「ちょっと、いいですか?」
 そのとき、一穂が声を出した。
 か細い声だが静まりかえった部室には十分に通る。
 隣を振り返ると、彼女は神妙な面持ちで小さく手を挙げていた。
 部員たちが一斉に一穂を見る。
「わたし、この役ができるのは、ひとりしかいないと思うの」
 その発言にざわめきが起こった。
「ひとりって、一穂自身ってこと?」
 部長が優しい口調で聞いた。
「まさか」
 一穂が自嘲気味に笑う。
「そこまでうぬぼれてません」
「じゃあ、誰を推薦したいのかな」
 再び部長。
 みんなの喉ぼとけが同時に動いた。ごくりと息を飲む音まで聞こえたかのようだ。
 部内のマドンナ、降板した元ヒロイン、一穂。そんな彼女からの直接指名。
「ゆずき」
 一穂は部員たちの中のゆずきを見た。
 場内から「おおーっ!」という期待に包まれた歓声が沸く。
 一方のゆずきは状況が飲み込めないようで、「ん?」と小首をかしげて。
「ゆずき、お願いできるかな」
 もう一度、一穂が呼びかけた。
 ゆずきはしばらくぽかんとしたあとで、ようやく、
「え、え……え!」
と声を上げた。
「わ、わたし⁉ わたし演技したことないよ。無理無理! 無理だよ」
 そして体育座りをしたまま派手に手を振る。
 僕はゆずきを見据える一穂をじっと見つめた。
 何を考えてるんだろう、一穂は。
『わたし、あんな素敵なヒロイン役、ほんとにちゃんと演じられるか不安でしょうがなくて』
 たしかに彼女はそう言った。
 それなのに、そんな大切な役をゆずきに……。