私はまだ生きているのか、けれど心の方がもう死んだのか。
疲れた、辛い。
高校二年生の7月。もうすぐ夏休み。
今日は学校祭の最終日。
夕方になり、間もなく後夜祭が始まる時間。
女子トイレでクラスの中心グループの女子たちが、私を足で踏みつけて床に顔をつけられて最悪なうえにトイレのバケツに入っていた汚い水を勢いよくかけてきた。
それを見ながらゲラゲラと笑う彼女たち。
トイレ入り口のドアを開けて「みてよ、マジうけるから!」って呼びこみのようなことをしている子もいる。
顔を上にキチンと向けられないからハッキリとは見えないけれど、結構人だかりができているようだ。
「何やってんだよ」
男の子の声が聞こえる。
面白がってはいなくて怒っているトーン。
この声はよく知っている。
学校一モテる3年生の植松先輩。
植松先輩とは、委員会で知り合い、たまたま私が昼休みにクラスの女子に嫌がらせをされているのを見て以来、駆けつけて来てくれてグループの女子に注意をする。
学年が違うから、イジメが始まる前に止めることは難しいんだ。と眉間に皺を寄せていた。その気持ちだけで、ましてや「あの」植松先輩に言われるなんて心があたたかくなる。
そんな植松先輩に嫌われくはない女子たちは注意を受けるとイメジをやめる。彼女たちは相当は植松ファンなのだから。嫌われたくないのだろう。
いつもならイジメが終わるパターン……。
でも終わる気配がしないことを踏みつけられている足の重みから感じる。
「植松先輩、今日も止めちゃうんですかー?」
イジメでいる一人が言った。
私からは植松先輩の顔も見えない。
いつもより酷いイジメだから早く止めてほしい。
「植松先輩は柳アサコの顔が好みだって噂ありましたよね?」
柳アサコとは私の名前。
顔を好みかは知らないけれど、助けてくれた先輩と話していて、笑ったら
『柳は笑ってる方が可愛いね』と、どっかの台詞に出てきそうなお世辞は言われたことはある。陳腐な台詞が聞いていて恥ずかしくなり、心臓も恋をする時のようなドキドキとなった。
その頃はまだ、今ほどイジメがエスカレートしてない時だった。
「こんな特徴もない顔が好みなんて嘘だと思いますけどー。先輩に近づいて調子に乗ってるからこんな目に遭うんだよ!」
色々言われているわりに、植松先輩はいつもみたいに正義感ある注意を彼女たちにしない。
突然、背中にあった足が外れ、ロングヘアを引っ張られて持ち上げられる。
髪の毛からかいだことのないような異臭のする水滴がポタポタと落ちる。
トイレの少し開いている窓から昨日まで台風がきていたので、台風一過となり、気温も上がり、ぬるい強風が吹いているから、私の異臭はみんなにダイレクトにそして強烈に届くだろう。
あのかけられた水は掃除をしたままずーっと放置して腐った水なのかもしれない。
かけられた本人だから余計にわかるけど強烈な臭さだ。
クリーニングに制服を出しても匂いは完全に取れるのだろうか?
「せんぱーい。今日の柳はすんごい可愛いですよ?見てあげてくださいよー」
その言葉と同時に髪を掴まれて顔をドアの方に向けられる。
髪を引っ張られる痛みと視線が床より上になったから眩しくも感じる。
ヘドロとゴミが顔中に張り付いている。
ロングヘアーと制服から動いたせいで余計に異臭が充満している。
みんな「うわ」「キモっ」「くっさ」とか言っている。
顔にベッタリ張り付いた髪の毛の間から、植松先輩を探した。
探すまでもまく入り口で立ち尽くしている。
「こんなボロボロなゴミ以下な柳でも先輩は可愛いって思いますか?それはあり得ないと思うけれど」
一人が言った途端に誰かが吐きだした。
周りもビックリしたけれど、私もビックリした。
吐いている人物が植松先輩だから。
「先輩大丈夫ですか……?」
私自身も全然大丈夫ではないけれど、そう思わず言葉に出た。
先輩は誰かが貸したタオルハンカチで口を拭きながら見たこともない冷たい目で言った。
「話しかけんな。汚物。消えろよ」
先輩が発した言葉と理解するのにしばらくかかった。
「汚物」「消えろよ」
今まで私をたくさん助けてくれた人から言われた言葉。
あ、そうなんだ。
イジメに遭っている人は死にたいと思うだろうし、自殺未遂のようなことはやる。
でも、死ぬってなかなか怖くて勇気が出なくてできない。私もずっとそうだった。
けれど、今、植松先輩が私に言った「消えろよ」は私に「確実に死ぬこと」という選択権を与えた。
立ち上がって水滴を垂らしながら、女子トイレを出る。
みんな一気に道を開ける。
そのまま廊下にある窓を開けた。
ここは4階。大丈夫だろう。
私は振り向きもせずに窓からダイブした。
悲鳴が聞こえたのは一瞬。
そして一瞬だけ私は爽快な風を受けた。
***************
「ウタカタさーん」
ほぼ何もない空間に女性の声が響く。
「聞こえてるんでしょ?ウタカタさん」
この空間に唯一ある可愛らしい建物の裏にレジャージートを敷いて本を読んでいた男が、ため息をつきながら起き上がる。
それと同時に女性が『ウタカタ』という名前のこの男性を発見した。
「ウタカタさん、ちゃんと仕事してください!仕事!」
「ミコちゃん、そんなに怒らなくてもいいじゃん」
女性の名前は『ミコ』である。
「今日は忙しいんです!4人この『狭間』にきます」
「えー、4人も?多くない?長くなりそうだなー、働きすぎだよ。この世界でも働き方を考えてほしいよね」
「珍しいですよね、時間もそんなにあかないで4人きます。そして同世代なんです。全員」
「へー……同世代の4人がほぼ同時にくるのか」
ウタカタはシャツのポケットからタバコを出して火をつけた。
ミコがすかさず携帯灰皿を渡す。
「ミコちゃん」
「はい」
「その4人の資料は僕のデスクに来てるとは思うけど、上に頼んでもう少し細かく突っ込んだ資料もらえるように頼んでくれない?特ここ3年ほどの資料がほしい」
「自分で聞けばいいじゃないですか!……もー、わかりましたよ。出来る限りの資料は無理矢理でももらってきます」
そう言って歩いていくミコを見ながら、
「僕はなんて優秀な助手がいるんだろうねー?僕がボンクラだからかな?」
とウタカタは笑いながら言って、言葉を続ける。
「3年なんてあっという間なんだねー、早いもんだ」
その言葉は誰にも聞こえないような小声だった。
***************
目が覚めると、やたらに派手な天井が目に入った。
起き上がると身体が痛い。筋肉痛のような痛さ。
そしてアンティークっぽいソファで毛布をかけられて寝ていたのがわかった。
「おはよーん、目が覚めた?」
壁が二面埋め込み式の本棚になっている前に座って本を読んでいた男性が声をかけてくる。
何ここ!?どこ!?
「えーと」
男が近づいてきて、黒ぶち眼鏡を直して手にしている本をめくる。
25,6歳くらい?のんびりした話し方をするけど、頭が悪そうには感じはない。
そして少しイケメンの部類に入ると思う。清潔感がありそうなイケメン。
「柳アサコさん、17歳。女子高生ね。ところで身体痛くない?」
「そういえば全身筋肉痛みたいな感じが……」
私の素性を知っているのは怪しいけど、身体の痛みはジンジンする。
「ミコちゃーん、柳さん起きたから鎮痛剤持ってきてあげてー、できれば湿布もね」
本棚とは逆の位置にあるカウンターがあるカフェのような場所に声をかけている。
「了解でーす。柳さん湿布は私が貼るのをお手伝いしますからねー」
と、声優さんのような可愛らしい声で返事が返ってくる。
女の人がいてよかったと少しホッとする。
「なんで私が身体が痛いってわかったんですか?」
「まだ思い出せていない?校舎の4階の窓からダイブしたんだから、全身痛いに決まってるじゃん」
あ……、そうだった。
私は学校でイジメにあっていて、死にたいけれど死にきれない状態でいたんだ。
いつも助けてくれる植松先輩が私に「消えろよ」って言ったことがキッカケで4階から身を投げたんだ。
別に植松先輩を恨んではいない。
なかなか押せなかった『死』というボタンを私の代わりに押してくれたんだから、恨む理由すらない。恋心は少しだけあったけれど。
身体を触って気が付いたけれど、悪臭もしないし制服も新品のようにパリっとしていて、髪の毛もサラサラになっている。
4階から落ちたんだから、死んだだろうけれど、顔もグチャグチャにはなっていないようだ。
死んだ後の世界だと思えばキレイな状態でいるのも納得できるし、ここがいかにヘンテコ場所でも別にいい。
「柳さん喉乾いたでしょ?何か飲まない?なんでもあるよ、何がいい?」
突然男の人に聞かれて現実に戻される。ここが現実かは知らないけれど。
「あ、なんでもいいです」
「うーん。なんでもいいじゃなくて、何が飲みたいの?自分の意思を言ってくれない?なんでもあるから自分が今飲みたい物の名前を言ってください」
なんでそんなに細かく聞くの?水でもお茶でもなんでもいいじゃない。
そんなに真剣に聞いてくるもの?
でも、私をじっと見てくるから「炭酸のジュースです」と正直に答えた。
「はい。炭酸ジュースですね?ミコちゃん、炭酸ジュースもお願いねー」
カウンターから派手なギャル風の可愛い女の子がひょこっと顔出した。
「炭酸ジュース、オッケーです!今、薬と湿布と一緒に持っていきますねー」
声しか聞こえていなかったから、声優さん風な声のせいでそっち系の可愛い子を想像していて、実際はギャルなことに驚いた。
ミコという女性に手伝ってもらいながら身体中に湿布を貼って、鎮痛剤を飲んでから、男性がいるカフェのようなテーブルに座った。
私には炭酸ジュースが綺麗なグラスに注がれていて、向かいに座る男性はコーヒーを飲んでいるようだ。男性の隣にミコが座り、紅茶を自分のカップに注いだ。
男性とミコ。ソファの席に並んで座っているけれど、2人とも同じような皮でできていそうな分厚い本を脇に置いている。さっきも男性はあの本を持っていたと思う。
そして、テーブルはなぜか同じ本がもう1冊、男性の目の前にある。
「改めまして。ウタカタと申します。隣は助手のミコです。ここは生と死の狭間に位置する場所にある書店兼カフェみたいなところです。僕はここであなたのような生と死を彷徨っている人に苦しくても現世で生きるか、光ある天国へ行くかの選択をしてもらっています。僕の職業を簡単に言うなら神様です。と言っても、神様ってっ結構人口多いので、そんな偉い立場ではありませんよ」
神様ってそんなにいるもんなの?
まあ、宗教の違いでそれぞれに神様がいるのは事実だから、そんなに珍しいものでもないのかもしれないけれど。
ジュースを飲みながら黙っていると、「そうそう、これを渡さなければ」とウタカタが目の前にある謎の本を渡してきた。
見た目を裏切らないズッシリとした重さの皮表紙の本にはタイトルがない。
私が表紙をじっと見ていると、
「ウタカタさん、タイトル」
ミコがそっと耳打ちをした。
「あ!ごめんね。それはキミ用だからタイトル出すの忘れてたよ、ごめんごめん」
そう言うと、表紙に文字が浮き上がってきた。
焼印のような文字がブワっと浮き出ることにかなり驚いたし、気味が悪い。
タイトルは『柳アサコ』と書いてある。
私の名前がタイトルなんて怪しい。何が書いているのかも怪しすぎる。
「僕たちも同じ本を持っているから教科書の読み合わせみたいになっちゃうけれど、タイトルの通り、それはキミ、柳アサコという人物の物語になっている。基本的な誕生日とか血液型とか人物自体は変わることがないけれど、過去は別として、現在、そして未来はキミの行動次第で内容が変化する。目次を読んで『現在』って項目の最後のページを開いてもらえるかな?」
不審に思いながら、言われた通りに目次からページを探して、多分これが最後のページだろうところを開いた。
『アサコは自称神様と名乗るウタカタとその助手であるミコと向かい合い、アサコが一番好きな炭酸ジュースを飲みながらウタカタの話を聞いている』
それは今まさにのことだ。
「うそ……」
驚きで思わず言葉を発してしまう。
「そんな感じで物語は進んでいき、そしてキミの選択次第で完結する。よっぽどのことがなければ過去も現在も変わらないけれど、僕の判断で変えることも出来る。ほとんどないと思ってくれていいよ。かなりイレギュラーな出来事になるから」
過去や現在が変えれるのなら、あのイジメの地獄の日々を変えてほしい!
と口に出そうになったけれど、どうやらそれは無理そうだ。
変えれるのであればウタカタは真っ先に提示してくるはず。
「ほとんどない」と念を押すところをみると、変な期待はするなということだろう。
「今日、ここに来るのは柳さんだけではないんだ。これは滅多にないことなんだけれど、あと3人もうすぐ順番に来る。キミを入れて4人がこの『狭間』を訪れる。しかも全員同じ歳の人間。すごい偶然だよね?同じ日、ほぼ同時刻に同じ歳の人間が4人も生死を彷徨う。僕もこの仕事をやって結構経つけれど、なかなかあることじゃない」
「はあ……」
ウタカタは少し興奮気味に話しているから、珍しいことなのかもしれないけれど、私にはどうでもいいことだ。
この『狭間』という空間もよくわからないし、いつまでここにいるべきなのか、死んでいるのか生きるのかもわかっていないんだから、人のことなどどうでもいい。
「せっかく同世代が集まるんですから仲良くなれるといいですね」
ミコが微笑みながら紅茶を飲んでいる。
仲良くなったところで何があるというのだ。私も、あとから来る3人も人生が終わっているのに親しくなる必要があるとは思えない。みんなで仲良く天国へって意味?
馬鹿馬鹿しい。きっと、その3人も同意見になるだろう。下らないと。
建物を出た裏側に大きな木が立っている。
その下にレジャーシートが敷いてあり、私は自分の物語の本を手に座った。
寒くも暑くもなく、気持ちがいい。
「ここは僕のオススメの場所。時間はあるからゆっくり読書でもしていてよ」
ウタカタがそう言いながら案内してきた場所。
今が朝なのか夜なのか、何時なのかすらわからない。
木に寄りかかって足を伸ばして座り、足の上に本を乗せる。
私の人生が書いてある本か……。
読んでみようと開いて目次を見つめるも、全然楽しい人生ではなかったから読む意欲は失せるだけ。
ここに来る時に「これを持って行ってくださいね」と紙袋をミコに渡されたので視線を移して中身を見る。
クッキーやマフィンなど焼き菓子と透明な水筒のような瓶が入っている。
瓶を開けて少し飲んでみるとアップルティーだ。甘さが控えめのアップルティーは私が好きな飲み物の一つ。炭酸ジュースの次に好きな飲み物。コンビニの限定パックでしか飲んだことがないけれど、これはそれよりも美味しくて、きっとミコが作ってくれたのだろう。
アップルティーを飲んで少し気分が和んだからなのか、足の上にある本でどうしても読んでみたい部分が出る。
その当時は考えたことすらないこと。
考える余裕すら全くなかったことが、安全が確保されている今だからこそ気になってくる。
まずは、そもそも何が原因で私はイジメにあったのか?
特別に目立つ人間でもなく、人に害を与えることもしていない。
目をつけられるほどの存在ではなかったはずだ。空気みたいなものだったから。
何がキッカケだったのだろう?
イジメの中心グループとは、それが始まるまで口もきいたことすらなく、あちらも私という人間の存在に注目していたとは思えない。だからなぜなのか?
そして、なぜ植松先輩は私を助けることしていたのか?
偶然見かけたから注意したのはわかる。
でも、どうして助け続けたのか?正義感と優しさだと思っていたけれど、本当にそうなのだろうか?
