに真顔になった。アルバはむっと眉をつり上げた。
「ウソじゃない!」
「バカ! すねはやめろ、すねは!」
足を振り上げると、兄は慌てて逃げた。手をつないでホールへ戻る間にアルバは経緯を話したが、兄ははいはいと適当な相づちを打っていた。
***
6歳になったばかりの、冬のある日。
かととんっと床に何かが落ちた。ころころと転がってアルバのつま先に当たる。灰色のガラス玉だ。
部屋の中では、アイビィとクレエが母の作った人形で遊んでいた。ガラス玉はままごと用のティーカップを取り出した際に、おもちゃ箱からこぼれ落ちたらしい。
アルバはそれをひょいと拾い上げた。アイビィが慌てた声を上げる。
「アルバ君、それお菓子じゃありませんよ。」
「たべないよ!」
小さい子扱いされてアルバは膨れた。くりくりと指先でガラス玉を転がす。何の気なしに窓へ向けて掲げた。透けた光に大きな目を見張る。
「アイねえっ! アイねえっ! これちょーだいっ!」
「? 良いですけど……。」
「どーしたの?」
興奮してぴょこんぴょこん跳ねる末っ子に、姉二人は首をかしげる。アルバは二人の傍へ駆けていって、ほらっとガラス玉を掲げてみせた。
陽の光に透き通って水色に光る。アルバの指先も淡く染まる。
「ほら、このいろ、ディーアのめといっしょだ!」
「……だれ?」
クレエはさらに首をかしげた。アルバはへへんっと胸を反らす。
「オレのおよめさん!」
「え? アルバ、ケッコンしたのっ?」
今度は驚きの声を上げる姉に構わず、アルバは再びぴょこぴょこ跳ねる。
「これ、ディーアにみせてやろう! オレのたからものだ!」
「じゃあ、宝箱が必要ですね。」
アイビィはおもちゃ箱から小さな木箱を取り出した。そこに入っていた布製のブローチを人形の胸に付けると、空いた箱をアルバにくれた。
***