「わたし、一穂ちゃんみたいにはできないよ」
 僕があれこれ頭の中で妄想を繰り広げていた間も、やはりゆずきは首を横に振っていた。
「できるよ、ゆずきなら」
 優しくほほ笑む一穂を見ても、僕にはもはや彼女の瞳に悪女の企みが見え透いてゾワゾワとしてしまう。
「悔しいけどこの役には、ゆずきが一番合ってると思うの」
 ゆずきが、合ってる――。
 その心は?
 ふと、一穂が僕を見た。
 部員たちもみんな僕に注目した。
 ゆずきも、不安げな顔で僕を見つめている。
「脚本家の立場としては、どう?」
 絶妙な間で、部長が聞いてくる。
 なんだ、この状況。
 みんなが僕の言葉を待ってる!
 ――脚本家の立場。
 ――脚本家の、立場。
 いつか言われてみたかった言葉!
 僕の書いたヒロイン役だ。ゆずきがふさわしいのは間違いない。
 彼女に演じてほしい。一穂がゆずきを推薦した理由がさっき僕の考えた悪女的なやつだとしても。
「僕は――」
 場が静まったまま、僕の次の言葉が待たれている。
「僕は、ゆずきに演じてほしい。ゆずき以外には、いません」
 おおぉ。
 一穂が指名したときの歓声とはまた別の、静かな驚き。
 カレシがカノジョを指名した! それも堂々と! ――なんていう視線もいくつかは感じた。
 でもその他の多くの表情を見ていると、一穂に加えて僕もゆずきを推薦したことで、事実上ヒロインの代役が決定したんだ、という高揚感に包まれているようだった。
「ほんとに? ほんとにわたしでいいのかな」
 ゆずきが顔を赤くしてうろたえる。
 部長が拍手による承認を求めると、喝さいが沸き起こり、満場一致でヒロインゆずきが支持された。
「ゆずき、やってくれるかな?」
 拍手が鳴りやむと、もう一度一穂が聞いた。
 ゆずきはちらりと僕を見る。僕は大きくうなずいた。
「わかりました」
 意を決したように彼女が答える。そして周りを見回してから、
「とにかく一生懸命やってみます。至らないばかりだと思いますが、どうかよろしくお願いします」
と言って頭を下げた。
 どこまでも謙虚なゆずき。
 みんなが温かなまなざしで彼女を見守っていた。