それで、最後は酷いものだったことは認めるけれど、あんなに助けてくれていたのになぜ突然、私に『死』の選択を選ぶ言葉を言ったのか。
クッキーを一枚口に入れて、現在に割と近い過去のページを探した。
私という人間は断ることが最も苦手だ。
子どもの頃は今よりは快活だった。
良く笑い、よく話す、田舎で生まれ育ったからか、みんなが私を知っていて、私もみんなを知っていた。テレビで見る都会への憧れはあったけれど、それは「テレビの世界」であり、私自身は田舎が嫌いではなかった。
そんな私は高校入学時に親の転勤で都会へ引っ越した。
数年前の私だったら、少し不安ながらも新しい生活へ希望がいっぱいだっただろう。
でも、その頃の私には快活さは存在しなく、ビクビクと怯え周りを伺う人間になっていた。田舎はみんなに監視されているようで本当に恐ろしくなってしまっていた。
それは思い出したくもないあることが原因だった。
だから、転勤は監視から逃れられる安心感を与えた。希望ではなく安堵だけだった。
誰もが嫌われたくないと思う。それは当然である。
私も新しい土地で自分のことを誰一人として知らないのだから、やり直しがきくと考えていた。
けれど、自分から積極的に行動を起こすことはなく、嫌われもしないけれど好かれもしない、空気のような存在でいることが何よりも安心できた。
高校で友達を積極的に作ることすらしなく、息をひそめて過ごしていた。
2年生になってしばらく経ったある日、クラスの女子に「用事があるから代わりに委員会に出てくれない?」と頼まれた。苗字は知っているけれど下の名前もわからない、言葉も交わしたこともない子だった。
でも、悪い人には思えないしクラスでも「普通」のカテゴリーに属する子で、本当に用事があって困っていたけれど、頼る人が誰もいないから私に仕方なく頼んでいるのだろうと思った。
だから「わかったよ」と笑顔で引き受けた。
まともにクラスの人と話すのは初めてだったから、上手く笑顔が出来たかはわからないけれど、彼女は「助かるー、ありがとう」と申し訳なさそうな笑顔を返してきた。
それから彼女は結構な頻度で「代理」を頼んでくるようになった。
委員会は文化委員で、普段は特に活動が頻繁ではないようだけれど、まもなく学校祭があるから、年に一度のその時だけ忙しくなるようだ。週に何度か委員会が行われていた。
ほぼ毎回、代理出席を頼んでくるので、少し面倒だし内容をノートに細かく書いて彼女に渡さなければいけないのが億劫だった。
でも嫌だと言って、波風が立って妙に注目されるの方がもっと嫌だし、彼女はバイトが忙しくシフトが増えてしまったから出席できないのだと、本当に困った様子だったから悪気はないのだろう。
学校祭というイベントのせいで皆忙しいのだ。困っているから断ることはできない。だから承諾していた。
ここまで本を読んで気が付いた。
私の人生の物語だけれど、私は「アサコ」と表現されていて、主観で話が進んでいるのではなく、客観的に誰かが書いた小説のようになっている。
私が文化委員を断り切れないで承諾していることも
「アサコは余計な注目をされたくない気持ちで引き受けていたのだ」
という様な表現になっている。
だから私の物語に出てくる登場人物の背景や気持ちなども描写されている。
読み進めていると、代理を頼んでいる彼女はバイトなどしておらず、他校にできた彼氏と遊びたいがために一番どうでもいい存在の「アサコ」をターゲットにしており、学校内では私が詳細に書いた委員会の内容で、誰にも何も思われずに活動していると信じられていた。
彼女は私のことを彼氏に「便利屋」と言っており、それはやがて彼女の口からクラス内に広まることになる。
「柳さん、お願いがあるんだけど」「柳さん、ちょっといいかな?」
クラスの女子にやたらと声をかけられることが増えていく。
私の名前がほぼ毎日何かしらで連呼されるのがたまらなく嫌だった。
頼まれることは大体どうでもいいことばかり。日直、掃除当番、資料運びなどの雑用。
波風だけは立てたくないから、何でもかんでも「いいよ」と引き受けていた。
クラスのトップのグループの派手な女子たちは私のことなど、どうでもいいらしく
「柳って誰?」「あー、便利屋?あれ柳っていうんだー」
という声が聞こえるくらいだった。
便利屋という私に彼女たちは用事すらない。
「トップ」が頼まれた面倒くさいことを「普通」が押し付けられ、それを「便利屋」の私が最終的引き受けているのだから、末端の下請けの私なんか大企業のような彼女たちが知る意味すらないのだ。
やがて学校祭が近づいてきて、学校祭の実行委員会が主体になる委員会へシフトチェンジされていく。
実行委員会はほぼ毎日会議を開き、便利屋の私は当然代理で参加せざる得なくなっている。
実行委員は学校でも目立つ人間が主体で成り立っており、各学年やクラスのトップ達が集まり、学校祭というお祭りをいかに自分たちが満足できるかを勝手に決めて盛り上がっていく。
トップ達が私をどうでもいいように、そのお祭りは私には同等以上にどうでもよかった。
その実行委員長が植松先輩だった。
顔が良く、背が高く、性格も優しく、爽やかで文武両道な植松先輩は「植松信者」という女子たちがファンクラブを作るほど圧倒的な人気と地位を持っていた。
私でも名前と顔を知っているくらいな、この学校を象徴するかのような存在だ。
「植松信者」たちは学校で目立つ人間しか名乗れず、憧れを口に出来る一般生徒は少ない。
私にはそんな雲の上の存在である植松先輩も「植松信者」も自分には関わりがない人間達なのだから、本当にどうでもよく、早く委員会の代理出席が終わることばかりを考えていた。
自分の物語を小説の気分で読んでいた私は、知りたかった「謎」のキッカケにやっと気が付いた。
「この時からだ……」
何個目かのクッキーを手にしたまま、すっかり忘れてしまっていた出来事を思い出す。
自分のことなのだから、この先は読むのがうんざりしそうなものなのだけれど、私の主観ではなく、本の中の「柳アサコ」に起こっている出来事に思えて、なんだか他人事に見える。映像ではなく文章だから余計にそう思うのかもしれない。
同姓同名の主人公に起こるこれからの数々の不幸を、私はアップルティーを飲み、クッキーを口に運びながら読み進めていく。
ある日「アサコ」に不幸が突然降りかかる。
それは、いつも通りに便利屋として代理で出席している実行委員会の会議中。
自分に与えられた代理の役割を黙々とノートを取りながらこなしていると、
「文化部の展示の件ですけど……、文化委員、そこの女子は2年生かな?展示の見取り図は持っているかな?」
植松先輩が言っている。
私は自分が声をかけられているなんて全く思っていないから、ノートしか見ていない。
「えーと、そこの髪の長い女の子。ノートを取っているキミなんだけど」
困った声と、やたらと視線を感じて顔を上げた。
みんなが私を見ている。なぜだろうか?人に見られるのは好きではないから困惑する。
隣の席の男子が「植松先輩が聞いてるよ?」と小声で言った。
「はい…?」
「文化委員だよね?展示の見取り図を見せてほしいんだけど。あ、ごめんね。名前は?」
苦笑いしながら植松先輩は言った。
「柳アサコです……」
渋々と名前を言う。そして、私は代理なんだから見取り図なんか知るわけがない。
でもそれを言うと、頼んできた彼女も後で困るだろうし、どうしようかと考えた。
「柳アサコさんね、教えてくれるかな?」
「あの……すみません。忘れました。ごめんなさい」
うっかり私が忘れたことにしてしまえば、波風は立たない。私のミスであり、本来の委員の彼女に迷惑はかからないであろう。そして他のクラスの文化委員に聞き直すはずだ。
そう思ってまた下を向くと「ブハ!!」と植松先輩が吹き出した。
怪訝に思ってもう一度顔を上げる。
「柳さんって本当は文化委員じゃないよね?だって委員の子と名前違うから。いつも何でいるんだろうって思ってたんだ。押し付けられちゃったの?」
植松先輩はお腹を抱えながら笑っている。
何が面白いのか。
代理がバレてしまっては彼女に迷惑がかかる。こっちは面白くもなく、困っている。
「いえ……、私が途中から文化委員になったんです」
嘘だけど、もう彼女が委員会に出席する感じはないから、いっそ私が文化委員になったことにしてしまおう。
「アハハ、柳さんっていい人なんだね。顔も可愛いけど性格も優しいんだね」
周りがザワっとなる。
女子たちの嫌な視線が突き刺さる。やめて、私のことは構わないで、迷惑だから。
「柳さん、これからも委員会よろしくね。じゃあ、見取り図は3年の文化委員長の……」
私を見てニッコリと植松先輩は笑い、そして話を別な人へ向けた。
学校の、学年の、クラスの「トップ」の女子たちが私を睨みながらヒソヒソと話をしている。
やめて。本当に迷惑。私は悪くないから、お願いだから私に注目しないで。
女子たちと視線を合わせないように下を向いたけれど、額にジットリと嫌な汗が浮かんだ。
その日だけは、「植松先輩に名前覚えられたんじゃない?」とチクチクと言われたけれど、次の日には私の話題すら出なかった。
何事もなく、数日間を便利屋以外はのんびりと過ごしていたが、ある日、見えないようにジワジワ下準備をしていたらしい「大企業」であるクラスのトップの女子3人が声をかけてきた。
「柳さーん」
お昼を食べに視聴覚室へ行こうとしたらトップ3人が声を掛けてきた。
私はお昼は誰も寄り付かない視聴覚室で1年生の頃から食べている。
トップが私の名前を知っていることに多少驚きはしたけれど、「便利屋は柳」くらいの認識はあるのかもしれない。
どうせ呼び止めたのだって面倒くさい用事を押し付けるためだろう。
私が黙っていると
「お昼一緒に食べない?」
と、わけのわからないことを1人が言い出した。
「は?」
思わず口に出てしまう。
仲間に入れてもらえる!なんて思うはずもなく、空気のようにありたい私にはこれ以上の迷惑はない。
そして3人を見ると学校祭の実行委員の子がいた。
無論「植松信者」と堂々と名乗りをあげても文句を言われない人間。
この間の植松先輩のことでも聞きたいのか?
あなたも見ていたろうけれど、植松先輩はからかっただけで共通点すらないのは見てわかるだろう。何を考えていて、何をしたいのだろうか?
そして断ることが出来ない私は3人に引っ張られて中庭に連れ出された。
あちこちにベンチがあり、結構な生徒がお昼を食べている。
比較的体格のいい子が「空いてたー!植松ポイント」と言いながら、ベンチが二つ並んでいる場所を陣取った。
「植松ポイント」?なんだそれ。
私の顔が相当不可解な顔だったのだろう、頭の良さそうな子が説明する。
「植松先輩は毎日ここでお昼を友達と食べているの。席もいつも決まっているから、ここが一番植松先輩を見れるから『植松ポイント』って呼んでるんだ」
「へー……」
世界一どうでもいいことを聞いた気分になる。
とりあえずベンチに腰をかけると、本当に真向かいで植松先輩が友達とご飯を食べている。さすが「植松信者」。
お弁当を広げて食べようとした時に、植松先輩が「あー!」とこっちを指さした。
私もビックリしたけれど、それより「信者」たちが「植松先輩ー!!」と近寄っていき、体格がいい子が見事に私の弁当を落としていった。偶然ではなく、あきらかに身体をぶつけてきたから厄介だ。弁当はなくなるし最悪。
先輩は「信者」たちを押しのけ、私の前にきて「うわー、酷いな」と言った。
それから3人に向かって
「あのさ、君たちワザと柳さんの弁当落とさなかった?俺にはそう見えたんだけど」
と言った。
3人は慌てて否定をしている。
私はそれよりも、名前を覚えていたことに驚いた。
私が落ちた弁当を片付けているのを植松先輩も手伝ってくれて、
「柳さん、お昼ないよね?学校の近くで買ったサンドイッチだけど、これで我慢してもらえる?」
と、自分のベンチからわざわざパン屋の紙袋を持って来てくれた。
「え?いや、購買で買いますから大丈夫です!」
真っ赤になりながら首を振る私を見て、植松先輩はクスって笑ってから言った。
「購買ではこの子たちに今度奢ってもらいなよ。ワザとに見えたけど、言い過ぎかもしれなかったね。ごめんね?でも柳さんにはしっかり謝罪しなよ」
そう言って彼女たちにも笑いかけると、取り乱しながら「すみません!」と全員逃げてしまった。
「あーあ、逃げちゃった。じゃあ、一緒に食べようか?」
隣のベンチに座り、植松先輩とお昼を食べた。
サンドイッチは都会の味がした。すごく美味しかった。
男子となんて田舎いた頃の幼馴染のアイツや中学時代の男子しか話をしたことがなかったから、緊張して私の顔はずっと真っ赤だっただろうと思う。
私はこれがキッカケで植松先輩から会ったら声をかけられたりして仲良くなったんだ。
それと同時に、やっぱり植松先輩と仲良くするものだからトップたちにイジメられるようになった。
『アサコと植松はこれがキッカケで仲が良くなった』
本の文章を読んで、あー、そうだった。これで変に目立ってイジメられたのか。と思っていたけれど、その前に植松先輩の話が出てきている。
何度も言うが、これは私主観の物語ではなく、関わった人間の思想、思惑も出てくる。
トップたちが私の弁当を落とし、植松先輩とお昼を食べた日の放課後の話が出ている。
実行委員会が使う会議室で資料を読んでいる植松先輩と例の3人が会話をしている場面だ。
「やりすぎましたかねー」
体格のよいあの子が植松先輩に言っている。
「いや?あのくらいしてもらわないと、柳さんは警戒心が強そうだからね」
資料と閉じて先輩はクスクスと笑った。
「なんで先輩は柳に興味あるんですか?」
そう聞かれると、爽やかな笑顔しか見せない先輩が嫌な笑いをする。
「暇つぶし。善人を保つのは大変なんだよ?このくらい遊んでも罪はないじゃん。柳さん出身はかなり遠い田舎らしいし、友達もいないしかばってくれる人なんかいないでしょ?あ、俺が一応かばうけど。遊びは緩急が大事だからね」
そうして3人に財布からお金を渡すと
「引き続きよろしくね。まあ、死なない程度にね」
と言った。
そうしてイジメが始まり、先輩の指示でエスカレートしていく。
私がしこたまやられた後に先輩は登場し、彼女たちを怒るのだ。
「大丈夫?」
と、私を心配し、優しくして笑顔を向ける。
ある日、お昼に誘われた時に「柳は笑顔が可愛いね」とさりげなく言われ、私には先輩はヒーローのようだった。恋心も若干生まれたほどに。
田舎にいた頃の私を知っている人間は、イジメられて根暗で人見知りをし常にビクビクした生活を送っているなんて信じられないだろう。
私はそんな性格ではなかったから。
幼馴染4人で仲が良く、悪さと言っても何もない田舎での悪さなんて小学生がやるようなことだ。そんなことをして先生や周りの大人に怒られ「この子たちは元気がすぎる」と、笑ってくれていた人たち。
その中で私たちは「最強!」と笑い合っていた。
あの3人は今頃どうしているのだろう?
あんなに仲が良かった私たちは、とても嫌な終わり方をして疎遠になった。
忘れようと思っていたけれど、今更気になってくる。
ウタカタは「今日は4人ここにくる」と言った。
私も含めて、幼馴染が揃うとか?
そんな偶然あるわけがない。出来過ぎにもほどがある。ない、絶対に。
そして私が命を絶った日になる。
その日は学校祭の最終日。
学校に行けば酷い目にあうし、私をイジメているような人間が楽しむお祭りなど行きたくもない。以前はどうでもよかったイベントが憂鬱という負荷をつけたのだから、参加したいわけがない。
学校祭は3日間あり、2日間は家を出て最寄り駅の近くにある図書館で終わるまで時間を潰した。
でも、最終日は生徒は強制参加で無断で休んだ生徒の家には電話が来るという。
仕方ない。行くしかない。学校の目立たない場所に身を潜めていれば終わるだろう。
そう思って、重い足を引きずるように登校した。
私がサボっていた2日間で、植松先輩は例の3人を呼び出し
「もう柳に飽きた」
と、言った。
3人はそう言われて困惑する。
飽きたのならイジメはやめて、また存在しないような扱いをすればよいのかと。
「柳さんね、この間俺に『辛いから死にたい』って言ってたよ?望み通りに死なせてあげたら?」
この言葉に3人もさすがにギョっとして
「え?私たちが柳を殺すとか……?先輩、それはさすがに冗談きついです」
と、1人が声を震わせて言った。
先輩は自分のクラスの出店のはっぴを着ながら、うちわで呑気にパタパタとあおいでいる。
「別に殺せとは言ってないよ?本当に死にたいくらい痛めつけて、自殺でもさせたらいいんじゃない?」
「どうやって……?」
「まあ俺の暇つぶしを君たちがしてくれたんだから、最後くらい俺が柳の背中をポーンと押してあげるよ。お疲れ様、もう楽になっていいよってね」
植松先輩はそう言って、いつもの爽やかな笑顔を3人に向けた。
そんなことを知らずに私は最終日に登校し、人気のない資料室で本を読んで時間を潰していた。
先輩にこぼした通り、イジメの毎日に疲れ果てて『死んでもいいかな』と思っていた。
田舎でのあの出来事から私はあまり生きている意味も感じていなかったけれど、もういいかな?キッカケさえあれば死ぬのだろうとは感じていた。
その死へのボタンは何なのだろうか?それはわからなかった。
ドカドカと足音が聞こえて、資料室のドアがバンと開いた。
3人が息を切らせて「柳!やっと見つけた」と言う。
いつものようにニヤニヤとはしていない。
学校祭だというのに息を切らせてまで私を探す意味がわからない。
「お前、こんな所に隠れてぶざけんなよ!来いよ!」
体格のいいあの子が私の髪を掴んで引っ張る。
「痛いよ、こんな日くらい放っておいてよ」
私が言うと、思いきり蹴っ飛ばされた。
引っ張られながらそばにある女子トイレに連れて行かれた。
それで私は今までにないくらい痛めつけられ、ヒーローだと信じていた先輩に見捨てられ、死のボタンを押して、今この『狭間』という空間にいる。
『柳アサコ』の物語はここで終わっている。
終わってはいないけれど、続きはここへ来た時の話になっている。
信じてた先輩に裏切られ、自殺に追い込まれたのだから涙が出るくらい悔しいとか、恨みの感情が出てもいいのだけれど全く何も思わない。
田舎で近所のおばあちゃんが言っていた。
「悪いことをしたら神様は罰を与えるんだよ。それは逃げられないことだから、悪いことはしたらダメだよ」
あー、そういうことなのか。
私は田舎で『悪いこと』をした。とんでもないことを。
だから神様は罰を与えた。
それだけのことだ。
悪いことをしたんだから罪を償えということがこれだったのか。
なんだか妙に納得してしまう。
そして自業自得なんだと理解した。
私は罰を受けた。
では、あの幼馴染3人も罰を受けるのだろうか?
もしかしたら私より先に受けたのだろうか?
アップルティーを飲みながら考えていると、
「読み終わりました?」
ウタカタが声をかけてきた。
「はい。何だか妙に納得しました」
私は素直に言うと、ウタカタはニッコリと笑った。
「そうですか。あ、間もなく2人目の方がいらっしゃいます。アサコさんはここでしばらく待っていてくださいね」
そう言ってウタカタは歩いて行った。
2人目ね……どんな人が来るんだか。
まあ、そこまで興味はないから少し寝ようかな。
そう思って、寝転がって私は目を閉じた。
張り出されたテストの順位表を見て、私はニヤつきを隠すように口元に手をやる。
「やっぱりアカリ1位じゃん!さすがー!」
クラスメイトに言われて、口元を隠しながら驚いてるフリをする。
「まぐれだよ、ビックリしちゃった」
と口は言ってるけれど、当たり前なんだよ!と内心は思っている。
1位を保つためにアンタたちより私がどれだけ努力してると思ってるわけ?
「生徒会役員だし陸上部のエースだし、美人だしアカリには敵わないよね」
隣にいるもう1人のクラスメイトと言っている。
もっと褒めなさいよ。私とアンタたちとは人間としての作りが違うんだから。
「いやいや、美人なんかじゃないよ。テストも今回は結構頑張ったから。陸上は田舎に住んでるから脚力ついてるのかな?」
謙遜しながら小声で言って少し笑う。
「アカリの家って病院なんでしょ?アカリも将来お医者さんになるの?」
廊下を歩きながらクラスメイトに言われる。
「お父さんは田舎でみんなを助けているから、私もなれるならなりたいなー」
笑顔で答えると、「アカリならなれるよ!」と盛り上がる。
絶対に医者になるわよ。あんな父親なんかより優秀な医者に。
昔から夢に見ていた。
『田舎でも最先端の医療を取り入れた救世主の清水アカリ医師です!』
と、テレビや雑誌がこぞって取材しにくる夢を。
だから、私は絶対になる。
あんな医者という肩書だけの無能な父親なんかより優秀で有名な医者に。
片道バスと電車を乗り継ぎ1時間かけて市内でも有数な進学校に入学した。
この学校は有名大学の合格者を多数出している。
田舎からの通学が辛いけれど、優秀な高校で結果を出して医学部がある有名大学に絶対進学するためだと思うと苦ではない。
今日のテスト結果に満足しながら1時間かけて帰宅すると、小さな診療所兼自宅の電気がまだついている。
診療所から入ると、ベッドには近所のオジサンがお腹を抱えてうめいている。
父親はしきりに電話口で市内の病院への搬送を依頼している。
父親はこの街に来る前、大学病院で外科医として多くの難しい手術をし、成功して雑誌にも出たことがある。
私は幼稚園や近所の友達に「うちのパパはすごいんだよ」と自慢をしていた。
私の小学校の入学に合わせて父がこの田舎の診療所に行くと聞いた時は「なぜ?」と子供ながら思った。
都会の大きなマンションに住んでいて、マンションには住人しか使えないプールまであるところだった。
だから何でそんな田舎に行かなければいけないのかがわからなかった。
父は幼い私の肩を掴んで笑顔で言った。
「田舎は満足に治療ができない人がたくさんいるんだ。お父さんはそんな人たちを助けたいんだ。アカリも困っている人がいたら助けたいよな?」
それを聞いて、お父さんはすごいし、カッコイイと思った。
でも、田舎ってコンビニすらロクにないのでは?公園は?習っているピアノは?と不安にもなる。
そんな私にキッチンにいた母が
「田舎に行くとね、今より大きい家に住めて、すごくいい車に乗れるのよ。少し不便だけど、私たちはお金持ちになるの」
と言った。
大きい家、いい車、お金持ち。
その言葉を聞いて私は田舎へ引っ越すことを少し楽しみに思った。
実際引っ越した家は広いけれど、古臭かった。
隣接して小さな診療所がある。
住人専用のプールはなく、近くの川で水遊びをするという。
大嫌いな虫も多く、コンビニは車で15分かかる。
お金持ちになったかは知らないけれど、私は心底ガッカリした。
それに反するかのように住民は「都会から優秀な医者がきた」と、診療所にこぞって人が集まり、どこが調子悪いだとかなんだとか言いながら連日、診療所はギュウギュウの特売スーパーのようになっていた。
父はそんな住民に対し精力的に治療をしていた。
そして圧倒的に医療器具や必要な薬がないから、国に何度もそれを打診していた。
けれど国の返事は冷たいもので「優秀な医者なんだからなんとかしろ」という回答だったようだ。
それでも諦めずに頑張って打診し続けていたが、数年経つと父は白旗をあげた。
自分ではどうにも出来ないと判断したら市内へ搬送することばかりをして、自分では風邪などの簡単な治療だけをするようになった。
あんなに輝いて見えた父が色褪せて、ただの「田舎の医者」にしか思えなくなった。
それと同時に軽蔑の感情も芽生えた。
私は父を見て医者になりたいと子供の頃から思っていたけれど、今は父なんかよりもずっと優秀な医者になってやろうと思うようになった。
有名な病院に勤務するのではなく、この田舎に最新機器を導入し設備もしっかりとさせ、ドクターヘリに頼ることなく、この場で手術も出来る医者になる。
私はそう思って必死に医者になるために努力をしているのだ。
学校では優等生を演じているのだからストレスが溜まる。
遊ぶところは学校帰りにあるけれど、「優等生」が遊び歩いているのが大学受験の時にひびいたら困る。
学校帰りの最寄りの駅の高架下に数人ホームレスが住んでいる。
ある日駅まで歩いていると、ホームレス1人がテントから出てきて目が合った。
50代くらいだろうか?華奢な身体をしていて膝に穴が開いたジャージを着ている。
「あ、ボランティアの方ですかね?」
そう言って私の手元を見る。
私は学校の友達が旅行に行ったお土産が入った紙袋を持っている。
ボランティア?紙袋の中身ほしいの?
