「……ねぇ、涼」
 静かな声が、海風の合間から聞こえてきた。
 びくりと心臓が跳ねる。やばい、先を越されてしまった。どう答えようかと迷ったものの、彼女が話そうとするのを遮るのもどうかと思い、黙って目を向ける。
 すると百合は空の彼方を見つめたまま、囁くように言った。
「……今からね、すごく変な話するけど……聞いてくれる?」
 予想外の言葉だった。てっきり「ごめん」と言われると思っていたのに。
「うん、聞くよ」
「本当に変な話だよ? 嘘みたいな話だけど、信じてくれる?」
「もちろん。百合は嘘なんかつかないって知ってるから」
 彼女はこちらを振り向いて少し目を見開き、それから微笑んで、ゆっくりと口を開いた。
「私ね………戦時中の日本に行ったことあるんだ」
 意味がよく分からなくて、俺は眉を上げて百合を見る。
 百合はくすりと笑い、「たぶん、タイムスリップってやつ」と言った。
「え? タイムスリップ……?」
「うん。ある日突然、目が覚めたら、一九四五年の日本にいたの」
 何かを思い出すように、彼女は遠くに目を向けた。
「………ひどい世界だった。食べ物がなくて、飢え死にしていく子どもがたくさんいた。戦争に召集されて、そのまま帰ってこない人もたくさんいた」
 ゆっくりと語る顔が、声が、苦しげに歪んで震えていく。
「空襲にも遭った……。私の目の前で、何人もの人が、炎に焼かれて、苦しみながら死んでいった」
 俺は圧倒されて言葉も出ない。信じられない話だった。
 でも、一方で妙に納得がいった。百合は戦争の話をするとき、いつもつらそうだった。そしてその語り口は、まるで自分の記憶をなぞっているようにリアルだった。
 彼女は確かに本当のことを、自分が体験したことを話しているのだと、俺には分かった。
「……本当にひどい、残酷な世界だったけど、でも、そこで出会った人たちは、みんな優しくて、温かくて………」
 何かとても大切なもののことを思い出したように、百合の目が細くなる。
「どこの誰かも分からない私を、みんなが助けて、そして受け入れてくれた。そこで私は――二人の大事な人に出会ったの」
 大事、という言葉を、彼女は本当に本当に大切そうに口にした。
「一人は、私の第二のお母さんみたいな人。前にちょっと話したよね。帰る家がないって言った私を心配して、ご飯を食べさせてくれて、そのころはすごく貴重だったお風呂にも入らせてくれて、しかも家に住ませてくれて……本当にあったかい人だった。私を本当の家族みたいに大事にしてくれて、優しくしてくれた」
「そっか。優しい人に会えてよかったね」
「うん……」
 そこで百合の言葉が止まったので、俺は先を促すように、「もう一人は?」と訊ねる。
 すると、彼女の瞳がゆらりと揺れた。複雑で微妙な、感情の読み取れない色が浮かんでいる。
「………百合? どうした?」
「うん………大丈夫」
 彼女は何かを覚悟するように、大きく息を吸い、そしてゆっくりと息を吐いた。