「なぁピクシー、そこの緑の瓶を取ってくれ」
「はい、仰せのままに」
明けない夜の街にある、裏の世界。
老いも若きも男も女も、人間もそれ以外も。
人々が行き交う裏の世界は、今日も不思議で満ちております。不思議で、欲にまみれております。
そんな世界の片隅、入り組んだ路地にありますのが小さな可愛いらしい薬屋さん、『奇し屋』でございます。
「これで調合もできるな……助かった」
「そのお薬、沢山売れましたものね」
「風邪が流行っているらしいからな」
今日もお店は大忙し、店主でありますキュウが忙しなく薬の調合をしております。
――あぁ。そうでございます。
私の挨拶がまだでしたね、これは失敬を。
私は、そうですね。ピクシーと呼ばれている、とだけお伝えしておきましょうか。
……えぇ、ピクシーです。
容姿は九尾狐の獣なのですが、名前はピクシーです。名前がない私にキュウが付けてくれた、大切な名前。
だから私は、ピクシーです。
いつもは奇し屋のお手伝いを、こうしてさせていただいております。
「ピクシー、どこに話しかけているか知らないけど次そっちの瓶を取ってくれ」
「はいはい、仰せのままに」
本当に、人使いならぬ獣使いが荒い方でございます。もちろん野暮な事とは知っているので言葉には出さず、私はキュウに言われた瓶を慎重に運びます。
その中身はとても綺麗な、琥珀色の液体が入った瓶でした。覚束ない歩みで近づきキュウに渡すと、彼は私の頭を撫でながら液体を少しだけ目の前にあった器へと流します。
「これは、頭痛薬でしょうか」
「当たりだ」
緑や琥珀色、空色と頭痛薬にしてはいささかカラフルではございますが、なにを隠そうこれが彼の作る薬なのです。
彼の作る薬はどんな怪我でも治る。
彼の作る薬はどんな病気でも治る。
そうこの世界でささやかれているのが、彼の作り出す薬。もちろん、それはほとんどが事実でございます。そう、ほとんどがです。
どこが違うと聞かれますと、そうでございますね。どんな病気でも、と言うのは嘘になります。
どれだけ万能の薬を作ろうと、人に『死』はつき物でございます。
キュウの作る薬が治せるのは、軽度の病気だけです。進行が進んだ末期のものには、癒す事しかできません。
そしてそれを、キュウはもっとも理解し――自分の無力さによく苦しんでいます。
私はそれを、誰よりも知っております。
そして同時に私は、貴方が誰よりもすごい事を知っております。
「……なんだよ、さっきから俺の顔見てニヤニヤして」
「いえ、何でもございませんよ」
だって、笑ってしまうのですもの。
貴方は自分の無力さを一番理解し、それと同時に自分の作る薬が凄いという事を自覚していない。
だって、貴方の作る薬は怪我以外にも――
「あの、すみません……」
「ん?」
ふと、扉の前に人が立っているのを見つけました。お客様の来店に気づけないなんて、大変申し訳ない事をしてしまいました。
「その、ここは奇し屋さんでしょうか……?」
もやしのように細い青年はおそるおそる私とキュウを見ると、服の裾を伸ばしながら目線を不自然に動かしておりました。
「…………ほう」
服はどこかの作業着のようで、キュウはそれを見るなり少しだけ口元を歪めながら笑顔を作ります。
「確かに、ここは街の薬売りの奇し屋でございます。今日はどのようなご用件で?」
街の薬売りなんて、調子のいい事を。
キュウが恭しく頭を下げるのを見て青年は最初眉を潜めましたが、すぐに首を振って目を鋭くさせます。
「白髪の少年店主が営む特別な薬屋……貴方にお願いがあってきました」
その言葉はどの感情よりも、黒く重たく。
「――僕の過去を、消していただけないでしょうか」
***
店の奥の、カウンセリングルーム。
箱庭の様に飾られたそこで、キュウはガーデンチェアに腰をかけながら青年の話を聞いていました。
