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悲鳴のような声が門前に響いた。柾の背中に負ぶわれた綾都を見て、慎司が駆け寄る。
真っ先に、敵意の目が柾を捕らえる。柾が驚くよりも先に視線は逸らされて、刹那の間のことだったが、気のせいだと言うには強すぎた。
「どういうことですか。綾都、どうしたの。外に行ってたの」
柾に言い、綾都に、縋るような目で問いかける。綾都は目を閉ざして答えない。眠っているわけではなく、答えることを拒絶していた。
紺藍の色に満ちた空気では、顔色から、彼の体調を推し量ることもできない。
背中の少年からは身じろぎすらなく、柾はかわりに、困ったように答える。
「ちょっと、通りがかりに拾ったんだ。疲れていたみたいで、外でへたっていたから、連れてきた」
細く、息を呑む音がした。惑う視線が柾の元へ戻ってくる。
「発作とか、何か、苦しそうな様子は」
「いや、うん。そういう風には見えなかったな」
必死な様子の慎司に、憂苦した顔のまま少し笑みを浮かべて、柾は言う。
「頑固に自分で帰ろうとするんだけど、危なっかしいから、無理に俺が運んできたんだ。迷惑でないといいけど」
「いえ、迷惑だなんて、こちらこそ」
たいしたことは無いのだ、と悟って、慎司は大きく息を吐いた。
病のせいで体力の衰えてきた綾都のことだ。慎司へのあてつけで家を抜け出そうとして疲れてしまったということも、当然ありえることだった。ただでさえ、今日は昼にも騒ぎを起こしたばかりだ。
そして慎司はほっとすると同時に、動転していた自分に気づいたのだろう。慌てて頭を下げた。
「助けてくださったのに、失礼をしました。ありがとうございます。本当に」
そのまま綾都を引き取ろうとするが、それを柾が断った。
「ああ、家に入るのが迷惑でなかったら、このまま俺が運ぶよ」
「ですが」
真意を測るように、柾を見る。柾の後ろにいる凜を見遣る。彼は不機嫌な顔で黙り込んでいた。
「知らない人間が急に来て、怪しいと思うだろうけど」
「いえ、そういうわけではなくて。ご迷惑ばかりおかけするわけには」
「多分あんたよりは俺の方が力あると思うから、その方が綾都も楽だろう。病人に迷惑も何もないさ」
慎司は、再度窺うように綾都を見る。少しの応えもないのを認めて、悲しそうに眉を落とした。柾の言うことも確かに正しく、慎司はそのまま引き下がった。
「何から何まで申し訳ありません。助かります」
再び深く頭を下げた。
「どうぞ、こちらです」
柾と凜は、案内されて久我の家へ足を踏み入れる。
冠木門を抜けて敷地に入ると、式台付き玄関があった。
いくつもの棟が、渡廊で繋げられた大きな屋敷だった。玄関を過ぎると正座敷、更にその奥へ広々とした空間が続いている。壁を多く設けずに建てられた古い家を、行き止まることのない隙間風が、冷や冷やと通り過ぎていく。
ところどころきっちり締め切られてしまっているが、それでも空虚さを拭えない。歩いた廊下の長さを思えば、どれだけの広さか窺えた。
「そちらに、床がありますから」
慎司が足を止め、障子を開けたのは、庭に面した部屋だった。
差し込む月明かりに照らされた部屋の中は、思いのほか綺麗に整えられている。人の手がきちんと入っているのが分かる。埃などなく拭かれた畳の上、書物が、真中に敷かれた寝具の脇に積み上げられていた。
人を背負った重さを感じさせない軽さで柾が部屋に足を踏み入れる。綾都を布団に横たえて、慎司が丁寧に上掛けをかけた。
慎司が最後に部屋を出て、障子に手をかける。
「おい」
後ろから、声が追ってきた。先程までされるがままに目を閉じて黙っていた綾都が、こちらを向いていた。開かれた黒い瞳が、月を照り返して明るく光っている。
白い手がひらひらと手招いていた。視線は、凜の方を向いている。
それを見て、どういうことかと、立ち尽くした一行は束の間考え、慎司が思い出したように言った。
「どうぞ、よろしかったら、寄っていかれてください。お茶くらいしかありませんが」
「いや、でも」
「お願いします」
「本当に、ただ通りかかっただけだから、気にしないでくれ」
「病人の願いでもですか」
笑みと共に言われて、詰まってしまう。
「ずるいなあ」
先程の言葉を逆に相手に利用されてしまって、苦笑した。それから、相手は凜に用があるようだけど、と視線を向けると、凜は柾を見上げ、放るように言った。
「後でもらいに行くから、とっておいて。お茶」
「え」
あからさまに驚いた柾に、凜は蛾眉を顰めた。
「なんだよ」
「いや、なんでも」
これ以上つついて怒られるのは勘弁、と柾は慎司をせかす。凜は、少しむっつりとした顔で、彼らを見送った。