きっと私だけ知らなかったんだ。

 それは祖母に何か考えがあってのことだろうと思ったけれど、納得いかない。
 唇を結んで、震える私を見て、颯ちゃんが話し出した。

「あの頃の一香さんは、まだ小さかったから、覚えておられないのかもしれませんね。淡路島には香料の町道から仕上げまで、お香づくりに関する一切の責任を担う香司という資格を持つ人がいます。淡路島の伝統の製法と高い品質を守り続ける香司は十数人。厳しく狭き門ですが、僕もいつか虎次郎さんのような香司になりたくて、ご相談したところ、ご紹介していただきました」

 鴨川をバックに颯ちゃんがするりと答えた。

 “虎次郎さん”とは、祖父のことだ。

 そういえば、昔、祖父も淡路で修業を積んだと聞いたことがある。

「幸定さん、お元気だった?」

 ふと、祖母が話し出した。

「ええ。とても。素晴らしい香りを作られる方で、たくさん教えていただきました」

「でも、厳しかったでしょう?」

「それは……そうですね」

 颯ちゃんが苦い顔をして答える。

「幸定さんって?」

 首を傾げる私に祖母は詳しく説明してくれた。

「幸定さんはね、虎次郎さんと同期の香司なのよ。今は淡路で名高い香司の一人として活躍されているわ。京都に虎次郎さんがいるのだから、ここで修業したらよかったのにねえ。虎次郎さんは香司になりたいのなら、淡路へ行けってきかなくて」

 祖母は、申し訳ないわねと言いたそうに、目を細める。

「いえ、ここでは甘えが出ますから。淡路へ行ってよかったです」

 深く頭を下げる颯ちゃんは、先ほど見た慌てふためく颯ちゃんとは別人のように見えた。

 颯ちゃんは、大学を卒業と同時に四年間淡路島へ行き、修行を続けていたそうだ。

 そして、四年後、香司になることができた颯ちゃんは、祖父母に手紙を送った。

『大学生の時は大変お世話になりました。おかげさまで香司になることができました。僕はこのままここ淡路で仕事を探し、この島で暮らしていこうと思っています。』と。

 その手紙を読んだ祖母は、『こちらで就職してはどうか』と返事を書いたそうだ。

『令月香で働いてくれないか』と。