空は雲一つ無い晴天だった。
 まだ六月の後半で、梅雨真っ只中であるはずなのに、こんなに晴れる事は珍しい。普段は気にならないはずの虫の鳴き声が耳に付いた。校舎裏で日蔭になっているが、じっとりと暑さが体を蝕んでいく。
 今、俺の目の前には同じクラスの女の子がいる。白河莉緒(しらかわりお)という女の子だ。背は一五〇㎝にも満たず、ルックスも身長に似つかわしい童顔の女の子。肩より少し長いセミロングの髪が、蒸し暑い風に揺らされている。
 彼女はあまり普段から喜怒哀楽を表に見せず、無表情か笑っている顔しか人には見せなかった。性格はとても大人しくて、クラスでは非常に目立たない存在である。
 しかし、今は少し苦笑しているような、或は困っている表情をしているかのように見えた。
 沈黙の雨が俺達に降り注ぎ、虫の鳴き声だけが強調される。気まずい時間で、心臓がバクバクと高鳴っていた。彼女の返答次第で、俺の残りの学生生活は大きく左右されるからだ。
「……ごめんなさい」
 どれほど沈黙の中に身を置いたか覚えていない。答えを待つ時間を感覚的に長く感じたのか、或は本当に長かったのかは時計を見ていないので解らない。
 しかし、彼女は俺が最も聞きたくない言葉を残酷にも放ったのだった。この時点で半年越しの恋は砕けたことを証明したのである。
 彼女に恋したのは今から半年前のクリスマス頃だった。なに、理由なんて有りがちなものだ。今まで意識した事も無かった女の子だったのに、友人から『あの子がお前を頻繁に見てるぞ。惚れてるんじゃないか?』と言われ、まさかと思って意識してみると、確かによく俺を見ているらしく、目が合うようになった。
 今年に入ってからも、授業中では大体こちらを見ているし、意識し始めると止まらなかった。これは恋愛経験の少ない高校生男児としては仕方のない事だった。そして、高校生男児にありがちな、すぐに脈ありと判断してしまう思考回路になってしまっていたのだ。
 しかし、結果はこれだ。これは、高校生男児のありえる失敗ナンバーワンランキングと言っても過言ではない。まさか自分がそうなるとは思ってもいなかった。きっとこれの被害者は皆そうなのだと思う。
「えっと……良かったら理由教えてくれる?」
 かなりショックを受けながらも原因となるべくものを過去から探っていた。
 告白するのが遅過ぎたのか……いや、それともまだ親しくなかったからか? とにかく何がダメだったのか知りたかった。改善できるものならして、もう一度という夢をまだ持っていたからだ。
「いや、いきなり付き合うとかが無理なら友達スタートでも全然いいんだけど」
 彼女が何も言わないので、俺は慌てて付け足した。少しでも可能性があればいいと縋る想いだった。しかし──
「ごめん。それも無理かな」
 彼女、白河莉緒はきっぱりと言い放った。
「何ていうか……麻生(あそう)君って、皆からあまり好かれてないし、ちょっと恐いとこあるし、変わってるから。あたしも好きじゃない、かな」
 頭をバットで殴られた気分だった。彼女の情け容赦ない言葉に、胸のあたりがグシャグシャになって、血が滲んできそうな気さえした。
 じゃあ、この半年はなんだったんだ。そんな自問自答が頭の中で繰り返される。
「他の子達も同じだから。穂谷(ほたに)君達と仲良くしといた方がいいと思う」
 死体に鞭打って、とはまさにこのことだった。
 彼女は『お前は他の女にも嫌われているから希望はないぞ』という慈悲のかけらもない言葉をかけてきたのだ。
 いや、むしろこれは彼女なりの優しさなのだろうか?  お前なんて誰に告ってもこうなるからおとなしくしておいた方がお前のためだ、と言ってくれているのだろうか。
 わからない。わからないから、俺は一つだけ縋るようにして訊いてみた。
「じゃあ、何で授業中とか俺の方を見てたの?」
 最後の砦とも言うべき支えだった。彼女の頬は少しピクッと動いたが、わざとらしく首を傾げた。
「えっと……気のせいだと思うよ?」
 そう言って、困った笑みを向けた。その言葉を信じられなかった。心の支えを喪失し、ガラガラと音を立てて心の中の何かが崩れ去った。
 気のせいが毎日毎日続いていたというのだろうか。明らかにお前の方が俺を見ていたじゃないか。全部自意識過剰だったというのか? 頭の中が、疑問符で一杯になった。
 しかし、それが怒りに変わる事は無かった。これは人生初めての告白で、そしてもちろん、真っ正面からフラれたのも、初めてだった。目の前がグラグラ揺れていて、正常な思考が追い付かない。言われてみれば、全て気のせいだったような気がしてくる。
「う~ん、ごめん。何だか凄く傷つけちゃったよね。でも、誰にも言われなかったと思うし、自分に嘘吐くの嫌いだから……本当にごめんなさい」
「いや、いいよ……」
「麻生君の事、好きにはなれないけど……あたしの事好きって言ってくれたのは嬉しい。ありがとう」
 じゃあね、と彼女は言い、足早に立ち去った。
 俺はその場にしゃがみ込んで溜息を吐いた。立つ気力さえ無かった。
 この半年間、何に一喜一憂し、何にときめいていたのだろうか。全てが無駄に思えてならなかった。最初からどうあがいたって無理だったのだから。
 あまりに自分が愚かしく思えた。さすがに涙が出るとまではいかなかったが、ダメージは色濃い。失恋がこんなに痛いとは思わなかった。
 今までの俺は、失恋と言うものをしたことがなく、告白しようと思うほど人を好きになった事もなかった。今回は今までと違った。だから告白しようと心に決めたのだが……フラれるという想定を全くしてなかったので、さすがに痛い。
 思えばクラスで人気があるわけではない俺が、どちらかというと彼女のいうように嫌われていた俺が、どうしてそんな自信を持っていたのかも今となっては謎だった。
 腕時計を見てみると、彼女を呼び出した時間から一〇分しか経っていない。この半年の恋は、たった一〇分でケリがついてしまうらしい。
 案外この世界はこんなものなのかもしれない。積み重ねた努力や募り募った想いは一瞬で粉砕される。それを知って少し大人に近づいたというのだろうか?
 耳障りな虫の鳴き声が鳴り響き、燦々と照りつける太陽がやけに腹立たしかった。たまには雨の方が良い気分の時もあるのに。
 ──もう希望を持つのはやめよう。
 今回の件はもともと少なかった俺の自信を根こそぎ奪った。友達にもできないという事は、生理的に無理ということだ。俺は溜息を吐いて、込み上げてくるものを必死で抑え、太陽を睨みつけた。
 高二の初夏、ひとつの恋が終わった。突きつけられた現実に、ただただ打ちのめされるしかなかった。