ボランティアの人たちは彼らに食事や何かしら生活のために活動しているのだろう。
テレビで見たことがある。
ホームレスは困った顔をして私を見ている。
そして私はひらめいた。
「私はボランティアじゃないけれど、お手伝いできることはしたいと思っています。学校で買ったパンなんですけど、食べきれなくて。良ければもらってくれませんか?」
満面の笑みで言うと、彼は「ありがとうねー、お姉ちゃんありがとう」と何度も頭を下げた。
その日は本当に残してしまった菓子パンがあったから渡して帰った。
これからだ。
私のストレス発散はこれから始まるんだ。
それから何度か通い、スーパーで一番安い特売の60円くらいの6枚切りの角食を度々買っていった。
他のホームレスは、「今は」どうでもいい。この人が私に絶大なる感謝をするのがまずは目的だ。
「高校生のお姉ちゃんからパンをもらうなんて情けないけど、お姉ちゃんには頭があがらねーわ」
彼の言葉を聞いて、心の中でガッツポーズをした。
今度会う時が私のストレス発散の始まりだ。
何事も時間をかけてもいいから下準備は大切なのだから。
ストレス発散当日。
学校帰りに学校名が入っていない自分で買ったスポーツウェアに着替えた。
例によって角食を持参すると、待っていたかのように彼は目をキラキラさせた。
ここは最寄り駅の高架下。
ホームレスの住処だからボランティアなど以外近づきもしないだろう。
食パンの袋を開けようとする彼に私は言った。
「おじさん、食パンにジャム塗りたくない?」
「ジャム!?」
彼が驚いた声を上げたけれど、ここのホームレスたちの人数、特徴、どんな顔か、それぞれの活動時間帯は彼から聞いて把握している。
今は誰もいない。だからこの時間に来ているのだ。大声でジャム!?と言われても誰も出ては来ない。
「今日持ってきたんだけど、せっかくだから勝負しない?」
「勝負?」
私の提案に怪訝な顔をしている。
高架下の更に奥、人が絶対来なさそうな薄暗い場所を指さして、
「あっちで勝負やろうよ」
カバンの中からイチゴジャムの瓶を出して言うと、彼は頷いて私の後についてきた。
「で、お姉ちゃん勝負って何をするんだい?」
「おじさん運動神経いい?」
「悪くはないぞー!若い頃は市民マラソンで入賞してるんだからな」
私はカバンからかなり前に百均で買ったハロウィン用のカボチャの丸い飾りを出した。閉じたりも出来る提灯みたいな物だ。
「これ、頭に乗っけて飛び蹴りか回し蹴りで落とした方が勝ちって勝負しようよ」
彼はギョっとした顔をして慌てて首を振った。
「そんな危ないことはできないぞ!もし俺がお姉ちゃんにそれをやって怪我させたらどうするんだよ?危ないからダメだ。お姉ちゃんも飛び蹴りなんかできないだろ?」
「私ね、陸上部で一応は走る専門なんだけど、混合競技に出るときのために高跳びもやってて、かなり自信あるんだ。だから大丈夫だよ」
「いや!ダメだ。いつも助けてくれて感謝しているからこそダメだ」
私が冷めた顔で見ると「だから、お姉ちゃんが怪我したら困るからだ!」と口から唾を出しながら興奮して説得してくる。
「じゃあさ、出来るか出来ないか試したいたから立ち膝してカボチャ持って。それならやってくれない?ジャムあげるから」
私の提案に彼はカボチャを受け取り苦笑いをしながら立ち膝をした。
「頼むから身体蹴らないでくれよー」
「遊びだもん。本気でやるわけないでしょ?」
私も笑いながら言ってから位置を確認する。
「いくよー」
と明るい声で言ってから、飛び蹴りではなく回し蹴りをした。
ガゴンっと結構な音がして、スローモーションのように彼が口から泡を吹いて倒れていく。
私が狙ったのは首元。カボチャなんでフェイクだからどうでもいい。
彼に近づいて生きているのか確認すると気絶しているだけらしい。
高架下を出てスーパーでまた制服に着替えてから、高架下の近くの人混みがあるところまで戻り、その辺にいるサラリーマンに「大変です!」と言った。
サラリーマンは「どうしたの!?」と驚きながら言った。
私が緊迫した表情で訴えかけているからサラリーマンも何かあったのか?と身構えている。
「今、風で学校のプリントが飛ばされて高架下まで取りに行ったら、遠くからしか見てないけど人が倒れているみたいなんです!」
私の声を聞いたサラリーマン以外の人たちも騒然となり、高架下を見に走って行く人やサラリーマンは救急車と警察をスマホで呼んでいる。
「大丈夫?」と聞いてきたおばさんに「気分が悪いのでトイレに行きます」と言って、口にハンカチを当てながらその場を離れた。
結っていた髪をほどき、私は鼻歌を歌いながら駅への道を歩いた。
最高だ。こんなに気分がスカっとするなんて。
あんなに綺麗に回し蹴りが決まるなんて爽快すぎる。
脚力には自信があった。なめていたホームレスの負けだ。
「あ、負けたからジャムもらえなかったね」
さっきのカボチャとジャムが入ったカバンを中を見てクスっと笑った。
ここはしばらくは来ない方がいいだろう。
また大事な「ホームレスさん」を探さなきゃだ。
あれから6人、ホームレス相手にストレス発散をした。
あまり注目したことはないけれど、意外にホームレスがいることがわかった。
冬は雪が降るのにどうしているのだろうか?と考えたけれど、新しくなった知事がホームレスの自立とそして命にかかわる冬は会館などを解放して炊き出しもしているとニュースに出ていた。
ホームレスの住処を見つけるのは結構大変だけれど、その分、ストレス発散できるのなら仕方ない。
だって下準備は大事だから。母の口癖だ。耳が腐るほど言われてきたし、そうなのだろうと思っている。
夕方のニュースをスマホでホームレスの住処を探しながら聞き流していると
『最近、ホームレスを襲撃する事件が多発しており、すでに6名が怪我をしています。犯人の特徴は若い女性、もしくは学生かもしれないと証言されており、女性にしては力加減が成人男性と同等だと警察が会見で話しています。警察は厳重に注意を呼び掛けると共に犯人の行方を追っています』
「マジかよ……」
あれだけ注意しているのに捕まるのはごめんだ。もしかすると少年院に入れられるかもしない。
「何がマジかよ……だよ。そろそろ行ってきてちょうだい」
母にエコバッグを渡される。
唯一この田舎にある大型スーパーへ行けということだ。
ファストファッションの店も出店していて、ちょっとした服や下着はここで済ませることがい多い。
夕方5時から食品の割引やご奉仕品のシールが貼りだされるから買いに行ってこいという。
「早く!なくなったら夜ご飯ないんだからね!」
うちの親は医者で金持ちではないのか?
母はお嬢様育ちで料理が出来ないから、都会にいた時からデパ地下のお惣菜が食事だった。
今やそれはスーパーの割引の総菜になった。
家を出て診療所の方を見ると、この地域には全く似合わないピカピカに磨かれた外車がある。
ここに来た時に父が買った車。
その車を磨くのが今の父の唯一の趣味かもしれない。
ピカピカの外車の家の食事が割引やご奉仕品のお惣菜。
見栄だけは捨てきれないのか、買い物は私の仕事。
母が外に出るときは高級ブランドのバッグを持って化粧をバッチリしている。
この田舎で私の家は「金持ち」と思われているし、すごく浮いてる。
農家の人が作業をしているところを派手な格好で歩いて通り過ぎる母。
違和感しかないピカピカの外車の窓から町の人に手を振って乗り回す父。
それなのに現実は毎日夕方のスーパーへ自転車で急ぐ娘だ。
おかしいにもほどがある。
私はあんな風にならずに質素に見えながらも有名な医者になって、町の人に崇拝されたい。
ギャップがなく、「先生も奥さんも変人だ」なんて陰口を言われない人間になる。
絶対的に私に頼るしかなく、頭が上がらないくらい神のような存在になるんだ。
そんなことを思いながら自転車を必死でこいで、国道に出る。
信号を渡ればスーパーだ。
嫌だ、こんな生活。
私は神になるために生まれてきたんだ。
だからホームレスを少しいじめるくらいなんだっていうんだ。
事件にするほどじゃないではないか。
信号が黄色になりそうだ。
早く渡らなければ。
総菜の取り合いになるから急いで買わないと。
本当に嫌だ。
もう嫌だ。
信号をあと少しで渡り切るところでクラクションが鳴る。
車道を見るとトラックがもうすぐそこまで来ている。
ものすごい衝撃を身体に感じたのが最後。
私の意識はなくなった。
フカフカの柔らかいクッションを抱きながら、都会に住んでいた頃を思い出す。
こんなクッションを抱きしめて、座り心地も寝心地もいい大きなソファで昼寝をよくしていた。
あの頃は何でも手に入って、お嬢様な生活が当たり前だった。
5歳のくせに高級なデパ地下のローストビーフが好物でよく食べていた。
そんな私がまさかスーパーに毎日値下げの総菜を買いに行くなんて想像もできなかった。
本当になんでこんなことになったのか……。
ウトウトとしていたけれど、目をパっと開ける。
可愛らしい花柄のクッションを抱きしめている。そして寝心地のいいソファ。柔らかい毛布がかけられている。
え……?どういうこと?
私は自転車でスーパーへ向かっていて……。
「おはよーございます!」
頭の上から声が聞こえて悲鳴を上げそうになる。
視線を向けると黒ぶちの眼鏡の若い男性が笑顔で私の顔を覗いている。
何これ?誘拐?
「清水アカリさん。17歳。女子高生。ところで頭は痛くないですか?」
男が笑顔のまま言う。
頭……?そういえば左の側頭部がズキズキする。
それよりも何で私の名前を知っているのか?
やっぱり誘拐?
「頭痛いでしょ?」
男にもう一度言われて、警戒しながら頷く。
「ミコちゃーん、清水さん起きたから鎮痛剤と冷えたタオル持ってきてあげてー」
「了解しましたー!清水さん何か飲みますか?オレンジジュース好きですよね?持っていきますねー」
男の呼びかけに可愛らしい女性の声が返ってくる。
私の好きな飲み物まで知っているとはどういうことか。
考えたら側頭部が痛くて手で抑える。
「なんで私のこと知ってるの?あなた誰なの?」
痛みに顔をしかめながら言うと、男は再びニッコリ笑う。
顔が整っているから笑顔が爽やかに見えるのが余計に怪しい。
「清水さん、お買い物に行く途中トラックにひかれましたよね?」
「え?」
「いやー、5メートルくらい派手に飛ばされたようですよ?その時に左側の頭、思い切りぶつけたんですよ。そりゃ痛いですよねー」
そういえば、急いで信号を渡っていたらトラックがきて……?
「え?なんで私、無傷なの!?トラックにひかれたよね?それにここどこなの?病院じゃないでしょ?」
「清水さん、5メートルも吹っ飛ばされて生きてると思ってるんですか?」
「は……?」
何それ?
私、死んだってこと?
だからこんな変な場所にいるの?
ここ何?死後の世界ってやつ?意味がわからない。
「まあまあ色々聞きたいことや話したいこともあるでしょう。まずは鎮痛剤を飲んで、頭を冷やして、お茶でもしながら話しましょう」
男はそう言って、カフェのような場所を指さす。
手には不自然なくらい分厚くて重そうな皮が表紙の本を手にしている。
とりあえず話を聞いてみなくては状況が飲み込めない。
私は小さく頷いた。
「お待たせしましたー」
やたらとギャル風な女の子が薬とお水、冷えたタオルを渡してくる。
そしてテーブルに綺麗なグラスに入ったオレンジジュースを置いた。
薬を飲んで、タオルを側頭部に当てながら2人を見る。
向かえに座った2人の脇にはさっき目に入った分厚い本。
そして、テーブルの上にも同じ本が置いてある。
「改めまして。ウタカタと申します。神様です」
「はあ?」
思わず間抜けな声を出してしまう。
頭がおかしいのか?
「ウタカタさん、さっき説明したからってサボらないでください」
女の子がウタカタと名乗る男を睨んでいる。
「あー、ごめんね。今日はお客さんが多くて、説明するのが大変で……。失礼。僕はウタカタという名前で職業は神様です。こちらは助手のミコ。神様って言ってもそんな偉いわけではなくて、神様って職業は人口が多いんです。僕の担当は生と死を彷徨う人が来る『狭間』という場所、ここが僕の管轄です」
神様って職業なの?
『狭間』ってなんだろう?
それより……
「生と死を彷徨うって、私は死んだんじゃないの?」
「うーん、正確に言うと死んではいないですね。「まだ」ですけど。ここにいらした方に、選択をしてもらいます。苦しくても現世へ戻り生きるのか、はたまた光ある天国へ行くのか。それを考えてもらい選択してもらうって感じですね」
ウタカタは笑顔のまま言う。
私は足を組んでオレンジジュースを一口飲んだ。
それは子供の頃大好きだったお店の味にかなり似ていて少し驚いたけれど、そんな素振りは見せない。
頭痛もかなり良くなってきている。
「そんなもん生きるに決まってるでしょ?私はやらなきゃいけないことがあるの。アンタにはわからないだろけれどね」
「医者になる。敢えて田舎で優秀な医者となり崇拝されたい。ですよね?」
「なんで……!?」
思わず立ち上がろうとする私をミコが押さえて座らされる。
ウタカタはテーブルの上にある本を私の方へ向けた。
本の表紙に焼印の文字で「清水アカリ」と書いてある。
「これはあなたの人生が書いてある本です。僕らが持っているものと同じものです」
脇に置いた本を見せてくる。全く同じに見える。
ウタカタは軽く咳払いをして続ける。
「清水アカリさん、本当に生きるんですか?」
笑顔ではない。眼鏡の奥の瞳が真剣に私を見据える。
「生きるわよ。わかってるなら当たり前でしょ?」
鼻で笑って答えると、ジッと見つめてからウタカタが言葉を出した。
「未成年なので実名の公開捜査はしていませんが、捜索されてますよ?」
その言葉に私は目を見開く。
「嘘でしょ……?」
「こちらのページを見てください」
ウタカタが言うと、ミコが私のだという本を開いた。
開かれたページを目で追う。
『アカリはホームレス連続暴行事件の罪で極秘捜索をされている。まだ事故の被害者がアカリとは特定されていないがそれは時間の問題だ。警察は極秘でアカリの自宅の家宅捜索を始めた。アカリは買い物に出かけたと母親が証言をしたが、現在、行方がわかっていない。両親は信じられないという表情で家宅捜索をされている現場に立ち尽くしている』
「何これ……」
震える手でページをめくる。
最後のページには、今この状況。私がウタカタから事件の事実を聞かされていると書いてある。
「この本は現在進行形であなたの物語が進んでいます」
ウタカタはそう言った。
カタカタと震えている私の手をミコが優しく握った。柔らかくてあたたかい手だ。
「僕は生と死の選択はご本人に任せています。神様だからって過去や現実は変えられません。あなたは17歳だけど賢くて、実は計算高く威圧的な性格だ。だからこうして言葉を選んで話しています。周りには良い少女に見えているのでしょう。あなたは自分が医者として神のようになるためにそうしてきたのだから。この事件を知ったらみんな驚くでしょうね。あの清水さんが?嘘でしょ?って。あなたはそれでも現世へ戻りますか?罪を犯した人間が神として崇拝されますか?人間の命を守る医者になれるのですか?先ほど言いましたよね?苦しくても現世に戻り生きるのかと。まさにこれがそうなります。だからって死を選べとは言いません。それはご自分で選択してください。現世と違いここは時間が止まっています。だから時間をかけてよく考えて、自分の人生をその本で読み返して答えを出してください」
ウタカタは席を立ち、指をさした。
「あちらの本棚があるスペースの奥に個室があります。そこで時間をかけて考えてみてください。あなたは……あなた達は「また」罪を犯すのかも含めて。ミコちゃん案内してあげて」
私はウタカタを見上げる。ウタカタは哀れみの表情でこっちを見ている気がする。
「また」罪を犯す……?
私たちは「また」……?
「清水さん、行きましょう。清水さんの好きなマドレーヌと紅茶ご用意しますね」
ミコが笑顔で私を促した。
***************
「アカリ……?」
中で物音と何か話声が聞こえてきていて、アサコは今日は4人ここに来ると聞いていたから、これから2人目が来ることをウタカタに言われていた。
ここにいてほしいとも。
だから話声は2人目へアサコに説明したように行っているのだろうと、自分の本を読んでいた。
忘れたい「あの事」のページを。
目を背けたい一心で無理矢理忘れようとしていた事実を、再確認していた。
「あの事」のそれぞれの思惑や気持ちを読み進めて胸が苦しくなり、本を置いたところでそばにある建物の窓に人影が見えた。
ミコの姿が見えて、窓から見えるその場所は個室のようだ。
そして、ミコの後から入ってきた人物を見て驚愕した。
清水アカリがいる。
アサコと同じように自分の人生が書かれているであろう本を手に持って。
少しうつむいているし、髪形も変わったけれど間違いない。
なぜアカリがここに……?
数年会っていないから少し大人っぽくなっているが、美人で優しそうな優等生。それは「仮の姿」。本当は目の奥は笑っていない。計算高く、ずる賢く、そして緻密に計画をしていく本当のアカリをアサコは知っている。
ここにいるということは、アカリも死の世界を彷徨っている?
なぜ?
私のように自殺なんて絶対しないであろうアカリがなぜここにいるの?
窓に近寄って声をかけてみようかと思った時、肩を叩かれる。
振り返るとウタカタがいる。
「しばらく1人にしてあげて。キミみたいに彼女にも人生を振り返る時間が必要だから」
アサコの心を読み取るように言って、悲しそうに笑う。
「キミは振り返ってみたかい?」
「はい……さっき読んでいました。まだ終わっていないけれど」
「そうか。キミも彼女も何を選択するんだろうね」
そう言われても今はどう答えるのが正解かわからない。
「あの、アカリは何でここに?私と同じ日って偶然ですか?」
アサコの質問にウタカタは顎に手を置いて考えている。
「個人情報は秘密なんだ。偶然か必然か、どっちなんだろうね?まだ時間はあるからごゆっくり。清水さんに会えるかはキミ達次第かな?」
間をおいて含くみ笑いをして答える。
そしてアサコの頭を優しく撫でて去って行った。
なぜ……?
これが偶然でなければ、必然なのだとしたら、私たちは……?
アサコは1人掛けのソファに座ったアカリの姿を見て震えた。
***************
私は1人掛けのソファに座り、サイドテーブルに本を置いた。
サイドテーブルにはミコがマドレーヌと紅茶を置いてくれていった。
マドレーヌの甘い匂いは美味しそうだけれど、今はそれどころではない。
家宅捜索が始まっている。
私の部屋にはホームレスを暴行した時に使ったカボチャの提灯やひょっとこのお面などが置いてある。間抜けなその物たちにはホームレスの血痕がついているはずだ。
逃げられないだろうか?
あんなに入念に計画を立てて実行していたのに何故バレたのか。
手なずけていた時に顔がバレていたのだろう。
ストレス発散の快感に溺れて一番間抜けなミスをした自分が腹立たしい。
そしてホームレスなんて誰も相手にしないだろうと警察にたかをくくっていたことにも歯ぎしりをしたくなる。
逃げるということはこのまま死ねばいいのだろうか?
「嫌よ……」
思いが口に出る。
私は選ばれた人間で医者になり神になる。
愚かな両親のようにはならずに質素だけれど優秀な選ばれた人間になる。
こんなことで自分の人生をふいにするなんて冗談じゃない。
いっそホームレスに脅されて食べ物を要求され、こんな生活が嫌だから殺してくれと脅されたとでも言うか?
ホームレスより健全に優等生をしてきた私の言葉のほうが説得力があるに決まってる。
苦しみながら生きる?
私が?ふざけるな。
ウタカタとかいうあの男の言葉、胸糞が悪すぎる。
私はいつだって勝者なんだ。
少し気分が落ち着いてきて、紅茶を飲む。アールグレイ。私が好きな紅茶。
結構時間が経っているのに冷めていないのが不思議だけれど。
マドレーヌを一つ取って口に運ぶ。美味しい。ホッとする。
いつだって私は勝者。
さっき思ったことが脳裏によぎる。
私は本当に勝者だったのか?
遠い記憶がうっすらと蘇る。
敗北感を初めて知ったあの時。
サイドテーブルの本に目を向ける。
私の人生の本。
あの敗北感は本当だったのだろうか?
