二十二話 小太郎三人を連れ走る
小太郎は、煎十郎、時雨、乙霧の三人を連れ、八犬士の一人である老人を見つけたと報告のあった街道へと向かっていた。
隣を走る線の細い青年を横目に捉えながらゆっくりと駆ける小太郎は、少なからず後悔している。煎十郎は引き続き、謎の病に対する備えとして、小田原城下の風魔屋敷に置いておくべきだった。
「……あの丸薬のようなものは、本当に効くのであろうな」
背中に大きな箱を背負う煎十郎に問う。
「た、たぶんですけど。乙霧さんからお聞きした配合は、稲につく虫に効く薬によく似ていますから」
煎十郎は息も絶え絶えに答える。日が落ちてぐっと気温が下がったが、煎十郎の額には玉のような汗が浮いている。どうやら、かなり抑えて走っている小太郎に対しても、ついて行くのがやっとのようだ。背中に重そうな箱を背負ってはいるが、仮に背負っていなくともさして変わりはなさそうである。
煎十郎は乱波ではない。風魔の里に住む者すべて風魔衆ではあるが、乱波としての仕事を全員がこなしている訳ではないのだ。農作業に従事する者、仕事道具などを作るものなど、風魔衆の乱波としての活動を陰ながら支える者たちがいる。
煎十郎もその一人だ。風魔の里では幼いうちに乱波としての適性をみられるが、煎十郎は同年代の子供たちの中で、身体能力においては一番の出来の悪さだった。
だが、頭の出来はその逆。早々と植物に興味を持ちはじめ、薬草と毒草の見分け方、取扱いに関しては大人顔負けの才をみせた。それに目をつけた小太郎は、煎十郎を甲斐の国の医者のもとに修行にいかせる。煎十郎はそこでも才を見こまれ、その医者の紹介で京へ、そこからまた府内へと移り、南蛮の医術の知識をも身につけ、一年ほど前に里に戻ってきたのだ。
煎十郎が身につけた知識と技能は、充分すぎるほどの恩恵を風魔の里にもたらした。医術による死亡率の低下や、怪我や病からの早期回復にとどまらず、植物に関しての知識をもって、農作物の生育にも貢献してみせたのである。
(煎十郎にも存分に力を発揮してもらわねばならぬというのに……)
小太郎は後方を時雨の隣で自力で走っている乙霧を、苦々しげにしり目にいれる。
小太郎は夜が明けるとすぐに、動ける者すべてを集め、乙霧のことも含め、これまでの詳しい経緯を語って聞かせた。それが終わると、襲撃の内容や八犬士などの捜索に出ていた者たちの報告を受ける。
乙霧は、風魔衆の報告だけでは満足できなかったのか、小太郎の愛娘時雨を中継役とし、情報収集を行った風魔衆に根掘り葉掘りと質問を繰り返していた。
乙霧は決して自ら男には近づかなかったが、女は問題ないようなので、小太郎は時雨に乙霧の世話役を申しつける。時雨は近づかないながらも煎十郎に色目を向ける乙霧を、鬼のような形相で睨んではいたが、小太郎に命じられると、不承不承風魔衆と乙霧の間を取り持つ。ただ、乙霧が煎十郎の作業をうっとりとした表情で見つめていたり、いつ作り直したのか、あの糸のついた紙の筒で煎十郎にさかんに話しかけたりすると、父である小太郎さえも一歩引かせるような怒気を身に纏う。
小太郎が八犬士発見の報に、四人で向かうことになったのも、一緒に連れて行こうとした乙霧が、煎十郎のそばを離れたくないと駄々をこね、それならば私もと時雨が言い出したからである。
いっそのこと乙霧を風魔の里に置いてこようかとも考えたのだが、藁をも掴む思いで連れて来て里の者に紹介した手前、遊ばせておく訳にもいかなかった。
小太郎は視線を乙霧から、煎十郎に渡された大きめの丸薬に移す。
