駅ビル前の広場はなかなかの賑わいだった。
 上空からだと分かるが、色とりどりのタイルは市のシンボルマークを象っている。
 中央には小さな時計台があって、そこは昔から待ち合わせの目印にもなっていた。
 周りには家族連れやシニアの団体、それから学生グループ。
 朝からみんなハイテンションで、わちゃわちゃと楽しそうにしゃべっている。これから行楽地やショッピングなんかにでも繰り出すのだろうか。
 時計台の針は八時十分。
 ゆずきとの待ち合わせまで、まだ五十分もある。
 もちろん、別にテンパって早出したわけでも神経質に五十分前行動を習慣としているわけでもない。
 僕は待ち合わせの広場には直行せず、駅ビルと隣接する百貨店とを三階の高さでつなぐガラス張りの連絡通路から広場を見渡していた。
 理由は簡単。
 広場の周りの茂みだとか観光案内所の物陰で、息を潜めてカメラを構える一穂、あるいは一穂の小間使いたち。それに対し、何も知らずに浮かれ顔で現れる僕――もしもそんな構図に陥れようとする計画があるんだったら、その裏をかいてやるつもりだった。
 僕はあらためて広場を見回した。
 次に駅ビルの出入り口、そして百貨店前、さらにはタクシー乗り場、バスターミナルも。周辺のひとの動きにも注目し、怪しい人物や集団がいないかを探った。
 はっきりと表情までは捉えられないが、たとえば知り合いが現れたらそ のひとだと認識できる距離だ。
 いまのところそれらしき顔は見当たらない。
 ううむ。我ながら探偵にでもなった気分だった。
 時計台の針が八時三十分を回る。
 僕はもともと、敵はこれくらいの時間に動き出すんじゃないかと踏んでいた。
 もしも僕を欺こうとする者が現れたら、その姿を写真に撮ってその人物に送りつけるつもりだ。
 ――出しぬく気持ちで出し抜かれる気分とやらを味わわせてやろう。
 さあ、出てこいよ。
 探偵気分だったのが、いつのまにか偏執的な復讐者みたいになっていた。
 こういう役、映画やドラマだったら主役にはなりにくいんだよな。この あとトラブルや悲劇に巻き込まれるフラグが立ってる感じ、強いし。
 でも……。
 それなりに緊張しながら身構えていたものの、目立つ動きはなかった。
 そのまま十分、二十分と過ぎる。
 広場ではもといたグループやカップルが駅のほうへと流れていき、また 別の集団が現れるという新陳代謝が繰り返されていた。
 ……うーん、どういうことだ?
 そろそろ何かあってもいいはず。
 昨夜わざわざゆずきになりすまして僕にトラップを仕掛けてきたやつがいるのは間違いないんだから。で、僕はそれを一穂だと思っているんだけど。
 !
 ――と、そのときだ。
 広場に現れたひとりの人物に、僕は瞠目して息を飲んだ。
 その人物は、きょろきょろと辺りを見回しながら、広場を一周した。
 誰かを探しているように見える。
 結局その相手は見当たらなかったようで、時計台の下に立つと、空を見上げた。
 ちょうどこちらに顔を向けたので、僕は思わず手すりに隠れてしゃがみこむ。
 見られたか?
 内心焦りながらゆっくりと顔を上げると、その人物はまだ空を仰いでいた。
 顔いっぱいに日を浴びて、なんとも気持ちよさそうに。
 背中まであるさらさらの髪がそよ風に揺れた。
 時計台の下で幸せそうな表情を浮かべる人物、それは――

