僕に言われた通り、奈津美先輩はその場でゆっくりと深呼吸をする。素直な人だ。
 とりあえずこれで、先輩も少しは冷静になれたことだろう。安堵する僕の前で、奈津美先輩は周囲を見渡し……先程とは別の意味で頬を赤く染めた。

「気が付いてくれて、僕もうれしいです」

 労わるような口調で重々しく言いながら、奈津美先輩の細い肩に手を置く。
 頭が冷えたことで、ようやく自分が注目の的になっていることを察したようだ。それも、恥ずかしい意味での注目の的であることに……。

 奈津美先輩に人並みの羞恥心を与えてくれた神様に、心から感謝したい。けど、欲を言うなら、猪突猛進な行動を起こさないための思慮深さも与えてほしかった。
 ともあれ、これで奈津美先輩の暴走は治まった。今なら僕の話も耳に入るだろう。

「いいですか、先輩。僕は今、図書委員の仕事中です。それに、図書室はおしゃべりをする場所ではありません。この意味、わかりますよね」

 まるで小さい子に言い聞かせるように、ゆっくりと図書室でのマナーを説く。
 真っ赤な顔をした奈津美先輩は、驚くほど従順に、コクコクと何度も頷いた。

「お話は、放課後の部活の時に聞きます。今は大人しく、教室へ戻ってください。わかりましたか?」

 最後にひとつ、コクリと頷き、奈津美先輩は回れ右をする。そのまま逃げるように、そそくさと図書室を後にした。これにて、一件落着。

 それにしても、奈津美先輩の話って一体何だろうか。きっとロクなことじゃないんだろうな……。
 去っていく奈津美先輩の後ろ姿を見送り、ひとつため息をつく。この一年数カ月の経験から鑑みるに、あの笑顔は絶対にろくでもないことを運んでくる。
 せめて、職員室に謝りに行くような事態にはなりませんように。
 どこの誰とも知れない神様に祈りつつ、僕は外の天気のようにどんよりした気分で、図書室の奥に引っ込んだ。