里を出る前に渡されたものだ。煎十郎が乙霧に頼まれ、手の空いている者たちに素材を急いで集めてもらったうえで作った物らしい。すでに再度八犬士捜索に向かわせた乱波の何人かには、同じ物を持たせている。
もしも八犬士の一人である盲目の老人に遭遇した時には、これに火をつけて燻すと老人の使う『呪言』という力を封じることができると乙霧は笑って言った。他にもいくつか乙霧は、時雨の口を通じてそれぞれの八犬士に出会った時のできうる限りの対応を風魔衆に指示していた。
「蚊遣火と似たようなものでございます」
小太郎が丸薬を見ていることに気がついたのだろう乙霧が、小道具など用いなくともはっきりと聞こえる声で小太郎に話しかけてきた。
「ただ、蚊遣火とは違って追い払うためのものではありませぬ。殺すための煙をだします」
「八犬士の年寄りは、蚊を使うか」
「確かではありませんが、煎十郎様からお聞きした、病に罹られた方の症状から察しますと、その可能性が高いのではないかと」
小太郎はわかったと頷いた。
「お主の予測が当たっておれば、これでそやつを無力にできるということだな」
乙霧は形の良い眉をひそめた。
「それはどうでございましょう」
「どういうことだ」
「風魔の方からその老人に関して、ひとつ気になることをお聞きしました。一昨日の戦から戻り亡くなられた武士の方が伝えられたところによりますと、その老人の瞼で塞がれた両目から光が漏れだしたかと思うと、右眼を開き、そこから光る珠が落ちて、その後になにか羽音のような音を聞いたと。
……なぜ片眼しか開けなかったのでしょう? 光は両眼から漏れたのに」
小太郎はそれが大事なことかと首を捻る。
「ここまで皆様が必死に集めてくださいました情報を整理いたしますと、姿を確認されている七人の八犬士のうち六人は身体の二ヶ所に光る珠があることを晒しております。なのにその老人だけは、残る左目にもう一つの光る珠が隠されているであろうことがわかるのに、晒してはこない。……さして意味はないのかもしれませぬが、……気にかかるのでございます」
これ以上は直接相対してみなければわからないのであろう。乙霧がそれきり口を閉ざす。
それから少しばかり進むと小太郎の目に風魔衆の姿が映る。近づきながら目を凝らすと、風魔衆三人の向こうに、三本の忍刀で体を刺し貫かれた老人が確認できた。
「おお、頭領。今しがた八犬士の一人、討ち取りましたぞ」
小太郎に気がついた壮年の風魔衆が、狂節から刀を抜いて小太郎に向きなおり、片膝をついて笑顔をみせた。両隣の若い二人もそれにならう。
小太郎は、身体を支えていた三本の忍刀を抜かれ、地面にうつ伏せに倒れようとしていく狂節の姿を一瞥し、三人に視線を戻す。
「でかした。お前たちは大事ないか」
「はい。我らはなんともございません。が、一人先走りまして……」
狂節の死体のむこうで倒れていた風魔衆の少年が、ふらつきつつもなんとか立ちあがる。
「面目ございません」
喉を押さえ、苦しそうに声をしぼり出す。
目を険しくした小太郎だったが、すぐに思い直したように目元を和らげた。
「よい。病にやられたわけではないのだな」
少年が、駆け寄った若者の一人に肩を貸してもらい答える。
「……はい。杖で喉と手を打たれただけでございます」
「この先、同じような不覚をとらぬよう精進せよ」
少年が頷いたのを見て言葉を続ける。
「連絡は来てはおらぬが、他の道に残りの八犬士が来ておらぬとも限らん。皆、疲れているとは思うが、二人はこのままここを見張り、他の者は小田原に―――――」
戻れと言おうとした小太郎は、驚愕で言葉を失った。
立ちあがっていたのだ。死んだと思っていた狂節が。
