入場料四百円で丸一日楽しめるなんて、高校生にはすごくありがたい。
 ゲートを抜けると、目の前にフラワーガーデンが広がっていた。
 中央の噴水を囲むように色とりどりの花が咲き誇る。
「わあー! きれい!」
 ゆずきが歓声を上げた。彼女はほんとに感情表現が豊かだ。
 明るくて、笑顔も声もかわいくて、見ているこちらが元気をもらえる。
「ん? どした?」
 僕の視線に気づいて振り向くゆずきに、
 ――ゆずもきれいだよ。
 なんて言えたらよかったけど、恋愛初心者の僕にはハードルが高い。
「いい香りだなって」
 穂状に咲く紫色の花々を見て言った。
「ハーブの香りだね」
 ゆずきが深く息を吸う。
「この花、なんだろ」
 ふうーっとゆっくり息を吐いてから彼女が答えた。
「ラベンダーじゃないかな」
「そっか、ラベンダーか。なんか昔あった映画、思い出した」
「どんな?」
 あれは元が小説だけど、映画のほうも有名で何度かリメイクされている。
「放課後の理科実験室でね、主人公の女の子が割れたガラス瓶から立ちのぼるラベンダーの香りを嗅いで意識を失うんだ。それ以来彼女の身に、不思議なことが起こるっていう」
 ラベンダーに関係なく、僕の身にはもう、起こってるけど。
「で、で?」
 ゆずきが先を促してきた。
「うーん、このあとの説明が難しいんだよね。うっかり話すとネタバレになっちゃうし」
「へえー、そうなんだー。でも面白そう」
 興味深々の顔でゆずきが言う。
「うちにDVDあるから、今度貸そうか」
なんて聞いてみたところ、彼女は、「一緒に観たいな」と答えた。
 おっしゃ‼
 僕は心でガッツポーズした。
 ヤバい。ちゃんと会話できてる。ゆずきと話してる。
 いまのやりとりなんか小説には書いてないけど、ちゃんと成立していた。しかも現実も絡めて。これはつまり、こういうことだろうか。
 僕がスマホの小説エディタに書いたことはそのまま反映されて、書いてないことはそのときのシチュエーションとか関係に合わせた言動になるっていう――。
 僕たちはフラワーガーデンを一周してから並木道に向かった。
 そこは園内でもすごく人気がある、メタセコイアの並木道だ。
 天高く伸びる高木と、横に伸びて重なり合う枝、そして緑の天井。
 ドラマの名シーンなんかで目にするスポットだった。いまでさえ目の前の光景は十分にきれいだ。秋の紅葉シーズンなんかはとてつもない美しさに違いない。
「すごーい!」
 ゆずきがまたしても歓喜した。
 なんて純粋なんだろう。表裏がなくて、好奇心は旺盛で。
「わわわわ、全部緑!」
 彼女はメタセコイアの天井を見上げたまま、両手を広げてくるくる回った。
 僕はスマホを取り出し、フレームの中にゆずきをとらえた。
 パシャッ。
 はたして彼女はデータに残るんだろうか、なんて実証実験のつもりで撮ったことを心で懺悔する。
 撮影した画像はもはやアートだった。
 見上げるゆずきがスカートを翻して踊っているようで――あまりに尊い。
 彼女は僕の動作に気づいていない。これじゃ隠し撮りだよ。
 ただ、僕はあることを思いついて、そのままスマホを操作した。
 小説エディタを開き、このデートの一場面を付け足してみる。

 メタセコイアの並木道で、僕はゆずきに、あるゲームを持ち掛けた。
 僕が出した究極の選択でふたりの解答がすべて一致したら、ゆずきは僕の願いを聞くというゲームだ。

「どうかした?」
 スマホを見つめる僕にゆずきが聞いた。
「ううん、映える景色だったから。ちょっと撮っといた」
「えー、見たい見たい!」
 興味を持った彼女がぴょんぴょん跳ねる。
「いいけど、その前にひとつゲームしない?」
「ゲーム? どんな?」
「究極の選択ゲーム」
「何を洗うの」
「何も洗わないよ。選ぶの」
「あ、セレクトのほうかー」
 ゆずきは手を叩いて納得した。
「そう。僕が二択の問題を五問出すから、お互い好きなほうを頭に思い浮かべて、同時に答えるの。もし五題とも答えが一致したら、僕の願いを聞いてほしいな」
「それってなんか、相性診断みたいだね」
「うん、そんな感じかも」
「えー、なんか怖いなー。一問も合わなかったらわたしたち相性悪いみたいじゃない?」
「大丈夫、異なる価値観を受け入れられるのが大人だから」
 わざとキザな感じで言ってみる。
「ははは。大人って、コウくん面白い。でも、そだね。全部一致したら素 敵だけど、ちょっと違っててもそれはそれで認めあえばいいんだよね」
いいこと言うよな、ゆずきは。
「よし、じゃあ、早速第一問」
「はい!」
「海と山、どっちが好き?」
「えー難しー! どっちも好きだよ」
「じゃあ、いまの気分で」
「いまの気分でいいの?」
「いいよ。それじゃいくよ。同時に答えてね。せーのっ」
「「海!」」
「お、一致した!」
「やった! 第一問クリアだね!」
 ゆずきが無邪気に笑った。
 彼女は、楽しいときに思いきりはしゃぐ。
「すごいすごい!」
 いや、まあ、いま海浜公園に来てるくらいだから海って言うと思ったけどね。
 でもその笑顔を見てるとこっちもうれしくなる。
「じゃあ、第二問」
「はいっ」
「きのことたけのこ、どっちが好き?」
「それって、お菓子の?」
「そう」
「わー、すごく悩むなー」
 うんうん唸るゆずきだったが、
「せーのっ」
「「きのこ!」」
「「おお~!」」
 感嘆のため息までそろった。
 その後も、
「未来と過去、いけるとしたらどっちに行きたい?」
「「過去!」」
「暑さと寒さ、どっちなら耐えられる?」
「「寒さ!」」
と四問連続で一致した。
「ちょっとちょっと、わたしたちすごくない⁉ 五題連続正解したら二分の一の五乗だから……三十二分の一だよ!」
 僕が勝ったらゆずきは僕の願いを聞くことになるのに、彼女はとにかく全問一致させたいと願ってくれている。なんていい子なんだろう。
「では最後です。スキーとスケート、どっちが好き?」
 これは僕にとっての賭けだった。
 僕は正真正銘バリバリ運動音痴のインドアひきこもりなので、どちらもしたことがないしどちらが好きか選べるレベルにもない。スケートはそもそも立ってることすら怪しそうだし、スキーは勝手に板が滑り出すのを制御できる自信がない。
 それに、ゆずきは僕の設定の中で、どちらが好きとか決めていなかった。
 彼女がどちらを選ぶのか、全く予想できないのだ。
「えー、難しいなあ。わたし実はね、どっちもしたことないんだ」
 知ってる。
「僕も同じ。やってみたいほうでいいよ」
「コウくんもか。うーん、どうしよー」
 ずいぶんと悩んでから、ゆずきはようやくゴーサインを出した。
「決まった」
「よし、じゃあ行くよ。せーのっ」
「「スケート!」」
「きゃあ、やったやった!」
 ゆずきが飛び上がって僕に抱き着いてきた。
「あわわわわ!」
 あわあわしながらあわわわわと声が漏れた。早口言葉みたいだ。
「あ、ごめん!」
 ゆずきが慌てて身を離す。
 いや、全然そのままでもよかったんだけど。
 それより僕は、三十二分の一の確率を越えたことよりも、自分がスマホに書いた一言が実現されたことに感心していた。

