年明けに学生主催の新年会が毎年ある。会場は学園のダンスホールで、それぞれの兄弟を招待することが出来る。
 アルバも兄姉三人を呼んでいた。姉妹でそろいに仕立てた黄色のドレスを翻し、クレエは機嫌良く弟の手を引く。

「もうアルバも卒業かー。来年は参加出来ないねー。」
「出たければ出れば良いだろ? ウィリアムさんも来てるんだし。」

 アイビィの婚約者であるウィリアムは妹が一人いるが、その妹も既に卒業しているのでもうただの部外者だ。しかし、アイビィに付き添って参加していた。先程までアルバもいた歓談席、ダンスフロアをぐるりと囲むそこから、友人と踊るアイビィをにこにこと見守っている。

 そうして辺りへと目を向けていたアルバは、クラウディアを見つけた。学生が教師や講師を招待することは珍しくないから、彼女も慕っている誰かに呼ばれたのだろう。声をかける少女達へ、クラウディアはその水色の目を細めて笑みを見せる。
 細身の青年が、横から彼女の手をすくった。黒い髪に、青い瞳。一度挨拶をしたことがある、彼女の弟のレイニーだ。
 くるくる、くるくると花が川面を流れるように二人は回り出す。前を横切った幼いカップルを避けた拍子に、レイニーが体勢を崩す。それをぐっと引っ張ってクラウディアが引き戻す。姉になんと言っているのか、レイニーが苦笑を浮かべた。クラウディアはくすくすと笑っている。その笑みにからかいはない。
 ひらり、と花が目の前を吹かれていくように、また何かがアルバの胸を過ぎた。

 ぐいっと腕を引かれてアルバははっとした。ぐるりっと脚を軸に回転するクレエを慌てて支える。

「アルバ? どうしたの?」
「あ、いや、ジョーがいたから。」
「へぇ。そっち行く?」
「いや、婚約者さんと一緒だったから。」
「そっか。それは邪魔しちゃ悪いね。」

 奏でられる曲がお気に入りのものに変わったからだろう、クレエのステップが跳ね上がる。アルバもそれに合わせて跳ねた。くるくる、くるくると際限なく回り続ける。クレエと踊るといつもリードを取られる。アルバは苦笑した。

「クレ姉は踊るの好きだな。」
「アンタだって好きでしょ。いつも楽しそうじゃない。」
「そう見えてるなら、俺達二人共、満点だな。」
「あら。男子の方でもそう教えるんだ?」
「え?」

 へぇーと感心しているらしいクレエに、アルバは驚いた顔を向けた。

「男子の方?」
「違うの? 私は授業で教わったんだけど。」
「アイ姉が言ってたんじゃなくて?」
「そうなの? お姉ちゃんもそう習ったのかな。私はクラウディア先生に言われたんだけど。」

 クレエが今度はアルバを振り回すように回転した。よろめきながらもアルバは何とか足を運ぶ。
 女学園では同じようにダンスを教えていて、アイビィが習ったことをアルバに教えた。何も不思議なことはない、そのはずなのに。クラウディアが口にしていた、ということがどうにも心の内に引っ掛かる。
 それは、どうして?

「あ、お姉ちゃん!」

 アイビィ達とすれ違い、クレエがぱっと顔を輝かせる。アルバが手を放すと、ひらりっとドレスを翻してアイビィの下へ飛び込んだ。くすくすと笑うアイビィと、にかっと笑ったその友人に受け止められて、ぐるんっと回る。
 歓談席へ向いて、アルバははっと目を見開いた。兄とウィリアムがいない。二人共どこに行ったのだろう。踊りの輪から抜けてきょろきょろと辺りを見回す。
 ここの歓談席は話をすることよりも踊りを見物することの方がメインだ。だから、みんなフロアの方へ向いている。時々輪を抜けたり入ったりとにぎやかだ。今も、妹に呼ばれて苦笑混じりに少年が立ち上がった。
 それを追うようにしてアルバはフロアを振り返った。案外踊っているのかもと思ったのだが、そちらにも姿はない。アルバは歓談席を泳ぐように進む。