「……なるほど」
話を聞くにどうやら彼は、数年前に殺人事件を起こした犯人らしいです。あぁもちろん、ちゃんと罪は償っております。
ただ――罪を償った今もなお、彼は罪から生まれる悪夢に魘されてるそうです。
「どうするのです、キュウ」
「そうだなぁ……」
きっと何も知らない人からすれば、彼は薬売りに無茶ぶりを言っているように見えるでしょう。もちろん私だって、今でも思っております。
思っておりますが、無茶ぶりでない事も知っております。
「もう、限界なのです……すべてをやり直そうとしても過去の自分がついてきて……」
悲痛なその声に、胸が締め付けられます。
「だから、薬屋さん。ここにはどんな願いも叶う薬があると聞きました。どうかそれを、僕に売っていただけないでしょうか!」
「…………」
もちろん青年の話は、罪を償ったとは言えとても身勝手なものです。
ですが、消したい過去があるのは誰でも同じ。こればかりは、キュウの判断に委ねるしかありません。私めには、決める力などありませんから。
薬売りでも、キュウには彼の願いを叶える力を持っております。力とは語弊があるかもしれませんが、その術があるのは事実です。
「――申し訳ありません、お客様。当方どんな願いでも叶う薬は取り扱っておりません。ですが……」
にやりと、口元を三日月に歪めたのが見えました。あぁ――お仕事の時間のようです。
落胆する青年を横目にガーデンチェアから立ち上がると、キュウはカウンセリングルームに置かれた小さい棚から一つの小瓶を取り出しました。
中に入っているのは風邪薬や頭痛薬とは明らかに違う、しかしとても綺麗な藤色とパール色のカプセルでした。
「こちらは――過去を消す薬」
「っ!」
青年は顔を勢いよく上げると、じっとその薬を見つめておりました。物欲しそうに、飢えた獣のように。
これが彼の作り出す薬――ギフトと呼ばれる代物。
願いに応じたその薬は、それぞれが意味を持ち服用者へ効果をもたらします。
「この薬は貴方のお希望通り、忌々しい過去を綺麗さっぱり消し去ります」
「それを、それをください……!」
襲いかかるように飛びかかった青年をひらりと避けて、クツクツと喉を鳴らすキュウはそれこそ魔女のようです。魔女なんて、ここ五十年は遭遇しておりませんが。
「まぁ、そう慌てず」
あくまでも冷静に、余裕を持ち。
ヒラヒラと小瓶を見せながら笑うキュウは、お客様、と言葉を続けます。
「いくらギフトと言っても、こちら所詮は薬。副作用としてこの薬は、貴方の大切なものを一つ奪いますが……よろしいでしょうか?」
「そんなの気にしません、僕の新しい人生の為に……その薬を!」
縋り付くように、必死に手を伸ばすその姿を見ながらキュウは無邪気な子どものような表情を浮かべて。どちらが歪んでいるのかわからないその光景に少しだけ顔をしかめると、そんな顔をするなと小声で笑われました。そんな事を言われても、ならばどうしろと言うのでしょうか。
「それではお客様、ご購入頂けるということで?」
「あぁ、僕はそれで、人生をやり直すんだ!」
九尾狐の私が言うのもなんですが、まるで獣のようです。
そしてそんな獣のような青年を見ながら、キュウもまたこの世のものとは思えないほどに楽しげに笑っていたのです。
「毎度、有難うございます」
***
「――よかったのですか?」
「なにがだ?」
青年が帰った奇し屋で、私はふとキュウに問いかけました。
「先程の薬……過去を消すとなると、他の薬よりも副作用などが強力なはず……なのに何故、他のギフト同様に売ったのです?」
ギフトは通常の薬ではもちろんございません、人間の大切ななにかを奪うそんな狂気の一面を持った危険なものでございます。