なぜ私は敗北し屈辱を味わったのか。
その答えがここに書いている気がする。
私は本を手に取り、過去のページを探した。
4年前。中学1年生の2学期の終わり。
そこに私の敗北の理由があるはずだろう。ページを見つけると私は文章を目で追った。
小学校入学から「都会からすごくお金持ちな医者の娘」として羨望と多少は嫉妬もあっただろうけれど、私は特別な存在だった。
でも、小さな頃から『何事も計画を立てて入念に行動すること』、そして親である自分たちに迷惑がかからいように常にいい子でいるように。と言われていた。
私は母親のいう通りに行動をしていた。
みんなと仲良く、優しく、常に笑顔。
そんな私には友達がたくさんいた。
特に女子のグループには入っていなかったけれど、数メートルしか離れていない場所に住む幼馴染の2人とはよく遊んでいたし、親も私たちの仲の良さを知っている。
中学になっても私は変わらず生徒会に中学時代も入り、成績もトップを保っていた。
「アカリちゃんはやっぱりすごいね」「さすが有名なお医者さんの娘だね」
高校生の今と変わらずに言われていた。
中学で入った陸上部でも1年生で短距離の選抜メンバーに選ばれた。
田舎だから遊び場がなかった小学生時代。山に入ってみたりと身体を動かす遊びばかりをしていた。
でも、それはみんなこの町の子どもだから同じだった。
競争率が激しい運動部。特に陸上部は入部テストを受けて入れるか決まる。
私は13歳とは思えないタイムを出し、基礎体力の練習も先生が腰を抜かしそうになるような記録を出した。
その理由は、小4の頃。
父の診療所に昔から来ていた若い男性が格闘家を夢みて上京したけれど、格闘家としては再起不能な怪我をして帰ってきた話を父としていて、偶然居合わせた私に男性はサンドバッグをくれた。丁度引っ越しで荷物の中にサンドバッグが入っているという。
それを使って練習に励み、思い入れも強いけれどそれを見ると敗北して戻ってくるしかなかったことを思い出したくないし、自分は私にプレゼント出来る物は何も持っていないから、私に頭に来た時はサンドバッグを殴るなり蹴るなりするとスッキリするし、運動神経がよくやるよと言っていた。
母はそんな汚い物を女の子にくれるなんてと難色をしめしたけれど、私は喜んで自室の隣の空き部屋に父に設置してもらい、勉強の休憩や暇な時はサンドバッグ相手に殴る蹴るをやっていた。楽しくてどうしよもなかった。
そんな経緯で私の運動能力は成人男性と変わらないくらいだと言われ、選抜メンバーに選ばれたのだ。
幼馴染たちも家に来て何度がやったことがある。
殴るのも蹴るのも痛いという2人に、私はハイキックと回し蹴りをしてみせた。
2人は驚いていたけれど、この子たちには「幼馴染」という絆なのか腐れ縁なのか。後者だろうけれど、本性の私を見せていて、2人を下僕のように扱っていた。
私はお嬢様であり、この町の人は医者と言えば父に頼るしかない。
アンタたちのような一般家庭に生まれた根っからの、だたの田舎者とは違う。
私は2人にそう言い放って笑っていた。
順風満帆な生活を送っている私が屈辱と敗北感を思い知らされたのは中1の2学期の終わりに近い頃。
クラスに転校生が来た。女の子だった。
クラスにと言っても、学年に1クラスずつしかないのだけれど。
私が美人系の猫顔だとすると、彼女は愛くるしい仔犬のような可愛らしい顔をしている。
「仲良くしてください。よろしくお願いしまーす」
舌ったらずな話し方で挨拶していた。
正直嫌いな部類の女の子だ。でも優等生の私が冷たく無視することはできない。
案の定、「何かあれば清水アカリに聞きなさい。しっかりして面倒見をいいから」
担任が言ったから、笑顔で「よろしくね」と返した。
彼女はすぐにクラスの人気者となり、まあ田舎に転校生が珍しいのもあるが。
それでも、なぜか私になついている。
美術部に入りたいと言って、一応、生徒会役員だから美術部の部長に紹介をした。
運動部以外は部員数が少ないだけに部長は喜こんでいた。
そして、お昼ご飯を幼馴染たちと食べていると、「一緒に食べてもいい?」と犬の笑顔で来た。
どうする?といった雰囲気で私を見る2人。
優等生である私は「もちろん!」とニッコリと笑った。
それから1か月以上経ってから、私たちと過ごすことが定着しつつある彼女といつものように昼休みに話していると、私たちの近所に住んでいることがわかった。
「そうなの!?どの辺?」
幼馴染の1人が聞くと、彼女は場所を教えてきた。
私はハンマーで殴られたような衝撃を受けた。
私ほどではないだろうけれど、2人も驚いたはずだろう。
そこはずっと空き地でかなりの広さがある場所で、最近、洋館のようなバカでかい家が建って幼馴染たちと「誰がこんな家に住むのかな?」と話していた場所である。
古臭いけれど広めな私の家なんか小屋に見えるほどで、ここは異国の宮殿ですか?と聞きたくなるような家なのだ。
「お父さんもお母さんも東京で、おじいちゃんの会社をそれぞれ引き継いで忙しいから、おじいちゃんとおばあちゃんが地元のここに戻ってきて、私を引き取ってくれて家を建ててくれたんだ」
「え……いくらこの町が地元だとして田舎だからって、あんな豪邸建てれるの?」
幼馴染の質問に屈託がない明るい声で答える。
「よくわからないけれど、おじいちゃんはここで地主?なんだって。山とか持ってるし農家さんに畑も貸してるって言ってた。女の子が住むんだからお城みたいな家にしようって、おじいちゃんが決めたみたい。なんだかわからないよね?」
私たちはポカーンとしながら話を聞いていた。
「あ、良かったら今日遊びに来ない?おじいちゃんもおばあちゃんも喜ぶと思うんだ!私に友達が出来たかをすごく心配していたから」
興味本位であの豪邸の中を見てみたいという思いが全員あって行くことにした。
そして私は敗北を経験するのだ。
彼女の家の中はあり得なかった。
大理石の床、加湿だといって小さな滝が流れていたり、おじいさんもおばあさんも上品な服装だけれど、うちの母みたいに高級ブランドに身を包むことで、かえって安っぽく見えるのではなく、シンプルだけれど高級な服装なのだろう。質素なそのいでたちはこの町になんの違和感もなく溶け込む。
リビングにグランドピアノが置いてある。テレビは見たこともない大きさで壁にはめ込み式にしている。
エアコンは各部屋に冷暖房の物があり、それなのにリビングにはエアコンと大きくてオシャレな暖炉がある。これは木を燃やさなくてもいいらしく、暖炉に見せたストーブらしい。でもあたたかさは暖炉と同じだという。
彼女の部屋も10畳以上ありそうな広さで可愛らしい部屋だった。
今まで私は特別だと思っていたけれど、財力の差を見せつけられて敗北した。
叫びたいほどの屈辱と嫉妬がそこにはあった。
自分の家に帰って、私は悔しくて悔しくて部屋で屈辱の涙を流した。
「思い出したくもない!」
ここまで物語を読んで不愉快さと、あの敗北感が蘇る。
読まなければよかった。
マドレーヌをムシャムシャと食べて紅茶で流し込んだ。
うちだって金持ちで私は優等生だったはずだ。
圧倒的な財力の差はどこから生まれたのか。
この本は不思議で私の物語なのに「アカリ」と表現されていて、他の人間の思考思惑まで出てくるのだ。
私が屈辱な敗北をした時、幼馴染2人は「アカリ」に対して
『今まで自分たちを奴隷のように使っていたからザマーミロだよね』
と2人でお腹を抱えて笑っているのだ。
そして幼馴染たちの会話は続く。
『あの子が「アカリちゃんのお父さんってお医者様なのでしょ?すごいね、人の命を助けてるんだから。たまに見るピカピカの外車ってお父さんのだって町の人に聞いたよ』って!変人医者があぜ道を外車で走ってるのを見て不思議だったんだろうね」
「それを言われた時のアカリの顔が忘れられないなー、屈辱で泣きそうだったもんね。今頃あのサンドバッグに八つ当たりしてるかもね」
2人はそう言いながら笑っていたのだ。
私の前では明るく、でも素直に言うことを聞いていたのに。
私の性格が問題であり、態度は悪いけれど小学校1年生からの付き合いだ。
幼馴染なのに酷い。私はあの2人には何でも話していたのに……。
国からの援助がなくなり、病院代をつけ払いする老人が増えた。
けれど2週間に一度、薬を補充しに国から依頼を受けた薬品メーカーが来る。
その料金は我が家から出る。
貯金はどんどん減っていき、父は高度な治療を放棄した。
すぐに市内の病院へ搬送依頼をするようになった。
母と父は喧嘩が絶えなくなってきた。
「いい加減総菜を買うではなくて自炊しろ。無理なら安いのにしてくれ」
「私は何もしなくても優雅に暮らせると思って結婚したのに!私にスーパーへ総菜を買いに行けと言うの?そんな恥ずかしい思いしたくないわ!そんなに言うならアカリに行かせるから!」
「お前はそれでも母親か!!」
「あなたこそ外車乗り回して仕事は市内の病院に投げっぱなし!それでも父親だって片腹痛いわよ!」
「もうやめてよ!買い物には私が行くし、お父さんもお母さんも今のままで見栄を張ってれば満足なんでしょ!?」
私が叫ぶと静かになる。
私は続けた。
「生活が苦しいのはわかった。でも私は医学部に入って医者になりたい。それは叶えてくれるよね?」
「アカリもお父さんと同じ道へ進むのには大賛成だ。だから余計に倹約しないと」
それからしばらくして「あの事」が起こる。
あれは仕方ないではないか。
そうしたいと言われてなった結果だったんだから。
そんなことは今は考えなくてもいい。
「過去」なのだから。
それから私は今の生活が始める。
5時にスーパーへ駈け込んで一日二日の食事を割引総菜で買ってくるようになった。
熱心に励んでいた部活も数日しか出れない。
理由は母が具合が悪いと言っている。
敗北をして屈辱を受けたからこそ今は色々諦めなければならない。
私が神として崇拝されるために。
質素でゆとりのある医者になりたいと思って始めたのは、転校生の彼女の祖父母を見たからだと思う。
本当の金持ちはうちの親みたいに派手ではない。
質素な中から見えるのだ。余裕があることを。
だから少しのストレス発散をしたからなんだっていうんだ。
ホームレスを襲撃したごときで捕まりたくもなければ死にたくもない。
両親の思惑を見ようとしたけれど、私は本を閉じた。
いかに警察が私の言葉を信用するかを考えていると窓に人が移る。
そして遠慮がちに窓をノックされる。
何かと思い、窓を覗くと、少し大人になった柳アサコがいた。
「アサコ……?」
驚いて窓を開ける。
「やっぱりアカリだったんだね。こんな場所で言うのも変だけれど久しぶり」
アサコが困った笑顔で言ってくる。
なぜアサコがここに?
「ウタカタさんが言ってた。今日は4人同日のほぼ同時刻にくるって」
私の考えを先読みしたのかアサコが言った。
「4人……?アサコと私の他にあと2人?まさか……!?」
現世で生き返った自分はどうするかと考えている暇さえないのか。
「私もそう思う。必然的に集められているように」
窓越しに私たちが話していると、私の後ろにウタカタが立っている。
「やっぱり会えたんだね」
「え?」と驚く私に対してアサコは「はい。必然ですよね?」と状況を理解したかのような返事をする。
ウタカタはそれを聞いてニコリと笑い言った。
「清水さんはアサコさんがいる場所へ移動して談話でもいいし「あの事」についてでもいい。話し合ってみてください。間もなく3人目がくるので外でお茶とお菓子を楽しんで待っていてください」
「3人目ってまさか?どっちなの!?」
私が言うと、ウタカタは首を傾げながら言った。
「神のみぞ知るってやつですかね」
そういうとドアからミコが顔を出して
「清水さんアサコさんのそばに行きましょう。お二人が好きそうなお菓子と飲み物、ご用意できています」
窓越しのアサコと目が合うと、アサコは頷いている。
私は本を持って部屋を出た。
次にここへ来るのはどっちなんだ……?
ちょうど、ヘッドホンを外したところでラインの音がなり、スマホを開くと女の子から「この間は楽しかったね」とハートが山ほどついたスタンプと共に書いてある。
この子誰だっけ?この間ってなんだっけ?
懸命に思い出そうとするが俺の記憶力なんてポンコツだから思い出せない。
「本当に楽しかったね!」
と、当たり障りのない返事でなんとかやり抜けようとする。
しばらく会話は続いたから、当てずっぽうでもなんとかなるもんだ。
そう思いながら再びヘッドホンをつけてギターの練習の続きを始めた。
中学生から始めたギター。家に親父の若い頃に使っていたものがあったから、興味本位と暇つぶしで始めた。
俺が住んでいる田舎はやることがない。だからいい趣味が出来たと思う。
ある程度弾けるようになってから、なけなしのお年玉で安いけれど気に入った自分用のギターを買った。
高校の気の合う連中が偶然にも楽器が弾けて、ギターボーカルの4人組バンドを作った。
俺はメインギター担当。
1年生の最初は音合わせも兼ねてコピー曲ばかりをやっていたが、ギターボーカルが作詞をしたと言ったことがキッカケでみんなで作曲をして、最近はオリジナル曲で2、3か月に一度市内の小さなライブハウスでライブをやっている。
集客は学校の連中やメンバーの地元の友達、自分たちが遊びで出会った女の子。
それでも学校で俺たちは「カッコいい」などと言われ、人気があるのが不思議な感じ。
もうすぐ来る夏休みには、みんなで金を出し合ってCDを作る予定だ。無料配布用のCD。
レコーディングなんてカッコイイものではなく、スタジオで1発録りだけれど。
俺たちはバンドでデビューしたいと思っている。
でも、市内でもかなり偏差値の低いこの高校に通っていて、さらにヘラヘラとしたバカキャラな俺でもわかっている。
バンドで成功するなんて宝くじの当選よりも少ないことも。
だから、俺たちは「保険」として専門学校への進学を考えている。俺ももちろんだ。
そしてデビューして売れなくて貧しい時、CDをリリースしたい時に「あの金」は使おうと思う。
アイツらはまさかもう使ってしまったのか?
「なんで今更」
口に出してため息が出る。
なんで今更、アイツらを思い出さなければいけないんだ。
俺たちは全員「あの事」があってから口もきかなくなり、疎遠どころか他人になった。
4人のうち2人はこの田舎から出て行った。
俺の家と同じ区画に、その2人の家は未だに売り物件に出されているが、1人の家は高額で買い手がつくような雰囲気はない。
ここに残っている1人はたまに見かけるが「おはよう」とも言わないし、通学のバスや電車の時間が合うこともない。
バスで市内の駅についてから、アイツと俺は全く逆の路線になるから、余計にそばに住んでるわりに会うことがない。
向こうが避けているのか、無意識に俺が避けているのか。
学校に行くと、教室に入る前に廊下で「ナオトー」と声を掛けられる。
振り返ると、メンバーの元カノ。結構可愛いけど遊びまくっている女だった。
俺たちの元カノなんか学校で何人いるか?10人以上いるだろう。
年上も年下も。
「おう、おはよう」
俺がヘラっと笑うとそいつもヘラヘラ笑っている。
「あのさー、私の友達がナオトのバンドのファンで、その中でもナオトが一番なんだってー。会いたいって言ってるんだけど、会えない?」
「へー、ありがたいな。俺は大丈夫だけど、いつ?」
ファン=客は大事。ライブ費用もかかるからね。
「今日とか無理かなー?突然すぎ?」
そいつは俺の袖を引っ張りながら言う。
「今日?まー……、バンド練習はないからいいけど、金ないよ?俺」
金がないのは本当だ。「あの金」は別物だから。
「そんなの、その子が飯代とか出すよ。今日オッケーって伝えていい?」
「いいよ。場所が決まったらライン入れておいてー。放課後一緒に行こうぜ」
「やったー、ありがとう」
さっそくスマホを操作している。
朝から何だか腹が少し痛い。
腹を壊す痛みとは違うっぽいけれど、なんだろう?腹をさすりながら教室に入る。
ガヤガヤとした教室で、自分の友達がいる場所に行くと
「ナオト、ナオト」と1人に声を掛けられる。
クラスにはバンドのドラムもいる。もちろんクラスでの仲間のグループに入っている。
「なんだよ」
カバンを自分の机に置いて戻ってきてから返事をした。
「知ってるか?ホームレス連続暴行事件」
と言われた。
「ホームレス連続暴行事件?あー、テレビでなんかやってた気がする。ニュースで見たんだったかな?あんまり記憶にねーけど」
夜のニュースを親父が見ていて、やっていたような……?ニュースなんて芸能ゴシップしか興味がないから記憶は曖昧だ。確かこの市内だったかな?それで覚えてるのかな?
よくわからない。
「犯人、未成年の女らしいぞ!女子高生の可能性大!」
興奮して言うそいつを見ながら笑った。
「未成年の女子高生って知り合いじゃないだろ?バカだなお前」
俺が笑って言うと「ナオトの方がバカだろ」と他の友達に突っ込まれる。
笑いながら思う。未成年なんだ、へー……。どんな事件が記憶にないけれど。
「あれだよ、サイコパスってやつじゃね?」
「サイコパスの意味わかってんのかよ」
「ヤバイ殺人者だろ?でもさ、未成年の女でホームレス暴行した時の力が成人男性並みらしいぞ?どこのゴリラ女かと思うけど、サイコパスなんじゃね?」
そんな会話を聞きながらスマホでその事件を検索してみる。
話を聞いて同感。成人男性と同じ力なんてきっとゴリラみたいな女なんだ。
そういえば授業始まらないなと思って、教壇に目を向けると、黒板には「本日、自習」と書いてある。
「なんで自習なの?」
俺の素朴な問いにドラムが返事をする。
「そのホームレス事件がらみで女子生徒が全員警察と心理カウンセラーってやつに聞き込みされてるから、今日からしばらく全科目自習なんだよ。市内全域の学校はみんな同じだと思う。でも、危険だから学校には男子も登校すれよって感じ」
机をスティックでタカタカと叩きながら言っている。リズム感を叩きこむと練習だと言って休み時間はいつもスティックで机の端を叩いている。もうその音は聞きなれた。
事件の概要を読みながら思う。
『食べ物を数日間与え、手なずけてからホームレスにはカボチャの置物を頭に乗せさせたり、ひょっとこのお面の被らせて暴行をする。犯人自体はおかめのお面を被っていることが多い。』
お面のセンスなさすぎだろ。と心で突っ込む。
『犯人像は知能指数が高く、計算高く、高圧的なところがあるが、手なずけれる際に顔がバレるという稚拙なミスがあるところから、未成年者の可能性が高いと思われる』
ふーん。この性格、アイツみたいだな。計画性はあるけれどツメが甘いんだよ、アイツは。「あの事」もそうだった。
って、なんで最近アイツらと「あの事」ばかり思い出すんだ。不愉快すぎる。
そしてさっきより腹痛が強くなってきた気がする。下痢止めでも飲めば治るのか?