 僕が出した究極の選択でふたりの解答がすべて一致したら、ゆずきは僕の願いを聞くというゲームだ。

 実はこれに加えて、もう一文書いていた。

 そして見事、全問一致する。

 と。
 もちろん、たった五問だ。偶然ということだってある。それに、質問によっては互いの嗜好を予測して答えられる余地もある。
 でも……二問目と四問目について実は、本来僕が選ぼうと思っていたほうとはあえて逆を選択したのだった。きのこより断然たけのこ派だったし、おばあちゃんに似て大の寒がりなのだ。
 自分の意に反したチョイスで勝ち得た究極の選択。
 それでも小説に『見事、全問一致する』と書いたらその通りになるっていうのは!
 すごいじゃないか!
 でも……、内心ちょっとだけ複雑な気持ちにもなった。
 なんとなく味気ないというか、ほんとは相性ピッタリじゃないじゃん、て思ってみたり。
 そのとき、ゆずきが聞いた。
「コウくんはなんでスケート選んだの?」
「それは……」
 彼女を目の前にして答えるのは恥ずかしかったけど、まじまじ見つめられたらこのまま黙っているわけにもいけない。
「ゆずと……手、つなげるかな、なんて思って」
 うわ、言っちゃったよ。スポーツへの興味とは全然関係ないこと。
 一瞬ぽかんとしたゆずきの顔にぱっと花が咲いた。
「わたしも!」
 え……?
「へたっぴだろうけど。でもへたっぴなりに、一緒に手をつないで滑れたらいいなって……」
 最後のほうは言ってるうちに照れたのか、ごにょごにょと声が小さくなった。
 ゆずき、同じ思いで選んでくれてたんだ――。
 思い通りになる筋書きと、思いがけない偶然。
 小説に書いたことが現実になることを味気なく感じたあとだったから、この瞬間、なんだかじんわりとうれしくなった。
「ところでコウくんのお願いって?」
 ゆずきが顔を寄せてきた。
「えっと……」
 そんなに見つめられたら恥ずかしくて言いづらいよ。
 しかもいまの話の流れからは特に。
「ん?」
 ゆずきはまたしても、首をちょっとだけ傾けて僕の返答を待つ。
 そのしぐさ、ダメだよ反則だって。
 ちょい、かわいすぎだし!
「僕の願いは……ゆずきと一緒に、写真が撮りたい」
 思いきって言ってみたところ、彼女は「ぷっ」と噴き出した。
「なんか面白いこと言ったかな」
「ううん、ごめんごめん」
 まだ笑ってる。
「こんなこと言ったら怒られちゃうかもだけど、願い事じゃなくても写真は撮りたいなってわたしも思ってたから」
 やけにうれしそうだ。
「撮ろ、撮ろー」
 ゆずきは早速僕の横に立った。
 こんなにノリノリで合わせてくれる彼女に、僕はうれしさをかみ殺したままそそくさとスマホを出す。
「並木道、うまく入れたいね」
 背後を見渡してからゆずきと立ち位置を決めた。
 自撮りモードにして、スマホを持った右手を伸ばす。
 肩と肩があたるくらいの距離で並んでいたので、ふたりとも画面からはみ出していた。
「もうちょっと寄ってみる?」
 ゆずきの吐息が耳にかかる。
 僕は振り返ることもできず、こくりとうなずいて彼女に身を寄せた。
 スマホ画面の中で、ふたりの頬が触れる。
 かっと耳が熱を帯びた。
「並木道も見えてるよね」
「うん」
 短く答えるゆずきも赤い。
「じゃあ撮るよ」
「うん」
「はい、チーズ」
 パシャリ。
 画面の中の、ちょっとぎこちない僕と、幸せそうなゆずき。
 この一枚は家宝にしよう。