小太郎は、煎十郎、時雨、乙霧の三人を連れ、八犬士の一人である老人を見つけたと報告のあった街道へと向かっていた。
隣を走る線の細い青年を横目に捉えながらゆっくりと駆ける小太郎は、少なからず後悔している。煎十郎は引き続き、謎の病に対する備えとして、小田原城下の風魔屋敷に置いておくべきだった。
「……あの丸薬のようなものは、本当に効くのであろうな」
背中に大きな箱を背負う煎十郎に問う。
「た、たぶんですけど。乙霧さんからお聞きした配合は、稲につく虫に効く薬によく似ていますから」
煎十郎は息も絶え絶えに答える。日が落ちてぐっと気温が下がったが、煎十郎の額には玉のような汗が浮いている。どうやら、かなり抑えて走っている小太郎に対しても、ついて行くのがやっとのようだ。背中に重そうな箱を背負ってはいるが、仮に背負っていなくともさして変わりはなさそうである。
煎十郎は乱波ではない。風魔の里に住む者すべて風魔衆ではあるが、乱波としての仕事を全員がこなしている訳ではないのだ。農作業に従事する者、仕事道具などを作るものなど、風魔衆の乱波としての活動を陰ながら支える者たちがいる。
煎十郎もその一人だ。風魔の里では幼いうちに乱波としての適性をみられるが、煎十郎は同年代の子供たちの中で、身体能力においては一番の出来の悪さだった。
だが、頭の出来はその逆。早々と植物に興味を持ちはじめ、薬草と毒草の見分け方、取扱いに関しては大人顔負けの才をみせた。それに目をつけた小太郎は、煎十郎を甲斐の国の医者のもとに修行にいかせる。煎十郎はそこでも才を見こまれ、その医者の紹介で京へ、そこからまた府内へと移り、南蛮の医術の知識をも身につけ、一年ほど前に里に戻ってきたのだ。
煎十郎が身につけた知識と技能は、充分すぎるほどの恩恵を風魔の里にもたらした。医術による死亡率の低下や、怪我や病からの早期回復にとどまらず、植物に関しての知識をもって、農作物の生育にも貢献してみせたのである。
(煎十郎にも存分に力を発揮してもらわねばならぬというのに……)
小太郎は後方を時雨の隣で自力で走っている乙霧を、苦々しげにしり目にいれる。
小太郎は夜が明けるとすぐに、動ける者すべてを集め、乙霧のことも含め、これまでの詳しい経緯を語って聞かせた。それが終わると、襲撃の内容や八犬士などの捜索に出ていた者たちの報告を受ける。
乙霧は、風魔衆の報告だけでは満足できなかったのか、小太郎の愛娘時雨を中継役とし、情報収集を行った風魔衆に根掘り葉掘りと質問を繰り返していた。
乙霧は決して自ら男には近づかなかったが、女は問題ないようなので、小太郎は時雨に乙霧の世話役を申しつける。時雨は近づかないながらも煎十郎に色目を向ける乙霧を、鬼のような形相で睨んではいたが、小太郎に命じられると、不承不承風魔衆と乙霧の間を取り持つ。ただ、乙霧が煎十郎の作業をうっとりとした表情で見つめていたり、いつ作り直したのか、あの糸のついた紙の筒で煎十郎にさかんに話しかけたりすると、父である小太郎さえも一歩引かせるような怒気を身に纏う。
小太郎が八犬士発見の報に、四人で向かうことになったのも、一緒に連れて行こうとした乙霧が、煎十郎のそばを離れたくないと駄々をこね、それならば私もと時雨が言い出したからである。
いっそのこと乙霧を風魔の里に置いてこようかとも考えたのだが、藁をも掴む思いで連れて来て里の者に紹介した手前、遊ばせておく訳にもいかなかった。
小太郎は視線を乙霧から、煎十郎に渡された大きめの丸薬に移す。
