「……何やってんだろ、俺」
 こんなことしてる場合じゃないのに。百合と一緒にいるべきなのに。一緒にいられるはずだったのに。
 つまらないことで悩んで、うじうじして、何年もの時間を無駄にしてしまった。
 彰さんがどんなにか欲しかっただろう時間を、俺は無駄にしているのだ。
「……行かないと」
 袖口でごしごしと涙を拭い、俺は立ち上がった。
 百合に会いにいかないと。強い衝動が俺の足を動かす。
 資料館を飛び出して、街路樹の下でスマホを取り出した。
 もう迷わない。指も震えない。
 一秒でも早く、百合に会いたい。
 もう一秒だって無駄にしたくない。俺の中に眠る彰さんのために。
 通話ボタンに触れる。呼び出し音が鳴り始める。三回目で、ベルの音はやんだ。
『もしもし……涼?』
 あっ、と小さく叫んでしまった。
 懐かしい声、懐かしい呼び方。
 もう俺の番号なんて消してしまっただろうと思っていたのに、彼女はそうしなかったのだ。俺の名前を、彼女の中に残していてくれたのだ。
 止まったはずの涙が、また込み上げてきた。
「……百合」
 思わず呼んだ声は、みっともないくらい震えて、かすれていた。
『涼』
 泣いているのを隠そうとすらせずに、涙声で囁いた、
「百合、会いたい」
 受話器の向こうで息を呑む気配がする。
 俺はぼろぼろ泣きながら訊ねた。
「……会いに行ってもいい?』



 ねえ、百合。俺、ほんのちょっとだけ、大人になったよ。
 あのころの俺は、本当にどうしようもなくガキで、甘ったれで、自分勝手で、君が語ってくれた現実を受け入れられなかった。
『……ごめん、無理だ』
 優しさや思いやりのかけらもない言葉で、君を拒んだ。自分から近づいたくせに、君を遠ざけた。
 君をきっと傷つけてしまった。傷つけるかもしれないことに、思いが至らなかった。自分のことしか考えられなかった。自分のことだけでいっぱいいっぱいだった。
 好きな人の心の中に、自分とは違う人がいることに、どうしても耐えられなかった。本当に情けない。
 でも、今の俺なら、きっとあんなふうにはならなかった。
 今の俺で、もう一度、君と出会いたい。君と出会い直したい。
 君とまた出会えたら、今度はもっと――。