 すいっとつややかな黒髪が視界をよぎった。ゆるく編まれた髪が尾を引くように揺れるのを思わず追う。クラウディアが庭へつながるガラス戸をくぐろうとしていた。

「クラウディアさん。」
「あら、アルバさん。こんばんは。」

 クラウディアはにこりとほほ笑むとドレスの裾をつまんでお辞儀をした。
 アルバはもう一度フロアを振り返った。先程彼女を見かけた場所では、レイニーが学生達とじゃれている。わざわざ抜けて庭に行くなんて、誰かと待ち合わせだろうか。

「……どうしたんですか? あちらはもう良いんですか?」
「ちょっと人に酔ったので、外の空気でも吸いたいと思いまして。噴水まで行こうかと。」
「噴水……。」

 ホールの庭には大きな噴水がある。生徒に人気のスポットだが、アルバは近寄らないようにしている。噴水の底が足場よりずっと下に作ってあって、見た目より深いのだ。アルバにとっては怖い場所である。しかし。
 アルバはちらりとガラスの向こうを見た。
 もう陽が落ちている。庭にもぽつぽつと灯りがあるにはあるが、それは装飾の役割が強く室内灯ほど明るくない。学園の敷地内で教師を襲う不届き者がいるとは思えないが、クラウディアを一人で送り出すのは何だか落ち着かなかった。

「俺も、丁度外行きたくて。ご一緒しても良いですか?」
「え? でも……。」

 クラウディアは戸惑うように言葉を濁すと、目を伏せた。彼女から拒絶の言葉が出る前に、アルバは先行して外に出た。

「今日は晴れていて、星がよく見えますね。」

 努めて明るく言うと、クラウディアも隣に並んで、きれいですね、と言ってくれた。アルバはほっと息をついた。

 ***

 庭を横目に回廊を進む。灯りにぼんやりと浮かぶ花を、クラウディアがにこにこと眺めている。
 いくらか行かないうちに柱の陰から跳ねた髪がのぞいているのを見つけた。濃紺に沈んでただの茶色に見えるが、その髪質もぼそぼそと聞こえる声も兄のものだ。
 こんな所にいたのか。

「あに……、」
「アルバとクラウディア嬢ってどうなったんだ?」

 兄へ呼びかけようとクラウディアより前へ出た足が、そこで止まる。
 先のウィリアムの声に、兄のトラモントが応える。

「あー、ダメっぽいなぁ。もう時間切れだし。」
「そうか、残念だったな。スワロウ工房と縁戚になれれば、貴族相手の仕事とかもっと入りそうだったのに。」

 そのウィリアムの言葉が、かっと頭に血を上らせた。それなのに、いやに胸の内は冷えている。
 なるほど。てっきり飲み過ぎて夜風にでも当たりに出たのかと思ったが、こういう話をしたかったのか。確かに、歓談席でするわけにはいかないだろう。クラウディアを慕う姉達、特にクレエの耳に入ったら大騒ぎすること必至だ。

「兄貴。ウィリアムさん。」

 ザカザカとわざと足音をたててアルバは二人の前に躍り出た。兄はびくっと肩を跳ねさせ、義兄予定はぎょっと目を見張った。

「あ、アルバ……。」
「今の話、何?」
「いや、アルバ、あのな、」
「うち今、金に困ってるわけ? だから、見合いを勧めたの?」

 兄がぶんぶんと首を横に振る。
 では、どうしてそんな話をしているのだ。もしかして、困っているのはウィリアムの方なのか。兄も、その友人であるウィリアムも、アイビィが傷ついていたのを見ていたはずなのに。
 アルバはぎろりとウィリアムをにらんだ。ふつふつと怒りが沸いてくる。