「お!暇だしこれやろうぜ!『サイコパス診断テスト』だって、心理テストらしいぞ」
1人がスマホを見ながら言った。
「テストって答えは?」
ドラムが聞く。
「ちゃんと書いてある。一般人とサイコパスの答えの違いも」
「俺たちの学校はバカ高校だから、ある意味それがサイコパスだよ」
誰かが言ってみんな笑う。
「なー、暇だしやってみようぜ。答えを隠して問題を読むから」
まあ、どうせ暇だし。みんなそう思ったのか「いいよ」と返事をする。
俺は事件の記事を閉じて、ファンの女子大生からのお誘いのラインのやり取りをしながら返事をした。
「じゃあ行くぞー。問題その1『あなたは家でテレビを見ています。ニュースでは近所で頻繁に殺人事件が起きていると報道されています。そこで家のインターホンがなりました。あなたは扉を開けますか?』だって。1問目からタイムリーだな!」
「「開けない」」
ドラムも含めて3人が言った。
俺はスマホを見ながら「開ける」と答える。
深くは考えていない。直感で答えるのが心理テストだろうから。
「ナオト、マジかよ。お前だけサイコパスと答え同じだぞ?」
みんな笑っている。
「マジ?たまたまだろ?」
俺も笑ってから、またラインのやり取りの続きをやる。
数問続いて、俺の他にもサイコパスと同じ答えだったり、俺もみんなと同じ意見だったりとなっている。
心理テストだから「なぜそう思った?」が必要らしいけれど、とりあえずそれは飛ばして答えのみを言っていく。
4人でやっているのに、俺はなぜかサイコパスと答えが同じことが多い。
「10問目『夫が急死し、その葬儀中に訪れた夫の同僚に妻は一目ぼれをしました。その夜、彼女は息子を殺害しました。なぜ彼女は殺したのでしょうか?』だって」
「これは「なぜ?」がいるやつだな」
ふざけてるワリに、みんな意外と考えている。
ドラムがノートを破り、4枚にちぎって渡してきた。
「これは書いてみよう。俺も俺もって答えを合わせないように」
「なんだよ、真剣だな」
紙を受け取りながら、笑って俺は答えのペンを走らせた。
ドラムはバンドメンバーの中でも結構冷静で頭がいい。まあ、この学校にいるくらいだから、ここでは。なんだけれど。
全員書いたものを机に一斉に開いておいた。
『息子が邪魔だから』
俺以外、みんなそう書いてある。
『息子の葬式でまた会えるから』
俺はそう書いた。
「え……?ナオトの答えなにそれ?」
問題を出してきているヤツがスマホと照らし合わせて言う。
「なにって?そのままだよ。息子が死んだから葬式くるだろ?そうしたら絶対会えるじゃん」
「それ、サイコパスと答えも理由も同じだよ」
一瞬、シーンとなる。
俺がおかしいってことなのか?俺がサイコパス?
冗談じゃない。俺は普通の高校生だ。
「やめないか?あくまで心理テストだし。そんなもんでサイコパスとか決めつけて変な感じになったら俺は嫌だね」
ドラムが言った。
それを聞いてみんな「そうだな」「ムキになってテストやりすぎだわ」と言い、笑った。
それからしばらくみんなでバカ話や女関係の話で盛り上がった。
「さて、俺は早退するよーん」
俺が席を立つと、「なんだよナオトー」と言われる。
「今日は女子大生のファンの子と急遽デートになりましたー。本当は別の子とデートが先だったんだけど、そっちは今度ってことで。聞き込みが市内でされてるなら会うの遅くなりそうだから、女子大生の方にしましたー」
女子大生がラインで『ご飯食べて、その後ホテルいかない?』と言ってきたから、もちろんそっちを優先する。
この子とは数回会っているけれど、いつも全額あちら負担。ホテルありきのオプションで。
ありがたい、ありがたい。ファンは本当に大事。
「ところでナオト、さっきから腹さすってるけど、腹が痛いのか?」
ドラムに言われる。
サイコパステストやその後に話している時もズキズキと少し痛くて腹をずっとさすっていた。
「なんか痛いんだよなー。昨日食い過ぎたかな?」
「女と最中にトイレにこもるなよ!」
他のヤツが笑いながら言った。
「はいはい。そんなミスはしませんよー。じゃあなー、また明日」
手を振って俺は教室を出た。
数時間後、ラブホテルの部屋でボーっとでかいテレビを見ながら欠伸をする。
ことが終わってから1時間くらい仮眠をしたけれど、眠くて仕方ない。
あとは変わらず腹がズキズキ痛い。
テレビは夕方のニュースを流している。
今日言っていた、ホームレス事件の概要を報道していて『犯人は市内の女子高生とほぼ確定』とテロップで出ている。
「未成年の事件かー、殺人ではないけど怖いわね。女の子が犯人なんて嘘みたい」
同じベッドの横にいる女子大生が電子タバコを加熱している。甘いフルーツのような匂いがうっすらとするが、タバコの匂いは全くしない。
「きっとゴリラみたいな女子高生なんだよ」
俺が言うと彼女はクスクス笑う。
そして俺を引き寄せて抱きついてくる。
「実は私が犯人だったりして」
「キミの力はゴリラなの?」
そう言って2人で笑う。
普段はヘラヘラとしているけれど、こういう時とライブ中の俺は静かで冷めた感じにしている。何事もギャップが大事だから。
「もう少し一緒にいられる?」
彼女がそう言ってきて、少し考える。時間は別にいいのだが、腹の痛みが普通ではない気がしてくる。病院へ行くべきなのか?
そのタイミングで俺のスマホが鳴る。
着信を見ると『母』と出ている。
ベッドから出て、少し離れたソファに向かいながら「もしもし」と言った。
『ナオト!大変よ!すぐに帰ってきてちょうだい』
「え?大変ってなに?すぐっても電車とかの時間あるし……」
『タクシーに乗ってきて!支払いはお母さんがするから!とにかく大変なの!すぐに戻ってきなさい!』
「あー、わかったよ。タクシーで帰るよ。なにがあったのかわからんけど」
そう言ってから電話を切った。
「帰るの?」
彼女が不服そうな顔をする。
それを見ながら脱ぎ散らかした制服を集めて着替えだす。
「なんか家で大変なことがあったみたいだ。身内に不幸でもあったのかな?電話は母ちゃんね」
「身内の不幸?それなら急いで帰らないといけないね。先に帰っていいよ。私も用意してその後出るから」
そういうことならと彼女は言った。
「ごめん。今度またゆっくりしよう?近いうちに連絡するから」
俺は素早く着替えて、彼女に軽くキスをしてから部屋を出た。
なんだこれは……。
タクシーを飛ばして家に戻ると、家の付近がパトカーと覆面だろう黒塗りの車が何台も止まっている。
支払いを済ませた母親がそばにきた。
「先生の家だよ」
母親の言葉を理解できない。
先生の家?
それはつまり清水アカリの自宅?
アカリの家で何かあったのか?
まさか……!?
まさか今更「あの事」が?
「ホームレス暴行事件の犯人、アカリちゃんらしいのよ」
母親がコソっと耳打ちしてくる。
「は?アカリが?嘘だろ?」
驚いた。まさかアカリが犯人だなんて。
こんな田舎にパトカーが集まるもんだから町の人がみんな見に来ていて、未成年の報道規制もあったもんじゃない。
警察が黄色いテープを張って「これ以上近づかないでください!」と叫んでいる。
なんでアカリはホームレスを襲撃したんだ?
なんのために?
もう数年、アカリとは会っていないし会話なんてもちろんしてないし、自宅である診療所にも行かない。病院に行く用事がある時は遠いけれど市内の病院へ行く。
風邪くらいしか治せない、あんなヤブ医者になんかかかりたくもない。
医者の父親はピカピカに磨いた外車を乗り回して、母親は派手な格好でうろついているし気持ちが悪い。近所でも変人扱いされている。
「逮捕されたのか?」
母親に聞くと首を振った。
「なんだか警察が来る少し前から行方がわからないみたいよ?アカリちゃん、毎日、国道のそばにある大きなスーパーあるじゃない?そこに夕方、必ず食料を買い出ししているらしいんだけど、スーパーにもいないみたいなの」
「アカリは逃げたのか?」
「さあ……?女子高生の犯行としかニュースでは報道していないから、自分のところにはくるとは思わなかったんじゃないかしら?ここに警察が来た時もよくわからなったけれど、先生の家に入って行くのが見えて大騒ぎよ」
アカリはどこに行ったんだ……?
そう考えた瞬間、ずっと痛かった腹が弾けたような爆発的な痛みになった。
痛みに耐えられなくて、俺はその場に倒れこむ。
「ナオト!?どうしたの!?ナオト!!」
母親が俺を揺する。
脂汗が一気に出てきて呻くことしかできない。
「誰か!!救急車を呼んでください!!」
母親の叫び声を聞いて俺は意識を失った。
しばらくして目が覚めると病院に意識いる。
痛みはない。感覚がないくらいだ。
「結城ナオトさん」
白衣を着た医者が声をかけてくる。
そばには真っ青な顔をした母親と急いできたのかスーツがヨレヨレになった父親が見える。
「盲腸が破裂して腹膜炎を起こしているのでこれから緊急手術をします。大丈夫ですから安心してくださいね」
腹の痛みは盲腸だったのか……。
盲腸で死ぬようなことはほとんど聞いたことがないから安心する。
「それでは手術になりますので麻酔入れますね。すぐに意識がなくなります。僕が数字を数えるのを見ていてくださいね」
頷くと、点滴に何かを入れて、医者が「1、2、3」まで数えるのを見たと同時に意識が再びなくなった。
誰かが俺の身体を揺さぶっている。
起きろと言わんばかりに。
「まだ眠いから勘弁してくれよ……」
態勢を変えて毛布らしきものを頭まで引っ張る。
「おはよーございます!結城ナオトさーん!起きて下さい!」
耳元でバカでかい声で言われてビックリして目を覚ます。
見知らぬ眼鏡の男が視界にデカデカと入る。
ガバっと起き上がって周りを見る。
図書館のように本棚がズラリと並んでいる。
でも、装飾は何だか派手なのか?テレビで見たことがある西洋の派手な屋敷みたいな感じだ。
自分を見ると、制服を着たままでソファで毛布をかけて寝ていたようだ。
「起きました?」
再び眼鏡の男が言った。微笑んでいるのか薄ら笑いなのかわからない。
誰なんだ?コイツは。
そしてここはどこだ?
「アンタ誰だよ?それにここはどこだ?」
俺が男を睨みながら言うと、ふーっとため息をつく。
「僕は女性には優しくするけど、男の子は好きじゃないんだ。特にキミのようなタイプはね」
笑顔はすっかり消えて呆れた顔になる。
それから続けた。
「まー、聞くまでもないけど、お腹痛いでしょ?ミコちゃーん、結城さん起きたから、抗生物質と一番強い鎮痛剤持ってきて。あと飲み物ね」
本棚とは逆の方向に声を掛けている。そっちはカフェのような造りになっている。
よく見るとデカイ部屋だ。部屋なのか?店?屋敷?なんだここは。
「はーい!結城さんはアイスカフェオレが好きですよねー?薬と一緒にお持ちしますねー」
やたらとアニメ声な女が返事をしている。ここからは遠くて姿が見えない。
それに、なんで俺が腹痛だとわかった?
俺は盲腸になって手術をするから麻酔を……。
「おい!俺は病院で手術をしたはずだぞ?なんでここにいるんだよ!」
「盲腸が悪化して腹膜炎になったんでしょ?それで手術したんでしょ?だから、お腹が痛いの。わかるかな?」
男は分厚い本を両手で抱えて、また、ため息をはいた。
「だから、俺はただの盲腸で手術したんだよ!病院にいないのはおかしいだろ?誘拐か?なんだよ!ふざけんなよ」
「キミ。盲腸なめてない?腹膜炎ってね、命に関わるんだよ?ってことでキミは腹膜炎が想像より酷く、それを医者が見逃してしまって、手術後に容体が悪化で意識不明。ほぼ死亡状態。今がヤマ。医療ミスって言えばそうなるね。で、ここにいる。はい。わかった?じゃあ、あっちのカフェの方に来て。色々と話があるから」
男が言うことが全然わからない。
茫然とする俺を置いてさっさとカフェらしき方へ歩いて行く。
状況が飲み込めない。
仕方ない。今はあの男について行くしかないんだろう。
立ち上がると腹がズキズキする。
痛みに顔をしかめながら男が行った方向へ向かった。
男の向かえの席に座るけれど、腹が痛くてうずくまってしまう。
男はそれを見て「やっぱり飲むより打った方が早いかな?」と呟いた。
そのタイミングでやたらギャルっぽい女がトレイを持って来た。
「あー、やっぱり。私もそう思って注射にしました。打ってもいいですか?」
さっきのアニメ声。この女が「ミコちゃん」と呼ばれていたヤツか。
「いいよ。早く痛みがなくなってくれないと話も出来ないから」
男が言うと、女は俺の腕を掴んでシャツの袖をまくる。
「結城さん、痛み止め打ちますね。速攻で効きますから安心してくださいね?少しチクっとしますよー」
そう言って俺の腕に謎の注射を打った。
何の注射だよ。ヤバイのとかならどうなるんだよ。
少し恐怖を感じながらも痛みで何も出来ない。
打たれて数分。
本当に消えたかのように痛みがなくなる。
「さて……。これでやっと話が出来るかな?あ、抗生剤も注射に入っているから安心を。術後の感染症とか怖いからね」
男が言ったと同時に、俺の方へグラスが置かれる。透明だけれど綺麗な模様が入ったそのグラスにはアイスカフェオレが入っている。
グラスを置いたミコという女が男の隣に座った。そして椅子の脇に置いてた本を膝に乗せた。男がさっきから持ち歩いていて、今は開いてページをめくる本と同じように見える。
そして、俺のグラスの横にも同じ本が置かれている。
黙っている俺と、ページをめくる男を交互に見てからミコが「もー、ウタカタさんは」と文句を言った。
ウタカタさん?それがこの男の名前なのか?
「では、助手である私、ミコからお伝えします。この方はウタカタという名前の職業は神様です。そして私がそのお手伝いをしていますので助手になります。ウタカタさんは……まあ、このように男性がお嫌いなので申し訳ありません。神様と言いましても職業であり、当然ながら他にもたくさんいらっしゃいます。ウタカタさんが担当する管轄。つまりは結城さんがいるこの場所は『狭間』と呼ばれている場所です。生と死を彷徨ってる方がいらっしゃるところです。そこで、その方に選択していただきます。そちらの本を開いてください」
流暢に意味不明なことを言っている。
このミコってやつもウタカタってやつも頭がおかしいのか?
神様?こんなTシャツの上にジャケット着てるヤツが?
少し顔がいいインテリ風な一般人が神様?
馬鹿なのか?それとも俺を馬鹿にしてるのか?
それに目の前の本。
『結城ナオト』と焼印のタイトルがついている。気味が悪い。
「ミコちゃん、説明ありがとう。ここからは僕が」
ウタカタが言って、俺の目の前の本を開いた。
思わず開かれたページに目を向ける。
『清水アカリがホームレス連続暴行事件の犯人だとわかったナオトは、朝からの腹痛が酷くなり倒れる。盲腸が悪化して腹膜炎をおこし緊急手術をするが、医者が病状の重篤さを見逃し、術後に容体が急変。意識不明となり生死を彷徨っている。そして、ナオトはウタカタに呼ばれ、狭間におもむき、ミコから現状の説明を受けている』
「は……?」
俺の間抜けな声を無視してウタカタが話しだす。
「この本はキミの人生の物語。話は現在進行形で進んでいく。開いているページが「今」のこと。キミ達の世界の若者風に言ってみると「ナウ」だよね?その方が伝わるんじゃないかな?ナウ『狭間』って感じ」
「何がナウだよ。馬鹿にしてんのか?」
「柳アサコ。清水アカリ。この2人も今現在ここにいる」
「え?柳……?柳アサコ!?ちょっと待て。清水アカリもいるって!?アカリはここへ逃亡してきたのか!?」
柳アサコの名前はかなり久しぶりに聞いたけれど、それよりアカリが?ウタカタが逃がしているのか?
「あのさー。ミコちゃんの話聞いてた?ここはキミ達がいる世界じゃない。生と死を選択する場所だ。だから、柳アサコも清水アカリもキミと一緒。生死を彷徨っている。僕たちの言い方が難しくて理解できない?偏差値の低い高校でバンドやってモテモテ。将来の夢はバンドで成功して、いざ武道館ライブ!さっきまでファンの女子大生とイチャイチャしてましたー!なキミはバカだから理解できないの?」
「お前……!!」
思わずぶん殴りそうになるのをミコが腕を掴んだ。
華奢な身体のくせに力が強い。抵抗できない。
「キミってそんなにバカじゃないよね?実は」
ウタカタがフンと鼻で笑って言った。
「学力、つまりはお勉強は苦手。だからバカ高校と呼ばれる高校に進学している。でもね、キミは社会的能力はすごく高い。世渡り上手、計算高くて計画性を持って行動する。実に慎重。ずる賢こいし、発想能力も高い。緻密さも含めて、親しい人間には自分を神だ、敬え、なんて言って大事なところでミスを犯す清水アカリなんかより遥かに賢いと僕は思うけれど、間違ってる?子供の頃から、財力と医者の娘だという理由で偉そうにしていた清水アカリには、とりあえず下手に出てればいいと判断していたよね?尊敬しているフリをして実は俺の方がずっと賢いって思っていたよね?」
何なんだよ、コイツ。
神様はお見通しってことなのか?
「生死を彷徨うってアサコとアカリはどうしてここにいるんだ?」
俺が呟くとウタカタはニンマリと笑った。
「ようやく話が出来そうだ。理解してきたじゃないか。さすがだね。本を読んだらわかることだけど、柳アサコはイジメによる自殺。清水アカリは買い物へ向かう途中で交通事故に遭いここにいる。ちなみに清水アカリは、自分の家に家宅捜索が入ったことは知らなかった。ここで僕の説明を受けて知った。だから逃亡じゃない。そして、ここはキミ達の世界のように時間は動いていない。だから彷徨っている今の時間も現世の世界では1秒も進んではいない」
「自殺……?事故……?」
頭をフル回転させる。
「時間が動いていないということは、俺たちは同日のほぼ同時刻に死んだ?いや、死んではいない。「まだ」。でも、ほぼ死亡と同じ状況。でも、なぜ俺たちなんだ?俺たち3人がなぜ同時にこんなことになっている?これは偶然じゃない何かあるからとしか思えない」
「ハハハ。すごいね、現世の人気アニメの『見た目は子供の探偵くん』みたいだな」
心の底から馬鹿にされている気分になる。いちいち挑発的な男だ、ウタカタは。
いや、そんなことは今はどうでもいい。
「え?ちょっと待てよ」
俺はさっきウタカタが開いたページをもう一度読み返す。
そしてウタカタを睨みつけて言った。
「おい、『ナオトはウタカタに呼ばれ』ってなんだ?俺は医療ミスで死の淵を彷徨ってここに来たんじゃないのか?これの意味はなんだよ」
ウタカタはパッと明るい表情をした。
コイツこそ学校で話していたサイコパスなんじゃないのか?
「気づいた?ピンポーン!結城くんは僕がちょーっと細工して『狭間』に来てもらったんだよね。まあ、正直に言えば、柳アサコ、清水アカリも同じなんだけれど。あ、これは2人には言っていないし、本も細工して書いていないから2人には秘密だから。そこのところよろしくね」
「だから、何で俺たちなんだよ」
イライラする。
冷静になろうとアイスカフェオレを飲んだ。俺が好きな店のものと全く同じ味がする。
ミコの方を見ると、目が合ってニッコリと微笑まれる。
ショートパンツにピンクの半袖のカットソーに踵の高いサンダル。茶髪にピンクのエクステが数本混ざった長い髪はキレイに巻いている。多分、同世代だろう。
アニメ声でギャル風だけれど、今まで見た女の中でも群を抜いて美人な顔をしている。
見た目と違い所作や話し方はしっかりしているし、優しいのだろう。それがにじみ出ている。
ベースのアイツがモロに好みな感じ。
俺もこんな場所でなければ結構好きになりそうだ。
って俺は何を下らないことを考えてるんだ!