 ゆずき(・・・)だった。

 僕はガラス張りの連絡通路で目を凝らして、まじまじと彼女を見つめた。
 あの服装……。
 スマホを起動し、小説エディタを起動した。
 書きかけの最終ページからスワイプをして戻っていくと、ちょうど僕の書いた小説の中で、ゆずきとの初デートのシーンを描いたページが表示された。
 小説の中のゆずきは、腰にリボンのついた膝丈の白いワンピース。
 そして胸の前には小さなポシェットを提げている。
 いままさに広場に立つ彼女も同じ格好をしていた。
 ――か、かわいい。
 激かわいい!
 奇跡のような光景に一瞬ボルテージが上がったが、そこでまた我に返る。
 この位置からだと彼女の顔ははっきりとはわからない。
 たしかに限りなくゆずきっぽいし、何より僕のイメージ通りの装いをしている。
 でも、でも……、
 こんなことが現実にあるわけないよな。
 だって、ゆずきは僕の想像上の女の子だ。いわばユニコーンやエルフのような伝説上の生き物みたいなものだ。その彼女が現実世界にいるなんて……。
 何度も瞬きして彼女を見返すが、あの可憐さはやはり高校の屋上に現れた女の子と同一人物だろう。
 そうなると――僕のスマホの小説を読んだ何者かが、僕の好みドストライクを連れてきて、僕が小説に書いた通りの服装を着せているとでもいうのか……。
 そこでふと、彼女の足元に目が留まる。
 彼女が履いていたのはヒールの高いパンプスだった。
 それは、僕が小説に書いた描写通りのもの。
 女子のファッションに疎い僕は、ネットでいろいろ検索して表示された画像からヒロインの服装を決めることも多い。このシーンの履物にシックなパンプスを選んだときのことを思い出した。その形や色味自体がオシャレだったものだから、実際のコーデを考えずに描写したんだと思う。でも実際には、白のワンピースを着る彼女のあどけなさとはどうもアンバランスに映っていた。
 僕はスマホの小説エディタを開くと、該当シーンのページに飛んで彼女の履物を書き換えた。
 そして、目を上げると――
 ‼
 信じられないことが起こった。
 僕は怖くなって背後を振り返る。連絡通路の中ほどには、ちょうど僕しかいない。
 いったいどういうことだ。
 僕はもう一度時計台の下の彼女の、足元を見た。
 スマホに目をやる直前まで、たしかに彼女はパンプスを履いていたのに、それがいまは花柄のサンダルに変わっていた。
 ああ、書いたさ。間違いなく書き換えた。『シックなパンプス』を消して、『花柄のサンダル』に。でも……、
 何が起こってる⁉
 心臓がバクバクとうるさい。
 もう一度広場をくまなく見回すが、何か企てていそうな輩たちも見当たらない。
 どうしよう……なんだか怖くなってきた。
 このまま帰るべきか。
 ここから下りて、広場の彼女に会いに行くべきか。
 胸の内で振り子のように、ふたつの考えが行ったり来たりを繰り返す。
 ゆずきはずっと同じ場所に立っていた。ここまでの間、誰かからの指示を受けたり誰かに合図を送ったりした様子はない。
 時計台の針は待ち合わせの時刻、午前九時を五分過ぎた。
 そのときだ。彼女がおもむろに、ポシェットからスマホを取り出した。
 僕がなかなか姿を見せないものだから、このまま待ち続けてよいのか一穂に確認しようとしているのかもしれない。
 すると、僕の手の中のスマホがメッセージを受信した。
 え……、マジか?
 『ゆず』からだった。

《時計台の下だよー。》

 「遅いよ」とか「なんで来ないの?」とか「ずっと待ってるんだよ」とか書いてもよさそうなものなのに……。あくまで僕が彼女を探してるんじゃないかと気にかけているんだろうか。シンプルに自分の居場所を伝えてきた。
 なんて、けなげ――。
 胸がキュンとした。誰かの指示かもしれないのに。

