ありきたりなチャイムにより、昼休みが始まった。
 麻宮さんと帰った事については、早速今朝信と泉堂に追求されたが、俺も何も言い訳を考えていなかったわけではない。たまたま偶然昇降口で居合わせて、帰る方向が同じだったから途中まで一緒に帰ったと言っただけである。なに、嘘は吐いていない。
 信は怪しんでいたが、麻宮さんがそこに参戦してきたかと思うと、俺に話を合わせてくれたので、信も納得せざるを得なかった。なんだかこういう連携プレーは、楽しい。彼女は彼女なりに、昨日の俺が皆から嫌われている発言から、俺の立場というのを察してフォローをしてくれたのではないかと思う。本当に、この子はよく人と周りを見ている。
 どうなることかと思った難関を乗り切り、大きなあくびをしつつその麻宮さんの背中を見た。彼女は熱心にノートを取っている。俺はそんな彼女を後ろから眺めていただけで、ノートは真っ白だ。
 その後ろ姿をぼーっと眺めていると、彼女が突如振り返った。
「ね、麻生君。購買ってどこ? 今日お弁当作る時間なかったから……」
「は? 紅梅? 今の季節には無いだろ……」
 いきなり振り向かれて一瞬パニックになってしまうも、内心焦りつつ平静を装う。
「……? 購買に季節がどう関係するの?」
 まずい。麻宮さんの周りに疑問付がたくさん見える。
「あっ、購買か! いや、今のは気にしないでくれ」
「変なの」
「だ、ダジャレだよ、ダジャレ」
「麻生君って、結構寒いギャグが好きなの?」
「ぐ……」
 ギャグセン残念男という不名誉な認定をされてしまった。しかし、あなたの背中をぼへーっと見ていていきなり振り向かれてパニクりました、とはさすがに言えない。
「そういや麻宮さん今日結構ギリギリだったもんな。俺も今日は購買のパンだから、一緒に行く?」
「うん」
 彼女は微笑んで頷き、俺と同時に席を立った。
 二人並んで教室を出ていくと、クラスの女子連中がこそこそとこちらを見て何かを話しているようだった。そんなに俺が女子と一緒にいたら悪いのか。いや、それは俺が嫌われているからか? 白河莉緒に言われた言葉が蘇ってきて、不愉快だ。
「私達が一緒にいるのって、そんなに変かな……?」
 麻宮さんが不思議そうに首を傾げた。
「変に見えるんだろ。人気の転校生が一番不人気な奴と一緒にいればな。多分もうすぐ『麻生とは話さない方が良い』とか言ってくると思うよ。そういうの今まであったと思うし」
 入学したての頃は、挨拶程度は交わす女子も結構いた。それがいつしか誰も話しかけなくなっていたということは、そんな憶測もできてしまう。麻宮さんは呆れたように溜息を吐いた。
「人が誰と友達になろうと勝手なのにね。何で口出しするんだろ?」
「さあ? でも、下手に逆らってると嫌がらせされるかもしれないぞ。女のイジメは陰湿だって言うからな。もしそうなるんだったら……」
 昨日の話を蒸し返したくないが、本当にそうなりそうだったら皆の前だけでも俺を無視して欲しい。今の時代、話すだけならスマートフォンでだってできる。それが俺の本心だった。しかし、彼女は首を横に振った。
「きっとそうはならないよ」
 何で?という問い返しはできなかった。訊こうとしたタイミングで購買に着いてしまい、会話は自然と購買のメニューへと変わった。
「どれがおすすめ?」
 並んでいるパンをやや屈みながら見比べる麻宮さん。その仕草すら可愛く見えて、思わず見惚れてしまう。
 というか、そもそも何でこんなに可愛い子が俺と一緒にいるんだろう? 言われてみれば、確かに不思議だった。同じクラスの連中が不思議がる前に、俺自身もこの状況を信じられないでいる。
 こうやって女の子と購買にくるなんて、俺の人生で初めてなわけで。一体何がどう転んでこうなったというのだろうか。
「うん? あー……このウニバナナパンなんかどうだろう? 何と百二〇円でウニとバナナのコラボを楽しめてしまう、全国のパン屋を探しても多分ここにしか無い超レアな品物」
「……遠慮しとく」
 自分で言っときながら、俺もその方が良いと思う。一度罰ゲームで食べたが、吐く以外に選択肢がない。何故にこんなマズいパンを売るのか理解不能だ。
 俺が知る限りではこれを好んで食べる奴はいない。ちなみに、ウニはもちろん本物ではなくて、ウニ風味にした何かだ。その何かが企業機密らしい。恐ろしくて聞けやしないけども。
 結局彼女は俺と同じ焼きそばパンとコロッケパンを購入していた。
 その後は何故か屋上で麻宮さんと昼食を食べる事になってしまった。