キュウは普段からそれを一番よく理解しており、薬によってはオススメしない時もあるくらいです。
それがどうでしょう、彼には簡単に売ったではありませんか。それがどうしても、私には不思議に思えてならないのです。
「あぁ、その事か」
一方キュウは気づいたように乾いた笑いを浮かべると、そうだな、と楽しげに目を細めます。
「まぁ、あと数日見とけ」
「数、日?」
なんでまた、そんな。
理由はわからないにしても、キュウは間違った事を滅多に言いません。ですので私は半信半疑、キュウを信じる事としました。
そう、私はこの時なにもわかっていなかったのですから。
***
それからまた、数週間経った頃の事です。
新聞を賑わす記事は、ここ数日で起きた連続通り魔。
無差別に人を刺しているようで、犯人はまだ捕まってないとかなんとか。
「怖いですね、変な方が来店された際には頑張って返り討ちにしましょう」
「本当だな」
「聞いていませんね?」
欠伸を浮かべながら笑うキュウに、ふと違和感を覚えます。違和感と言うよりは、どちらかと言うと楽しそうで。
「……キュウ、そこまで怖がってないように見えますが?」
「ピクシー、お前は本当に勘がいいな」
どの事に対して勘がいいと言われたのか、わかりませんでした。
彼の言いたい事が理解できずに首を傾げようとした、その時です。
「薬屋さん、号外だぜ」
「おっ、いつも悪いな」
扉からひょっこり、一人の少年が顔を出していました。時々お店にも顔を出す、キュウと同い歳くらいであろう新聞屋さんです。
「それじゃあ俺は、ここらで失礼するよ」
「あぁ、ありがとう」
キュウが新聞屋を見送りながら号外を開くと、そこには通り魔犯が捕まったとの記事が一面を踊ってました。
「よかったですね、無事に犯人も……あら」
そこで私の目に飛び込んだのは、少々信じたくない内容のもの。だって、そうじゃありませんか。
そこに写る犯人の顔は、件の青年だったのですから。
「……やっぱりか」
「……キュウ、貴方こうなる事を予想してましたね?」
「まぁな……あの時の彼がおそらく一番大切にしていたのはもう再犯しないという理性だ、それがギフトで奪われては元も子もないがな」
確かに、その通りでございます。
せっかく人生をやり直したいという気持ちがあったのに、彼はそのやり直したいという気持ちが奪われたのです。これでは、イタチごっこでございます。
「だいたい、逆境の中で人生を必死に生きようとしている奴は沢山いる……ギフトに頼るのはだめに決まっているだろ」
なるほど、彼は言葉にしないだけで自分の薬を踏み台にされたことへ怒っているようです。なんともまぁ、彼らしい。
「まぁ、ギフトを頼るのなんていつの時代もロクなのがいないからな、作る俺を含めて」
キュウはそれだけ呟くと、早々に新聞を閉じて薬の整理を始めました。
「――たとえ過去を消そうと、人間が生きるのは今。そして生きていくのは未来。過去を消した所で、人間はトラウマを持ち戒めが無ければ同じ過ちを繰り返す。彼はそれを分かっていなかったのだよ」
そんな、皮肉じみた言葉。それがどこか悲しげで、私は自然と耳を寝かせてしまいました。
「……キュウ」
「同情してもなにもでないからな」
「あら、物欲しそうに見ていたように感じましたか?」
さっきの悲しげな彼はどこへやら、普段と変わらない憎たらしい顔に戻ったキュウは私の頭を撫でながら薬の陳列を進めていきます。
「……別にそんな、あぁもう俺の顔なんか見てないで、そろそろオープンの時間だから看板出してくれ」
「はいはい、仰せのままに」
誰よりも愛おしくて、自然体な薬売り。
いつだって着飾らない彼に笑いながら、私は店の開店を告げる看板を外へと引っ張り出します。
いつの時代も、薬は適量が一番でございますね。
――本日も奇し屋、営業中でございます。