目の前の女子は、少し俯いて、手を震わせながら言う。
「私……柿原のことが、好き」
何度目か知らない、女子からの告白。
俺は口元がにやけてしまいそうになるのを必死に堪える。
「ごめん、俺、君のことそういうふうに見たことなくて……」
慣れたように口から出てくる嘘。
彼女は泣きそうな、だけどどこか緊張から解放されたような顔で笑う。
「うん、知ってた。じゃあね」
彼女は走って俺から離れていく。彼女と入れ違うように、陰に隠れていた悪友の蒼生が姿を見せる。
「今回は一週間かあ」
蒼生は彼女が走って行ったほうを見て笑うと、肩を組んできた。
「どんどん早くなってくね。やっぱり慣れた?」
まるでアニメに出てくる悪者のような、悪い笑顔を浮かべている。
「さあね。出すもの出してもらおうか」
しかし俺も似たような、勝ち誇った顔をする。
蒼生はつまらなそうに財布を取り出す。いや、不満そうだ。
「もう絶対に告白まではいくよね。そろそろ賭けにならなくなってきたと思わない?」
それは俺も思っていたことだった。こうも簡単に告白されてしまうと、遊びにならない。
これは、俺たちの最低で最悪な遊びだ。
女子に近付き、優しくして、告白させる。
俺たちは、女子が告白してくるまでの期間を賭けて遊んでいるのだ。
俺は受け取った札を自分の財布にしまいながら、どうすればもっと楽しくなるのかを考える。
「そうだ。嘘で付き合ってみるってのは?」
「夏輝、本当最低だね」
そう言うわりには、蒼生は笑っている。
「でもいいの? 興味ない奴と適当に付き合うことにならない?」
「そこなんだよなあ……」
相手に迷いながら教室に戻っていたら、一人の女子生徒とすれ違った。
可愛い。
直感でそう思った。
「……ターゲット、発見」
そして俺は、その子の肩を叩いた。
振り向いたその子は、驚いた表情をした。一瞬俺を睨んだように見えたが、気のせいだろう。
「あの……?」
急に面識のない奴に肩を叩かれて、その子は戸惑っている。
制服のリボンの色から、同学年だということだけはわかった。
「ああ、ごめん。肩に糸くずがついてたから」
これはターゲットとの出会いでよく使う嘘。糸くずなんて、どこにもない。
だけど、親指と人差し指で何かを掴んでいるように見せ、その辺に捨てるふりをする。
こうすることで、だいたいの女子は信じてくれる。
その子は警戒心をなくしてくれたのか、柔らかく笑う。
「ありがとう。えっと……」
と思ったら、困った表情を見せた。
「ああ、俺は柿原。柿原夏輝」
「柿原君。ありがとう」
彼女はもう一度お礼を言うと、俺に背を向けた。
いや、待て。それだけか。
俺は慌てて彼女の行く手を塞ぐ。その子はきょとんとした表情で俺を見る。
「えっと……そう、君の名前、知りたいな、なんて」
しまった。ちょっと必死になりすぎた。彼女は不審者を見るような目をしている。
「ほら、同じ一年なわけだし、なんていうか、仲良くなりたいなと思って」
へたくそか。今までのピエロ振りはどこに消えた。
自分でもそう思うくらいなのだから、彼女が笑うのも無理ない。
しかしその小さな笑い声も可愛い。
「私は二組の藤枝奏羽です」
「藤枝さん……」
名前を教えてもらっただけなのに、頬が緩むのを止められない。
しかし名前を知れた喜びに浸っている場合ではない。
仲良くなりたいのは俺だけで、藤枝さんは俺のことなんかに興味はない。このままでは会話が続かず、藤枝さんをさらに困らせてしまう。なにか、話題を提供しなければ。
「かなはって、どういう字を書くの?」
藤枝さんの情報が名前しかないから、これ以外の話題が思い浮かばなかった。
藤枝さんが歩き始められるように、隣に立つ。
「奏でるに、羽だよ」
俺の気遣いに気付くと、藤枝さんは歩き始めた。
彼女の歩幅に合わせて歩くのは、嫌いじゃない。
「へえ、可愛いね」
「柿原君は?」
きっと、質問されたから同じことを返しただけ。そのはずなのに、少しでも俺に興味を持ってくれたような気がして、過剰に笑ってしまう。
今の俺はさぞ滑稽だろう。