 購買でパンを買ってそのままお別れかと思っていたのだが、「え? 一緒に食べないの?」と残念そうな顔で訊かれたのだ。彼女にそんな顔をされては去れるはずもなく、結局そのまま屋上に行く事にした。
 俺だって彼女とは一緒に居たいと名残惜しく感じていたので、それは嬉しい申し出だ。ただ、こんな事をしょっちゅうされていては、また勘違いしてしまいそうになる。それに、周りの目も気になるし。
 なんでこう、女子は年頃の男子のナイーブな心をわかってもらえないのだろう? 高校生男子なんて、なんでもかんでもすぐに勘違いしてしまうくらい便利な脳みそをしているというのに。それで数か月前、自意識過剰で痛い目にあったのだ。これでまた一人で浮かれてしまったらこの前と一緒になるし、過去の失敗から学ぶべきところは学ばねばならないと思う。
「ところで、さっきのはどうゆう意味?」
「ふぇ?」
 食べている最中に聞いたのがまずかったらしい。何やら変な声が聞こえてきた。
「……珍獣?」
 悪戯な笑みを作りながら言うと、彼女は猛然と抗議してくる。
「もうっ。食べてる時に話し掛けないでよ」
「いや、なかなか笑える声だった」
「コホン……それで、さっきのって、何の事?」
 彼女は咳払いをして話題を戻した。どうやら珍獣の話は嫌なようだ。
「さっきの『そうはならない』って話だよ」
 彼女はパック牛乳を飲みながら、目だけ笑ってみせた。俺は怪訝にそんな彼女を見つめる。
「ナイショ」
「おい」
「うそ。特に理由はないんだけど、そんな気がするだけだよ」
「何だそれ」
 俺は効果音が出そうなくらい落胆して不満を漏らした。そんな意味深な笑みを見せといて、それはないだろう。
「たぶん麻生君は本当に嫌われてるわけじゃないと思う。皆解らないだけなんじゃないかな」
 俺が首を傾げていると、彼女は少し困ったような、でも恥ずかしそうな笑みを見せて、続けた。
「簡単に言うと、麻生君の良さっていうか……人間性かな?」
「そ、そうか? 別に俺、長所とかそういうのってないし……自分の魅力が何なのかも解らないし。ってかあるのかな? 俺に魅力や長所なんて」
 これは謙遜しているわけではなく、事実だった。俺は自分に自信がない。自分を信じてやれないから、人も信じられなくてこんなひねくれた人間になってしまう。悪循環そのものだ。
 自分を卑下したくはないのだが、今までに何をやっても自信がつかなかったから仕方がない。努力をしても結果が出た事がなかった。きっと俺の自信の無さはそんな成功体験の少なさが起因しているのだろう。
「……あるよ」
 だが、麻宮さんは断定するように言った。
 俺が固まっていると、彼女は続けた。
「でも、人の魅力って言葉にするのはとても難しいじゃない? 言葉にしちゃうと安っぽくなっちゃうから」
「それは、確かに」
 何となくだが、俺もその意味は理解できた。いや、以前から心の底で思っていたのが初めて言語化されたのだ。
 可愛い、カッコイイ、優しい、頭が良い──人を褒める際には色々な表現があるが、それ等の言葉は全て一義的だ。人によって可愛さや優しさの意味が違うし、それぞれの観点から見れば感じ方も違う。それを一つの言葉に決めて抑え込んでしまうのでは、確かに安っぽくなる。
 言葉とは案外自由の効かないものでもあるのだ。それは各自が持つボキャブラリーに差がでてくるのだが、やはり限界があるのではないだろうか。自分が感じたものを一〇〇%言葉にできる人はとても少ないのだと思う。
 それにしても、それに気付いている麻宮さんは人を見る力が高く、とても思慮深い人なのではないだろうか。俺も大概色々深く考えてしまうが、彼女はそれ以上かもしれない。もしかすると、彼女は見掛けでは普通を装っているけれども、俺が想像しているより遥かに人に気遣い、苦労して生きている気がしてならなかった。なんだか、俺よりも随分と大人というか……ふとそんな事を感じたのだ。
「なんかしんみりしちゃったね。話題変えよ?」
「そうか? じゃあ、珍獣の鳴き声についての議論再開だな」
「何でそうなるの!」
 俺達は残り少ない昼休みを笑って過ごした。
 何となくだが、俺はこの時に彼女の中にある苦しみや悩みといったものに気付いた。それが何かはまだ解らないし、ただの勘違いかもしれない。彼女がこうして明るくふるまっているのは、それを隠す為なのだろうか? そう思わないでもなかったが、彼女から得られる情報があまりに少ないので、俺はそれ以上踏み込めなかった。
 ただ、彼女がこうして俺を構ってくるのは、もしかすると、それが絡んでいるのではないだろうか。そんな風に思わなくもない。
 それに、もし何かで苦しんでいるとしたら……助けたい。俺は素直にそう思っていた。