「ウィリアムさんがそんなこと考える人だとは思いませんでした。もしかして、アイ姉との婚約も何か裏があるんですか?」
「そんなわけないだろ!」

 激高してウィリアムが叫ぶ。頭に血が上ったアルバには、図星を指されて赤くなったように見えた。

「アイ姉を利用するつもりなら許さない!」
「だから、アルバ、違うんだってっ。」

 薪をくべられたみたいに頭がカッカッと燃えている。うろたえている兄へキッと視線を移す。

「俺だって、俺の相手は俺が決める! 俺も、”彼女”も、利用なんてさせない! 傷つけるなら絶対に許さない!」

 守るって約束した。俺が守るって、そう言った。

 ……誰と? ……誰に?

 ふっと湧いた疑問にアルバの思考が急停止する。自分は今、誰のために怒っているのだろう。何がこんなに苦しいのだろう。
 すいっと横で風が動いた。固く握りしめていたアルバの手へ、やわらかい手が触れる。その姿を認めて兄が青ざめる。ぎこちなく振り返るアルバを、水色の目が見つめていた。クラウディアがふわりとほほ笑む。

「アルバさん、落ち着いて考えてください。アルバさんのお父様は、我が子に気持ちの通わない結婚をさせるような方ですか?」
「……違う。」

 姉達への縁談を申し込まれた時はいつも、受けるかどうかまず当人に確認していたはずだ。

「では、お兄様は?」
「……。」

 アルバは思わず押し黙った。先日の見合いが強行されたのは、兄のせいだろう。
 クラウディアが苦笑する。

「私とのことは、すみませんでした。父が無理を言って、貴方を紹介してもらったんです。トラモントさん達は悪くないんですよ。」

 それでですね、とクラウディアは続ける。

「さっきの話も大丈夫なんですよ、アルバさん。トラモントさんもウィリアムさんも、仮定の話をしていただけなんです。そうだったら、こうだったのにねって。こうするつもりだったって、計画を立てていたんじゃないんです。そうですよね?」

 クラウディアに話と視線を振られ、二人がこくこくとうなずく。
 彼女はアルバの手を両手でそぉっと包んだ。

「お兄様もご両親も、誰も、貴方を利用しようなんて思っていません。貴方の大事な人を傷つけたりしません。貴方と同じくらい、大事にしてくれます。だから、大丈夫なんですよ。」

 手と同じやわらかくあたたかい声に、すぅっと熱いものが抜け落ちた。こくりとうなずくと、そっと手が離れた。アルバが何か応えようと口を開くと、タカタカとフロアの方から足音が近づいてきた。
 現れたのはつややかな黒髪の青年、レイニーだ。

「いたいた姉さん! 勝手にどっか行かないでよ。生徒さん達探してたよ?」
「あら、ごめんなさい。」
「ほら、戻るよ。あ、トラモントさん、ウィリアムさん、こんばんは。」

 今気がついた、という顔をしてレイニーは二人へ頭を下げた。姉へ手を差し出す。その手を取ってクラウディアはアルバへほほ笑んだ。

「私達はここで失礼しますね。……さようなら、アルバさん。」

 弟のエスコートでクラウディアは回廊の奥へ消える。
 アルバはぼんやりと二人の背中を見送った。本来なら紳士らしく礼を返す所だ。しかし、思いがけず与えられたショックで体が硬直していた。
 ありふれた別れの言葉が、アルバの胸を刺したのだ。

 行ってしまう。ディーアが、行ってしまう。

 自身の内から湧いた嘆きに驚いていると、横で兄が動いた。ひさしに遮られた空を仰いで片手で顔を覆っている。

「兄貴、」
「ごめん、アルバ。」

 兄弟の声が重なる。弱々しい声で兄は続けた。

「クラウディアさんの相手を探してるって聞いた時、チャンスだと思ったんだ。丁度良いきっかけだって。きっと上手くいくって。だってお前はあんなに……。」

 声として発したのかどうか、最後はもごもごと口が動いただけで聞き取れなかった。
 それきり、兄の口からクラウディアの名が出てくることはなかった。

 ***