そんなことよりも現状を理解して、どうしてなのか、なぜなのか、これからどうすればいいのかを考えなければならない。
それには、まずウタカタを攻略するしかない。
俺たちを呼んだ理由、神様なんだっていうのだから、呼べるということは逆も出来るはずだ。
俺たちを現世に戻すことも可能だ。
コイツを攻略して、現世に戻る。
ウタカタの方を見ると、満足そうにコーヒーを飲んでいる。
この男はかなりのキレ者だ。
そうやすやすとは陥落しないだろう。
「はい、わかりましたー」と俺たちを現世へ戻すとは思えない。
何を考え、どうして『狭間』へ呼んだのか。それを突き止めて、白旗を上げさせて元に戻させる。
アサコやアカリも細工したなら何もかもをなかったことにして3人で戻るしかない。
俺たち3人を呼んだのなら、3人全員必要だ。誰かだけが残ることや戻ることは不可能だろう。
だから戻るならゼロにさせて全員で戻るしかない。
「何か浮かんだ?名探偵さん?」
視線に気づいたウタカタが言う。
俺は勉強は全然ダメだけれど、心理戦は得意だと自負している。
今まで、相手の心理の先を読みバカキャラを演じてやってきたんだ。
まずはウタカタの心理を攻略して、それから計画を練る。
その時にはアサコもアカリも必要になるだろう。
「質問していいか?」
俺が言うとウタカタは「どうぞ」と微笑んだ。
「さっき、説明でミコが言った『選択』ってのはなんだ?」
「あー、それはね、ここに来た人に必ず言うし、やってもらうことなんだ。苦しくても現世に戻り生きるか、はたまた光ある天国へ向かうのか。それを自分の物語、その人生の本を読み返して考えてもらって選択してもらう。僕の仕事はそれだよ」
「現世で生きることは可能なんだな?でも、苦しくてもってのが気になるんだけど。それって、ここにたどり着く人間は現世で何かしら辛いことや苦しいことがあった、または現在進行形であるってことだよな?それは合っているのか?」
「うん。合ってるね。ほとんどの人は生きていたいって最初は現世を望むけれど、それって本当にいいの?苦しみは取れないでそのままだよ?ってことを説明はするよ。だから人生を振り返って選択してほしいんだ」
「アサコはイジメに遭っている。アカリは逮捕目前。現世に戻ってもそれは進行されるよな?」
「そうだね、だから考えなさいよって言っている。2人は今、考えていると思うよ?」
「じゃあ、俺は?俺は別に何もしていない。現世で苦しいことは何もない。なのに俺を『狭間』へ呼んだ理由はなんだ?」
「それは自分で考えたら?」
首を傾げてウタカタが言う。
「3人必要だからだろ?いや、正確には4人だ。1人足りない。それはなんでだ?」
「今日は4人ここへ来る予定だよ。キミは3人目。おのずと足りない最後の人間が来るのはわかるよね?あ、これ核心ついたね。キミの心理戦を先読みしちゃった。ごめんね」
舌打ちをしたくなる。
ゆっくりと読み取ろうとしたのに先読みされて腹が立つ。
4人。
「あの事」が原因ならば4人いなければならない。
俺、アサコ、アカリ。この3人は小学生からの幼馴染だ。
後から当時の俺たちに加入したアイツもいなければ集まる理由はない。
「俺たちが集まる理由はわかった。最初は不思議だった。なんで3人なんだ?って。「あの事」が元凶ならアイツもいなければ成立しないから」
「そうだね。あの2人も会って気づいたみたいだよ?キミ達が言う「あの事」なのか?って。だから3人目が来るって知らせた時に聞かれたよ。「次はどっちが来る?」ってね」
「なぜ俺が3人目になったんだ?どっちでも良かったじゃないか。結果4人招集されるんだから」
言葉に出して気が付いた。
ウタカタを見る。相変わらず薄気味悪い笑顔をしている。
「なあ、なんで「今」なんだよ。「あの事」が原因ならもっと昔に俺たちはここに来なければならかった。なぜ今なんだ?」
「さあ?それは神のみぞ知るってヤツじゃない?僕みたいな職業が神様じゃなくて、本当の祈る方の神様ね」
ウタカタはそう言うと、ミコの方を見た。ミコが頷いている。
「もういいかな?キミとの心理戦に飽きたよ。キミは心理戦をしているつもりだろうけれど、頭は回るけど所詮は高校生の頭脳だね。僕はただ事実を答えていただけ。時間をかけてゆっくり攻略するつもりなんだろうけれど、閃きが遅いね。そこは学力の問題かな?アサコさんやアカリさんの方が「あの事」に気が付くのが早かったよ?でも、キミの方が上手なのは、なぜ「今」なのか?に気が付いたところだよね。それは褒めてあげるよ、名探偵さん」
ウタカタが席を立つ。ミコはすでに立ち上がっていた。
俺が苦虫をかみ潰したような顔をしていると、ミコが肩にそっと手を置いて言った。
「アサコさんとアカリさんの所へご案内しますね。こちらに来てください」
促されてミコの後に続く俺に「結城くん」とウタカタが声をかけてきた。
「なんだよ」
「キミ達の地元のおばあさん、青果店の。わかるでしょ?」
「は?それがなんだよ」
「よく言われてたでしょ?『悪いことをしたら神様は罰を与えるんだよ。それは逃げられないことだから、悪い事はしたらダメだよ』って覚えてる?」
青果店のばあちゃん。
俺たちが遊び場にしている場所へ向かう途中に通る道にある店。
俺たちはイタズラばっかりしていたから、よく言われていた。
今、ウタカタが言った言葉を。
何回言われたか記憶にないほど、口癖のように言っていた。
「罰を与える神はアンタだって言いたいのか?」
自嘲気味に言うとウタカタは声を上げて笑った。
「それは知らないよー!神様なんてたくさんいるんだから。あ、それと僕を攻略して何事もなく現世へ帰れるって考えは捨てた方がいいよ。キミには言ってなかったね、過去や現在はよっぽどのことがない限り変えられないよ?だから諦めて、最後の1人を待っていることだね。3人で顔を合わせるんだから久々に語り合いなよ。「あの事」をね」
ムカつく。
本当にぶん殴りたくなる。
その場にあった椅子をガンっと蹴っ飛ばす。
「キック力はアカリさんの方が上みたいだねー。会ったらゴリラみたいな女なんて言ったらダメだよー。女性には優しくね。キミ、いつもやってることじゃん」
「ウタカタさん!」
ミコが咎めるように言った。
「だから言ったじゃん。僕はキミのような男の子は嫌いだって」
「うるせー!!」
俺が怒鳴ってもケラケラと笑っている。
「ごめんなさい。ウタカタさんって少し子供っぽいところが……。行きましょう。お二人が待っています。3人で考えて選択してくださいね?後で皆さんで美味しく食べられるようなお菓子持って行きますから」
ミコが優しく背中を押して、俺は2人がいるという個室に入った。
結城ナオトがミコに案内された個室入ると、1人掛けのソファにそれぞれ座っている、柳アサコと清水アカリがナオトの方へ視線を向けた。
「やっぱりナオトだったのね」
アカリが言った。
ナオトで良かったという表情をしている。安心したように椅子に深く座り直した。
「あ、ナオト。久しぶりだね、こんな場所は言うのは変だけれど……」
アサコは困ったような笑顔を向けている。
「おう、久々。……って、やっぱり変だな」
ナオトもぎこちない挨拶をした。
「結城さん、こちらの椅子へどうぞ」
ミコがナオトを空いている椅子に案内をする。
1人掛けのソファが4個。
丸いテーブルを囲むように並んでいる。
4人分。
やっぱり俺たちは「あの事」で呼ばれたのだとナオトは確信して、言われた椅子に座った。
「今、お菓子と飲み物をご用意しますね。人数が多いのでパーティー風なお菓子なんかいいですよねー。カラオケによくあるような。みんなで食べると楽しいですね!すぐにお持ちしますのでお待ちくださいね」
ミコが笑顔で言い、そして部屋を出ていく様子を3人で見る。
3人とも思っている。
楽しい?正気なのか?と。
しばらく誰も口を開かない。
アカリは肘掛に寄りかかり頬杖をついている。
ナオトは足を組み、肩が凝るのか首を回している。
膝の上に置いた両手を握ったり離したりしているアサコが、ゴクンと唾を飲み込んで思い切ったように口を開いた。
「みんな、わかってるよね?私たちがここにいる理由……」
アサコの言葉に2人が視線を向けた。
「おい、アサコは知っていたか?ホームレス連続暴行事件ってヤツ。お前はもう地元にいないから知らねえんじゃないの?」
ナオトが言うと、アカリがキっと睨んでいる。
「こっちでもニュースでは流れていたよ。未成年の女の子が犯人の可能性があるって。地元だから驚いてはいたけれど。きっと全国ニュースになっていたんだと思う」
アサコは小さな声で言った。
「その犯人はそこにいるゴリラみたいな力の女だ。驚くよな?まあ、昔っからサンドハッグ相手に鍛えていたから、ゴリラパワーもつくよな。力が余りすぎてホームレスを暴行してるなんて笑っちゃうけれど」
「アンタ!私のことをそんな風に言ってもいいの!?ふざけんな!!どの口が言ってるのよ!!」
ナオトの言葉にアカリは真っ赤な顔をして立ち上がり怒鳴りつける。
「お前、何様のつもりなの?あー、神様だっけ?残念だな、神様はウタカタって男だったな。お前じゃねーよ」
ナオトの挑発に怒りが爆発したアカリが襟首を掴んだ。
「やめようよ!今はそういう話じゃないよ!」
泣きそうな声でアサコが言ったところでドアがノックされる。
「お待たせしましたー……?」
ミコがトレイに山盛りのお菓子と飲み物を持って入ってきた。
そして、ナオトとアカリを見る。
アカリはミコが来たことなんか構わずにナオトの襟首をさらに強く引き上げようとしている。
それに対してナオトは「俺を殺すのか?もう死んでいるのと同じなのに、どうやるんだよ。ゴリラ女」と馬鹿にしたような顔で言った。
アサコがミコに助けを求めるように「ミコさん!」と言う。
ミコはトレイをテーブルに置いて、2人の前に立った。
そしてアカリの腕を引き離す。
腕を掴まれたアカリはそのままミコに投げ飛ばされ、腕の関節を決められた。
「私は格闘技の師範代を三つ持っています。修斗、合気道、極真空手。後はブラジリアン柔術も出来ます。アカリさん、ナオトさん、どちらが相手になりますか?2人でかかってきても構いませんよ?喧嘩がしたいなら私が相手です。どうしますか?」
アカリにしっかりと関節技を決めながらミコが言う。
アカリは痛さに呻いていて、ナオトはポカンとそれを見ている。
そこに開いているドアからウタカタがヒョイと顔を出した。
「あらー?喧嘩はダメだよー。ミコちゃんには2人でかかっていっても敵わないからね。返り討ちにされて、そのまま天国へぶち込まれちゃうよ?結城くん、女性には優しくねって言ったでしょ?キミ達は喧嘩するために集まったワケじゃないでしょー。ちゃんと考えなさいって言ったのに。無駄に時間を使うのはダメですよー」
ウタカタの言葉にミコはアカリから身体を離した。
アカリが腕を押さえながら起き上がるのをアサコが手伝っている。
「ちゃんと考えたら?「あの事」を。4人目が来るまでもう少し時間があるから、しっかり考えましょうね。ミコちゃん行こうか?」
ニッコリ笑ってウタカタが言った。
「健闘を祈りますよ?それでは、後ほど」
そう続けて、軽く手を振りながら部屋を出て行った。
「喧嘩をしていたら、すぐにわかりますよ?皆さんと同じ本を持っていますから。私の力はわかりましたよね?暴力はダメです。ウタカタさんが言った通りに、しっかり話し合って下さい」
ミコもトレイからお菓子やジュースをテーブルに置き、微笑んでからウタカタの後に続いて部屋を出た。
2人が出て行った後、また沈黙になる。
テーブルにはバケットの中に色んなお菓子が山のように入っている。
本当にカラオケのメニューにありそうな感じだ。
「喉乾いたね。ジュース飲もうか?えーと、アカリはオレンジジュースが好きだけれど、アップルジュースも好きだったよね?ナオトはカフェオレも好きだけど、コーラも実は好き。私は炭酸飲料は全部好きだけれど、ウーロン茶もよく飲んでた。なんだか、昔みたいで懐かしいね」
アサコが独り言のように言いながら、それぞれの好きな飲み物を目の前に置いていく。
「よく覚えてるな」
グラスを受け取ったナオトがコーラを一口飲んでから言った。
「うん、よく覚えているよ。アカリにはさっき話したけれど、ナオトも知ってるのかな?私、引っ越してから友達が一人もいなくて……。恥ずかしいけれど、イジメに遭っていたの。そして校舎の窓から飛び降りて自殺した。だから、こうやって話せる相手っていなかったんだ」
アサコが寂しそうに笑う。
「そうね。私の家で小学生の頃からこうやって3人でよくお菓子を囲んでゲームをしたり、話をしていたわよね」
まだ腕が痛いのか右腕をさすりながらアカリが言った。
「そうだったね。ナオトがゲームが上手くて勝てなくて、アカリは怒ってばっかりだった。私はナオトにもアカリにも勝てなかったけれどね」
「アサコは大人しいけれど,、実は負けず嫌いで悔し泣きしたことあったね?あれは小4?小5?いつだったかな」
「なあ」
2人の会話を遮るようにナオトが言った。
「お前ら、あの金はどうした?使ったのか?」
ナオトの言葉に2人はお互いを見る。
「あの時にネットバンクに入金したはずだ。親にもバレないように。忘れていないよな?」
「そのことなんだけれど……」
さっきの勢いとは違い、アカリが困ったように言った。
「スマホがないのよ。私も家宅捜索されているって聞いて、事件の証拠品のことをまずは考えた。でも、アサコと会って気が付いた。ここは時間が止まっているらしいけれど、スマホがない。だから、スマホを押収されて、あのお金の存在がバレたらどうしようって思っているの。ここにはパソコンもないみたいだし……」
「え?」
ナオトが制服のポケットの中を全て探した。
「ナオトもやっぱり持ってない?スマホ」
アサコが言うと、「ない……。なんでだよ」と返した。
「ウタカタが持っている可能性は?」
ナオトの質問にアサコが首を振る。
「私が一番にここへ来たんだけれど、持ち物が何もないの。ウタカタさんに聞くよりも、ミコさんに聞いた方が確実だろうなって思って聞いたんだけれど、ここへ来る人間は何も所持品は持ってこないって言われた。ミコさんは嘘をつく人だとは思えないから、本当のことなんだと思う」
アサコの言葉に頷いてからアカリが言った。
「私たちは使っていないわ。アサコとお互いの本を見せあって確認もした。ナオトも使っていないんでしょ?私たちは生死を彷徨っているから、現世で所持品を調べられると思う。ナオトは、医療ミスってウタカタさんに聞いたけれど、私とアサコは事故と自殺。身元を確認するために所持品を調べるのは当然のことよ。気づかれたら大変だわ。高校生が持てる額じゃない。大人でもそんな大金、なかなか持っていない。お金の出所を調べられる可能性が高いのよ」
「マジかよ……」
ナオトは天を仰いだ。
「だから」
アカリは間をおいてから続ける。
「悔しいけれど、ウタカタさんが言う通り「あの事」を振り返って話し合うべきなのよ。ナオトもわかっているでしょ?4人目が、「新山ユメ」が来る前に私たちは、もう一度、振り返らないといけないの」
「クソ!新山ユメが鍵を握っているってことかよ」
「それはわからないけれど……。ユメが私たちの前に現れて、そして「あの事」が起こった。なぜ、あんな事になってしまったのかをキチンと正確に思い出す必要はあると思う」
アサコも同意したように言った。
「みんなで本を読み合って確認しない?自分視点だけならわからないことが多いわ。この本は他の人間の思想思惑も書いてあるけれど、3人で読み合わせた方が確実よ」
アカリが言いながら本のページをめくる。
それに合わせたようにアサコとナオトも本を開いた。
「新山ユメが私たちの前に現れたのは、中学1年生の2学期の終わり頃。そして、「あの事」が起きたのは、2年生になる春休みよ」
3人はそれぞれのページを確認して頷いた。
個室のドアの外に寄りかかっていたウタカタはニコリと笑った。
「うん。そうしなきゃ、キミ達は答えに辿り着けないからねー。順調、順調」
「ウタカタさん、そろそろ「新山ユメ」が来ます。彼らに知らせなくてもいいんですか?」
ミコがウタカタのそばで囁く。
「答え合わせに時間がかかるでしょ?その間に「新山ユメ」からも話を聞かないといけないからね。それからで十分だよ。あの3人と彼女が会った時、平和に話ができるように、僕らはサポートしないとね」
ウタカタはミコにそう言って、本の表紙を見せる。焼印の文字で「新山ユメ」とタイトルついている。
「平和に解決出来るのでしょうか……」
ミコが浮かない表情で呟く。
「ミコちゃん、これを正しい道へ選択させるのが僕らの仕事だよ?これ、『神様認定資格』の試験に出ますよ?頑張ろうね」
そう言ってミコの頭を軽く撫でる。
「えー!出るんですかー?……頑張ります。やるしかないですね」
「そういえば、聞いたことがなかったけれど、何でそんなに格闘技の師範代を持っているの?」
「え?うーん……、趣味ですね。好きなんですよ、格闘技も身体を動かすのも。そういう試験なら楽勝なんですけどねー」
「へー。人は見かけによらないもんだよね」
ウタカタの言葉にミコが笑った。
「ウタカタさんに言われたくないですよ」
「アハハ、そりゃそうだ。じゃあ、行こうか?新山さんが招集されるよ」
ウタカタは一度、個室を振り返って、笑顔で頷いてからその場を離れた。
中学1年生の2学期も終わりに近づいていた頃。
アカリは期末テストで学年でトップだったことを自慢しながら、アサコとナオトと下校していた。
「ねえ、アンタたちの成績はどうだったのよ?」
鼻歌でも歌いそうな上機嫌な声でアカリは言った。
「私は……普通かな?真ん中より少し上」
アサコが困ったような笑顔で返した。
いつだってアサコはアカリに気を遣い、言葉を選んで話をする。
「俺は、聞くまでもないだろ」
ナオトが面倒くさそうに言うと、アカリはケラケラと笑い出す。
「ナオトって頭悪いもんねー!!なんでそんなにバカなんだろうね?ゲームとギターばっかりやってるからよ!!将来はギタリスト?それともプロゲーマー?まあ、どっちになろうとも成績関係ないもんね!アサコも本当に普通すぎて特徴が何もないわよねー。アンタたち、私が『特別』に勉強教えてあげようか?アハハ!!」
アカリは小学校1年生になる時に、この町へ引っ越しをしてきた。
診療所の医者が変わる、都会の優秀な医者が来る。
そうして来たのが清水一家だった。
その娘のアカリは、入学当時はニコニコとしていて、育ちが良さそうなお嬢様に見えた。
でも、同じ区画に住む、アサコとナオトの2人と仲良くなりだしてから態度が変わった。
「私は特別な人間なの」「アンタたちと仲良くしてあげているのよ?わかる?」
そう言って、女子であるアサコを下僕のように従え、男であるナオトは自分のボディーガードのようなモノだとあくまで自分より下等な人間である、という風に2人に言い聞かせていた。
アサコとナオト以外の人の前では優等生で良い子を演じていた。2人の親にも。
だから、2人の親はアカリと仲良くしていることに何も思わない。むしろ、成績優秀でスポーツも万能なアカリを見習って勉強もスポーツも頑張れと言う。
それは年を追うごとに酷くなり、アサコもナオトも正直「面倒だから言うことを聞いておこう」と考えていた。
どうせ高校は全員違うのだから、中学生までの付き合いだ。
幼馴染ではあるけれど、高校生になり自分たちの世界が変われば、今のように常に一緒にいるわけではない。それまでは従っていればいい。
アカリが2人を馬鹿にしながら嬉々としている時に、ナオトがふと指をさした。
「なあ、あの家?店?ようやく建ったけれど、何だと思う?」
自分たちが住む区画のだだっ広い空き地だった場所に宮殿のような造りの建物が建った。
中学に入学した頃から大規模な建設工事をしていて、何だろう?とは3人とも思っていた。
「何だろうね?お店かなー。高級ブランドのお店とか?でも入り口が玄関みたいじゃない?誰かの家なのかな」
アサコもつられて建物を見上げながら言う。
「きっとハイブランドのセレクトショップなのよ。会員制じゃない?だから玄関が家みたいなのよ。お母さんはきっと会員になるわねー。私もこの中に入れるよ、もちろん。まあ、アンタたちには関係ない場所よね」
アカリは満足そうに答える。
「こんな田舎にそんなブランドの店いるのか?市内に建てればいいのに」
ナオトは欠伸をしながら言った。もう建物に興味はないようだ。
アサコもアカリの答えに面倒臭さを感じて「へー、すごいね」と聞き流していた。
それから1週間ほど経ったある日。
「今日は転校生が来ます。みんな、1クラスしかないんだから仲良くするように」
担任がそう言って、教室のドアを開けた。
転校生なんて今まで来たことがない。時期外れに、しかもこんな田舎に転校するなんて何事かと、クラス全体がザワザワとなる。
ドアから入って来たのは女の子だった。
小柄で可愛らしい顔をしている。
「はじめまして。えーと、新山ユメです。仲良くしてください!」
舌っ足らずな話し方で挨拶をしてペコリと頭を下げた。
アサコは、可愛い子だなー、何かちょっと世間知らずな感じがするけれど。と思った。
ナオトは、まあブスじゃないだけいいや。と自分には一切関係ないと思った。
アカリは、こういう女は大嫌いだと嫌悪感を持った。
「学校やこの町でわからないことは、クラスメイトに聞くといい」
担任が言って、クラスを見まわした。
アサコとナオトは想像がついた。
いや、クラス全員が予想している。それは外れることはないだろうと全員が思っている。
「そうだなー……、うん。清水アカリ。彼女は生徒会の役員だし、優しい子だ。この町の診療所のお医者さんの娘だから町にも詳しい。清水、新山のことをよろしくな」
案の定、担任は世話係にアカリを任命した。
一瞬、嫌な顔をしたアカリをアサコとナオトは見逃さなかった。
他の人間は気づいてはいないだろう。アカリの本性を知らないのだから。
そして、すぐさま優等生な笑顔を作り、手を上げた。
「はい。新山さん、清水アカリです。わからないことは何でも聞いてね?仲良くしようね」
「アカリちゃん?よろしくお願いしまーす。ユメね-、3日前にここに来たから何もわかんないんだー。色々教えてね。仲良くしようねー」
新山ユメは笑顔で言う。
自分のこと「ユメ」って呼ぶんだ……。
自分を名前で呼ぶことは別に珍しいわけではない。
けれど、新山ユメが自分を「ユメねー」と言うのは妙に子供っぽい。幼稚園児が話すような喋り方が原因かもしれない。
アサコとナオトは、変わった子?不思議な子?と2人で囁いた。
この2人は席が前後しているから話しをすることが多い。
優等生なアカリは、皆が嫌がる一番前の席に自ら志願して座り、真面目に勉強をしている。
そういうアピールが大事なのだと2人に散々言っていた。
休み時間以外はアカリと接触がない2人はノートの端をちぎって、アカリの悪口を書き、そのメモのやり取りしている。そして2人でコソコソとアカリのことを笑っていた。
一番後ろの空席を指定されたユメはフワフワとスキップをするように歩き、席に座った。
そして窓の外を見てデカイ声を出す。
「わー!!山が見えるー!!ユメ、こんな近くで山を見たことなーい。アカリちゃん、あの山って動物いるのー?」
その言葉にさすがのアカリもギョっとした顔する。
クラスメイトはポカーンと宇宙人でも見るような感じになっている。
「に、新山さん?授業が始まるから、山の話はあとでしようね?」
引きつった笑顔でアカリが答えた。
「はーい」
机に両手で頬杖をついてユメは素直に返事をした。
ヘラヘラなのかニコニコなのか、よくわからない笑顔をしている。
ユメが転校してきて1か月近く。
間もなく冬休みを迎える。
アカリは連日、休み時間、放課後とユメに学校の案内、美術部に入部したいと言うから部長に紹介をし、放課後は町中の案内に連れまわされていた。
休み時間と放課後、更には授業中でも疑問に思うと「ねえ、アカリちゃーん」とユメは言っている。この「アカリちゃーん」と呼ぶ声もクラスの全員は聞きなれてしまった。
少々、かなり?変わった子ではあるけれど、愛くるしい仔犬のような顔と、フワフワとした雰囲気。そして、やはり初めて出会う「転校性」という存在で、クラスの人気者となっている。
昼休みの給食の時間は、誰かに常に誘われて、男女問わず、色んな子と食べている。
唯一、解放される昼休みに給食を食べながら、アカリはしこまたユメの文句をアサコとナオトに言っていた。
「ムカつく」「大嫌い」「頭悪そう」「イライラする」
そんな悪態をアサコとナオトに聞かせながら給食を口に運んでいる。
ユメの「アカリちゃーん」と同様に、この悪口タイムに2人はすっかり慣れてしまって、
「へー」「大変だねー」「アカリは偉いよね」
と呪文のように繰り返して相槌を打ちながら給食を食べる。
放課後、アカリの嫌味を聞かないで下校出来るから、ナオトは男子と遊んで帰り、アサコも仲がいい女子と楽しく下校して、2人はそれが満足だから給食の時間の悪口くらいは聞いてやろうと考えていた。
そんな昼休み、いつものように3人で机を並べて給食を食べようとすると、
「アカリちゃーん」が聞こえた。
アカリは見えないように舌打ちをしてから、笑顔で「どうしたの?」と言う。
ユメは机を持ってきて、3人の間に入る。
「今日からアカリちゃんたちとご飯食べるねー。一緒に食べてもいい?」
そう言ってニコニコしながら座った。
これにはアサコもナオトも、アカリが若干、気の毒に思えて顔を見合わせた。
アカリを見ると、しばらく時が止まっている。
どうするのだろう?