「夏に輝くって書くんだ」
「じゃあ、夏生まれなんだ?」
俺のほうを向いて、少しだけ首を傾げる。
「いや、秋。十月なんだ。でも俺、姉がいて。姉ちゃんの名前に春って使ったし、次は夏だろ、みたいな。適当なんだよ」
自虐的に笑って見せるが、藤枝さんはつられて笑ってくれない。
「そう? 私は夏って聞くと、明るくて元気なイメージがあるから、そういう子に育ってほしいと思ってつけられた名前なんじゃないかな」
そんなふうに考えたことはなかった。本当の由来を聞いたことがないから知らないけど、そうであってほしいと思った。
「じゃあ、私ここに用事があるから。またね」
藤枝さんは図書室のドアの前で立ち止まり、俺に手を振った。正直話したりないけど、これ以上引き留めるわけにもいかない。
俺が手を振り返すと、藤枝さんはそのまま中に入って行った。
「随分と純粋そうな子見つけたね」
どこから見ていたのか知らないが、藤枝さんがドアを閉めた瞬間、蒼生は現れた。
「で。今回は恋人ごっこするんだっけ?」
蒼生が確認してくるが、俺は無視をするように、図書室の前から移動を始める。
「それなー……やっぱりやめるわ」
自分で提案しておきながら、そして彼女をターゲットと言っておきながら、俺はゲームをする気にはなれなかった。
「なにそれ、どういうこと? 夏輝がターゲット見つけたって言うから、隠れたのに」
蒼生の声色が変わる。顔を見なくても、不満そうにしているのがわかる。
「なんていうかさ。ダメだと思うんだわ。ああいう子は。うん、ダメ。騙しちゃダメ」
蒼生を説得するというより、自己完結させるような、独り言のようなものだった。
というか、いいように言っているが、本音は騙したくない、藤枝さんを傷つけたくない、だったりする。
「今さらなに言ってんの。ああいう純粋な子、いっぱい引っ掛けてきたじゃん」
蒼生の言う通りだが、今回はやりたくないと思った。
それでも頷かなかないでいたら、蒼生はつまらなそうに、どこかに行ってしまった。
翌日の放課後、一人で下駄箱に向かっていたら、向こうから藤枝さんが友達と話しながら歩いてきた。
「藤枝さん」
俺は思わず声をかけた。
藤枝さんは俺に気付くと、優しく微笑んで俺の前まで足を速める。
「柿原君、ちょうどよかった。柿原君って、甘いもの平気?」
単刀直入すぎて、俺は戸惑いながら答える。
「平気だけど……」
「よかった。今日クッキーを作ってきたんだけど」
藤枝さんは手提げバッグの中を探る。丁寧に包装されたクッキーが出てくる。
「一つ余っちゃって。よかったら、どうぞ」
クッキーが差し出される。
「余ってたなら、言ってよ。私がもらったのに」
受け取ろうとすると、隣の女子に邪魔をされた。
「美波にはあげたでしょ。これは綾乃の分」
その子が不満そうにしているのに、藤枝さんは構わず俺にクッキーを渡してきた。
「本当に俺がもらってもいいの?」
受け取りながら確認する。
藤枝さんの手作りクッキーなんて、めちゃくちゃほしいけど、二人の会話を聞いておきながら、もらうのは気が引ける。
「美波のことは気にしないで。それに、綾乃……これを渡すはずだった子は、今日休んでて。むしろ、余りものでごめんね」
藤枝さんは申し訳なさそうに言う。
「全然、嬉しいよ。ありがとう」
俺がそう言うと、藤枝さんは照れ笑いを見せた。
女子からプレゼントをもらったことは、今までに何度もある。だが、それとは比べ物にならないくらい、ものすごく嬉しかった。
藤枝さんと別れても、顔のにやけが収まらない。帰り道、すれ違う人が奇妙なものを見るような目を向けて来たが、俺はまったく気にならなかった。
家に着くと、まっすぐ自室に向かった。椅子に座って、藤枝さんにもらったクッキーを見つめる。
渡すはずだった相手が女子だったから、これだけラッピングが可愛いんだろう。本当に余りものだったのだと思い知らされる。
しかしそれでもいいと言ったのは俺だ。傷つくのは筋違いというやつだ。
クッキーを一つ取り出し、頬張る。
「うま……」