《ごめん、すぐ行く!》

 そう返すと、僕は心を決め、広場に向かった。

 僕の姿を見つけた彼女は、ほっとした表情を浮かべてから盛大に手を振った。
 僕は少し緊張しながら時計台に近づき、彼女の数歩手前で立ち止まる。
 周囲にはあいかわらずたくさんのひとたちがいたんだろうけど、僕の視界にはもう彼女しか見えていなかった。
「会えてよかった」
 ワンピースの彼女がほほ笑む。
 夢で見たまんまの、とびっきりキュートな笑顔だった。
「ごめん、遅れちゃって」
 僕は顔をこわばらせたまま答えた。
 彼女がもぞもぞとポシェットを探る。どうしたんだろうと見つめているうちに、
「はい」
とハンカチが差し出された。
 きちんと折りたたまれた、皺ひとつない、かわいらしいハンカチだった。
 え?
 彼女が頬にかかった髪を耳にかけ直す。
「汗」
 言われて気づいた。連絡通路からここまで一気に駆け下りてきたせいだろう。
「いいの?」
 思わず聞き返してしまう。僕の汗なんかがついちゃっても?
 でも、彼女はこくりとうなずいた。
「もちろん」
 何か熱いものが込み上げてきた。
 もちろん、て……。それは最上の赦しじゃないのか。僕という人間を無条件に受け入れてくれてるってことなのか。
 広場の周囲に茂る樹木が、そんな僕のを祝福するようにサワサワと揺れた。
「ありがと」
 僕は彼女に礼を伝え、受け取ったハンカチで控えめに額を押さえた。
「コウくんとふたりで会うの、初めてだね」
 彼女がささやくように言った。
「昨日から楽しみで、なかなか眠れなかったんだ」
 その頬がうっすらと赤く染まる。

 …………!

 全身に電気が走ったようだった。ドキドキが止まらない。
 その表情や声のかわいらしさはもちろんのこと、いま彼女が口にした言葉は、僕の小説のデートシーンでゆずきが発するセリフとまったく同じだった。
 このあとの会話が、僕の頭の中にくっきりと浮かんだ。
「僕はぐっすり」
 えー、ほんとー?
「えー、ほんとー?」
 笑うゆずき。
「なんてね。――その服いいね」
 わー、ほめられた。うれしい。
「わー、ほめられた。うれしい」
 ゆずきは変に謙遜せず、無邪気に喜ぶ。
 目の前の彼女もまったく同じ反応をした。
「服がいいのはモデルがかわいいからだよ」
 そういえばこんな歯の浮くようなセリフも書いてたっけ。現実世界で発してみると、かなり恥ずかしい。
 でも……。
 でも!
 でも‼
 ここまでのやりとり、一連の会話――

 全部、小説通りだ!

 ありがとー。
「ありがとー」
 彼女が白い歯を見せた。
「ゆずの笑顔見てるとすごく元気出る」
 僕は目の前の彼女を、初めて愛称で呼んだ。
 ずっと声に出してみたかったその名前。
「コウくんのパワーの源になれて光栄です」
 ゆずきは背筋をピンと伸ばして敬礼した。
 それから幸せそうに目を細める。
 いくらなんでもこれが演技だとは思えない。
 それに、目の前のゆずきは小説の中の彼女よりも数倍かわいかった。
 もう、信じよう――。

 彼女はゆずきだ。

「今日、どこ行きたい?」
 感慨に浸る僕にゆずきが聞いた。
 そうだ、そういえば――小説ではこれからデートに出かけるんだった。
 彼女は僕の言葉を待つ。僕の意見に全面的に従うつもりだろう。
 僕が小説の中で提案した行き先は、遊園地。
 ゆずきとジェットコースターやコーヒーカップに乗ったり、お化け屋敷に入ったり。
 そんなシチュエーションを思い描いて書いた。
「ゆ、」
 遊園地なんてどう?
 だが……、喉元まで出かけた言葉を飲み込んだ。
 なんだか胸のあたりがむかむかしてきた。
 そもそも、なんで遊園地にしたんだっけ……。僕は彼女とそんなに遊園地へ行きたかったのか?
 いや、違う。ワンピースの女子をジェットコースターに乗せるとか、あまりに配慮に欠ける。それなのに遊園地を選んだのは――
 たぶん、過去へのリベンジだ。

