「ねーコウくん、マシュマロ食べる?」
 僕の目の前にゆずきがひょこっと顔を出す。
「わっ! びっくりしたー」
 あとでこっそり呼び出そうと思っていた相手からいきなり声を掛けられたものだから、心の内で盛大に焦った。
 青々と茂る山々の間を蛇行している一級河川の支流。
 その下流にかかる高架下の河原。
 高校の演劇部員総勢二十名ほどで、先週行った新作公演の打ち上げを兼ねたバーベキュー。
 さっきまでみんなで持ち寄った肉やら野菜やらをワイワイ言いながら焼いていて、それでいまはちょうど、鉄板の上もおおかた片付いて、それぞれにくつろいでまったりしているところだった。
 僕はふらりと川辺を歩き出して、高架下から離れた。
 一度頭をクリアにして、このあとどうしようか――具体的には、現地解散するときにどうやってゆずきを呼び止めようか思案していたのだ。
 その彼女が、僕のあとをくっついてきたのか、いきなり声を掛けてくるというサプライズ。
「なになに?」
 必死に動揺を隠す。
「マシュマロだよ」
「マシュマロ?」
「うん、マシュマロ」
 かわいい響きの言葉を交互に口にしてから、彼女は笑顔でうなずいた。
「なんでマシュマロ?」
「なんでって、どゆこと?」
 僕の問いに笑顔を崩さず小首をかしげる彼女。
 どゆこと、って言い方にもその表情にもどきりとしてしまう。
 さっきからやけに胸の鼓動が騒がしい。
「いや、だって、バーベキューにマシュマロっておかしくない?」
 僕はそんな心中を気取られないように、わざと不愛想に応じた。
「えー、おかしくないよぉ、デザートにすごく合うんだよ」
「デザートに? マシュマロ?」
「あれ、コウくんもしかしてマシュマロ苦手?」
「いやあ、苦手っていうか、好き嫌いを言う前に、そもそも食べたことないんだ」
「えーうそー! なんでなんで」
 ゆずきは感情表現が豊かだ。リアクションが大きくて、その表情はコロコロ変わる。そして基本、ポジティブで元気。見ていてこんなになごむ子はいない。
 ただ、「なんで」と聞かれても、うちの家系にはそんなおしゃれな文化なかったし。
 クレームの嵐を恐れずに言えば見た目がなんかからだに悪そうだし、食感もキモそうだし。それにそもそも原材料だって――
「砂糖のかたまりでしょ」
「あー、誤解してる」
「誤解って、違うの?」
「砂糖だけじゃなくてゼラチンや水あめも入ってるんだよ」
「そんなに変わらなくない?」
「変わるよ、大違いだよー。コウくんの言い方じゃ、ホットケーキを小麦粉のかたまりだよねって言うのと同じじゃない」
「同じでしょ」
「わーわーわー、世界ホットケーキ協会に怒られるよ」
「そんな協会あるの?」
「それはもう! ……どうかな」
「なさそうだよね」
「むうう……」
 ゆずきはほっぺたを膨らませて次の言葉を探しているようだった。
 その表情、控えめに言って――めちゃくちゃかわいいし!と心で叫ぶ。
 ひとを好きになるポイントはいろいろとあるだろう。
 たとえば顔。まさにいまの、ゆずきの。
 細かくいえば瞳だったり、口元や鼻筋だったり。あるいは、きれいな髪にも惹かれるかもしれない。それからしぐさとか、立ち居振る舞いなんかも。
 もちろん僕は彼女のすべてに魅かれているのだけれど、もっともスペシャリティを感じるのは――と問われれば、それはもう、迷いなく即答できる。
 僕はゆずきの声が好きだ。
 彼女の声音は、とてもあたたかい。それに、羽毛のようにやわらかくて、春風のように心地よくて。耳に届くたびに癒される。
 そもそも見た目や服装っていうのはすぐに取り繕うことができるかもしれないけど、でも声だけはそうはいかない。
 喜怒哀楽を露わにするときはもちろん、ただ文章を読み上げるだけだって、声はそのひとの人柄や性格だったり心だったりを表すものだと思うから。
 僕とゆずきはいま、演劇部のメンバーたちが集まっている高架下からずいぶん離れたところにいる。大声で叫んでやっと届くかどうかというくらいの距離だ。みんなは僕たちに気づいていないだろう。
 だからもういっそうのこと、この場でゆずきを抱きしめてしまいたかった。
 彼女は、僕がそんな衝動に駆られていたことを知ってか知らずにか、
「とにかく一度食べてみて。焼くと絶品なんだから」
と情熱的な眼差しで訴えた。
「焼く? マシュマロって焼くものなの?」
 今度はなんだい。
 焼くってなに?