それは想像していた以上においしかった。もったいないと思いながらも、藤枝さんの手作りクッキーは夕飯に呼ばれるまでの数十分でなくなってしまった。
翌朝、藤枝さんにクッキーのお礼を言うために、早めに家を出た。
昇降口で待つこと十五分。
「柿原君?」
予想よりも早く、藤枝さんが来た。
藤枝さんは靴も履き替えずにいた俺を見つけ、不思議そうな表情を浮かべている。
「おはよう、藤枝さん」
コミュニケーション能力を失ったのかというレベルで、ぎこちない言い方だった。
藤枝さんはそんな俺を笑う。だけど、バカにした笑いには見えない。普通に俺の話し方がおかしいだけだろう。
俺は普通に、恥ずかしい。
「おはよう、柿原君」
挨拶を返してもらった。たった、それだけ。それだけのことなのに。
俺はこんな小さなことに幸せを感じている。
「柿原君は、ここで誰か待ってるの?」
「藤枝さんを待っていたんだ」
「私?」
藤枝さんはさらに首を傾げる。
「昨日のクッキーのお礼が言いたくて」
納得したように頷いたけど、驚いているようにも見える。
「そのためだけに、こんな朝早くから待っててくれたの?」
「まあ……そうなる、かな」
偶然プレゼントしたものに対してお礼を言うために待ち伏せされるのは、困るだろう。冷静に考えればわかるようなことなのに、俺は今まで気付かなかった。
藤枝さんと出会って、自分らしくないことばかりしているような気がする。
「柿原君って律儀なんだね。気にしなくてもいいのに」
そして途切れる会話。
緊張しているのか、言葉のキャッチボールができない。
少し前まで、まるで詐欺師のように言葉を並べて遊んでいたのが嘘のようだ。
「柿原君の口にあったかな?」
俺がなにも言わないでいたら、藤枝さんが問いかけてくれた。
「めちゃくちゃうまかったよ」
小学生のような感想に、笑えてくる。
「よかった。柿原君の好みも聞かないで押し付けるように渡しちゃったから、ちょっと気になってたの」
藤枝さんは安心した笑顔を見せる。
それを見ただけで、俺は今日来てよかったと思えた。
「柿原君は、私を待っていたんだよね?」
「うん」
本当にコミュニケーションが下手になっている。ここまで下手になるとは、自分でも驚く。
「よかったら、一緒に教室行かない?」
これ以上一緒にいたら、俺がどんどんかっこ悪くなる。
「いいの?」
そんなところは見せたくないのに、思っていることと出てきた言葉が真逆だ。
もう、自分がわからない。
「私が聞いたんだよ?」
「そうだったね」
そして俺たちは並んで教室に向かった。
あの遊びをしなくなってからというもの、昼休みが暇で仕方ない。
蒼生とも話す機会が減って、一人時間が増えてしまった。
「夏輝」
無意味に数学のノートを眺めていたら、名前を呼ばれた。
顔を上げると、蒼生が悪い笑顔をして立っている。
「あんなこと言ってたくせに、あの子といい雰囲気になってるみたいじゃん」
からかうように言ってくる。
だけど、俺はその気がないから、蒼生との温度差がひどい。
俺は反応しないで、ノートに視線を戻す。
「遊びで近付いてるわけじゃないから」
「まだそんなこと言ってるの? 夏輝が始めた遊びなのに」
蒼生は不服そうに言う。
俺が女子に告白させるという遊びを始めたのは、些細なことがきっかけだった。
高校生になって、俺は数人に告白をされた。でも恋愛に興味がなかったし、特に気になる子もいなかったから、すべて断った。
それはなかなかに苦痛で、どうにか楽しいことにできないかと考えた。
そして思いついたのが、告白してくるように仕向けて、断るゲーム。さらに、それを賭けにする。
それは想像以上に楽しかった。
それから、『告白させることができるか』がいつの間にか、『どれだけの期間で告白させることができるか』になった。ターゲットのほぼ全員に告白され、できるできないでは賭けにならなくなったからだった。
本当に、最高で最低な暇つぶしだった。
でも、もうやりたくない。
「もしかしてさ、夏輝、あの子のこと本気で好きになってない?」
蒼生に言われて、俺は顔を上げた。