2人はそう思いながら黙って様子を見ていた。
「もちろん!喜んで」
アカリは意を決した顔を一瞬だけして、いつもの笑顔を見せた。
「やったー!アサコちゃんとナオトくん、あんまり話したことないよね?仲良くしてね」
「うん、よろしくね」
アサコも笑顔を見せる。
「まー、よろしくな」
ナオトも少しだけ愛想を見せながら返事をした。
「あ!そうだ!ユメね……、ううん。私ね、今日から自分のことを『私』って言うことにしたんだよね。アカリちゃんが自分を『私』って言うのがカッコイイから真似することにしたんだよ?」
「「へー」」
何て答えるが正解かがよくわからず、3人は聞き流すように返事をした。
「それと、アカリちゃんの家がやっとわかったよ!診療所って私の家のすぐそばでビックリしちゃった。みんなも近所に住んでるよね?表札でわかったんだ」
これには全員、食べることを止めた。
近所?
自分たちの区画にユメが住んでいる?
3人で顔を見合わせるけれど、全員「わからない」と首を振った。
「そうなの!?どの辺かな?」
アサコが少し驚きながら聞くと、ユメはニコニコしながら自分の家の場所を言った。
それには全員衝撃を受けて、ナオトはあんぐりと口を開けっぱなしになった。
アサコも驚いて箸から米が机に落ちた。
誰よりも一番驚いて、優等生の笑顔を失い、衝撃のあまり顔面蒼白のような顔をしているのがアカリだ。
ユメの家は、3人が「この建物はなんだ?」と不思議に思っていた、あの宮殿だった。
てっきり、アカリが言うような会員制の店なのだと信じていたけれど、まさか人の家だとは誰も思っていなかった。人が住む家にしては大きすぎる。本当に宮殿のようだから。
「私ね、おじいちゃんとおばあちゃんとこの町に引っ越してきたの。お父さんとお母さんは東京でおじいちゃんの会社を引き継いで忙しいから、おじいちゃんの地元のこの町で一緒に暮らそうって家を建ててくれたんだ」
「え……?いくらこの町が地元だとしても……田舎だからって、あんな豪邸建てられるの?」
アサコがかなり戸惑って質問をした。
「うーん?よくわからないけれど、おじいちゃんはこの町の地主?なんだって。山とか持ってるし、農家さんに畑も貸してるって言ってた。女の子が住むんだから、お城みたいな家にしようって、おじいちゃんが決めたみたい。なんだかわからないよね?」
そう言ってニコニコしながらユメは給食を食べる。
それから、ユメの父親はホテル経営、母親は都内を中心とした貸ビルを管理する管理会社をそれぞれ祖父から引き継いでいると言った。ホテルもビルも全て祖父の所有物件らしい。
だから、忙しくて東京にいた頃にはほとんど会えていなかったのだと。東京でも祖父母とほぼ同居状態だったのだけれど、田舎でのんびり暮らそうと祖父が提案し、地元に戻って来たのだと、ユメは舌っ足らずな話し方で説明をした。
その話をポカーンとしながら3人は聞いていた。
妙に浮世離れした雰囲気は『超』金持ちの生粋のお嬢様だからなのか……。
ナオトが一番先に理解したのだろう、頭の中で「なるほどな」と考える。
そして、アカリを見ると、我に返ったようで持っている箸をへし折りそうになっている。
怪力のアカリなのだから、こんな箸ごときボッキリとへし折るだろう。
それを見て、ナオトは笑いをこらえるのが必死になり、口元をさりげなく手で隠した。
無理矢理、笑顔を作っているアカリが滑稽で仕方がない。声を出して笑いたい。
アカリが散々、自分は俺たちと住んでいる世界が違うと豪語していたのが間抜けで面白過ぎる。
目の前にいるユメは、お前なんかゴミに見えるほどの「お嬢様」なんだよ。
お前もユメとは住む世界が違うんだ。それは俺たちと同等だよ。
そう思うと爆笑したくなる。
アサコを見ると、まだ現実に戻れていないのか、ユメの話を茫然としながら聞いている。
「あ、そうだ」
ユメは何かを思いついたように手を叩いた。
「良かったら今日遊びに来ない?おじいちゃんもおばあちゃんも喜ぶと思うんだ!私に友達が出来たのか、すごく心配していたから」
ユメの提案に我に返ったアサコも含めて、「どうする?」という雰囲気で3人がチラチラと目を交互させる。
アサコとナオトは興味本位で、あの宮殿の中はどうなっているのだろう?と思った。
アカリを2人でジッと見ていると、アカリも興味本位に勝てなかったのか、
「行こうか?ユメちゃんに友達がいるよって、おじいさんとおばあさんを安心させてあげたいし」
と優等生の笑顔を取り戻している。多少、引きつってはいるけれど。
「ユメちゃんなんて呼ばないでよー。みんな、ご近所さんなんだから『仲間』でしょ?ユメって呼んでね」
ユメは嬉しそうに笑っている。
ちょっと待って。アカリの顔が面白過ぎるんだけど。
悔しくてどうしようもないのに、家の中を見てみたくてプライドを捨てちゃったんだ。
何?その笑顔。私たちには屈辱感しか伝わらないよ?
きっとナオトも見抜いているよね。
アサコは心の中ではナオト同様に、腹を抱えて笑い転げたいくらいな気持ちを笑顔で頷くフリをして誤魔化した。
チラリとナオトを見ると、珍しく笑顔のように見えるだろうけれど、アカリを笑っているのがアサコには伝わった。
放課後になり、4人で下校しながらユメの家の前に来た。
改めて見上げると、本当に人が住む家なのか?と思う。
豪邸なんてものじゃない。ユメの祖父が言った「お城」だ。城を孫娘のためだけに建てたのか?
3人はそう思った。
ユメが鞄から小さなリモコンを出して、ボタンを押す。ピっという音が鳴り、城の扉が両サイドに分かれて開く。
それから、スマホを取り出して電話をしている。
「おばあちゃん?今帰ってきたよ。お友達も一緒だから。今から入るねー」
電話を切ったユメは、笑いながら言う。
「電話をしないと帰ってきたのがわからないの。変な家だよね?どうぞ入ってー」
変?もう入り口の時点で異常すぎる。
ユメに案内されながら、玄関の中へと入った。
これは大理石なのか?なんだかピカピカな石の床をいかにも高そうなスリッパを履いて長い廊下を歩く。
ユメは自分用なのだろうウサギの顔がついたスリッパを履いて流行のアイドルの歌を歌いながら前を歩いている。
長い廊下を渡り切って、リビングのドアを開けて「ただいまー」と明るい声で言う。
「お帰り」
品の良さそうな老婦人が笑顔で言った。祖母なのだろう。
「「お邪魔します」」
3人で挨拶をする。
「おばあちゃん、お友達だよ。アカリちゃんとアサコちゃんとナオトくん」
ユメに紹介されて、1人ずつ「清水アカリです」「柳アサコです」「結城ナオトです」と自己紹介をした。
「いらっしゃい。ユメがお友達を連れてきてくれるなんて嬉しいわ。この子は少し変わった子だけれど、悪い子じゃないのよ。どうぞ仲良くしてあげてくださいね」
柔らかい笑顔を見せているユメの祖母は、服装は意外と地味だ。
アカリの母親のようにギラギラとした派手な服なんか着ていない。
けれど、質素に見える服は安物なんかではないことはわかる。
町を歩いていても違和感はないだろう。田舎にすんなりと溶け込めそうな雰囲気をしている。
アサコがリビングの一角の壁を見て、不思議そうに呟いた。
「え……?滝?家の中に滝がある」
その言葉にアカリとナオトも視線を移した。
「あー、それ加湿器なの」
ユメがなんてこと感じで返事をした。
「「は?」」
3人が声をそろえる。
「家が広いでしょ?普通の加湿器じゃ少し足りないのよね。だから壁に滝を流して加湿しているのよ。循環してマイナスイオンも出るから丁度いいのよ?」
祖母が説明してくれる。
加湿器が滝???
普通の加湿器より「少し」足りない?
だからって滝?
もう何がなんだかよくわからない。
それから、ナオトがエアコンがあるのに暖炉もあると言い、それは暖炉に見せたストーブで煙も出なく安全だけれど、暖かさは暖炉と同じだと言う。極寒の国で最近開発されたものをオーダーして作ったのだと説明された。滝とは逆側の応接間のように皮張りの10人くらい座れそうなソファセットの前の壁にはテレビと呼んでいいのものかわからないデカさのものが壁にはめ込んである。サイズは日本にある一番大きなインチだと言い、住人すらサイズがわからないと言う。
しばらくデカすぎて異常な造りのリビングを案内されてから、ようやくユメの部屋へ向かった。
「2階のメインルームにするね」
またわけの意味不明なことを言っている。
メインとはなんだ?セカンドルームってものがあるのか?
部屋は10畳ほどで、ソファとテーブルがあり、40インチほどのテレビが設置されていて、壁の方には机とと椅子がある。パソコンが置いてある。勉強机なのだろうか?
ユメに言われて、ソファに座るとドアをノックされた。
「ユメ?友達が来てくれているんだろう?」
ドアの向こうから男性の声がする。
ユメがドアを開けると祖母同様に優しそうな老人の紳士が立っている。
祖母同様に町に溶け込むよな服装をしている。
でも年相応だけれど、祖父母共々上品な身なりをいている。
経営者でバリバリと数年前まで仕事をしたのだから、もっと威圧的な目がギラついた老人なのだろうと想像していただけに、3人とも拍子抜けをした。
「皆さんよく来てくれたね。妻から名前と特徴は聞いたよ?結城くんは男の子だからわかるけれどね」
軽く笑ってから、アカリとアサコを交互に見てから言った。
「キミが清水さん。そして、キミが柳さん。どうかな?合ってるかな?」
「すごい!おじいちゃん、正解だよ!」
ユメが興奮して大声で言った。
祖父に改めて自己紹介をする。
「ユメに友達ができて本当に安心したよ。女の子だけじゃなくて男の子の友達も出来て、嬉しいよ。これからユメのことを頼んだよ?それに、いつでも遊びにきてくれていいよ。我が家は大歓迎するよ」
祖父は出ていく前に「ユメ、おばあちゃんが呼んでいたよ?」と言った。
「きっと、お菓子とジュースを運ぶようにだね。みんな少し待ってってね」
ユメが急いで部屋を出た。
残っていた祖父が3人を見ながら話す。
「本当にユメの友達にってくれてありがとう」
それだけ言って、本当に部屋を出て行った。
待たされている間。
アカリが部屋の中をグルグルと見て回っている。
「あんまり他人の部屋の中をウロつくなよ」
ナオトがソファでくつろぎながら言う。
「うるさい!!私に構わないでよ!」
アカリは圧倒的な財力の差を見せつけられて屈辱感がすごいのだろう。
あとでアサコと2人で爆笑だろうな。
ここに比べたら、広い平屋の診療所兼自宅のアカリの家が犬小屋程度に思える。
俺たちはごく普通の一軒家だから、存在そのものがないようなものだ。
それに……。
アサコが、「後で話そうね、きっと笑い転げてしまうけれど」とナオトにコッソリと声をかけると、ナオトはニヤニヤしている。
「1等の宝くじが自分から歩いてきた」
「宝くじ?」
ナオトの方がアカリよりも実は頭の回転が速く、ずる賢い。
面倒だからやりたくないけれど、結果、得をすることが起こると、アカリを誘導して、アカリが自分で閃いて思いついたかのように裏で操作していることが結構多い。
そして、ナオトは何か自分にとって「いい事」が起こると、よく『宝くじ』と表現をする。これは、ナオトの父親の口癖だから、移ったのだろう。
でも『1等が歩いてきた』とは初めて聞いた。
「おい、アサコ」
アカリに気づかれないよう注意しながらナオトが話かけてきた。
「うん?」
「お前、ユメの話し相手になれ。ユメが何でも話せるのは、アカリよりもアサコだと思われるように信頼を勝ち取れ。そして『内緒』なんだけれど。と何かをアサコに打明けたら、その内容をしっかり俺に言ってくれよ」
「何で?」
「いいから。金がザックザク入ってくるかもしれないぞ?取り分は平等だ。俺は目の前で屈辱でイライラと歩き回っているアイツとは違うからな。まあ、見てろよ」
イマイチ、ナオトが言っていることが理解出来ないけれど、何か閃くことでもあったんだろう。私も損はしないのなら問題はない。
私もユメと話してみて、どんな人間なのは少し興味がある。
こんな環境で育ったことが「なんか変だよね?」と思っている、天然で浮世離れしているユメと、この生活が当たり前で人を馬鹿にして「私はいつか神のような存在になる。選ばれて特別な人間だ」と豪語しているアカリ。でも世の中には地位も経済力も何もかもが、自分より上がいることは当然なのだ。
アサコはそれを考えながら「わかった。なるべく努力してみるね」と返事をした。
時間は経ち、春休みになった。
もうすぐ2年生になる。
と、言ってもクラスが一つしかないのだから、特に何かが変わるわけではない。
「え?」
ユメの部屋。メインルームと言っている場所。
遊びに来ていたアサコは、ユメの言葉に驚く。
ユメの祖母が淹れてくれたアップルティーを飲みながら、2人で話をしている。
アサコはこのアップルティーが大好きになり、それをユメに言ったら、大量の茶葉とティーセットをくれた。
その量にはビックリしたけれど、好意でくれたものだからありがたく受け取り、自分の中の「特別な日」を決めて家では飲んでいた。
「特別な日」と言っても、小テストが思ったより点数が良かった時や、母親の手伝いをして、褒められた日、そこまで「特別」ではないのだけれど。
ユメがこの町へ来てから4、5か月経っただろう。
アカリは相変わらずユメが嫌いで、本性を見せようともしない。
きっと、ユメの家に初めて来た日の屈辱が相当なのだろう。
あの日は帰りに「すごい家だったね」とナオトと話しながら自分たちの家へ戻ろうとしていた。
でも、アカリは別れの挨拶の早々に走って帰ってしまった。
それをナオトとアサコは笑いながら見ていた。
悔して、屈辱感と敗北感でどうしようもなくて、泣きながら、あのサンドバックを殴る蹴るするんだろう。
普段から、アサコとナオトを下等生物のように扱うから、そんなことになるんだと2人で「ザマーミロだね」とゲラゲラと笑った。
登下校も一緒になるようになったユメに、アカリは徹底して仮の姿の優等生の自分しか見せない。
一方で、アサコはユメと色々話すようになり、親しくなって、そんなに悪い子ではないし、むしろ素直で好感が持てると思っている。
ナオトも同じだと思う。ユメには優しくしているから。
生まれた時から近所で、アカリよりもずっと幼馴染としての付き合いが長いアサコにもナオトは優しいし、本音でお互い話すことが多い。兄妹みたいに育ってきたから、気が弱いアサコを妹のように思って接してくれている。
学校の成績は悪いけれど、本当はしっかりしていて、頭が回り、キレ者なナオトをアサコはよく知っている。
アカリの態度に辟易して、本当に嫌だとナオトに話をしていた時も、
「黙って言うことを聞いてるフリをして、持ち上げて、やりたくないことや面倒くさいことを押し付ければいいんだよ。さすがアカリ様!神様になるのはアカリ様しかおりませんね!いやー、アカリ様だから出来ることです、すごいです!って。高校に入るまでの辛抱だ。『豚もおだてりゃ木に登る』ってヤツだよ」
ナオトがそう言うのだから、そうしていればいいのだとアサコは思ってアカリと接していた。
だからユメと親しくすれば「宝くじ」が当たるから仲良くしてろ。とナオトがコッソリ言ったことを信じて、ユメと接触していたけれど、話をするうちに「宝くじ」なんか忘れて、本当に仲が良くなってきている。
ユメの家には何度も呼ばれて遊びにきている。ナオトも一緒の時やアサコだけの時もある。
アカリは「生徒会が」「部活が」と理由をつけて寄り付かないけれど。
そうして、今日もアサコはユメに呼ばれて遊びに来ているわけだ。
今日は「大事な話がある」とユメに言われて呼ばれた。
そして、その大事な話をたった今聞いたばかりだ。
ユメは真っ赤になりながら向かえの1人掛けのソファでウサギの顔をしたぬいぐるみを抱きしめている。
このウザギのキャラクターが好きだと言って、この部屋にもぬいぐるみや雑貨など色々ある。
「ナオトのことが好きなの?」
気持ちを落ち着かせようと、アップルティーを一口飲んでから確認する。
「もー!アサコちゃん、何度も言わせないでー!!」
ユメは恥ずかしさで手足をバタバタさせながら言った。
ナオトが好き?