里を出る前に渡されたものだ。煎十郎が乙霧に頼まれ、手の空いている者たちに素材を急いで集めてもらったうえで作った物らしい。すでに再度八犬士捜索に向かわせた乱波の何人かには、同じ物を持たせている。
もしも八犬士の一人である盲目の老人に遭遇した時には、これに火をつけて燻すと老人の使う『呪言』という力を封じることができると乙霧は笑って言った。他にもいくつか乙霧は、時雨の口を通じてそれぞれの八犬士に出会った時のできうる限りの対応を風魔衆に指示していた。
「蚊遣火と似たようなものでございます」
小太郎が丸薬を見ていることに気がついたのだろう乙霧が、小道具など用いなくともはっきりと聞こえる声で小太郎に話しかけてきた。
「ただ、蚊遣火とは違って追い払うためのものではありませぬ。殺すための煙をだします」
「八犬士の年寄りは、蚊を使うか」
「確かではありませんが、煎十郎様からお聞きした、病に罹られた方の症状から察しますと、その可能性が高いのではないかと」
小太郎はわかったと頷いた。
「お主の予測が当たっておれば、これでそやつを無力にできるということだな」
乙霧は形の良い眉をひそめた。
「それはどうでございましょう」
「どういうことだ」
「風魔の方からその老人に関して、ひとつ気になることをお聞きしました。一昨日の戦から戻り亡くなられた武士の方が伝えられたところによりますと、その老人の瞼で塞がれた両目から光が漏れだしたかと思うと、右眼を開き、そこから光る珠が落ちて、その後になにか羽音のような音を聞いたと。
……なぜ片眼しか開けなかったのでしょう? 光は両眼から漏れたのに」
小太郎はそれが大事なことかと首を捻る。
「ここまで皆様が必死に集めてくださいました情報を整理いたしますと、姿を確認されている七人の八犬士のうち六人は身体の二ヶ所に光る珠があることを晒しております。なのにその老人だけは、残る左目にもう一つの光る珠が隠されているであろうことがわかるのに、晒してはこない。……さして意味はないのかもしれませぬが、……気にかかるのでございます」
これ以上は直接相対してみなければわからないのであろう。乙霧がそれきり口を閉ざす。
それから少しばかり進むと小太郎の目に風魔衆の姿が映る。近づきながら目を凝らすと、風魔衆三人の向こうに、三本の忍刀で体を刺し貫かれた老人が確認できた。
「おお、頭領。今しがた八犬士の一人、討ち取りましたぞ」
小太郎に気がついた壮年の風魔衆が、狂節から刀を抜いて小太郎に向きなおり、片膝をついて笑顔をみせた。両隣の若い二人もそれにならう。
小太郎は、身体を支えていた三本の忍刀を抜かれ、地面にうつ伏せに倒れようとしていく狂節の姿を一瞥し、三人に視線を戻す。
「でかした。お前たちは大事ないか」
「はい。我らはなんともございません。が、一人先走りまして……」
狂節の死体のむこうで倒れていた風魔衆の少年が、ふらつきつつもなんとか立ちあがる。
「面目ございません」
喉を押さえ、苦しそうに声をしぼり出す。
目を険しくした小太郎だったが、すぐに思い直したように目元を和らげた。
「よい。病にやられたわけではないのだな」
少年が、駆け寄った若者の一人に肩を貸してもらい答える。
「……はい。杖で喉と手を打たれただけでございます」
「この先、同じような不覚をとらぬよう精進せよ」
少年が頷いたのを見て言葉を続ける。
「連絡は来てはおらぬが、他の道に残りの八犬士が来ておらぬとも限らん。皆、疲れているとは思うが、二人はこのままここを見張り、他の者は小田原に―――――」
戻れと言おうとした小太郎は、驚愕で言葉を失った。
立ちあがっていたのだ。死んだと思っていた狂節が。