なるほど。
藤枝さんの笑顔に癒されていたのも、うまく会話ができなかったのも、恋愛を遊びでできなくなったのも、俺が藤枝さんを好きになったからか。
俺は一人で納得した。
しかし、この気持ちを藤枝さんに伝える勇気はない。もし伝えたとして、断られたら死ぬほどつらいだろう。
それに、告白して断られるとどうなるか、嫌というほど知っている。
関わらない。知り合う間に戻ってしまう。
それだけは、嫌だ。
人を好きになって、俺はやっと自分がやっていたことがどれだけ最低だったかがわかる。
「ちょっと、聞いてる?」
蒼生は見るからに不機嫌だ。
「聞いてるよ。俺はもうあのゲームはしない。藤枝さん……彼女といるのは、ゲームとか関係ないから」
それをわかっておきながら、火に油を注ぐような言い方をしてしまった。
せっかく戻りかけた関係を、俺はまた切ろうとしている。
蒼生は面白くなさそうな顔をすると、そのまま俺の席を離れていった。
本格的に一人で過ごす時間が増えてきた。しかしその時間は、藤枝さんを探す時間と言っても過言ではない。
だけど恋を自覚して、藤枝さんに話しかけることすら、緊張してできなくなった。
藤枝さんのクラスの前を通るとき、教室にいないか探したり。廊下を歩いていて、藤枝さんが向こうから歩いてこないか、変に期待したり。
そうやってこそこそしていたのに、藤枝さんは俺を見つけると、俺のところに駆け寄ってくる。
俺の気も知らないで、藤枝さんは無邪気に笑う。
「なんだか久しぶりだね」
「そうだね」
俺が話すことを避けていたからね。
「知り合ったばっかりなのに、数日会えなかっただけで寂しかったな」
反応に困る。いや、内心かなり喜んでいるけども。それを素直に言うのは恥ずかしい。
というか、この言葉でちょっと期待している自分がいる。
藤枝さんも、俺と同じように思ってくれているような。
……なんて、俺の勘違いだろうけど。でも、そうであってくれたら死ぬほど嬉しいわけで。
「……藤枝さんって、好きな人とかいる?」
話の流れを無視した質問に、藤枝さんの表情が戸惑いを見せる。
「どうして?」
戸惑っている藤枝さんを見ていたら、答えは気になるけど、聞きたくないという気持ちが勝ってきた。
「夏輝が藤枝さんのことが好きで、藤枝さんに好きな人がいないか気になってるからだよ」
その質問をなかったことにしようとしたのに、俺の台詞に被せるように、誰かが言った。
藤枝さんの後ろに、蒼生が立っている。
「柿原君が、私を……?」
藤枝さんが蒼生を見ているから、今どんな表情をしているのかわからない。
だが、取り返しがつかなくなってきたことだけはわかる。こんなことになるなら、はやく自分の言葉で言っておけばよかった。
「……蒼生、邪魔するなよ」
俺はそれしか言えなかった。
「そうだよ。あと少しで、柿原君をふることができたのに」
耳を疑った。
だが、俺の言葉に続くように言われたそれは、たしかに藤枝さんの声だ。
「もしかして、わざと夏輝に近付いたの?」
俺が混乱している間に、蒼生が聞いた。知りたいけど、知りたくない。
「近付いてきたのは、柿原君だよ? 私はなにもしてない」
そうだ。俺があの日、藤枝さんに目をつけたのは、偶然だ。藤枝さんはただ俺とすれ違っただけ。
俺がターゲットを決めるのは基本的に気分だし、藤枝さんがなにか仕掛けていたとは思えない。
「でも、あとは演技かな」
その一言は、俺を絶望の沼に突き落とした。
だけど、これが俺たちがしてきたことだ。藤枝さんに文句を言うことはできない。
「どうして、そんなこと……」
ただ、どうしても理由がわからなかった。
俺が聞くと、藤枝さんは振り向いた。今まで隠されていた敵意が、剥き出しになっている。
「柿原君たちは、綾乃を……私の友達を傷つけた。人が一生懸命勇気を振り絞って告白したのを、ゲームにして。お金を賭けて。人の気持ちで遊んでいたことが許せなかったから」
藤枝さんがゲームのことを知っていたことにも、ショックを受けた。
「なんだ、柿原が奏羽に近付いてたわけじゃないんだ」