なぜ?
かなり疑問だ。
ユメに好意を寄せて優しくしている男子はたくさんいる。
この家にも遊びに来ている人間はアサコたち以外にももちろん、男女問わずいるのだ。
見た目の可愛さはもちろんだけれど、圧倒的な財力も上乗せされて好意を抱いている男子も多いはずだ。
その中の誰かならわかるけれど、ナオトは無愛想だし、ユメに優しくしてるのは本当だけれど、ナオトの性格をあまり理解できていない人間には、ユメにもそっけなくしているように見えるはずだ。
かなり前だけれど、ナオトの家に行ったらギターが新しくなっていた。
楽器がよくわからないアサコでも、これは高いんじゃないかな?と思った。
それをナオトに言うと、アッサリと返事が返ってきた。
「ユメが勝手に買ってくれた」と。
学校でロックバンドの雑誌を見ていたら、「ナオトくんにはこのギターが絶対似合う!」と言い出して、数日後に家に呼ばれてギターを渡されたらしい。
それは、アサコにアップルティーをくれたことと何ら変わらない、ユメがそうしたくてしていることのようだ。
「ファーストキスだから、もう緊張しちゃって心臓が爆発するかと思ったー!ナオトくんも初めてだったよね?絶対」
どうやら、ナオトとキスをしたらしい。
残念ながら、ファーストキスではないと思う。
ナオトは最近まで市内の別の中学に彼女がいたのだから。
アサコは生まれた時からナオトと一緒だから、男子として見たことはないけれど、ナオトはイケメンらしくて、結構モテる。
まあ、顔は整ってはいるのはわかる。
ナオトの彼女とは、市内にCDを買いに行った時に出会って、同じバンドが好きだと意気投合して付き合うことになったらしい。スマホで撮った写真を見たけれど、大人っぽい美人な女の子だった。
アカリも猫系な顔の美人で学校では優等生だしモテるけれど、それよりもずっと綺麗な女の子だった気がする。
その子の話題があまり出なくなったから、別れたんだろうな。と思ってはいた。
でも、ユメを好きになるとは思えない。
昨日ナオトに会ったばかりだけれど、ユメを好きだと言う話は全く聞いていない。
恥ずかしくて言えないとかではない。それはアサコにはよくわかる。
そういえば、昨日ナオトに「明日ユメに呼ばれて家に行く」と話をしたら、ギターの弦を張り替えながら「へー」と少し笑っていた。
ナオトの家に野菜のお裾分けを届けに行ったついでに部屋に入って、アサコも深く考えずに言っただけだ。
「ナオトに告白したの?もしかして逆にされたの?」
「そんなのしてないし、されてないよー!私がナオトくんをカッコいいな、時々、優しく笑ってくれるところとか大好きだなーって思っていたのは誰にも言ってないもん。人に言ったのはアサコちゃんが初めてだよ?」
数日前にナオトだけが遊びに来た時に、一緒に映画のDVDを観ていたらしく、隣に並んで座っていたようだ。
その時に話をしていたら、目が合ってキスをされたらしい。
照れを隠すようにユメはウサギに顔を押し付けながら続けた。
「こっちに転校してきてから、お父さんとお母さんにまだ会えてなくて寂しいなって言ったら、ナオトくんが『可哀想だな、会わせてやりたいな』って言ってくれたの!すごく優しいよね?私だけにかな?あ、アサコちゃんにも優しいよね?」
「私は、ナオトとはほとんど兄妹みたいなものだから……優しくしてくれるのは当たり前っていうか……」
勘違いな嫉妬をされたら困るから、そこはしっかりと否定する。
「そっかー。アサコちゃん、誰にも言わないでね?絶対だよ?」
「アカリにも?」
一応、アカリの名前を出しておく。
この区画で4人一緒だから『仲間』だとユメ本人がいつも言ってるし。
「アカリちゃんかー」
アカリの名前を聞いてユメはウサギから顔を離した。
それから続ける。
「アカリちゃんって優しいけれど、なんか、それが本当だと思えない時があるの。私、見ちゃったんだ。放課後、アカリちゃんとアサコちゃんが資料運びをしている時に、アサコちゃんを怒鳴りつけているところとか、小テスト後の休み時間にナオトくんに「馬鹿すぎる」って言って、笑っているところとか。もしかしたら本当は意地悪な子?なんだか、よくわからなくなってきてるんだよね」
「アカリは優しいよ?私に怒っていたのは、私が悪いからだよ。それをダメだよって言ってくれてるだけだから。ナオトを笑っていたのは幼馴染だからじゃないかな?冗談を言い合っていただけだと思うよ?」
ユメにそれがアカリなんだよ?本当のアカリの姿だよ。と言って厄介なことになっては困る。
うっかりユメがアカリに言ってしまったら、火の粉を浴びるのはアサコやナオトだ。
「そっか。アサコちゃんがそう言うなら、私の勘違いだね。ごめんね?アカリちゃんには言わないでね?」
「もちろん言わないから大丈夫だよ」
「あ、そうそう!ナオトくんが……えへへ。ナオトくんがね、私がお父さんとお母さんに会えるようにみんなで考えようって言ってくれたの。俺たち『仲間』だろ?って。アサコちゃんもアカリちゃんも『仲間』だもんね、嬉しいなー」
再び照れ笑いをしながらユメが言った。
「私たちが?」
アサコは聞き返す。
どういうことだろう?
ナオトの考えがわからない。
「うん。みんなで考えたら、いい案が浮かぶかもしれないって。アカリちゃんは頭がいいから、何かいい考え出るかもしれないよね?ナオトくんがそう言ってた」
ユメからナオトの話を散々聞かされて、家に帰ると、家の前にナオトがいる。
「おう、お疲れ」
「お疲れじゃないよ、色々聞きたいことばっかりなんだけど」
アサコは呆れながら言った。
「まあ、言いたいことはわかっているよ。さて、行こうぜ」
「行こうってどこへ?」
アサコの質問に少し笑いながら答える。
「アカリ様の家だよ。俺たち『仲間』だろ?」
意味がわからない。
でも、何か考えているのだろう。
アサコはそう思いながら、ナオトの後を追った。
久しぶり来るアカリの家は広いけれど、やっぱりユメの家の後だとものすごく安っぽく感じる。
アカリの部屋のテーブルを囲んで3人で座った。
「話って何?」
アカリは面倒そうに言った。
アポなしで当日に来られるのは、いくら幼馴染でも本当に迷惑だわ。
毎日、ユメにムカついてサンドバッグを殴っていることも知られたくないし。
私がこんな気持ちでいることは、いくら幼馴染でも知られたくない。
ナオトから『話があるから今から行く』と言われて、慌ててシャワーを浴びて、何食わぬ顔をしなきゃいけない。
大した用事ではなかったら早々に帰ってもらおう。
そう思いながら、ナオトを見る。
アサコも連れて来たのはなぜなのか?
ユメを連れてこないだけマシだけれど。
「ユメが俺を好きになったみたいだ」
ナオトの言葉を聞いて、本当にどうでもいいとアカリは思った。
好きだから何?付き合う報告?
知らないわよ、勝手にすればいいじゃない。
「私も今日ユメに呼ばれて聞いたよ」
アサコが同意している。
「だから、それがどうしたの?私に何か関係があるわけ?」
イラつきながらナオトとアサコを見る。
「それで」
ナオトは机に置いてあるペットボトルのお茶を一口飲んだ。
「ユメちゃんはパパとママに会いたいよー、寂しいよー。と言っている」
「は?会いたいなら会えばいいじゃない。本当に何なの?用事がそれだけなら帰ってくれない?」
アカリは馬鹿馬鹿しいと呆れて、立ち上がった。
「まあ、聞けよ。俺たちはユメの『仲間』だろ?会わせてあげようと思わないか?」
「何それ。東京まで一緒について行くっていうの?冗談じゃないわ。自分のじいさんにでも頼んで行けばいいじゃない。それに、私は『仲間』だなんて1ミリも思っていなから。アンタたちの好きにすればいいでしょ」
アカリとナオトのやり取りをアサコは黙ってみている。
アサコもナオトが何を言っているのか、言いたいのかがわからない。
「じいさんに頼んだけれど、忙しいという理由で「そのうち行く」と親には言われたみたいだ。なあ、会いに来ると思うか?元々、会社を引き継いで忙しくて東京にいた頃にもロクに会っていない。娘のお守りをジジイとババアに押し付けているような夫婦が会いにくるか?娘との生活より仕事と金を選んでいる親だぞ?」
「うーん……、少し難しそうだよね?こんな田舎に引っ越しをして来るくらいだから、本当に会えていないんだろうね」
アサコが頷く。
「そんな親が会いにくるとしたら?理由はなんだと思う?」
ナオトはアカリとアサコを交互に見る。
「そりゃあ、急用があったらさすがに来るんじゃないの?誰かが病気になるとか、何かがあったら、いくら何でも来るでしょ」
アカリの答えにナオトは「さすがアカリだな」と笑顔になる。
「その『急用』を俺たちが作ってやればいい。そうしたらユメは親に会えるんだよ」
「どういうこと?」
アサコは首を傾げる。
「急にユメが病気になるはずがない。春休みだから特に外には出ていないし、ユメは自分の家に人を呼ぶのが好きだからな。だから交通事故に遭うこともない。ジジイとババアも元気だし、じゃあ、どうしようか?ってことをアカリに相談に来てるんだよ」
ナオトが少し困った顔で言った。
「そんなの……」
アカリはベッドの上に座り直して足を組んだ。
しばらく考えているようだ。
数分、間を空けてからアカリは言った。
「それなら、何か事件でも起きない限り無理じゃない?」
アカリの答えに驚いた顔をしてから、ナオトは何度も頷いた。
「やっぱりアカリに聞いて正解だな。俺も考えていたけれど、なんせ俺はバカだからな。何かを起こすのにはどうしたらいいのか全然思いつかなかったよ」
ナオトは拍手でもしそうな感じでアカリに言った。
「つまり、私たちで『事件』を起こして会わせてあげるってことね」
ナオトが平伏すのを見て、まんざらじゃない顔で言う。
「事件ねー……、どうせなら少し痛い目に遭えばいいと思うわ。あの子、少し調子に乗りすぎだから」
アカリが楽しそうに話しをし始めた。
ナオトはまたアカリを操って利用しようとしているんだ。
アサコは2人の様子を見ながら思った。
アカリは私たちが下手の出れば出るだけ満足するのだから。
どうせナオトは『事件』を起こすことも考え済みだと思う。
それをアカリがさも思いついたようにして、計画をするんだ。
そして、きっと何かあればアカリのせいにする。
ナオトはそこまで考えているはずだと思う。
「痛い目ねー……。でも暴力はダメだと思う。手を出したらバレるだろ?」
「そうね。こういうことは入念に考えるべきだと思うわ。何事も計画的に考えなきゃ失敗するわよ?」
2人があれこれと事件を考えて話をしているのを見て、アサコはたまらず口を挟んだ。
「待って。何か事件を起こすって、それってユメは納得するの?怖い思いをするんだから嫌がるのは当然だと思うよ?」
アサコの意見にアカリは「そんなこと?」という顔をしながら言った。
「別に怪我をさせるとかじゃないのよ?例えば、ちょっと変態に連れまわされた程度でいいじゃない。その変態役が大好きなナオトなら、イタズラなんだから喜んで乗ってくるわよ」
「それだ!!」
アカリの言葉にナオトは閃いたという顔をした。
アサコとアカリは顔を見合わせる。
「誘拐ってのはどうだ?」
「誘拐!?」
アサコは驚いて声を上げた。
「ちょっと、アサコ。静かにしなさいよ。うちの親に聞こえたら困るわ」
「金持ちのお嬢様なんだから誘拐される理由はわかるだろ?ここらじゃ、あの豪邸は有名だし、ジジイも地主だから住民にペコペコされてたじゃん。そんな金持ちの娘が誘拐されたとしても不思議じゃない」
「誘拐の理由は身代金ね?誘拐犯は私たちだとして……、でも身代金なんて払うかしら?いくら要求するかよね。あの子のワガママのために考えてあげているんだから、タダじゃ割に合わないわよ?」
「ユメには少し隠れてもらうし、日数もかかるかもしれないだろ?夜に隠れて1人でいてもらうことになるかも。田舎の夜は怖いからなー、俺たちが泊りがけで張り付いているわけにもいかないよな、そうしたら俺たちが犯人だってバレちまう。ユメのワガママで少年院にぶち込まれるのは御免だよ」
「そうね、田舎の夜を1人で小屋の中でも過ごしてくれるだけで十分怖いわよ。あの子のワガママなんだから、それくらいは我慢してもらいたいわ」
「じゃあ、身代金はどうしようか?一応はユメのためとはいえ、怖い思いもさせるんだから、取り分はユメが一番多くていいだろ?」
「いいわよ。でも、そのお金を私たちも貰ったとしても、どこに隠す?通帳に入金なんてできないわよ?それこそ、まず親にバレてしまうし、そもそも中学生が自分の口座なんか持っている?私はお年玉を貯金するために親に口座は作ってもらったけれど、管理はもちろん親よ。アンタたち口座なんかないでしょ?あっても親にバレてアウトよ」
「それがさ、こんな偶然あるのかって思うけれど……」
ナオトがまたお茶を飲んで、自分のスマホを取り出す。
「ネットバンク。知っているか?」
「何?それ」
アサコは少し恐怖を感じながら言う。
さっきから、この2人は何を考えているの理解できない。
誘拐なんて、犯罪を犯すなんて、そんな恐ろしいことを平気な顔で話している。
「インターネットのサイトの口座で、通帳もいらない。管理はスマホで簡単に出来る。親にもバレない」
「知っているけれど、それって私たちは未成年だし親の同意がいるわよ?普通の銀行と変わらないじゃない。それに私たちの名前で登録なんだから結果、同じことね」
アカリが呆れて言うのを見て、ナオトは首を振る。
「俺さ、金を貯めようかと思って。親に管理されない隠し財産みたいに。高いギターが欲しくて貯めようかな?って思ってさ。そんな物を欲しがってるいることを親に言ったら反対されるし、やっぱり、親の同意が必要だなって話をユメにしていたんだよ。そうしたら、ユメはネットバンクに口座を持っているっていうんだ。しかも、ここが大事だ。それは、ばあさんがジジイにも親にも見つからないように内緒で作ってくれたらしい。好きに金を使えるようにだってさ。ユメの名前じゃ簡単にバレるだろ?金持ちがよくやることらしいけれど、架空名義?存在しない人間や会社の名前で作ってくれたんだってさ。それはいいなーって言ったら、適当な名義の使っていない口座がまだまだたくさんあるって言うんだよ。よくわからないから適当なのあげるってIDとパスワードもくれた。どれがいいか知らないから好きなの選んでねって4個も。キャッシュカードもある。パスワードを変えれば、俺たちだけの口座が出来るんだよ。これってすごい偶然だと思わないか?」
「アンタ、それ本当に偶然なの?」
アカリが怪しい顔をしてナオトを見ている。
それにはアサコも同意だ。そんな上手い偶然があるわけがない。
「まあ、それは別にいいじゃん。俺とユメの仲だから、そこは放っておいてくれよ」
この為にナオトはユメに近づいたんじゃないの?
気を持たせる素振りをして、キスをして、自分もユメを好きだと見せてるんじゃない?
アサコは自分はとんでもないことに巻き込まれていきそうな気がして怖くなった。
「それはいいけれど。興味すらないから」
アカリは鼻で笑っている。
2人とも、少しおかしいよ……。これは立派な犯罪計画なんだって、大変なことを考えているって思わないの?
そう思っていると、スマホにラインが来る。
アカリのスマホもピロンと音が鳴ったから、同時に来たんだろう。
ナオトからのラインを見ると、よくわからない銀行名と〇〇商事やら、××物産など聞いたこともない会社の名義のものが3個届いた。
「俺はギター資金に1個もらってる。もちろん、そういう会社名のものをな?残りの3個は今2人に送ったから好きなものを選べよ。余った口座はユメに返して、これで身代金の口座ができる。4人分。きちんと分配できるだろ?」
「金持ちの税金対策ってことかしら?よくドラマでやっているわよね?本当にあるとは驚いたけれど」
アカリはそう言いながらスマホを見ている。それから頷いて続けた。
「私は決めたわ。××物産にする。すぐにパスワードを変えるから、履歴も消してくれないかしら?アサコもどちらか好きな方を選んで。履歴を消すために」
「ちょっと待って。2人ともどうかしているよ?私は嫌だよ。参加しない」
アサコが首を振ると、アカリが睨みながら言う。
「ここまで話を聞いて下りるなんて、そんなこと許されると思っているの?誰かに話されたら私とナオトは少年院行きなのよ?共謀しているユメだって同じよ。これはユメのワガママのためにやってあげているんだから、悪いことはしていないわ。そのワガママの手伝いの報酬なんだから。アサコ、自分だけ逃げようなんて思わないことね。そんなの私もナオトも許さないから。わかった?」
助けを求めるようにナオトを見るけれど、ナオトはアサコを冷たい目で見ている。
「アカリに同感だ。アサコ、お前だけ逃げるなよ。お前が口座を決められないなら、俺が決めてやるよ。〇〇商事。これがお前の口座だ。パスワード変えておけよ」
こんなに怖い顔のナオトを今まで見たことがない。
逃げられない……。
アサコは震える手でスマホを操作して、パスワードを変更した。
「で、身代金っていくらなんだ?スーパー金持ちのお嬢様だ。100万ってわけにはいかないよな」
ナオトが頬杖をついて考えていると、アカリが言った。
「五千万」
その言葉にアサコはポカンとする。
ナオトも自分で考えて、それをアカリが思いつき、計画を練るようには仕向けたけれど、そんな高額が口に出るとまでは想像もしていなかったから驚いた。
「何よ。スーパー金持ちなんだから、そのくらい提示して問題があるの?払うかなんかわからないし、これは遊びなんだから。取り分はそうね……、私たちは一千万。で、ユメの取り分は二千万。これならユメだって納得でしょ?私たちの倍額なんだから」
2人が黙り込んでしまっているのを見て、アカリがため息をついた。
「あのね?あの子のワガママのための『遊び』でしょ?別に本気で支払うなんて思っていないわよ。親がいなくなった娘を心配して会いに来たらそれでいいんでしょ?それがゴールなんでしょ?親が駆けつけるために身代金まで請求するんだから、あの家だと、このくらいの金額じゃないと逆に失礼だわ。スーパー金持ちなんだから。あくまで『遊び』よ。心配して駆けつけたら解放すればいい話。報酬はこの架空口座でいいわよ、誰にも内緒で貯金できる口座を貰えたんだし」
「も、もしもだけれど……、支払ったらどうするの?」
アサコが震える声で言う。
それを見てアカリはニヤリと笑う。
「ありがたく貰えば?五千万くらい、あの家なら別に問題ないんじゃない?」
これは想像よりも大規模なことになりそうだ……。
俺も暇つぶしの『遊び』だと思っていた。
架空口座を貰い、欲しいギターはいざとなればユメに買わせるように仕向けようと思っている。
アカリの言う通り、架空口座が報酬で十分だと思っていたけれど……。
かなりヤバイことになるかもしれない。
万が一、アサコの言う通り、新山家が支払ったら……、もう、これは遊びではない。俺たちが犯行を企てて、実行したと警察にでもバレたら、少年院どころでは済まないかもしれない。全国ニュースになってもおかしくはない。
さすがに言い出しっぺのナオトも生唾を飲み込んだ。
「さて……、入念に計画を立てるわよ?『遊び』だけれど、どうせなら本気で遊ぼうじゃない。何をビビっているの?ユメのワガママを叶えるんでしょ?私たちは『仲間』なんだから」
アカリは嬉々として計画を考え始めた。