 我が家の食文化にマシュマロなんていうおしゃれスイーツ(なのか?)など一度も出現しなかったというのに、それを焼くなんていうアレンジが存在するんだ。
「そのままでもおいしいんだけど、焼くとすごいんだから」
 脱ぐとすごいんだから、みたいな言い方だ。
「ほんとに?」
「うん」
「ほんとに?」
「なんで二回聞くの、ほんとだよー」
「ううん……」
 彼女に勧められて少し心が動いたものの……。
 せっかくふたりきりになれたんだから、マシュマロは一旦置いておいて、今日の僕の最大目的を果たさねばという思いもあった。
「一度挑戦してみようよ、マシュマロ」
 なのに彼女は、相変わらず無邪気なマシュマロ愛であふれている。
 それが僕の気負いを解きほぐした。
 僕は彼女の声が世界で一番好きだ。
「挑戦て言うと、なんかかっこいいね」
 僕がにやりとするとゆずきも笑った。
「でしょ。でもコウくんが言ったんだよ、演劇はいつも挑戦の連続だって」
「演劇とマシュマロ結びつけるんだ」
「そう、結びつけるの。どっちも好きだから」
 僕はそんな君が好きだ。
 今日ここに来るまでに、それを伝える決心をしていた。
「ほんとにおいしい?」
「保証するっ」
 ゆずきの瞳はとても澄んでいて、一点の曇りもなかった。
 焼きマシュマロ推しでそんなに見つめられても……と少し困ったものの、
「じゃあ食べてみようかな」
と答える。
「わー、やったぁ!」
 彼女が白い歯を見せて飛び跳ねた。
 ただ単に僕にマシュマロを食べさせるというミッションが成し遂げられそうだというだけことでここまで喜んでくれるなんて。
 そういうの、なんかうれしい。
「いつかこの日を思い出したときにね、みんなでいっぱい頑張って作り上げた舞台への達成感と同じくらい、焼きマシュマロのおいしさにも胸が熱くなると思うよ」
 彼女はまた初々しく笑った。
 こんな些細なやりとりにも幸せを感じる。
 やっぱりゆずきじゃなきゃダメだ。
 彼女は僕にとって、理想の女の子。
「それでは、じゃーん!」
 ゆずきは鳩を出すマジシャンのように、いきなりマシュマロを出現させた。
 手にした串にちょこんと刺さったそれは、こんがりと濃い目の焼き色がついていて香ばしい。
「わわ、すごいね、いきなり」
「ささ、食べてみて」
 彼女は気がはやるのか、串の先端を僕の口元に近づける。
 これは見方を変えれば、よく結婚式で新婦が新郎にスプーンに載せたカットケーキ(それは大抵、とてもひと口では収まりきらない大きさなのだが)を食べさせる、あの『ファーストバイト』を連想させないこともない。
 やばっ。
 まだゆずきに告白する前なのに。いいんだろうか、こんなシチュエーション。
 はい、ああーん。
 とは言ってもらえなかったが、僕は幸せそうな阿呆面で口を開いた。
 さくっ、ふわっ、とろっ、しゅわー。
 すぐに溶けてなくなる。
 うわっ、なんだこれ……すごい食感。
「うまっ‼」
「でしょ、でしょ!」
 興奮する僕にゆずきが満面の笑みで応える。
「ごめん、完全に侮ってた。マシュマロすごいよ、おいしすぎ。勧めてくれてありがと」
 この感想もゆずきへの感謝も本心だ。
 なにせ感動すら覚える味だったのだから。
 彼女はえへへと笑ってから、
「どういたしまして」
と照れた。