「百合は?」
「国際学部だよ」
「へえ、国際かあ。英語の勉強とか大変そうだよな」
 うちの大学にも似たような学部があって、TOEICの受験や海外留学が義務づけられていて忙しそうなイメージだった。
「あ、でも、私は国際関係学科ってとこに行ってて。そこは英語っていうより、たくさん資料を読むのが大変かな」
「国際関係学科? 初めて聞いた」
「うん、あんまりメジャーじゃないし、ほとんどの大学にはない学科だから」
「どんな授業なの?」
 百合はまた空へ視線を向けて、噛みしめるように答えた。
「戦争とか紛争をなくすための方法を色々勉強してる」
 そう言った彼女の眼差しの強さに、激しく胸が震えた。
 百合は、全く変わっていない。あのころと全く変わらない、強くてまっすぐな女の子だ。俺が生まれて初めてどうしようもなく好きになった女の子だ。
 そういえば、と百合がまた俺に目を戻した。
「どうして急に連絡くれたの?」
 俺は頷いて答える。
「バイト先でたまたま橋口さんに偶然会って、少し話して、そのとき教えてもらったんだ。百合が、俺たちがうまくいかなかったのは自分のせいだって言ってたって……。そうじゃない、俺が悪かったって伝えたくて、どうしても会いたかった」
 俺の言葉に、彼女は小さく首を振った。
「ううん、私が悪かったんだよ」
 静かだけれど、きっぱりとした口調でそう言う。それから、私ね、と続けた。
「あのときの私は、自分の気持ちに自信がなかったの。自分の気持ちが分からなかった」
 夜風が彼女の長い髪をさらさらと揺らす。
「涼のことが好きなのか、彰の代わりとして見てしまってるのか、自分でも分からない……って思ってた」
 俺は小さく頷く。同じことを、俺も思い悩んでいた。百合は俺を彰さんの代わりだと思っているんじゃないかと。
「涼にもそれが伝わって、だから涼は傷ついて、私から離れたんだろうって思ったの」
「いや、それは――」
 俺は慌てて否定しようとしたけれど、それを遮り、でも、と彼女は続けた。
「私ね、すごく後悔してたことがあって。戦時中の世界に行ったとき、もっと何かできたはずなのに、何もできなかった。助けられたかもしれないのに、助けられなかった。私が幼くて未熟だったせいで……」
 百合は遠い空を見つめながら、過去をなぞるようにゆっくりと話す。
「不条理な目に遭って死んでいく人たちを、ただ見てることしかできなかった自分が情けなくて、ずっとずっと後悔してた。今さら悔やんでも遅いって自分を責めて、苦しくてたまらなかった」
 ひまむきにまっすぐなままで、その眼差しがすっと俺に向けられる。
「でも、涼が『恩送り』って言葉を教えてくれて、すごく救われたんだ」
 俺は戸惑いを隠しきれずに首を振った。
「だけど、あれは先生の受け売りで……ごめん」
「ううん。受け売りだってなんだっていいの」
 百合が目許を緩めて微笑んだ。
「あのときの私は、恩送りって言葉を知って、考え方が変わったの。過去のことを悔やむ時間があったら、そのぶん未来のことを考えようって。あの人たちへの恩返しの代わりに、他の誰かのために今できることをやろうって。それが、この世界から戦争をなくすことだと思った」
「……百合」
「あのときの私が一番欲しかった言葉を、一番欲しかったときに言ってくれたのは、涼だよ。あのときの私を救ってくれたのは、涼の言葉だった。涼が涼として体験してきたこと、涼の経験から生まれた言葉が私を救ってくれた」
 俺はなんと答えればいいか分からなくて、ただじっと彼女を見つめ、続く言葉を待った。