なんで、こんなに若い人たちが、自分の命を犠牲にしてまで敵に体当たりなんかしなきゃいけなかったのだろう。別に、年をとっていたらいいというわけでもないけれど、でも、死を覚悟して飛び立っていった彼らのあまりの若さに、俺は言葉も出なかった。
ショックを隠し切れないまま、俺はページをめくっていく。
顔写真のページが終わると、次は彼らの遺品の写真が並んでいた。なんてことはない、筆記具やノート、読んでいた詩集や、身につけていたもの。
こんなものがまだ残っているんだ、という感動よりも大きかったのは、彼らは俺と同じように生きて、普通に生活していた青年たちだったんだ、という思い。やりきれなかった。
次に現れたのは、流れるような筆文字。
遺書だ。家族に宛てた遺書。出撃命令を受け、数日以内には死ぬことが決まったときに書かれた手紙。
ごくりと唾を呑んでから、俺は読み始めた。
嫌だ、怖い、死にたくない。そんな言葉が並んでいることを、どこかで想像していた。
でも、誰一人そんなことは書いていない。むしろ皆、まるで、死ぬことが嬉しいかのような書き方をしている。
お国のためにとか、天皇陛下万歳とか、悠久の大義とか、俺には共感も、理解すらできない言葉たちが、迷いのないまっすぐな文字で書き連ねられているだけ。
あとは、育ててくれた親に対する感謝と、親不孝だったと詫びる言葉。見事に敵軍に体当たりすることで親の恩に報いる、なんて信じられないことも書かれていた。
そんなわけないのに。子どもが死んで嬉しい親なんて、子どもが死んだことを誇りに思える親なんて、いるわけがないのに。生きて欲しかったに決まっている。
誰に向ければいいかも分からない感情を持て余し、深く項垂れた。
それ以上見ていられなくて、俺は本を閉じた。
ふと視線を感じて目を上げると、加納さんがじっと俺を見つめている。
「………遺書、読んだ?」
「読んだ……。なんていうか、つらい」
「うん………」
彼女は小さく頷いて俯いた。
特攻隊について、もちろん名前は聞いたことがあったし、どんなことをしていたのかも知っていた。自分が死ぬことを覚悟して自爆テロのようにして亡くなった人たちだということは分かっていた。
でも、写真や遺品、遺書を見たことで、その過去が急に、生々しい現実として立ちのぼってきた気がした。
まるで映画か漫画みたいな、現実感のない話。でも、紛れもない事実なんだ。
日本は、なんてことをしたんだろう。十代や二十代の若者たちを死なせてまで、何が欲しかったんだろう。
どうかしている。頭がおかしくなっていたとしか思えない。
戦争なんて、病気だ。心の病気だ。
敵に勝つことより、名誉より、土地や資源より、人の命が一番大切だということ、そんな当たり前のことさえ分からなくなってしまう病気なんだ。