「おい、コウ!」
 塞いだ耳の外から聞こえるようなくぐもった声。
 ゆずきは行ってしまった。そのショックから一瞬聴覚が消えかけた。
「コウ、何してんだよ!」
 もう一度。今度ははっきりと届き、はっとして顔を上げる。
 楓だ。
 ヤツが、咎めるような視線を投げてきた。
 いつもは他人に興味なんて示さないのに。
 いつの間にか楓の傍らに寄っていた一穂も、不安げな表情で僕を見つめる。
 僕は思わず足元に目を落とした。
「早く行けよ」
 絞り出すように楓が言う。
「うるせー」
 もとはといえばお前がゆずと密会じみたことするから。
「このままでいいのか」
 いいも悪いも、もう手遅れだ。
「関係ないだろ」
「後悔するぞ」
 もう、してる。
 僕は、僕は……、僕はサイテーだ。
「僕はサイテーだ」
 心に渦巻く声が、思わず口をついて出る。
「アホかっ!」
 楓がものすごい声量で叫んだ。
 それは辺りに響き渡り、驚いた鳥たちが一斉に飛び立つ羽音がした。
「コウがサイテーなことくらいみんな知ってんだよ」
 なんだとっ! と言い返そうとした瞬間、楓がスタスタと近づいてきて僕の胸倉をつかんだ。
「お前に何がわかんだよ」
 必死で強がって見せるが、
「わかるさ」
間髪入れずに楓が答える。
「ゆずきの成功喜んでやれなくて、代わりに自分の不成功嘆いてて」
「僕は……」
「僕は僕はっていつも自分のことばっかじゃねえか」
 十年来の腐れ縁。
 こんなに熱くなってる楓、初めて見た。
「ちゃんとゆずき見ろよっ!」
 ぐさりと胸に刺さった。認めたくなかったその言葉。
 歯を食いしばった。うるせーって言い返そうとしたけど何も出てこなかった。
 楓の腕を乱暴に振り払った。息が荒い。
 そんな憐れな目で見てくんなよ、楓。もう一穂の顔は見られなかった。
 振り向きざまに駆け出す。
 僕の背中に楓たちの声は掛からなかった。