俺たちはしばらく言葉もなく手もとに視線を落としていた。周りを取り囲む木々から蝉の声が降ってくる。暑いはずなのに、戦争のことを考えていると全身の肌がひやりとするような感覚に陥る。
 彼女は特攻隊の遺書の写真をじっと見ていた。ページの端を押さえていた白い指が動き、遺書の中の文字をそっとなぞっていく。
 思わず目で追っていると、『これまで育てて下さりありがとうございました』と書かれているのを見つけた。両親へ宛てた手紙だろうか。
 写真の下には送り主の名前がのっていて、その横には、享年十九とある。
 まだ十代という若さで、爆弾を抱えた特攻機で敵に突っ込んで死ねと命令されて、そして親に最後の手紙を書くとき、彼はどういう気持ちだっただろう。
 父さんと母さんの顔が思い浮かぶ。国のために死ぬことを決意して、父さんたちに遺書を書くなんて、想像すらできない。考えただけで目眩がする。
 育ててくれてありがとうと感謝することが、俺にできるだろうか。こんなの嫌だ、死にたくない、助けて、と書いてしまわないだろうか。
 特攻でないとしても、いつ死ぬか分からない戦地に行かされるのだって、俺なら耐えられない。戦時中の若者たちは、どうしてこんな仕打ちを受け入れることができたのだろう。
 そんなことを考えながら見ていると、遺書の文字をなぞるように読んでいた加納さんの指が止まった。
『育てて頂いた御恩を返すことなく……』
 御恩、という文字を、細い指が二度撫でる。
「……宮原くんは、恩返しできてないことって、ある?」
 またも唐突な問いかけに、俺は大きく瞬きをした。すると彼女はふっと息を吐いて、それから目を伏せた。何か痛みに耐えるように、何かを悔やんでいるかのように、きつく唇を噛む。
「前にね、すごくお世話になった人たちがいたの。ちょっと事情があって、そのとき私は住むところも何もなかったんだけど、親切な人たちでね、見ず知らずの私を家に住ませてくれたりご飯を食べさせてくれたり、当たり前のように受け入れてくれて、本当に優しくしてもらった」
 住むところがなかったって、どういうことだろう。もしかして、家出でもしたのだろうか。
「でもね……」
 加納さんの声が震えているように聞こえる。
「その人たちとは、もう……会えなくなっちゃって。二度と会えなくなっちゃって……なんにも恩返しできなかった。お礼すらちゃんと言えてないのに、急に別れなきゃいけなくなったの。それが、ずっと心に引っ掛かってて、すごく後悔してて……」
 とても苦しそうだった。
 もしかしたら、その優しくしてくれた人たちは、亡くなってしまったのかもしれない。受けた恩を返せないまま、感謝の気持ちを伝える時間もなく、突然会えなくなってしまった。どんなにつらいだろう。