すると、俺たちの間に流れている重い空気を読まずに、女子が会話に入ってきた。
二人いるが、片方は藤枝さんがクッキーをくれたときにいた。もう一人は数日前、藤枝さんに声をかける直前に告白してきた女子だ。
彼女が、藤枝さんの友人だったのか。
「綾乃……美波?」
藤枝さんは状況を飲み込めていないように見える。しかし俺も彼女のセリフに違和感があった。
「美波が奏羽と柿原が仲良くなってるって言っててね。奏羽が柿原につきまとわれてるなら、助けなきゃと思って来たんだけど」
「ま、待って……どういうこと……?」
藤枝さんが代表して質問する。俺も蒼生も、彼女たちの返答を待つ。
「柿原夏輝と真城蒼生が女子で遊んでいるってのは、女子全員が知ってるってこと」
簡潔な答えだった。だが、それは俺を思考の迷路に誘う。
俺だけではない。蒼生もまた、理解しきれていないらしい。
俺たちは、二人そろってなにも言えなかった。
女子は優しくされたくらいで告白するほど単純な生き物だと思っていた。だが、実際は女子のほうが何枚も上手だったらしい。
「女子のグループで、柿原たちのことが回ってきたんだよ。女子に告白させようと近付いてくるから、さっさと解放されたかったら、嘘でも告白したほうがいいって」
美波と呼ばれていた女子が、そう言いながら藤枝さんにスマホを見せている。
絶対に告白されたのも、期間が短くなっていたのも、そういうことだったのか。自分の力だと思っていたから、恥ずかしくてしかたない。
「奏羽はスマホ持ってないから、柿原たちのこと知らなくて困ってるんじゃないかと思ってたけど……」
綾乃は俺を最大限にバカにして鼻で笑う。
「あんたが騙されてたんだ?」
今すぐ逃げ出したかった。
でも、足は動いてくれない。
「……俺に告白してくるとき、手を震わせてたくせに」
少しでも反撃したかった。だから、あのときの記憶を呼び起こした。
それなのに、綾乃はますます俺を嘲笑う。
「あれは、嘘がバレたらどうしようって不安になってただけ。あんたのことなんて、一ミリも好きじゃないから」
一切関係ない美波が舌を出して、挑発してくる。
「柿原君に告白した次の日休んでたのは、断られてショックだったから、じゃないの……?」
そういえば、俺がもらったクッキー。あれは、綾乃が休んだから、俺の手元にやってきたものだ。
「違う違う。夜遅くまで漫画読んでて、寝坊しただけ」
藤枝さんは拍子抜けした顔をする。
「じゃあ、私だけなにも知らなかったんだね……余計なこと、しちゃった」
藤枝さんは申しわけなさそうに笑う。それを見て、胸を締め付けられる。
「なに言ってんの。奏羽のおかげでめちゃくちゃすっきりしたよ。ありがとう」
綾乃の言葉で、藤枝さんの表情に一気に安堵の色が見える。そんな藤枝さんの頭を、美波が優しくなでる。
俺たちは、その様子を黙って見ておくことしかできない。
「ところで、なんで奏羽は柿原たちのこと知ってたの?」
美波に聞かれ、藤枝さんは目線を落とす。
「綾乃が告白してくるって言ったあと……気になって、こっそり見てた……ので……その……盗み聞きして、ごめんなさい……」
ただでさえ小柄だった藤枝さんが、さらに小さくなる。
そうか。俺たちのあの最低な会話を聞いていて、そのときあれのことを知ったのか。
俺はそれも知らずに、藤枝さんに声をかけた。だから藤枝さんは、あのとき俺を睨んだのだ。
友人の気持ちで遊んでいた相手に声をかけられて、いい気はしないだろう。むしろ、怒って当然だ。
というか、謝るのは藤枝さんではない。
俺たちのほうだ。
「……あの」
そう思って声を出すと、綾乃が鋭い視線で俺を見た。
「もしかして謝ろうとしてる?」
綾乃に言われ、謝罪の言葉は喉につっかえて出てこなくなった。
「人の気持ちをゲームにして、謝って済ませようなんて、随分と愚かな思考回路。まあ、そうじゃないと、あんな最低なことはしないだろうけと」
綾乃は言うと、藤枝さんを連れて行ってしまった。
俺と蒼生だけが残されたが、お互いなにも言えなかった。