そのあとはもう全く仕事に集中できなくなってしまって、注文を聞き返してしまったり、料理を違うテーブルに運んでしまったり、さんざんだった。
 こんなんじゃだめだと必死に気を引き締めてなんとかラストまで乗り切り、店を出たあと、駅のホームで動けなくなった。
 あと十歩も行けばベンチがあるけれど、身体はすごく疲れているけれど、座る気になれない。というか動けない。
 しばらくして酒臭いサラリーマンに「邪魔だよ」とどつかれるまで、俺はずっと終電間際のホームのど真ん中に突っ立っていた。
 なんとか壁際に身を寄せて、手の中のスマホを見つめる。
 ラインのトーク画面を何回も下へスクロールして、やっと百合の名前が現れた。
 でも、そこから手が動かなくなる。どうしてもタップできない。今さらどんなテンションでメッセージを送ればいいんだ? いや、そもそも日付も変わってしまったこんな時間に連絡するわけにもいかない。
 ぼんやりした頭に、いつか観た映画のワンシーンが浮かんだ。
 死んだ恋人を愛し続けている女性。彼女を好きになってしまった男。二人はどしゃ降りの雨の中、びしょ濡れのまま何も言わずに向かい合っている。
 他の人が心の中にいる人を愛することができるか。自分が二番目にしか愛されないと知って愛することができるか。そんな葛藤が描かれた作品だったと思う。実際は全然違うテーマがあったのかもしれないけれど、俺にとっては、それが一番心に刺さった。百合の顔が浮かんで離れなくなって、途中で映画館を出てしまい、いい年をして街中で泣きながら帰った。
 諦めるしかないと分かっているのに、何度も何度も思い出してしまう。
 あのとき、俺がもしも彼女の過去を受け入れることができれば、あきらさんのことを受け入れることができれば、うまくいく道もあったのだろうか。
『もしかしたらうまくいったかもしれなかったのに、私のせいでだめになっちゃった』
 百合が言ったという言葉。そんなはずがないのに。あのとき俺たちの道が分かれてしまったのは、俺に現実を受け入れるだけの器がなかったからに違いない。
 それなのに、百合はもしかしたら今でも、自分が悪いと思っているのだろうか。自分が過去の話をしたせいだと思っているのだろうか。
 彼女にそんなことを思わせたままでいいのか?
 そんな考えが浮かぶと、もう立ち止まってなんかいられない気持ちになった。