 ――高校に入学して最初のゴールデンウィーク。
 あのときまで僕は、まだ何も明確な傷を負っていなかった。
 だって……一穂からも一目置かれていたんだから。
 演劇部の仮入部が終わり、次回からいよいよ本入部となった四月下旬。
『ねえ、藤井くん。明日空いてる?』
 部室の掃除をしていたとき、一穂から声を掛けられた。
 たまたま彼女とふたりきりになったタイミングで。
『え、僕?』
『そう、キミ』
 いきなりのことに驚いた。彼女とはそれまでまともに話したことがなかった。たしかに僕の名字は藤井だったけど、その名を初めて呼ばれたのだった。
 覚えてくれたんだ、僕のこと――と、そんな感慨を隠すように、
『なんで僕に?』
と問い返す。
『すごいよね、県知事賞』
 いきなりの発言に最初はピンとこなかったものの、
『市の文芸誌、読んだの』
と告げられて思い当たった。
 当時の僕にとって、唯一自分の誇りのようなもの。でも、演劇部のメンバーにはまだ話していなかった。
 知り合いでは楓くらいしか読んでないアレを、まさか一穂が……。
『一度ね、藤井くんに創作のこと、聞いてみたかったの』
 彼女はそう打ち明けて微笑んだ。
 たぶん、その瞬間が僕のモテ期のピークで……翌日それは、どん底に堕ちた。
 どこに行こうかという話になって、地元の図書館あたりにしておけばよかったものを、女子から声を掛けられて舞い上がった僕は、一穂を遊園地に誘った。若干躊躇していた彼女も、OKしてくれた。
 しかし……。
 その遊園地デート以来、彼女から声を掛けられることはなかった。
 あくまで一部員として軽く挨拶を交わす程度。険悪になったわけでも喧嘩したわけでもなく、いい雰囲気になりそうな予感が一夜にしてその他大勢に戻った。
 原因は、よくわからない。
 一穂にも聞いてない。
 時が過ぎれば癒える傷もあるだろうが、僕の傷はトラウマとして刻まれ、彼女にとってはおそらく黒歴史なのかもしれない。僕とのデートのことは誰にも伝えてなさそうだし、そもそもなかったことにされている。
真相を知りたい思いもないことはないけど、今更聞けるかって話で――。

「ゆ――ゆず、ごめん、その前にちょっとトイレいい?」
 僕は情けない顔をして頭を掻いた。
「わたしもちょうど行きたかったんだ」
 彼女は、きっと不自然だっただろう僕の表情をいぶかしむこともなく、一緒に案内所裏のトイレに向かった。
 入り口で別れると、僕は急いで個室に駆け込み小説エディタを開いた。
 僕があえて小説の中でゆずきとの初デート場所を遊園地にしたのは、一穂との一件を上書きするためだった。
 一穂と違ってゆずきとだったらきっと楽しい時間、心に残る思い出になるはず、と。
 そう、僕は空想でやり返す。
 全部、一穂へのリベンジ。
 でも……。
 その思いがいま、揺らぎかけていた。
 このままゆずきを遊園地に連れていっていいんだろうか。どうしても思い出したくない一穂との過去が頭をよぎる。もしもゆずきとも一穂みたいな関係になってしまったら……。
 イヤだ、イヤだ! そんなの絶対に!
 僕は書きかけの小説のデート・パートを開き、その章を丸ごと消した。
 遊園地、却下。
 もっといいとこあるだろうが!
 必死で考える。水族館、動物園、映画、ショッピング、寺社巡り……。
 くそう、どれも自信が持てない。

 あれ?

 僕はまた、我に返った。
 なんで必死こいて小説を書き替えようとしてるんだ?
 あのサンダルの件を、僕は受け入れたのか?
 僕が小説に書いたことが現実になるって?

 …………。

 そう、なのかもしれない。まだよくわからないけど。
 だが、そう願っている僕がいるのはたしかだ。
 長々と書いてあったデート・パートを消去した代わりに、

 ゆずきは僕を、とっておきの場所に誘ってくれた。

 こう書き足した。